第2話 消化される安全地帯
衝撃が来るはずだった。全身の骨が砕け、肉袋のように弾ける音が響くはずだった。
だが、俺が感じたのは、腐った果実の中に飛び込んだような、不快な粘着質と生温かい感触だった。
(死んでいない。どうやら、先行して落下した大量の魔物の死骸が、クッションになったらしい。ひどい悪臭だ)
俺は死骸の山から這い出した。全身が体液まみれだが、四肢は繋がっている。
ふわり、と頭上から光が舞い降りた。
俺のスキル【聖域の加護】に守られたエリアが、羽毛のように音もなく着地する。
彼女の銀髪には、塵一つついていない。泥と血に塗れた俺とは対照的に、彼女だけが聖女のように輝いている。
「大丈夫!? 生きてる!?」
エリアが駆け寄ってきた。その瞳には涙が浮かんでいるように見える。
「……ああ、なんとかな。お前のその無駄に綺麗な着地が羨ましいよ」
「よかった……私、てっきり……」
彼女は俺の無事を確信すると、安堵したようにへたり込み、俺の肩に手を置いた。
「怪我、手当てするね。私、少しだけ回復魔法が使えるの」
その慈愛に満ちた申し出と共に、予言が冷酷に発動する。
俺の目の前に、彼女の笑顔に重なるようにして、どす黒い文字が浮かび上がった。
『警告:治癒と同時に、彼女は貴方の皮膚の下に寄生蟲の卵を産み付ける』
(最悪だ。なんて悪趣味な予言だ。だが、断る選択肢はない。あばら骨が折れている気がする)
俺は表情を消して頷いた。
「頼む」
エリアの手のひらが淡く光り、俺の脇腹の痛みが引いていく。
皮膚の下に何かが蠢く感覚は……今のところ、ない。
予言はあくまで予言であり、確定事項ではないのだ。あるいは、俺が気づいていないだけか。
「ありがとう。……さて、現状確認だ」
俺たちは周囲を見渡した。ここは広大な空洞で、地面は見渡す限りの死骸と、鋭利な針の山で構成されている。
その死骸の山の陰から、カサカサという音が無数に響き始めた。
(甲虫型の魔物だ。サイズは犬程度。単体なら雑魚だが、数が多すぎる。百……いや、千はいる)
「エリア、戦えるか?」
「えっ? わ、私、攻撃魔法はあんまり……」
「やるしかないんだ。俺のスキルは自分には使えない。お前が戦わないと、俺が食われて終わる」
俺は背中合わせに立ち、エリアを前に押し出した。俺の唯一の盾は、この少女だ。
「わ、わかった! やってみる!」
エリアが震える手で杖を構え、詠唱する。
「炎よ!」
小さな火球が飛び、先頭の甲虫に直撃した。甲虫は「ギチッ」と鳴いて裏返り、燃え上がった。
それを見た他の甲虫たちが、火を恐れて一斉に後退し始める。
蜘蛛の子を散らすように、魔物の群れが闇の奥へと消えていった。
「やった……! 追い払えた!」
エリアが歓声を上げる。
(素晴らしい。これで一息つける。とりあえずの危機は去った)
そう思った瞬間、地面が大きく揺れた。
ダンジョンが、この「勝利」を見逃すはずがなかった。
甲虫たちが逃げたのは、俺たちを恐れたからではない。「それ」が目覚めたからだ。
エリアの魔法で燃えた甲虫の熱が、このフロア全体に張り巡らされていた「神経」を刺激したのだ。
ゴゴゴゴゴ……という重低音と共に、俺たちが立っていた「地面」が隆起し始めた。
死骸の山だと思っていたこの広大な大地すべてが、実は一匹の「超巨大な捕食者」の胃袋の内壁だったのだ。
先ほどまでの甲虫は、この巨大生物の体内に住む、ただの消化補助生物に過ぎなかった。
「う、うそ……地面が……壁になっていく……!」
エリアが悲鳴を上げる。平らだった地面が垂直に競り上がり、俺たちを包み込むように閉じていく。
天井のない空洞だと思っていた空間が、巨大な「口」として閉ざされようとしている。
頭上から、ドロリとした強力な酸の雨が降り始めた。
「エリア! 防御だ! 自分にバリアを張れ!」
俺は叫んだ。俺には自分を守る術がない。
『追記:彼女はバリアを張るが、貴方を雨宿りの道具として使うだろう』
空中の予言が、無慈悲に結末を告げる。
巨大な胃袋が完全に閉じるまで、あと数秒。
(俺のせいじゃない。火を使ったのはエリアだ。俺はただ、生き残りたかっただけなのに)
酸の雨が、俺の頬をジューッという音と共に焼き始めた。
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