4 鬼の埋葬
『埋葬』
深夜二時。激しい雨が窓を叩きつけている。
僕はカーテンの隙間から、隣の家の庭を覗き見て、息を飲んだ。
雷光が一瞬、闇を切り裂く。
そこに浮かび上がったのは、泥だらけになって地面に一心に掘り続ける、隣の家の鬼怒田さんだった。
鬼のような形相で、シャベルを力一杯振るっている。
ザクッ、ザクッ。
重く湿った土を掘り返す音が、雨音に混じって響いてくる。
鬼怒田さんは、近所でも有名な「嫌われ者」だ。無愛想で、目つきが鋭く、悪いことをしている子供を容赦なく怒鳴り散らす。まさに雷親父。僕も小学生の頃にげんこつを食らったことがあった。
そんな彼の家から、最近、奥さんの姿が見えなくなったという噂があった。いつも良く二人で歩いていたのに。
「……やっぱり、やったんだ」
僕は確信した。
奥さんは殺されたのだ。そして今、証拠隠滅のために、この嵐の夜を選んで死体を埋めているのだ。
僕は震える手でスマホを握りしめ110を押した。
怖い。でも、通報しなきゃ。
数分後、サイレンの音が近づいてきた。
パトカーが到着し、数人の警察官が鬼怒田さんの庭になだれ込む。
「警察だ! 何をしている!」
警察官が懐中電灯を向ける。
鬼怒田さんは手を止め、泥だらけの顔で眩しそうに目を細めた。その手には、泥にまみれた小さな「何か」が握りしめられている。
「……鬼怒田さん、奥さんはどこですか?」
警察官が厳しい口調で尋ねる。
僕は窓からその様子を見守っていた。さあ、観念しろ。庭を掘り返せば、そこには無惨な姿の奥さんが……。
「……あなた、どうしたの?」
その時、家の玄関が開き、一人の老婆が出てきた。
奥さんだ。
パジャマ姿で、少し頼りなげに立ち尽くしている。生きていた。怪我一つない。
鬼怒田さんは警察官など無視して、泥だらけの体で奥さんに歩み寄った。
そして、その汚れた手で、握りしめていた「何か」を差し出した。
「ほら、あったぞ。こんな深くに埋まってやがった」
懐中電灯の光が、その掌を照らす。
それは、安っぽいガラス玉のついた、古びた指輪だった。泥を拭うと、キラリと微かな光を放った。
「お前が昨日、庭いじりをした時に落としたんだろう」
「……ありがとうね。これ、あなたが五十年前にくれた、最初のプレゼントだもの」
「馬鹿野郎。こんな安いもんのために、こんな時間まで起きやがって。……風邪ひくぞ、早く入れ」
鬼怒田さんの声は、相変わらず乱暴で、ぶっきらぼうだった。
けれど、その表情は――。
雨と泥でぐしゃぐしゃだったけれど、泣き出しそうなほど優しく、安堵に満ちていた。
奥さんは認知症を患い始めていて、最近よく物をなくしてはパニックになると、後で母から聞いた。
あの「鬼」のような形相は、殺意ではない。
愛する妻の涙を止めるために、嵐の中で必死に泥と格闘していた、ただの不器用な夫の顔だったのだ。
警察官たちは顔を見合わせ、気まずそうに敬礼して去っていった。僕はカーテンを閉め、その場に座り込んだ。
自分の早とちりが恥ずかしかった。
けれど、胸の奥には、温かい塊が残っていた。
鬼怒田さんは、きっと明日も子供たちを怒鳴るだろう。でも僕はもう、彼を「鬼」だなんて思わない。
彼は、世界で一番優しい、愛妻家の鬼なのだから。
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