第4話
会議は屋台の裏で始まる。表通りの甘い匂いと、炒めた布の香ばしさの境目。のれんの陰で、湯気が小さな雲になって浮かぶ。わたしは綿クッキー屋の見習いで、今朝から粉糖の袋を抱えている。抱えたままでも会議は進む。屋台通りの会議は、手を止めると冷めるからだ。
議長はファスナー海苔巻き屋の店主。銀色の歯がきらりと光って、口を開けるとジジッとファスナーが鳴る。議題はひとつ。「旅人に出す“やさしい味”の定義」。定義なんて言葉を使うと大げさだけど、ここでは大げさが必要だ。やさしいを間違えると、甘さで溺れさせてしまう。
――議事録、記す。
第一意見:ボタン飴屋。「噛む音が要る。カチッがないと、心の留め具が外れる」
発言と同時に、彼は小さな飴玉をひとつ鳴らした。カチッ。音が硬い。硬い音は、きちんと立つ。立つ音は、だれかの背筋を支える。
第二意見:針穴キャンディ屋。「最後に少し痛いのが要る。痛みは生きてる証明だ」
彼のキャンディは見た目が可愛いのに、舌先に小さな針穴みたいな刺激を残す。わたしはこっそり知っている。あの痛みは、泣き止むためじゃなく、泣いたあとに自分の輪郭を戻すための痛みだ。
第三意見:綿クッキー屋(店主、うちの師匠)。「ほどける食感が要る。噛んだあと、安心が増えるのがやさしい」
師匠は焼きたてを割って見せた。ぱき、ではなく、ほふ、と割れる。空気を含む音。欠片が指先でほどけ、熱がふわりと立ち上がる。温度は言葉より早い。温度は、正しいかどうかを身体で決めさせる。
議長は腕を組み、銀歯を鳴らした。「結論、甘いだけではダメ。では、何が必要だ?」
湯気の雲が少し低くなる。冷えると会議は険しくなる。険しくなると味も尖る。尖った味は、旅人に刺さる。わたしは粉糖の袋を抱え直して、熱を逃がさないようにした。
そこへ、のれんの外から足音がした。ふか、ふか、とフェルトを踏む音。音が柔らかいのは、まだこの通りの歩き方に慣れていないからだ。ミナが覗き込んだ。目が、店の光をそのまま映している。隣にいるツギハギの修繕屋と、ハサミ鳥は、こちらの奥には入ってこない。会議の裏側は、屋台の領分だ。
ミナは師匠の手元をじっと見て、焼きたての欠片を見て、言った。
「……ひとりで食べられる大きさがいい」
その声は小さいのに、湯気の中でよく通った。誰かを思い出して泣く前に、ひとりで噛める大きさ。誰かに分けるのは、もう少し元気になってからでもいい。会議の空気が、少しだけ柔らかくなる。わたしは粉糖の袋の角が腕に食い込んでいたのを、そこで初めて気づいた。
議長が銀歯を見せて笑った。笑いというより、ファスナーが軽く滑った音だ。「サイズ、か。盲点だな」
ボタン飴屋が飴を二つ割り、カチッ、カチッと鳴らしてみせた。「小さくしても音は残る」
針穴キャンディ屋は眉を上げた。「痛みは減るか?」
師匠が肩をすくめる。「痛みは濃度だ。大きさじゃない」
みんな、急に真面目に楽しそうになった。議題が、誰かを救う形に近づいたときの顔だ。
――議事録、追記。
決定事項:旅人向けの“やさしい味”は、
(1)噛む音があること
(2)ほどける食感があること
(3)少しの刺激があること
(4)そして、ひとりで食べられる大きさであること
加えて、温度は「熱すぎず冷たすぎず」。手のひらが受け止められる温度にする。
※温度の管理は見習いの責務。――と、なぜか最後に書かれた。責務って、急に重い。
師匠がこちらを見て、顎で合図した。わたしは粉糖の袋を抱えたまま、試食皿を並べる。小さく切った綿クッキー、半分に割ったボタン飴、針穴キャンディの欠片、そしてファスナー海苔巻きの端っこ。湯気が皿の上で踊って、熱が指先をくすぐる。冷めないうちに、と思うと、心まで温かく焦る。
ミナが一つ、綿クッキーを取って口に運んだ。ほふ、とほどける音。次にボタン飴を噛む。カチッ。最後に針穴キャンディを舐めて、舌先が小さく跳ねる。驚きはするけど、顔は曇らない。彼女は頷いて、皿の上の小さな世界を見つめた。
「……これなら、歩けそう」
その言葉は議事録には載らない。でも屋台通りの裏側では、いちばん大事な結論だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます