2:『噂(うわさ)』
翌朝、私は
まずは基本的な情報から。検索エンジンに「綾瀬総合病院
ヒットした記事のほとんどは、七年前の閉院を報じるニュースだった。
『綾瀬総合病院、今月末で閉院 経営難と医療事故が原因か』
『朔望市の中核病院が消滅 地域医療に深刻な影響』
『閉院する綾瀬総合病院、患者の転院先確保に追われる』
どの記事も、閉院の理由を「経営難」と「医療事故」の二点に集約していた。
経営難については、地方の中規模病院が抱える典型的な問題として説明されている。人口減少、医師不足、診療報酬の引き下げ。どこにでもある話だ。
医療事故については、詳細が伏せられていた。「複数の患者が亡くなった」という記述はあるが、具体的な内容は「調査中」のまま、続報は出ていない。
七年経った今でも、だ。
不自然だと思った。
医療事故であれば、通常は第三者委員会が設置され、報告書が公開される。遺族への説明会も行われるはずだ。それがないということは、事故の内容が公にできないものだったのか、あるいは——そもそも「医療事故」という説明自体が、何かを隠すためのものだったのか。
ニュース記事だけでは分からない。
私は検索ワードを変えた。
「綾瀬総合病院
「綾瀬総合病院 心霊」
「綾瀬総合病院 廃墟」
すると、全く異なる種類の情報がヒットし始めた。
オカルト系のまとめサイト。匿名掲示板の過去ログ。都市伝説を扱うブログ。
そこには、ニュースには載らない『噂』が記録されていた。
◆
最初に目を通したのは、匿名掲示板のスレッドだった。
五年前に立てられたもので、「【██県】地元のヤバい場所を語るスレ」というタイトル。綾瀬総合病院に関する書き込みは、スレッドの中盤に集中していた。
---
【資料02:匿名掲示板ログ(抜粋)】
142:名無しさん
朔望市の綾瀬総合病院跡地の話する?
143:名無しさん
>>142
あー、あそこか
閉院してからずっと放置されてるよな
145:名無しさん
なんで取り壊さないんだろ
もう7年くらい経つだろ
147:名無しさん
地元民だけど、あそこはガチでやばいって噂
夜に近づくなって言われてる
150:名無しさん
>>147
kwsk
152:名無しさん
>>150
詳しくは知らんけど、閉院の理由がおかしいって話
経営難とか医療事故とか言われてるけど、それ嘘らしい
155:名無しさん
>>152
嘘ってどういうこと?
158:名無しさん
>>155
本当の理由は別にあるって
なんか、患者に変なのがいたとか
161:名無しさん
変な患者?
163:名無しさん
>>161
よく分からん
3階東病棟に関わるなって話だけ聞いた
167:名無しさん
>>163
3階東病棟?
170:名無しさん
知り合いの看護師が昔あそこで働いてたんだけど
3階東病棟の話になると絶対口を閉ざすんだよな
なんかあったんだろうけど……
173:名無しさん
>>170
こわ
175:名無しさん
肝試しで入ったやついる?
178:名無しさん
>>175
いるわけないだろ
あそこ監視厳しいし
181:名無しさん
でもYouTubeに動画上がってなかったっけ
廃墟探索みたいなやつ
184:名無しさん
>>181
あー、あれか
あの動画の投稿者、撮影後に死んだらしいぞ
187:名無しさん
>>184
マジ?
189:名無しさん
>>187
マジ!
詳しくは知らんけど、自宅で死んでるのが見つかったって
192:名無しさん
怖すぎ
やっぱあそこやばいんじゃん
195:名無しさん
>>192
偶然だろ
廃墟探索なんて不健康な趣味してるやつは早死にする
198:名無しさん
>>195
でもタイミング良すぎない?
201:名無しさん
まあ関わらないのが一番だな
あの病院には近づくな
これ、地元の常識
---
スレッドはその後、別の話題に移っていた。
私は画面をスクロールしながら、いくつかのキーワードをメモした。
「3階東病棟」
「変な患者」
「YouTubeの廃墟探索動画」
「投稿者の死」
3階東病棟。昨夜の当直日誌にも出てきた場所だ。
そしてYouTubeの動画。これは確認する必要がある。
私は検索窓に「綾瀬総合病院 廃墟 YouTube」と入力した。
◆
該当する動画は、すぐに見つかった。
投稿されたのは四年前。タイトルは『【ガチ心霊】医療事故で閉鎖されたヤバい病院に潜入したら...』。
サムネイルには、夜の病院らしき建物と、懐中電灯を持った若い男性の姿が映っている。典型的な廃墟探索動画の体裁だ。
再生回数は87万回。この手の動画としては、かなり多い。
動画の
---
【資料03:YouTube動画概要欄】
【ガチ心霊】医療事故で閉鎖されたヤバい病院に潜入したら...
※※※ 重要なお知らせ ※※※
この動画は、投稿者本人の遺志により公開を継続しております。
投稿者・██████は、本動画の撮影から4日後、
自宅にて遺体となって発見されました。
死因は現在も不明です。
動画内容に関する警告:
18:32以降の映像には、説明のつかない現象が記録されています。
視聴は自己責任でお願いします。
本動画の無断転載、切り抜き、考察動画の作成はご遠慮ください。
ご冥福をお祈りいたします。
———
【元の概要欄】
どうも! ██████です!
今回は██県朔望市にある廃病院に潜入してきました!
ここ、七年前に閉鎖されたんだけど、地元ではかなりヤバいって噂の場所。
夜に行くと絶対良くないことが起きるって言われてて...
