3:『消えた医師たち』

 匿名とくめいの送り主から届いた追加資料。

 一つ目のファイルを開くと、そこには██医科大学のロゴが入った公式文書が表示された。


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【資料05:██医科大学プレスリリース】


██医科大学医学部附属病院

広報課


令和██年3月15日


医師派遣に関するお知らせ


 平素より本学の教育・研究・診療活動にご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。


 さて、本学医学部附属病院より██県朔望市・綾瀬総合病院への医師派遣につきまして、下記の通りご報告申し上げます。


         記


1.令和██年3月31日をもちまして、綾瀬総合病院への医師派遣を中止いたします。


2.派遣中止の理由

  ・派遣医師の健康上の理由

  ・当該施設における診療体制の見直し


3.今後の対応

  ・派遣医師の健康回復に向けた支援を継続いたします

  ・地域医療への影響を最小限にするべく、関係機関と協議を進めてまいります


 なお、詳細につきましてはお問い合わせをご遠慮いただきますようお願い申し上げます。


以上


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 「派遣はけん医師の健康上の理由」。


 一見すると、よくある事務的な文書だ。医師の過労や病気による派遣中止は珍しくない。

 だが、この文書には不自然な点がいくつかあった。

 まず、時期だ。このプレスリリースが出されたのは令和██年3月15日。綾瀬総合病院あやせそうごうびょういんが閉院したのは同年5月末。つまり、閉院のおよそ二ヶ月半前に、既に医師の派遣が中止されていたことになる。

 そして「詳細につきましてはお問い合わせをご遠慮えんりょいただきますようお願い申し上げます」という一文。通常、大学病院のプレスリリースでこのような表現は使わない。むしろ説明責任を果たすべき立場にある組織が、問い合わせを拒否している。

 何かを隠している。

 そう考えるのが自然だった。


 私は二つ目の添付ファイルを開いた。


---


【資料06:██医科大学 綾瀬総合病院派遣医師一覧(非公開資料)】


※本資料は内部文書です。取り扱いにご注意ください。


【派遣期間:令和██年4月~令和██年3月】


氏名     診療科   派遣開始  状況

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

██ ██   内科    令和██年4月  令和██年2月28日付で休職

██ ██   外科    令和██年4月  令和██年3月5日付で休職

██ ██   精神科   令和██年6月  令和██年3月10日付で休職

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


【備考】

・上記3名はいずれも「精神的な問題」を理由に休職届を提出

・3名とも休職届提出後、大学への出勤なし

・連絡先は各自の携帯電話のみ、固定電話・メールともに不通

・令和██年4月以降、3名の所在確認できず


【対応状況】

・人事課にて継続的に連絡を試みているが、応答なし

・ご家族への連絡も試みたが、「本人と連絡が取れない」との回答

・警察への届出は保留中(大学の判断により)


