放送#04:病院の待合室—番号札と「大丈夫」—

 病院の待合室は、静かすぎて怖い日がある。

 三好 恒一、四十六歳。整えるのは部屋じゃない。耳と呼吸だ。

受付で渡された番号札は、レシートのような薄い紙だ。力を入れすぎると、すぐに折り目が付きそうだ。


 番号札は、呼ばれるまで自分が「人」から「待ち」に帰る札でもある。椅子に座ると、空調の低い唸りと消毒の匂いが、鼻の奥に刺さる。

テレビは消音で、字幕だけが流れている。音量という公共財が、ここではちゃんと守られている。

――だからか。

静かな場所ほど、声は輪郭を増して、耳に刺さってくる。

右斜め前、年配の男性二人が楽しそうに話している。

「いやぁ、血圧がさ。上が百四十超えると、もう終わりだよな」

「俺なんかさ、クスリ減らしたんだよ。運動してさ。数値、下がったもん」

「俺はね、そう、あれだ、あれ。そう、糖質抜いた。あれ、すぐ効くから。医者より俺のほうが詳しいよ」

来た。頭の中でジングル。

――第一部。

(”医者より詳しい”は、せめて病院の外で言ってください。ここで言われると、説得力が逆に落ちます。それに、健康マウントの取り合ってても、ここに来ている時点で勝敗はつかず、引き分けです。)

そうツッコミを入れた瞬間、胸の奥がチクリと痛む。病院の待合室は体の話をしているだけなのに、人生の格付けみたいに聞こえてくる。しかも、二人の声は明るい。明るい声ほど、受信した側に逃げ場がない。三好は視線を落とし、呼び出しの掲示板と番号札を見比べる。まだ、しばらく呼ばれそうにない。

 別の方向から、今度は年配の女性三人の声が飛んできた。声は小さいのに、静けさが増幅器になって、こっちの耳が勝手に拾ってしまう。

「〇〇さん、今日は来ていないわね。」

「そうね、いつもこの時間にいるのにねぇ。大丈夫かしら」

「最近、寒いから、転んでいないといいんだけど……」

来ていない人の”名前だけ”が待合室を歩き回り、不安だけを振りまいていく。本人がいない分、病院という空間が手伝って、悪い想像だけが勝手にふくらむ。

(病院で”来ていない=大丈夫じゃない”は結論が早すぎる。体調が良くなって今日は来ていない、という選択肢だってあるはずだ。診察券はポイントカードじゃない。来ないことが増えるほうが本当はいい。こういう会話を受信しているだけで、こっちまで調子が悪くなりそうになる。)

不安は伝染する。健康マウントの「勝てる」も、来ていない人の「もし」も、入り口は同じだ。――自分の体が怖い。三好自身も、ここ数年で急な身体の衰えを感じるようになった。だから、他人事に聞こえない。

(これ以上聞いていると、体に悪い。一度、トイレに逃げ込んでから、席を変える)

三好は席を立ち、トイレに逃げ込んだ。

――第一部、フェードアウト。

 三好は、トイレから戻り、受付近くの席に座る。さっきの年配組の声は、距離の文だけ小さくなった。受信は薄まる。それだけで呼吸が少し戻る。

「ねえ……今日、結果が出るんですよね……」

――第二部

受付で、若い女性が声を抑えきれないまま尋ねている。隣にいる家族らしい人が、そっと肩をさする。

「……もし、もし、って考えてしまって、不安で……」

空気が一気に重くなる。不安の圧が、待合室の一帯を押し潰してくる。三好は視線を落とし、番号札に逃げる。

(”もし”の先を想像するな。俺は俺の順番を待つ。それだけでいいんだ)

手の中の番号札が、くしゃりと鳴った。いつの間にか汗をかいている。薄い紙が湿り気を吸って、色が変わっていく。イヤホンに手を伸ばしかけて、止めた。

(病院の待合室は、音で覆う場所じゃない。覆った瞬間、今たまっている不安が、内側で増幅し始める)

胸の奥が、また浅くなる。酸素が足りない。ここに座っているだけで、真空に入るみたいに酸素が減っていく。

(いったん外に出る。出て、新鮮な空気を吸う。ここで潰れるより、外で整えて戻るほうがいい。)

三好は呼び出しまでまだ余裕があることを確認して、席を立つ。

自動ドアを抜け、外の空気が肌に当たる。そこで、ひと息。大きく吸い込む。

(これだ。この空気。院内は消毒液の匂いだけでも滅入るのに、そこへ不安の圧まで受信したら、潰れるのは時間の問題だ)

息を吐く、もう一度吸う。

吸って、吐いて――奪われかけた主導権を、呼吸で取り戻していく。

(いったん、俺の中にあった不安ごと全部吐き出す。それから、安心できる空気で自分をふくらます)

三好は時計を見て、呼び出しの時間を頭の中で計算する。そこまで外にいる、と決めた。

 遠くで救急車のサイレンが鳴っている。ここまで届く距離じゃないのに、胸の奥だけが反射する。

(病院は、外にいても外に出してくれない。俺の逃げ場が、どんどん狭くなる。)

三好はイヤホンを取り出し、音楽をかけた。境界線を引くために。

 三好は待合室に戻り、呼び出しの掲示板を確認する。

(よし、想定通り。もう少しで俺の番だ)

席に座ろうと見渡すが、空いているのは年配女性三人組の近くしかない。仕方なく、そこに腰を下す。三人組はまだ、小声で話続けていた。

(主導権を戻した。あと少しだ。だぶん、大丈夫)

「〇〇さん、大丈夫かしら?」

「電話、してみる?」

「迷惑かしら……でも……」

――第三部。

(善意でも、ここを増幅させると”圧”になる。)

その時、近くを通った看護師が足を止めた。低くて柔らかい声で、三人に話しかける。

「心配なお気持ちは分かります。もし、不安であれば、受付で確認出来ますので、ここではお名前は控えにしましょうね」

三人は顔を見合わせて、ばつの悪そうな表情で、小さく「はい」とうなずいた。

(注意なのに、刺さらない。”境界線”を引いているのに、角が立たない。こういう”整え方”は、聞いていて気持ちがいい)

 その直後、呼び出し掲示板に三好の番号が表示される。呼ばれた瞬間、「待ち」から「人」に戻るのが分かる。

三好は立ち上がり、診察室に向かった。


――妄想モードが勝手に立ち上がる。

A:〇〇さんは、ただの遅刻だった。入り口から「ごめんごめん」と笑いながら入ってくる。三人も「心配したのよ」と言いながら、最後は笑って終わる。看護師は、何も言わない。


B:〇〇さんが予定が入っていて、予約を別日に変えていた。三人はその話を聞いていたが、忘れて心配していただけ。次の通院日に、会話の中で分かる。


C:体調が良くなって通う頻度が減っただけ。心配するほどのことはない。でも、共通の話題が欲しくて、つい”心配”を回し始める。


どれもありそうで、どれも違いそうで、だから面白い。

だから、ここで止める。


 三好はスマホのメモを開き、三行だけ打った。

・健康マウント=病院内では全員引き分け

・不在の心配=病院という空間が”もし”を増幅させる

・消毒液の匂い=酸素が減る錯覚


(ラジオ放送、以上。)


――次は、ファミレスのランチだ。静けさは、ドリンクバーには置いてない。


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