女神の卵(後編)

 教団の幹部・シルクスが取り出した卵形の石の中に、小さなアイリスが居た。

 幼き日の姿でスヤスヤと眠っている。


「何だ……。これは」


「これは女神の卵。持ち主が心から求める人物が宿る神秘の卵だよ。やはり君には亡くなった奥さんに見えるんだね?」


「宿る……。アイリスがいるのか!? 生きているのか?」


 彼は俺の質問には答えず、淡々と説明した。


「この卵の中身は魔力を吸収して生きる。毎日微量の魔力を注ぎ込めばいい。そうすれば、彼女は君の手の中で一緒に居られるよ」


「この中でしか、生きられないのか?」


「いや、もっと魔力を与えれば孵化もするよ。そうすれば中の存在と会える。ただしそのれはお勧めしない。君の命と引き換えになってしまうからね。さあ、どうする? この卵を育てるかい?」


 ――また、彼女に会える?

 ――いや、そんなのまやかしだ! 教団お得意の嘘だ! また騙され……。


 黙れ。どんなことをしても、彼女と一緒に居るんだ。 


「大切に育てるのだよ。女神の加護があらんことを」


 俺は不思議な卵を譲ってもらった。払いきれないほどの金を要求されるかと思ったが、対価はもういらないという。


 掌で包み、静かに魔力を注ぎ込むと、卵は淡く光った。


 気持ちよさそうにスヤスヤと眠る彼女を見て、涙が零れた。ああ、アイリスだ。アイリスが生きている。

 はじめのうちは、彼女の寝顔を見て満足していた。だが次第に物足りなくなる。僕を見て微笑んで欲しい。


 俺は卵に与える魔力の量を増やしてみた。すると、うっすらと目を開けた彼女がふわりと笑い、また眠った。


 俺の生活は変わった。


 働いて帰っては魔力を卵に注ぎ、中で眠る彼女に話しかける。

 一カ月もすると、卵は、鶏の卵と同じサイズにまで成長した。中に宿るアイリスも卵に合わせて成長してゆく。それが嬉しかった。


 だが、新たな問題も出てくる。魔力が足りない。俺の魔力だけでは卵が光らなくなったのだ。


「どうしよう……。このままじゃ、アイリスが孵化出来ない」


 ふと頭に過ったのは、教団の聖女が作る聖水だ。あれを飲めば魔力を補える!


 俺は再び寺院へと通う事になった。働いては聖水を買い、卵に魔力を注ぐ。妻の死を乗り越え、熱心に働き出したと周りは安心するが、俺はそれどころではない。働いても金は直ぐに尽きてしまう。


 やがて卵は両手に乗る大きさに成長すると、聖水すらも効かなくなった。このままではアイリスに会えない。魔力、何か魔力が強いものを……――


 悩んだ末、卵を職場であるダンジョンに隠した。魔力に満ちたこの場所なら、卵を育てられるのではと思ったのだ。

 予想通り、卵はダンジョン内の魔力を吸って成長を続けてくれた。なぜ、こんな簡単な事に気付かなかったのだろう。


 俺は彼女に会うために、毎日仕事を入れた。休みの日もダンジョンに訪れて卵を撫でながら話しかける。


「アイリス、おはよう。大きくなったね。結婚した時の年齢に追いついたね。早く君に会いたいよ」


 壮年となった俺の体はボロボロだったが、彼女に会えると思うと心は軽かった。

 ダンジョンに置いてから、卵の成長は早かった。あっという間に中のアイリスも人と変わらない大きさまで育った。彼女の孵化まで間もなくだ。直感的に思った。


 ◆


 俺はいつも通り、ガイドの仕事をこなす。今回は10代後半の若い冒険者3人が相手だ。ポータも兼任すれば金を多く出すと提案されたので引き受けた。


 だが、この客たちは生意気だった。


「おい! おっさーん! おせえよ!!」

「おじ~! 先行っちゃうよ~」


 これも全て、アイリスの為。アイリスとの未来の為。そう言い聞かせながらおれは脚の古傷を庇いながら歩く。


「ミゲルさん、ごめんなさい! ちょっと!? ふたりとも、はしゃぎ過ぎ!!」

 

 ルルナという少女は二人よりまともだった。


「いいんですよ。ルルナさん。私も歳みたいで。ははは、若い人には勝てませんね。二人とも、ここから先はモンスターも少ないですし、一本道なので先に行って大丈夫ですよ~」


「やった~!」

「そう来なくっちゃ!!」」


 俺の声を聞き、二人はさっさとダンジョンの奥へと行ってしまった。


「ルルナさんも、先に行っていいんですよ?」

「いえ、いいんです。二人は失礼すぎます。あのう、私にも彼等の荷物を持たせてください」

「いいえ、ポータ兼ガイドが私の今日の仕事ですから。――と、言ってもまだ案内していませんでしたね」


 俺は気まずそうな彼女に、言い慣れた解説をする。


「このダンジョンは私達が魔法を使う際に必要となる石――スフィアの採掘場でもありました。現在は資源保護の為、採掘を終了し観光ダンジョンとして活用されています。魔力が強い場所も存在するので、魔法酔いには気を付けてください」