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 三名の医師が、同じ時期に「精神的な問題」で休職。

 そして全員が、その後行方不明。

 これは偶然ではない。

 三人に共通するのは、綾瀬総合病院への派遣という事実だけだ。あの病院で、何かが起きた。そして三人は、それに巻き込まれた。

 私は資料を印刷し、ファイルに綴じた。

 次にやるべきことは決まっていた。


         ◆


 翌日、私は██医科大学に電話をかけた。


「広報課でございます」


 若い女性の声が応対した。


「お忙しいところ恐れ入ります。私、フリーライターの瀬野せのと申します。医療系のWebメディアで記事を書いておりまして、少しお話をうかがいたいことがあるのですが」


「どのようなご用件でしょうか」

「七年前に閉院した、朔望さくぼう市の綾瀬総合病院についてです。当時、貴学から医師を派遣されていたと伺いまして——」


 電話の向こうで、空気が変わった。

 沈黙。

 数秒後、女性の声が戻ってきた。明らかに、さっきとはトーンが違う。


「……少々お待ちください」


 保留音が流れる。

 長い時間が経った。三分か、五分か。ようやく電話が繋がった時、応対したのは別の人物だった。


「お電話代わりました。広報課の██と申します」


 中年の男性の声。落ち着いているが、どこか警戒けいかいの色がある。


「綾瀬総合病院についてのお問い合わせとのことですが」

「はい。当時の医師派遣について取材をさせていただきたく——」

「申し訳ございませんが、その件についてはお答えいたしかねます」


 即答だった。


「何かお答えいただけない理由があるのでしょうか」

「いえ、特に理由というわけでは……ただ、七年も前のことですし、当時の担当者も既におりませんので」

「プレスリリースでは『派遣医師の健康上の理由』とありましたが、具体的にはどのような——」

「その件についてもお答えいたしかねます」


 男性の声が、わずかに硬くなった。


瀬野せのさん、でしたね」

「はい」

「差し支えなければ、なぜ今になって綾瀬総合病院のことをお調べになっているのですか?」


 質問を質問で返された。

 私は少し考えてから、正直に答えることにした。


「七年前、祖父があの病院に入院していました。閉院の直後に亡くなったんです。当時のことを調べていて、いくつか不可解な点があったので」


 沈黙。

 電話の向こうで、男性が息を呑む気配がした。


「……そうでしたか」


 声のトーンが、少しだけ変わった。


瀬野せのさん」

「はい」

「これは、広報課の人間としてではなく、個人的な意見として聞いていただきたいのですが」

「はい」

「……調べないほうがいいですよ」


 その言葉は、事務的な拒絶とは違っていた。

 本気で、私を心配しているような響きがあった。


「あの病院には、関わらないほうがいい。私はそう思います」

「なぜですか」


 再び沈黙。


「お答えいたしかねます」


 電話は、そこで切れた。


         ◆


 電話取材は失敗に終わった。

 だが、収穫がなかったわけではない。広報課の男性の反応は、私の推測を裏付けていた。██医科大学は、綾瀬総合病院について何かを隠している。そして、それは単なる医療事故や経営問題ではない。


 私は別のアプローチを試みることにした。

 当時の医局関係者に直接コンタクトを取る。

 七年前の名簿や資料を探し、██医科大学医学部の内科、外科、精神科に所属していた医師の名前をリストアップした。その中から、現在も医療現場で働いている人物を絞り込む。SNSや学会の発表記録、クリニックのホームページなどを手がかりに、一人ずつ連絡先を調べていく。

