放送#05:ファミレス(ランチ)—ドリンクバー退避/会計—
ファミレスのランチは、戦場だ。
三好 恒一、四十六歳。整えるのは部屋じゃない。耳と呼吸だ。
昼に必要なのは、栄養と小さな静けさ。どっちも、混んでいる日は売り切れる。
案内された席は、通路側。悪くない、逃げ道がある。
――と思った矢先、背中で笑い声が弾けた。
「え、聞いて―。うちさ、もう英語始めたんだけど」
「早っ。うちはまだ……」
「うちも始めた。もうやっていないと”遅い”っていう空気あるじゃない?」
来た。頭の中でジングル。
――第一部。
(”遅い”の基準、ここで作らないでください。俺は、この年から英語を始めても遅いとは思ってません。)
声は明るい。だが内容は、ママ同士のマウントの投げ合いだ。だからなのか、笑い声のわりに耳に刺さる。
「この前さ、先生に”発表が上手”って言われてざぁ」
「すごーい」
「結局、親がどれだけ時間をかけられるかだよね」
(時間は投資じゃなくて生活なんですよ。それにあなたたちの投資に使われてた子どもだちの気持ち、考えたことありますか。)
序列づけのための比較は、いつも自然に混ざる。本人たちは悪意がない。悪意がないからこそ、避けづらい。
注文はタブレットで済ませた。いつもの日替わり定食だ。
その直後、背中の会話が別の形に変わる。
「ところでさぁ、みんな”備え”ってどうしてる?」
出た。空気が、ほんの少しだけ営業に傾く。
(”ところで”は、だいたい罠。しかも、身内の営業トークは引っかかりやすい)
「知らないと損っていうじゃない」
「えー勧誘っぽいのは苦手」
「違う違う、勧誘じゃなくて情報共有!」
(情報共有と言う名の営業、いちばん強い。ほんとうにこの人、営業上手。俺も引っかかりそう)
三好は水を飲もうとして、気づく。テーブルに水は来ない。ここは自分で取りに行くシステムだ。最近のファミレスは、こういうスタイルが増えた。
(水の補給は自分で。これはアリ。今日みたいな日は特に。席を立つ理由ができる。境界線を引きやすい)
ドリンクバーの位置を確認する。立ち上がろうとした瞬間、店員がトレーを運んできた。
「お待たせしました。日替わりランチでございます」
湯気の立つ皿がテーブルに置かれ、フォークの金属音が小さく鳴る。ようやく”昼”が整う。
三好は一口目を急がない。まず息をひと段落させてから、ナイフとフォークを動かす。食べている間だけは、受信のチャンネルが少しだけ狭くなる。
皿の中身が半分ほど進み、フォークを持つ手が休む。その隙間に、隣の声が滑り込んできた。
「……午前の件、そんな気にするなって」
「客先で、数字……飛ばしました。途中で頭、真っ白になって」
「あるある。あれは誰でもやる」
「……向こうのリアクション、結構きつくて」
「きついよな。今日の相手、雰囲気も硬かったし」
――第二部。
スーツの男性二人。片方が若く、もう片方は三好よりと同じぐらい。
年上が若いほうを慰めている。その声を聞いた瞬間、三好の胸の奥がちくりとする。
(……なんでだよ。なんで、気分よく食っているときに、受信するんだよ、俺の耳。聞いた途端、昔の自分が勝手に立ち上がって、気持ちが重くなる)
”落ちた人を上げる言葉”の温度が、過去の記憶を引っ張り出す。
「今日はもう引きずるな。昼食って、切り替えて、午後で挽回しよ」
「……はい」
「同じミスしなきゃいい。次、やればいいだけ」
(”やればいいだけ”は言う側の救いの言葉だ。でも言われた側は、失敗の映像がまだ消えてない。消えてないところに、”次”を置かれると――ただ圧になる。重い)
優しさの中に、急かす成分が混ざっている。その混ざり方が、三好の古傷に沁みる。三好も若いころ、こういう席にいた。慰められて、うなずいて、笑って。それで、帰り道に胃が冷える。
――ここで、境界線アクションを取る。三好はドリンクバーに退避し、水を補給する。グラスを取り、氷を入れて、水を注ぐ。ガラガラ、コトン。自分で音を出して、主導権を戻す。
ほんの数秒、ドリンクバーの前で呼吸を整える。
第二部、フェードアウト。
席に戻るが、背中のママ友営業も、隣のスーツの慰めも、まだ続いている。
世界は勝手に放送を続ける。
でも、こっちは手動で音量を下げれれる。少しずつ。
――そして、第三部は唐突に始まる。
「うわっ」
子どもの声。プラスチックカップがテーブルの端でコツンと鳴った。膝が当たったのか、肘が引っかかったのか。カップが傾いて、透明な水が走る。まずは、テーブルに薄い川。次に床へ、ポタ、ポタ、と音だけが落ちる。子どもが固まる。
母親が反射で声を上げる。
「ちょっとー、何やっているの」
「……ごめんなさい」
母親がカップを立て、ナプキンで拭き始める。言葉が止まる。止まった分だけ、空気が尖る。
「……ごめんなさい」
「……大丈夫よ、次からは気を付けなさないね」
”責めなきゃ”のスイッチが、まだ半分だけ入っている声だ。子どもはうなずくが、肩が上がったままだ。
そのとき店員が、タオルを乗せたトレーを持って来た。慣れた手つきで床を押さえ、声の温度だけを先に下げる。
「すみません」
「大丈夫ですよ。よくあることですから」
それから子どもの目線に合わせて、少しだけ声を丸くする。
「びっくりしたね。新しいお水、すぐに持ってくるからね」
子どもが小さくうなずく。母親が息を吐く。その吐き方で分かる。――”責めなきゃ”が外れた。
(救護室、ここにあった。急かさず、元に戻すための手当て。境界線を引いているのに、角が立たない。安心する。)
三好はグラスの水を一口飲み、視線を皿に落とした。気づけば、皿には最後の一切れを残すばかりだ。”聞きながら食べる”と、そういう速さになる。最後の一口を終え、ナプキンで口元を押さえて、時計を見る。
(よし、食事は完了。いい対応を見ると、音量が下げられる、ってことが分かった。仕事を始まる前に少し歩きたいから、ここで出よう)
三好は立ち上がり、食べ終わった皿の横から伝票を抜き取る。その足でレジまで向かい、会計を済ませる。
「ありがとうございました」
胸の奥が少しだけほどける。短くて、軽い。その軽さが、今はありがたい。
ドアを開け、外に出る。
――妄想モードが勝手に立ち上がる。
A:母親は店員の言葉で、自分の声の圧に気づく。子どもに「怒ってごめん」と誤ってから、「次は気をつけようね」で終わる。
B:母親の圧は、拭き終わっても残る。子どもは「……ごめんなさい」を繰り返し、食事の味が戻らない。
C:拭き終わった瞬間、何もなかったか顔で再開する。子どもも戻る。――”なかったこと”は時々いちばん効く。
どれもありそうで、どれも違いそうで、だから面白い。
だから、ここで止める。
三好はスマホのメモを開き、三行だけ打った。
・慰めの「大丈夫」=急かす圧が混ざることもある
・こぼれた水は拭ける=言葉の跡も拭ける
・会計=放送終了ボタン(外へ出るための)
(ラジオ放送、以上。)
――次は、映画館ロビーだ。感想は、だいたい公共財になる。
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