第2話 静かな宣告

2





「お父さん、夏帆の容態は!?」


母は病室につくなり父に縋り付くように尋ねた


「あぁ、死んだよ。」


窓から差し込む冬の木漏れ日は、穏やかにお姉ちゃんの顔を温める。


「そんな...でも、夏帆は大丈夫なのよね?」

「あぁ、蘇生薬は問題ないらしい。」

「ならよかった...」


そう言ったものの、やはりお姉ちゃんが再び目を覚ますまではまだ半信半疑なようで、ずっとソワソワしていてこっちまで落ち着かない。

そうやってしばらく待っていると、部屋の外からコツ...コツ...と病院の床特有の足音が段々と聞こえてきた。

少しづつ大きくなる足音は壁一枚を挟んだすぐ横で止まった。

そして、ガタが来ているのか少し軋む引き戸を開け、医者が姿を表した。

貼り付けたような笑顔が不気味だ。


「お母様もいらっしゃったとの事なので説明にまいりました。」


「先生、娘はどのくらいで目を覚ますのでしょうか?」


「はい、蘇生は成功し脈も安定していますので、蘇生後1〜3時間後には意識も戻るかと思います。蘇生が行われたのが1時間半前ですのでそろそろですかね。」


医者はまるで天気予報士のような口調で答える。


心配する素振りくらい見せろと思うのは傲慢なのだろうか。


「良かった...とりあえず安心だわ...」


そう言うと母は椅子へと座り込んだ。





「あ.....ん...?」


しばらく続いた静寂を掠れた呻き声が切り裂いた。


「夏帆!夏帆!」


母がお姉ちゃんの手を握る。


「無事生き返ったようで良かったです。では経過観察の後、本日中にはご帰宅できるかと思います。」


棒読みの声。


「う....あーーー」


棒読みの声...


「夏帆?」


心配そうな母。


「「「ア゙ーーーー!!!」」」





自動ドアに挨拶をし、図書館へ入る。

「はぁ、生き返る〜」


.......。


私は今、なんと...?

ふと口から出た言葉に自己嫌悪に陥る。

決して好意的に受け取ってはダメな言葉。

呪いの言葉。

急激に胸が締め付けられる。

苦しい、辛い、死にたい...

お姉ちゃん....。



ふと、自動ドアの音に混じって姉の声が聞こえた気がして、思わず振り返る。

こんなとこにいる訳ないのに。




「ねえ、お姉ちゃん。」


「なぁに?陽菜」


「お姉ちゃんはさ、ほんと私のこと好きだよね〜」


「んー?そりゃかわいいかわいい妹だもん」


「私のおねがいならなんでも聞いてくれるしさ〜。良かったね、私はがめつくなくてさ。」


「えー、がめつい陽菜もそれはそれでいいかも」


「全く....私がいなくなったらヒモ彼氏とかつくってそう」




「....ひな、そんな事冗談でも言わないでよ」






専用PCで検索をかけ、本棚へ向かう。

本棚の近くに行くと、木と紙の柔らかい独特な匂いが滑らかに感じられた。

昔から私はこの匂いが大好きだ。


えっーと...B408は...

あったあった。これだ。


背表紙に「CLRV概論 -細胞再生プロセスの臨床的課題」と書かれてある本を手に取る。


あれ?

そこそこ昔の本なのに、ホコリも付いてないなんて珍しい。

違和感を覚えたが、今はそんなことどうでもいい。

さっそく私は腰を下ろし本を読み始めた。



......ページをめくる手が止まる。

当たり前だけどやはり難しい。

私は根っからの文系。

今まで蘇生薬について調べてきたけど、この本はちゃんとした学術書。

正直半分も理解できてるか分からない。

けど、読み進めたら何かヒントがあるかもしれない

そんな希望だけが手を動かしていた。


カタツムリもびっくりなペースでページを捲っていると、ある記述に目が止まった。


ーーー以上のプロセスを経て、CLRVは対象の遺伝情報を参照し、欠損部位の修復を行う。

しかし、脳神経細胞、特に海馬および前頭葉における再構築時において、ごく稀に「複製エラー(Replication Error)」が生じる症例が報告されている。留意すべきは、一度このエラーが定着した場合、CLRVはそのエラーが生じた状態を新たな正常状態として再定義する点である。

したがって、以後の蘇生においては、その異常状態が起点となり再度のーーー


思わず本を閉じる。


心臓が高鳴り、瞳孔は開き、汗が頬を伝う。


ごく稀に起こる脳の複製エラー?そんな話、聞いたことない。しかも、1度エラーが起こると何度蘇生しても戻らない...


つまり、お姉ちゃんは...もう...


頭がおかしくなりそうだった。

目眩がして、冷や汗が止まらない。

息が苦しい。視界がぼやける。

あの変わり果てたお姉ちゃんは、もう元には戻らない。



どこかで、予感はしてた。

お姉ちゃんがおかしくなってから、本当にちゃんと治るのかとずっと疑問だった。

でも、医者は「蘇生後の一時的な混乱だ」なんて言ってた。

お母さんもお父さんも、皆それを信じてた。

だけど、胸の奥ではそこにお姉ちゃんは居ないように感じられた。


私は、あの無感情な男の言葉を受け入れることができなかった。




本から、1枚の薄っぺらい紙が滑り落ちた。

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