 地道な作業だった。

 三日かけて、ようやく一人の医師に行き着いた。

 ██ ██。七年前、██医科大学の内科に所属していた医師。現在は朔望市から車で二時間ほど離れた町で、小さな診療所を開業している。

 彼は、休職した三名の医師と同じ医局に所属していた。

 私は診療所に電話をかけ、取材を申し込んだ。


「綾瀬総合病院?」


 電話口で、医師は明らかに動揺した。


「なぜ今さら、そんなことを」

「当時のことを調べていまして。先生は、派遣された医師の方々と同じ医局にいらっしゃったと聞きました」


 沈黙。


「……お断りします」

「お願いします。何か、少しでも——」

「お断りします」


 電話は切れた。

 予想通りの反応だった。だが、私は諦めなかった。

 翌日、私は車で二時間かけて、その診療所まで出向いた。

 アポイントメントなしの突撃取材。本来なら褒められたやり方ではない。だが、他に方法がなかった。

 診療所は、住宅街の一角にある小さな建物だった。午後の診療が終わる時間を見計らって、駐車場で待った。

 午後六時過ぎ、白衣を脱いだ中年の男性が、建物の裏口から出てきた。五十代半ばくらい。疲れた表情。


「██先生ですか?」


 声をかけると、男性は足を止めた。


「……あなたは」

「昨日お電話した瀬野せのです。お忙しいところ申し訳ありません。少しだけお時間をいただけませんか」


 男性——██医師は、苦い表情で私を見た。


「お断りしたはずです」

「はい。でも、どうしてもお聞きしたいことがあって」

「私に話せることは何もありません」

「綾瀬総合病院に派遣された先生方に、何が起きたんですか」


 その言葉に、██医師の顔色が変わった。


「……あなた、何者ですか」

「フリーライターです。祖父が、あの病院で——」

「帰ってください!」


 医師は私の言葉を遮り、足早に車へ向かおうとした。


「██先生、██先生、██先生」


 私は、三人の名前を口にした。

 派遣医師一覧に載っていた、行方不明の医師たち。

 ██医師の足が、止まった。


「彼らは、今どこにいるんですか」

「…………」

「先生は、ご存知なんじゃないですか」


 ██医師は振り返らなかった。背中を向けたまま、しばらく黙っていた。

 やがて、小さな声が聞こえた。


「……五分だけ」


         ◆


 診療所の裏手にある、小さな休憩スペース。

 自販機で買った缶コーヒーを手に、██医師は疲れた表情で椅子に座っていた。


「何から話せばいいのか」


 医師は缶コーヒーを見つめながら、独り言のように呟いた。


「先生は、綾瀬総合病院に行かれたことは?」

「一度だけ。派遣の打診があった時に、見学に行きました」

「どんな印象でしたか」

「普通の病院でしたよ。地方の中規模総合病院。設備は古いが、清潔に保たれていた。スタッフも真面目そうだった」

「でも、派遣は断られた」

「ええ」


 医師は缶コーヒーを一口飲んだ。


「見学の時、妙な違和感があったんです」

「違和感?」

「3階に案内された時のことです。西病棟と東病棟があって、西のほうは普通に見せてもらえた。でも東病棟は『今日は見学できない』と言われました」

「理由は?」

「『特殊な患者がいるから』と。感染症か何かだと思いましたが、それにしては説明が曖昧あいまいでした」


 ――3階東病棟。

 また、その場所が出てきた。


「それで派遣を断られたんですか」

「直接の理由は違います。ただ、何となく嫌な予感がしたんです。あの病院には、何かある。そう思いました」

「他の三人の先生方は、その予感を感じなかった?」


 ██医師は首を横に振った。


「彼らは優秀な医師でした。真面目で、患者思いで。だからこそ、断れなかったんだと思います。人手不足の地方病院を助けたいという使命感があった」

「派遣が始まってから、何か変化はありましたか」


 医師は長い沈黙の後、口を開いた。


「最初の数ヶ月は、特に何も。定期的に医局いきょくの会合で顔を合わせていましたが、普通でした」

「変わったのは、いつ頃から?」

「……年が明けてからです。令和██年の一月頃。三人とも、様子がおかしくなり始めた」

「どんなふうに?」

「眠れない、と言うようになりました。悪夢を見る、と。最初は過労だと思いました。地方病院の勤務は激務ですから」


 医師は缶コーヒーを握りしめた。


「でも、違った。三人が見ている夢は、同じだったんです」

「同じ夢?」

「病院の廊下を歩いている夢。暗い廊下の奥に、誰かが立っている。顔が見えない。でも、こちらを見ている」


 私は息を呑んだ。

 それは——私が見た夢と、同じだった。


「三人は、その夢の中で名前を呼ばれると言っていました」

「名前?」

「自分の名前を。誰かが、呼んでいる」


 ██医師は私を見た。その目には、恐怖が宿っていた。


「彼らは、何かを見たんです。あの病院で。3階東病棟で」

「何を見たんですか」

「分かりません。彼らは、それについて話そうとしなかった。話せなかった、のかもしれない」


 医師は缶コーヒーを置いた。


「二月の終わりに、内科の██先生が最初に休職届を出しました。その時、私は彼と話をしました。『何があったんだ』と」

「何と答えましたか」

「彼は、こう言いました」


 ██医師の声が、震えていた。


「『名前を覚えてしまった。あいつの名前を。もう逃げられない』」


 沈黙が落ちた。


「その『名前』が何なのか、聞きましたか」

「聞きました。でも、彼は答えなかった。答える代わりに、私にこう言ったんです」


 医師は私の目を見た。


「『聞くな。お前も覚えてしまう。覚えたら、終わりだ』」


---


【資料07:医局関係者からの匿名メール(取材後に受信)】


件名:先日の取材について


瀬野様


先日はお越しいただいたにも関わらず、十分なお話ができず失礼いたしました。

直接申し上げられなかったことを、メールでお伝えします。

あの病院に派遣された三人は、全員が「あるもの」を見ています。

3階東病棟の奥にある、個室の患者を。

その患者が何者なのか、私は知りません。

ただ、三人が休職届を出す直前、口を揃えて言っていたことがあります。


「顔がなかった」

「でも、こっちを見ていた」

「名前を呼んでいた」


三人は現在も行方不明です。

大学も警察も、本気で捜していないように見えます。

まるで、存在しなかったことにしようとしているかのように。

これ以上は、私にもお話しできません。

あなたも、深入りしないことをお勧めします。

あの病院に関わった人間は、皆おかしくなります。

私は直接見てはいません。ただ、三人の話を聞いているうちに——

おかしな話ですが、私も時々夢を見るようになりました。

暗い廊下の夢を。


ご自愛ください。



---


 取材から帰宅した夜、私は再びあの夢を見た。

 病院の廊下。点滅する照明。消毒液の匂い。

 廊下の奥に、誰かが立っている。

 人の形をした影。顔がない。

 影が、口を開く。

 声が聞こえる。


「——しおり」


 私の名前を、呼んでいる。


「せの、しおり」


 影が、一歩近づいてくる。


「なまえを、おしえて」


 私は叫ぼうとした。だが、声が出ない。

 影がさらに近づく。

 顔があるべき場所に、何もない。

 ただ、暗い穴だけがある。


「おまえのなまえを、しっている」


 影が、手を伸ばしてくる。


「だから、わたしのなまえも」


 その瞬間、目が覚めた。

 午前三時四十五分。

 汗でパジャマが濡れていた。

 スマートフォンの画面が光っている。

 新着メール。送り主は、あの匿名アドレス。


『夢を見ましたか?

 それは始まりの合図です。

 次の資料をお送りします。

 まだ引き返せます。

 ただし、名前を忘れることはできません。

 あなたは既に、知ってしまいました』


 添付ファイルが一つ。


 ファイル名は「shiryo_03.pdf」。


 私は震える指で、ファイルを開いた。

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