第12話 おもちゃの墓場

おもちゃの墓場は、遠くから見るとお祭りみたいだった。


色とりどりの旗がはためいて、カラカラと鈴が鳴って、屋台もある。

屋台の看板には、へたくそな字でこう書いてある。


「わたあめ(ただし綿)」「ねじまきジュース(回すだけ)」「かなしみ団子(泣くと塩味)」


ミナは思わず笑った。


「変なの。ジュース、飲めないの?」


屋台の店主は、片目がボタンのブリキ兵だった。

彼は胸を張って言う。


「飲まないのが礼儀だ! 回すのが楽しいんだ!」


ブリキ兵はコップを渡してきた。中身は空っぽ。

でもコップの底に小さなネジがついていて、回すとキュルキュル音が鳴る。

それがなぜかお腹に心地よい。

子どもが見れば、ただのふざけた遊び。

大人が見れば、「空っぽを回して、音だけで満たす」街の寂しさが、胸の奥で少し重い。


街の地面は、古いおもちゃの破片でできている。

積み木の欠片、パズルのピース、割れたビー玉、ひしゃげたミニカー。

踏むとカタカタ鳴って、どこを歩いても“思い出の音”がする。

でもその音は、ボタン砂漠みたいに明るくない。

笑っているのに、涙の匂いが混じっている。


「ここ、……にぎやかだね」


ミナが言うと、トックは小さく頷いた。

にぎやか、は時々、寂しさを隠す布になる。

縫い目が見えないように、派手な布を当てるみたいに。


チョッキンは、街の中央に立つ大きな塔を見た。

塔は、積み上げられたぬいぐるみの胴体や、壊れたロボットの腕や、バラバラのブロックでできている。

その頂上に、黒い旗が一本。

旗には刺繍で、こう書いてあった。


「忘れられた者の正義」


トックの胸の縫い目が、ちくりとした。

正義、という言葉の針は、刺さる。


街の広場では、集会が開かれていた。

輪になった玩具たちが、木箱の上の演台を見上げている。

演台には、のっぺらぼうの仮面をつけた人形――じゃない。ここの住人はみんな、どこか壊れている。

その人形も、顔の布がのっぺらぼうで、口だけが縫われている。

口の糸がぐいっと引かれるたび、声が出る。


「復讐の時間だ!」


そう叫んでいるのに、声が少しだけ裏返る。

声の裏返りは、“ごっこ遊び”みたいで滑稽だ。

怖いのに、どこか子どもっぽい。

童話の皮膜が、ここでもぎりぎり保たれている。


玩具たちは、紙の判決書を振り回す。

紙は落書きだらけで、スタンプは肉球の形。

「しけい!」と書いてあるけれど、字が間違っている。

こわい言葉なのに、ひらがなの間違いがちょっと笑える。

笑えるのが、またこわい。


「また人間が来たら、今度こそ裁く!」


演台の人形が言う。

輪の中から「そうだ!」「そうだ!」と声が上がる。

声が上がるたび、広場の旗がざわざわ揺れる。

旗の音が、縫い目のない夜の羽音に少し似ている。


ミナは、思わず一歩下がった。

人間。

その言葉が、自分の肌に冷たい指を触れさせる。


トックはミナの前に立った。

左腕がなくても、立つ。

立つことが盾になる。


「僕たちは旅の途中で――」


トックが言いかけた瞬間、輪の中の一体が叫んだ。


「温度だ!」


古いぬいぐるみが、鼻の代わりに縫い付けられたボタンをきゅっと光らせる。


「人間の温度がする!」


ミナの体温は、ここでは異物だ。

現実の熱は、布世界にとって強すぎる接着剤でもあり、刺激でもある。

刺激は、痛みの記憶を呼び起こす。


玩具たちが一斉に振り向いた。

目玉がビー玉のもの、ボタンのもの、穴のあいたもの。

その視線が、ミナに刺さる。


「人間だ!」


「捨てた側だ!」


「忘れた側だ!」


言葉が針になる。

ミナは固まった。体温が乱れる。糸が縮む。

周りの空気がきしむ。

レースの雪原みたいに、“言えない本音”が重くなる。


チョッキンが羽を広げた。

刃がチキンと鳴る。

決断の音。守りの音。


でもトックは、チョッキンを止めた。

敵じゃない。ここでは、虫が敵じゃないのと同じように、玩具も“悪”じゃない。

痛みがあるだけだ。


「待って」


トックは、ゆっくり言った。

そして、針を出した。

武器じゃない。手仕事の道具だ。


「裁判なら、受けます」


その言葉で、広場がざわっとした。

受ける?

逃げない?

