死んだ君は宝石箱で孵化を待つ
雪村灯里
女神の卵(前編)
男は愛しそうに囁いた。
「やあ、アイリス。大きくなったね。早く君に会いたいよ」
色とりどりの魔法鉱石が群生する洞内。鉱石の放つ魔光が、愛しき者を包む殻をぬらりと照らす。それは、両手で抱えるまでに育った卵形の宝石。
その中で、彼の女神は静かに眠る。
◆
アイリスは幼馴染だ。僕の二つ年下で、物心ついた時から一緒に居る。一番古い記憶の中でも、彼女は翡翠色の瞳を輝かせていた。
「ミゲル! お花を咲かせる魔法を見せて!」
魔法が得意な僕は、喜んで使って見せた。すると彼女は、満面の笑みで讃えてくれる。それが嬉しくて、よく魔法を練習したものだ。
彼女は
「虫さん、殺さないで!? 可哀そうだから逃がそう?」
虫にも慈しむ、心優しいアイリス。通った鼻筋に薔薇色の柔らかい頬。
二十歳を過ぎ、彼女に結婚を申し込もうと決めた年――運命の歯車が狂ってしまう。
『
どこかの狂人が、
被害は甚大で、町や大切な人の命が危険に
町を発つ朝。アイリスは涙をこらえ、笑顔を見せてくれた。
「ミゲル、必ず生きて帰って来てね」
「ああ、絶対に帰ってくる。アイリスもどうか無事で」
「ミゲル。私、ずっと待っているから! いつまでも待っているから!!」
彼女の頬に涙が一筋流れた。僕はその涙に誓った。――絶対に君の元へ帰る。僕達の仲を引き裂く奴は、神だろうが許さない。
アイリスへの想いを秘めたまま、戦場へと旅立った。
◆
「いいか? ミゲル。邪神の前で魔法を使うな。奴は魔力に敏感だ」
僕は強さを見込まれ、最前線に送られる。そこは地獄そのものだった。神の名を冠する未知の敵に、並みの人間は抵抗する術を持たなかった。
村は一夜にして灰となり、人も虫けらを潰すように殺される。先輩や同僚を目の前で失い、僕も脚を負傷した。
全てを呪いかけた時、運命は人間に微笑む。たった五人の若者達により、バケモノが討伐されたのだ。幸運な事に、僕は生きてアイリスの元に帰れた。
「――! ミゲル! お帰りなさい!!」
アイリスは待っていてくれた! 誰の元にも嫁がず、帰りを信じて待っていてくれたのだ。杖なしでは歩けない僕を、笑顔で迎えてくれたアイリスにやっと伝えられた。
「ただいま。長く待たせてごめん。アイリス、僕と結婚してくれないか」
彼女はうれし涙を零しながら、頷いてくれた。神など居なくていい、彼女さえ傍に居てくれたら十分だ。
◆
ふたりの新しい生活が始まった。だけど、僕の体は過去を引きずる。
この体の
それどころか脚のリハビリで心が折れそうな時や、戦場での悪夢に苛まれて眠れない時も寄り添ってくれる。
「ミゲル、私はここに居るよ? だから大丈夫」
何度、彼女に救われただろう。長きに渡るリハビリの末、杖なしでも歩けるようになった。それは僕の世界を広げ、観光ダンジョンのガイドという仕事にも就くことが出来た。
「ミゲル、おめでとう! 私もミゲルに案内してもらおうかな?」
「ああ、いいよ。仕事に慣れたら招待するよ。ダンジョン『女神の宝石箱』へ!」
子供に恵まれなかったが、ふたりの生活は幸せだった。
彼女となら、どんな困難も乗り越えられる。いや、僕は彼女に助けられてばかりだ。今度は僕が彼女に恩を返したい。金を貯めて、ふたりでゆっくり旅行もいいな。これからも歳を重ねて、ふたりで仲良く生きていこう。
だが、不幸が訪れた――
「残念ですが、奥様の病気は治りません」
アイリスが病に倒れた。どうやら数年前から我慢していたらしい。僕が彼女に無理をさせてしまったからだ……。ベッドに力なく横たわるアイリスは、か細い声で言った。
「ミゲル、迷惑かけてごめんね……」
