第8話 豚骨と消化酵素


目の前に広がるのは、紛れもなく「最終排泄室」だった。

空間全体が、消化液と排泄物が混ざり合った独特の悪臭に満ちている。

だが、その中央に立つラーメン屋台から漂う豚骨の強烈な香りが、この地獄の臭いを上書きしていた。

 


(くそ、本当にラーメン屋台だ。細麺、硬め、替え玉二つ。チャーシューは炙りがいい。

なぜこんな場所で、俺はこれほどまでに、腹が減っているんだ?)


そして、屋台の横にドロドロと蠢く、巨大な消化酵素の塊。

それは、周囲の排泄物を取り込みながら、徐々に巨大な人型へと形を変えていく。

 

「あれは……」

 

エリアが震えながら屋台を指さした。

屋台のカウンターには、白い割烹着を着た、無表情な女性が立っていた。

 

「いらっしゃい。ちょうど、麺が茹で上がったところですよ」

 

女性の声は、排泄室全体に響き渡るほど、静かだがよく通る。

 

「エリア、あれがダンジョンルールのスケールアップした結果だ。

この場所の解決(探索完了)の対価が、あの巨大な消化酵素と、あのラーメン屋台だ」

 

俺は、エリアに冷静に説明しようとした。

 

《ダンジョンルール 、登場人物の理性的な議論は、必ず物理的な「雑音」によってかき消される。》

 

ラーメン屋台の女性が、突然、寸胴鍋のフタを勢いよく開けた。

 

グオオオオオッ!

 

寸胴鍋から噴き出したのは、湯気ではない。豚骨を煮込みすぎた時に出る凄まじい沸騰音だ。

その雑音が、俺の理性的な言葉を完全に打ち消した。

 

「え? 何だって!? ラーメン? あのラーメンを食べたら、私たちは消化されるってこと!?」

 

エリアは、俺の「解決」という言葉だけを聞き取り、ラーメン屋台に恐怖の視線を向けた。

理性は機能せず、言葉は恐怖という感情的な解釈に置き換えられる。

消化酵素の塊は、すでに身長5メートルほどの巨人となり、俺たちをじっと見つめている。

 

「さあ、おあがりください。この一杯で、あなた方の『エネルギー』は回収されます」

 

屋台の女性が、透き通ったスープに白い細麺を入れ、器をカウンターに置いた。

 


(狂気だ。あれは毒だ。だが、俺は腹が減っている。あの消化酵素が、俺たちを屋台に誘っている)

 

「エリア、聞け。あれを食ったら終わりだ。

だが、あの屋台を破壊すれば、ダンジョンルールが発動し、もっと酷いものが生まれる」

 


 

エリアの頭上に、新たな予言が浮かぶ。

 

『警告:彼女がラーメンを拒否すれば、貴方は彼女を食べて生き延びる』

 

エリアは予言が見えていないが、俺の「食ったら終わり」という言葉を聞き、

同時に、ラーメンの香りに誘われている。彼女の顔には、葛藤が見て取れた。

 

「食べちゃダメ……なのね……でも、もう、私、お腹が空いて……」

 

彼女はふらふらと、屋台に向かって歩き始めた。

 

「待て! エリア! やめろ!」

 

俺は叫ぶが、寸胴鍋の沸騰音にすべてかき消される。

 


(俺は正しい指示を出した。彼女が勝手にラーメンに引き寄せられている。全ては、この世界が悪い)

 

俺は、最後の賭けに出た。

俺は、目の前に転がっていた腐敗した肉片を手に取り、【聖域の加護】を発動した。

光に包まれた肉片は、絶対的な防御力を得た「聖なる肉」と化した。

そして、それを消化酵素の巨人に全力で投げつけた。

 

「食え!」

 

肉片は巨人の表面に当たった。巨人は一瞬、動きを止め、その防御力をまとった肉片を、巨大な体で包み込んでいく。

 


 

巨人が、俺の投げた「聖なる肉」を消化し終えた瞬間、この排泄室全体が、巨大な食道へと姿を変え始めた。

屋台は消え去り、女性の姿も消えた。消化酵素の巨人も、食道の壁となって消えた。

俺たちは、上へ、上へと、逆流する波のような力で押し戻されていく。

 


(俺はラーメンの香りを追って、この巨大生物の体外へ向かっている)

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