第7話 裏切りの経済学

俺たちが滑り込んだ通路は、巨大生物の体内における「リンパ管」のようなものだった。

両側の肉壁が規則正しく脈動しており、その流れに沿って、俺たちは下層へと運ばれていく。

 


(安全な移動手段を確保した。しかし、これは一時的なものだ。壁の脈動が、次の異常のトリガーになりかねない)

 

エリアは、俺が先ほど開けた穴から逃げ込んだ後、すぐに俺の無事を確認した。

彼女の顔には、安堵と、計算が混ざったような表情が浮かんでいる。

 

「助かったわ、ありがとう」

 

エリアが小声で言った。ドリルによる雑音は遠ざかったが、周囲には壁の脈動音と、

体液が流れるような低い音が響いているため、理性の声は、常に環境音に負けてしまう。

 

「礼はいらない。お前が勝手に動いた結果、ドリルが生まれたんだ。

お前が逃げた先に、俺が逃げる道があっただけだ」

 


(俺の命が助かったのは、エリアの裏切りという行動パターンを逆利用したおかげだ。俺は悪くない)

 

その時、エリアの頭上に、新たな予言が浮かび上がった。


『警告:彼女が生き残れば、貴方の全財産は彼女のものになる』

 


(なんだ、その予言は? 俺と彼女で、いつそんな約束をした? 

これは、このダンジョンが、俺たち二人の関係性を「経済的な協力関係」だと認識していることを示しているのか?)

 

エリアは予言が見えていない。しかし、その予言の内容が、彼女の行動に影響を与えたかのように、

彼女は突然、親愛の情を示すように俺の火傷した腕を掴んだ。

 

「ねえ、あなた、本当に強いのね。正直、一人だったらとっくに死んでたわ」

 

彼女の瞳は、純粋に俺を賞賛しているように見えた。

 


(警戒だ。この賞賛は、俺が彼女にとって「価値のある財産」であることを示している。

彼女は、俺というチートスキルを失いたくないのだ)

 

俺のスキル【聖域の加護】は、自分以外にのみ発動する。

つまり、エリアにとって俺は、最高の盾であり、最強の矛(第5話参照)でもある。

俺が生きている限り、彼女は無敵だ。

そして、俺が死ねば、彼女の「全財産」がどうなるかは不明だが、少なくとも最強の安全装置を失う。

 

「離せ。火傷に触るな」

 

俺は冷たく突き放した。彼女の手が離れる。彼女の顔に、一瞬だけ、悲しみが浮かんだ。

しかし、彼女の口から出た言葉は、悲しみとは程遠い、合理的なものだった。

 

「ごめんなさい。……でも、もう少し進んだら、何か食べ物を探しましょう。

あなた、すごく疲れてるわ」

 


(食べ物……今か? いや、腹は減っている。替え玉の豚骨ラーメン……)

 


 

俺がラーメンについて考え始めた瞬間、パイプ状の通路の流れが止まった。


 

「止まった。……エリア、何か解決したのか?」

「な、何もしてないわ! 私はただ、あなたを気遣っただけよ!」

 

通路の天井が、粘液を滴らせながら、ゆっくりと開き始めた。

その奥には、広大な空間が広がっている。

そこは、巨大生物の体内で消化を終えた「最終排泄室」だった。

そして、その排泄室のド真ん中に、一軒の小さなラーメン屋台が建っていた。

屋台からは、豚骨を煮込んだかのような、強烈だが食欲をそそる香りが漂っている。

 

『警告:最終排泄室への到達は、このダンジョンにおける「探索完了」と見なされる』

 


 

探索完了、すなわち「このフロアの問題解決」だ。

ラーメン屋台の横に、今まで見たこともない、巨大な「消化酵素の塊」が、ドロドロと姿を現し始めていた。

 


(俺はラーメン屋台を目の前にして、生きることを諦められない)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る