玩具たちは戸惑った。

復讐は“逃げる相手”がいて成立する。

逃げない相手には、ちょっと困る。


それでも演台の人形は、口の糸を引いた。


「では、裁判だ!」


広場の中央に、テーブルが置かれた。

テーブルクロスは、つぎはぎだらけ。

縫い目が不格好で、でも丁寧。

その縫い方を見て、トックの胸の奥がまたちくりとする。

誰かがここで、何度も直した跡だ。


ミナは椅子に座らされた。

椅子は子ども用の小さな椅子で、座ると脚がぶらぶらする。

その滑稽さが、いっそう怖い。

「ごっこ遊び」の形で、本気の刃が出てくるからだ。


裁判官役の玩具が、紙を読んだ。


「被告、ミナ。罪状、忘却。罪状、捨てる。罪状、戻らない」


ミナは震えた。

言いたい。違うって。知らないって。

でも口が開かない。

言葉は短冊に縫えたのに、ここでは縫えない。

宛先が多すぎる。痛みが多すぎる。


トックは一歩前に出て、深く頭を下げた。

頭を下げるのは、謝るためじゃない。

痛みを見ないふりしないためだ。


「忘れられた痛みは、本物です」


広場が静かになった。

それは、玩具たちが望んだ言葉だった。

「あなたたちは大げさだ」と言われるのが一番つらい。

だからトックの言葉は、まず布を柔らかくした。


「でも……愛されたことも、本物です。忘れられても、消えません」


その言葉に、輪の端の小さな玩具――片腕のぬいぐるみが、わずかに顔を上げた。

目が、少しだけ潤んだように見えた。

泣きの場面は手に戻る。

そのぬいぐるみは、自分の破れた縫い目を、指でぎゅっと押さえた。

押さえることが、泣かない工夫になる。


しかし、演台の人形が叫ぶ。


「言葉でごまかすな! 罰だ!」


判決の紙が、持ち上げられる。

スタンプが押されそうになる。

“ごっこ”のスタンプが、現実の針になる瞬間。


そのとき――


街の外壁が、ぼふっと鳴った。


音は大きくない。

けれど、嫌な音だった。

布が噛みちぎられる前の、湿った音。


壁に、穴が開いた。

星食い虫が、壁を食べたのだ。


「モスだ!」


誰かが叫ぶ。

玩具たちが一斉に混乱した。


モスは敵じゃない。摂理だ。

でも、今この街では「敵」として見えてしまう。

なぜなら壁は“守り”で、穴は“侵入”に見えるから。

循環の穴が、恐怖の穴に変わる。


穴から、外の風が吹き込む。

ボタン砂漠の匂いでも、フェルトの森の匂いでもない。

もっと冷たい、黒い匂いが混じる。

まだ形のない黒。

でも、縫っても戻らない予感の黒。


街はパニックになった。

玩具たちが叫び、走り、ぶつかる。

紙の判決書が飛び、スタンプが転がる。

“ごっこ遊び”が本当の混乱に変わる。


その混乱の中で、誰かがミナを指さした。


「人間のせいだ!」


「温度が穴を呼んだ!」


「捨てた側が、また壊す!」


ミナの体温が乱れる。

糸が縮む。縫い目が歪む。

世界が、責める言葉でさらにきしむ。


トックはミナの手を取った。

泣きの場面は手に戻る。

ミナの目に涙が溜まり、でも落ちない。落ちると崩れる気がするから。


チョッキンが翼を広げ、二人を背中で隠した。

刃がチキンと鳴る。

切るのか、守るのか。

今は守る音だ。


トックは、穴の方を見る。

モスが穴を開けたのは、掃除のためだ。

詰まりがある。増えすぎた記憶が壁に溜まっている。

この街の復讐の熱が、循環を詰まらせている。

モスはそれを食べに来ただけだ。


でも今は、誰もそれを聞けない。

裁判も、正義も、痛みも、全部混線している。


混線――その言葉通りに、広場の端の古いラジオが勝手に鳴り始めた。


ノイズの向こうから、金属みたいに硬い音が混ざる。


ウーーー……ピーポー、ピーポー……


救急車のサイレン。

布世界に刺さる、現実の音。

白い光が、ラジオのスピーカーの隙間から漏れた気がした。


ミナはその音に、肩を跳ねさせた。

赤い屋根の影が、胸の奥で一瞬だけ揺れた。


古いラジオが止まらない。救急車サイレンがノイズに絡まり、広場の空気が白く硬くなる。遠くの壁の穴の縁に、黒い羽粉がちらりと付着し、空のどこかで細く――ジッと裂け目の予告が鳴った。

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