第2話
王都郊外にあるカールの家。
簡素な作業机の上に、乾燥させた薬草と小瓶が並んでいる。
カールは幼い手つきとは不釣り合いな手際で、乳鉢を回していた。
「この前の報告書、受理されたか?」
視線を薬草から離さず、カールが言う。
「ああ。問題なくな」
アクスは壁にもたれ、腕を組んだまま答える。
「そうか。ああいう輩は単純だからな。自分の体のコンディションを確認するには、ちょうどいい相手だ」
「お前な……相手は訓練用の木人じゃないんだぞ」
カールは一瞬だけ手を止め、ちらりとアクスを見る。
「わかっている。だが、この体になってからは、明らかに不便だ」
再び手を動かしながら続けた。
「ならば、より効率的に任務を遂行する準備が必要になる。それだけの話だ。無駄ではない」
乳鉢を置き、透明な液体を小瓶に移す。
わずかに、鼻を刺す匂いがした。
「……それは?」
アクスが警戒気味に尋ねる。
「言うなれば、毒だな」
即答だった。
「刃の先に塗っておけば、たとえ頸動脈を外しても確実に仕留められる」
「物騒すぎるだろ……」
カールは小瓶の中身をスプーンですくい上げ、楽しそうに揺らした。
「即効性の神経毒だ。万が一生き残っても、喋ることはおろか手足も動かせない」
さらりと言ってのける。
「試してみるか?」
一瞬の沈黙。
「……やるか!!」
即答するアクス。
カールはにやにやしている。
どうやら今回の出来には、かなり自信があるらしい。
そのとき、窓を叩く音がした。
伝書梟が羽ばたき、部屋の中に飛び込んでくる。
「軍の上層部だ。呼び出しだぞ」
アクスが手紙を確認する。
「行くぞ」
「これも持っていっていいか?」
カールは当然のように小瓶を鞄に入れようとした。
アクスが即座に止める。
「やめろ。頼むからやめてくれ」
「実験も兼ねて……」
「やることじゃない!!」
カールとアクスは軍人である。
だが、正門ではなく裏口から入った。
目的はひとつ――
カールの存在を、できるだけ公にしないこと。
幼女の姿になったカールを、軍上層部は受け入れている。
しかし、それを他の軍人に示せば示しがつかない。
外から見れば、どう見ても「子ども連れの社会科見学」なのだから。
この姿になってから、二人は「特殊任務」という名目で、集団作戦から外されている。
それは事実上の隔離でもあり、同時に最大限の配慮でもあった。
――上層部の判断は、特別だ。
「アクセル・フォン・グライフェン並びにシャルロッテ・フォン・アイゼンヴァルト入ります。」
重い扉が開く。
「カール、変わりはないか?」
軍最高司令官ヴァルディス・フォン・クロイツが、穏やかな声で呼びかけた。
カールと、アクスは反射的に背筋を伸ばし、頭を下げる。
「はい。おかげさまで」
「先日の報告書も目を通した。ご苦労だったな」
少し間を置いて続ける。
「地味な任務しか回せなくて、申し訳ない」
「とんでもございません」
カールは即答した。
「それが、今の私の実力ですから」
「……そうか」
クロイツは小さく笑い、視線をアクスに移す。
「アクスも、よく支えてくれているな」
「いえ。カールほどこなせておりません」
控えめに、答える。普通なら一軍人が軍最高司令官と話すことなど、絶対にないことだ。カールがいるからこそである。
「二人が良いチームで助かっているよ」
は頷いたあと、ふと表情を引き締めた。
「――まだ、元の姿には戻れぬか?」
「はっ。手がかりは、いまだ不明であります」
「自由に変えられれば便利なのだが……」
クロイツは顎に手を当て、短く考える。
「難しそうだな。ほかに報告は?」
カールは一拍置き、真顔で言った。
「クロイツ様。本日完成した毒薬の出来が、かなり良好です」
小さく胸を張る。
期待に満ちた目が、きらきらと輝いていた。
「味見していただけますか? スプーンも持ってまいりました!」
――なぜ持っている!!
あれだけ止めたのに。
アクスは完全に硬直した。背中を冷たい汗が伝い、呼吸の仕方すら忘れかける。
クロイツは、その様子を見て口元を歪めた。
「私を引退させる気か?」
一拍置き、半分は冗談、半分は本気の声音になる。
「……ついに出世に興味が出たか?」
「いえ、全く興味がありません」
カールは即座に首を横に振った。
迷いも照れもない。
「技術局には回しておこう。いつものように申請書もあとで送付してくれ」
深く、重い溜息。
「――頼むから、それ以上は言うな」
そう言って、クロイツは軽く手を振った。
アクスは今にも意識を失いそうだった。
ああ、もうクビだ。
士官学校の学費を出してくれた両親に、なんて言えばいい。
棒立ちで震えるアクスを見て、クロイツが突然笑い出した。
「アクス、どうした?」
朗らかな声。
「ははっ。カールと私は“軍事開発同好会”の仲間なんだよ」
「サークルのようなものだ。時々こうして発明品を持ち寄って、軍事開発に使えるアイデアを出し合っている。カールは近年の軍事技術では結構特許も出しているんだ。」
肩をすくめる。
「驚いたか?」
場の空気がようやく落ち着いたところで、クロイツは背筋を正した。
「次の指令は後日知らせる。今日はもういい」
二人に視線を向ける。
「……休め」
「カール、また面白い案があったら見せてくれ」
「はっ」
二人は揃って敬礼した。
⸻
「味見してくれても良かったのに」
城下町の露天で早めの夕食を取っている最中、
ソーセージを突きながら、カールがぽそりと呟いた。
「死ぬって」
アクスは即座に突っ込む。
「0.025ミリ未満なら、二、三日痺れて喋れない程度だ」
「そんな調整、スプーンでできるか!!」
「……できないのか? 大体、目分量でいけるぞ?」
「できんわ」
カールは不服そうに唇を尖らせ、そのままソーセージにかぶりついた。
カールが幼女の姿になって、半年が過ぎた。
あの夜のことを思い返すたびに、
今でも――不思議でならない。
ただ一つ確かなのは、
今日ばかりは任務中よりも、寿命が縮む思いをしたということだった。
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