 ガイドしながら歩いていると、先に行ったはずの二人に追いついた。彼等は壁面を見ながら話しこんでいた。


「あ~っ。やっと来た~。ねぇ、おじ~。これ何?」

「一本道って言ってたのに、全然違うじゃねーか!」


 困惑する彼らの前には大穴があいていた。


 それを見て思わず冷や汗が噴き出る。ここには関係者が使う小路が在った場所だ。普段は木製のバリケードで塞いである。俺はこの小路の奥の空間に卵を置いていた。


 昨日まで何も無かったのに、なぜだ? 孵化までもう少しなのに! アイリスになにか起こった? 確認に行きたい。でもいつらをここから離さないと……。


「わ、私も初めて見ました。この先は整備されていないので、危ないです。引き返しましょう」

「えー!? やだよ。整備されてない新エリアってことだろ? つーことは、スフィアの原石が採れるんじゃね!?」

「うんうん。お宝もあるかも!!」

「コラッ!! ダメです!! 行かないでください!!」


 2人は俺の言葉を無視して、穴の奥へと駆けこんで行ってしまった。

 マズイ。アイリスが見つかってしまう!


「ルルナさん。大変申し訳ないのですが、ここで待っていてくれませんか? ふたりを連れ戻して来ます」

「いえ! 私も一緒に行きます!!」


 ――お願いだ! これ以上こじらせないでくれ!! 


 内心そう叫んでいたが、乾いた唇から紡がれた言葉は冷静だった。


「いえ、この先命の保証は出来かねます。このダンジョンに不慣れなあなたは足手まといです。なので彼等の荷物と一緒に待っていて貰えると助かるのですが……」


 言葉では隠せたが、俺の目は確実に彼女を睨んでいる。

 決して空気が読めない訳ではないルルナは、言葉と恐怖を飲みこんだ。


「わかりました。ここで待機します。二人が迷惑をかけます」


 彼女が指示を聞き入れてくれて安堵した。俺は荷物を置いて回復ポーションを飲むと、乱世を共に生き抜いた相棒を持った。


「私が1時間経っても戻らない場合、ルルナさんはギルドに戻ってください。その時は通報をお願いします」


 こくりと頷くルルナの周りに、魔物避けの結界を張った。ライト代わりの魔法を灯して二人の後を追う。


 ゴツゴツした岩肌が続く道を征く。誰かが無理矢理掘削したような、そんな道だった。大人の身長程の高さだったが奥に向うにつれて穴は大きくなる。卵があるべき場所も道になっていた。


 なんだろう、嫌な予感がする。20年前の勘が蘇ってきた。


「キャー!!」


 奥から生意気な女の悲鳴が響いた。


「止めろ!! おい!! 助けてくれ!!」


 続いて男の声も。――マズイ! モンスターか!?

 剣の柄を握り、飛び出そうとした。だが、俺の耳は聞き逃さなかった。


 冥府の底から嘆き叫ぶような女の声を。


 その瞬間、俺の感覚は完全に20年前の戦場に戻っていた。刹那の間に、様々な情報がシナプスを駆け巡る。


『邪神の前で魔法を使うな!!』


 戦死した先輩の言葉が過り、俺は魔法を全てシャットダウンした。気配を殺し、物蔭から奥の様子を窺う。


「いや! バケモノ!!」

「いだい!! いだいよ!!」


 巨人の女がぺたりと座っていた。その後ろ姿に見覚えがあった。前線で見た敵に酷似していた。4本の腕を持ち、腰から生える脚の数も人間のそれより多い。


 手足を掴まれた二人の冒険者は宙を舞い、乱暴に叩きつけられる。幼児が癇癪をおこして人形を振りまわしているようだった。


 ――た、助けないと!!


 頭では分かっていても、恐怖で体が動かない。


 ――このままでは三人、いや四人とも死んでしまう。アイリスは? アイリスは無事か??


 巨人の近くに、割れた殻が転がっていた。

 信じたくない。けど、まさか……。そんな予感が当たってしまった。


 ゆっくりと振り返ったバケモノと、目が合った。ぎょろっとした翠の目だ。藁のような髪を振り乱し、にたりと笑う。手に付いた血をベロリと舐めると身を震わせて喜んだ。


 やめてくれ……彼女はそんな残酷なことはしない。愛しい顔でそんなことしないでくれ。アイリス、止めてくれ!!


 卵は確かに孵化した。でも中に居たのはバケモノ。壊れたアイリスだった。

 この状況を整理しようとする頭が、ある記憶を見せた。女神の卵をくれた男・シルクスがニヤリと笑いながら尋ねる場面を……。



『君の命と引き換えになってしまうからね。さぁ、どうする?』



 ああそうか。孵化すると俺はこのバケモノに喰われるから、命と引き換えなのか。

 何が悪かった? 孵化させようとしたのが悪いのか? この洞窟の魔力を吸わせたのが悪かったのか? 君が居ない世界を拒んだ俺が悪いのか? お願いだ、誰か……




 ミゲルの問いに答えは出ない。男は壊れた女神を前に絶望する事しかできなかった。

 だが、彼は気づかない。背後に近づく存在に。


 物語は知られざる舞台で続くこととなる。


(了)

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死んだ君は宝石箱で孵化を待つ 雪村灯里 @t_yukimura

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