蘇るなかれ
かきたね
第1話 いつもの今日
「陽菜!こっち!」
母の慌てる声がエンジン音と共にやってきた。
だけど、意外にも私はすごく落ち着いていた。
目の前に光沢のある赤い車が止まり、迷わず
助手席に乗り込む。
そして、重い扉を力いっぱい引き込んだ。
「ほら!早くシートベルトして!」
母は昔から変な所で真面目だ。
こんな焦っていそうなのに、しっかり肩からシートベルトを掛けている。
そうか、助手席だとシートベルトを掛けないとダメだったよね。
私は小さく息を吐き、言われた通りベルトをゆっくりと伸ばし、バックルへと差し込んだ。
「あんたなんでそんな落ちついてるの!?お姉ちゃんのこと不安じゃないの!?」
車に乗り込むなり、焦りと不安の混じった震え声が響く。安い芳香剤特有の強く下品な匂いが鼻を刺激し、そこに古いガソリン車の振動が合わさることで、見事に不快な空間を作り出している。頭が痛い。
「そんな事ない!でも、大丈夫だよ。最悪の事が起きても、お姉ちゃんはもう接種してるじゃん。」
つい声が震えてしまう。
確かに頭は落ち着いているはずなのに、心臓は興奮しっぱなしで、その叫び声は喉で感じられるほどだった。
「それは...そうだけど...」
「でも...本当に効くのかしら...」
「前話したじゃん。結衣も部活の事故で死んだけどすぐ戻ってきたって。」
胸で燻る気持ちを振り払うように軽く言ってみたりする。
「それは覚えてるわよ?だけど今回は家族じゃないの...」
たしかに不安はごもっともだと思う。
もちろん私だって不安じゃないと言ったら嘘になる。
でも、結衣は戻って来れたんだからお姉ちゃんだって大丈夫なはず。
「大丈夫だよ。だって最近はあんま言わないけど昔は毎日ニュースでやってたじゃん」
一呼吸挟み、自分に言い聞かせるように喉を震わせた。
「"今日の蘇生数は何人です"ってさ。」
1
時計の頭を軽く叩き、カーテンを一気に開く。
今日もまた、7時30分にベッドを降り、洗面台に向かい顔を洗い、朝食を摂った後、歯を磨く。今どきこんな健康的な生活を送る私は少数派なんだろうと思う。
つい2ヶ月ほど前、一人暮らしを始めてから購読していた新聞社が経営不振で潰れてしまった。
若者の新聞離れが叫ばれて久しいけれど、ついにここまで来たか、という感じだ。
SNSなんか見るよりよっぽど為になるのに。
仕方がないから最近はTVのニュースを見るなり、スマホを弄るなりして時間を潰している。
だけど、今日は早めに家を出ることにした。
どうせあんなの見たところで、画面に映されることはやれ芸能人の不倫がどうたらだの今年の蘇生数は何件だのそんなしょーもない事ばかりだしね。
クーラーの効いた部屋から玄関へ出ると室内だというのに赤いモワッとした空気が全身にまとわりついてきて、腕にじんわりと汗が浮かぶ。
今日の最高気温は37℃。
昔は30℃で異常気象だとワーワー騒いでいたというのだから信じられない。
ミーンミンミンミン___
扉を開けると、セミによる大合唱が耳に飛び込んできた。夏になると毎朝メスにアピールするセミも、今日は一層と元気なようで「俺はここだ!」と言わんばかりに叫んでいる。
地中で何年も過ごし、いざ地上に出たかと思うと、僅か1週間で交尾を終え死ぬ。
そう考えると、このうるさい音が彼らの人生の集大成みたいに聞こえてきて、この後彼らは潔い、綺麗な死を遂げるのだと思うと、少し羨ましい。
そんな健気な彼らを横目に私は駅へと足を踏み出した。
行先は堀香大学。
偏差値そこそこの中堅大学で、地元ではそれなりに認知度が高い大学だ。
最近は経済学で大きな成果を出したとかで、教授がTVに出ていた。
まあ、それも法学部生の私とは何の関わりもないんだけどね。
キャンパスに入ると、朝の静けさに混じる木々のざわめきと雨上がり後の湿っぽい不思議な匂いが出迎えてくれた。正門奥にある大きな時計が9時を指していた。今日は特に講義は無いのだけど、私は図書館へと足を運ぶ。
目的はただ一つ。
凶器探しだ。
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