「迷惑なんかじゃないよ。僕の所為だ……。絶対に君を助けるから。アイリスも諦めないで欲しい」
僕は、彼女の命を繋ぎ止める為に行動した。
病に効く薬草が有ればそれを探しに行き、一度は信仰を捨てた女神にも彼女の平癒を願った。それでも病気の進行は止まらない。
「ミゲル、私が死んだあと……大切な人が出来たら……幸せになってね」
お願いだ、そんな事言わないでくれ。そんな世界、見たくもないし知りたくもない。
僕は彼女のいない世界を恐れていた。それは世界の終りにも等しい。
――だが、長い闘病の末……アイリスは逝ってしまった。
直後の記憶は定かじゃない。気が付けばアイリスの葬儀と埋葬が終っていた。
世界では毎朝太陽が昇り……。人の営みも変らない……。ただ、そこに彼女がいないだけ……。
生きる希望を失い、仕事を休みがちになった。
職場の仲間も心配して、様子を見に来てくれた。けど、煩わしい程やって来たのは――アイリスの回復を願い、祈りを捧げた女神の信者達だった。
「ミゲル君、大丈夫かい? 寺院に来なくなって、みんな心配している。今日は本部から偉い方が来ていてね。そのお方がぜひ君に会いたいと言っている」
女神? 俺からアイリスを奪っておいて、今更何を信じろと言うのだ。みんな陰で俺の信心が足りないと、ほざいていたのは知っている。なんで死んだのがお前達ではなく、アイリスなんだ。
「……わかりました。行きます」
寺院を破壊するつもりで向かった。
街の一等地に新しく建てられた寺院は、下品な程豪華だった。信者の寄附で造られたのだろう。家族の反対を押し切って、財産を貢ぐ者もいるくらいだ。なんて愚かな信者共。一時でも女神を信じた自分が憎い。
この国の創生神話には先の戦乱を招いた邪神と、それに対立する一柱の女神が存在する。その女神を祀るこの教団は、戦中戦後の不安から心の拠り所にする者が多かった。
それに怪しい聖女の登場も、教団の人気に拍車を掛ける。彼女は飲むと魔力が増すと言われる聖水を作りだし、魔法を使う者に人気だった。
応接室に入ると、白い装束を纏った男が椅子に座っていた。
高級な生地に金糸で刺された紋様。20代半ば……いや後半だろうか。若いが醸し出す空気は落ち着いていた。
「はじめまして、僕はシルクス。この教団で聖女の後見人をしている」
絹糸のような白い髪に、桑の実よりも濃い赤紫の目。整った顔立ちはさぞ女性信者の人気も高いのだろう。シルクスは俺を座席に促すと枕話もなしに始めた。
「聞いたよ。奥さんを亡くしたらしいね」
彼の言葉を聞いて、我慢していたものが一気に溢れ出した。
「ああ、そうだ。邪神だの女神だの、そんな奴らの
「……ごめんね。つらいよね」
「お前に何が分かるというんだ!!」
「わかるよ。僕も最愛の女性を亡くして、ずっと彼女を追い求めているから」
仄暗い目に見つめられて、息を飲んだ。彼の目は俺と同じだった。
喪失と絶望、憎しみを抱えて空虚な世界を生きる者同士。
彼は静かに問う。
「もし、大切な人と再会出来るならどうする?」
「……俺はもう騙されないぞ」
「これを見ても信じてくれないかな?」
シルクスは懐から何か取り出した。手の中には小さな石が在った。乳白色の半透明な卵型の鉱石。
しかし、石の中に求めていた影を見た。思わず彼の手から石を奪い、中身を見つめる。
「アイリス!?」
見えたのは、胎児の様に丸くなって眠る女の子の姿だ。子供の時の彼女によく似ている。不思議な事に、中の存在は寝返りをうつように動く。まるで小さな彼女が卵の中に入っているみたいだった。
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