果たして噂は本当なのか!?
体を張って検証してきました!
00:00 オープニング
02:15 廃病院に到着
05:30 1階を探索
10:45 2階へ移動
14:20 3階に到着
18:32 ※※※閲覧注意※※※
23:15 脱出
※撮影は安全に配慮して行っています
※不法侵入等の違法行為は絶対にやめましょう
---
画面を見つめたまま、私は息を呑んだ。
撮影から四日後に死亡。死因不明。
掲示板の書き込みは本当だったのだ。
動画を再生するべきか、迷った。
見なくていい。関わらないほうがいい。母の言葉が頭をよぎる。
だが、私は既に関わってしまっている。祖父の名前が記された当直日誌を受け取った時点で。
再生ボタンを押した。
◆
動画は、若い男性のテンションの高いオープニングで始まった。
「どうも! ██████です! 今回はですね、ちょっとヤバい場所に来ております!」
画面には夜の駐車場。奥に、闇に沈んだ建物のシルエットが見える。
「ここが噂の綾瀬総合病院! 七年前に閉鎖されて、今は廃墟になってます!」
投稿者は二十代前半くらいの男性。明るい髪色に、
彼は
「いやー、マジで怖いっすね。地元の人には『絶対行くな』って言われてるんですけど、まあ、行っちゃいますよね!」
軽い調子で笑いながら、彼は建物の中へと侵入していく。
1階は外来のロビーらしい。受付カウンター、待合室の椅子、
「うわ、なんかそのまんま残ってる。不気味……」
2階は病室が並ぶ病棟。ベッドや医療機器がそのまま残されている部屋もあった。
「マジでそのまんまじゃん。なんで片付けないんだろ」
動画は淡々と進んでいく。時折、投稿者が大げさに怖がってみせるが、特に異常な現象は起きていない。
問題は、3階に上がってからだった。
「えーと、3階に来ました。ここが西病棟と東病棟に分かれてるみたいで……」
カメラが廊下を映す。左右に病室が並び、突き当たりで廊下が二手に分かれている。
「西と東、どっちから行く? んー、じゃあ西から!」
西病棟は、1階や2階と同様、特に変わった様子はなかった。埃っぽい
問題は、東病棟に移動してからだ。
「じゃあ次、東病棟いってみましょう!」
投稿者が東病棟への廊下を歩き始める。
その瞬間、動画の雰囲気が変わった。
カメラの映像が、わずかに乱れ始める。ノイズというほどではない。だが、何かがおかしい。
「あれ、なんか……カメラ調子悪いな」
投稿者の声も、心なしか硬くなっている。
「えーと、ここが3階東病棟……」
廊下の照明は、もちろん点いていない。懐中電灯の光だけが、闇を切り裂いている。
だが、その光の届かない奥に——何かがいる。
投稿者はまだ気づいていない。カメラを構えて周囲を見回しながら、軽口を叩いている。
「なんか空気違くない? 西と東でこんな違う? いや、気のせいか……」
気のせいではない。
私には分かった。画面の奥、廊下の突き当たりに、何かが立っている。
人の形をした、影。
動画のタイムスタンプは、18:30。
「あ、ここに部屋がある。入ってみよ——」
投稿者がある病室のドアに手をかけた瞬間、映像が激しく乱れた。
18:32。
「え、は? なに——」
投稿者の声が途切れる。
画面はノイズに覆われ、何が映っているのか判別できない。だが、音声だけは拾っている。
何かの、声。
低く、くぐもった、聞き取れない声。
人間の声ではない。
いや、人間の声かもしれない。だが、言葉として認識できない。
ただ一つだけ、聞き取れた音があった。
「——わた……き……」
何かが、名前を呼んでいる。
18:47。映像が復帰する。
投稿者は走っていた。廊下を、階段を、必死に駆け下りている。
「やばいやばいやばい——」
息を切らしながら、振り返ることなく建物を脱出する。
駐車場に出た投稿者は、そのまま車に飛び乗り、動画は終わった。
◆
再生が終わった後も、私はしばらく画面を見つめていた。
18:32の映像。
ノイズの向こうに、何が映っていたのか。
分からなかった。だが、確かに「何か」がいた。
そして、あの声。
「わた……き……」
何かの名前だろうか。
それとも、私の聞き間違いか。
コメント欄をスクロールする。四年間で数千件のコメントが投稿されていた。
『18:32やばすぎる』
『何回見ても怖い』
『投稿者マジで死んだの?』
『RIP』
『あの声なんて言ってるか分かる人いる?』
『わたぬき? わたなべ? よく分からん』
『3階東病棟に何があったんだ』
『この病院の噂、地元では有名らしい』
『考察動画出してる人いるよな』
『あれ見ても結局分からん』
私は「考察動画」を検索した。
すぐに見つかった。
怪異系の解説チャンネル。「やみつきミステリー」というチャンネル名で、登録者数は50万人を超えている。有名YoutuberのたっくーTVに似たスタイルの、都市伝説や未解決事件を扱うチャンネルだ。
その中に、綾瀬総合病院を扱った動画があった。
---
【資料04:「やみつきミステリー」動画書き起こし(抜粋)】
「——というわけで今回は、██県朔望市の『綾瀬総合病院』について解説していきます」
「この病院、知ってる人は知ってると思うんですけど、ネット上ではかなり有名な心霊スポットなんですね」
「まず経緯を説明すると、綾瀬総合病院は七年前に突然閉院しています。表向きの理由は経営難と医療事故。でも、地元ではそれが『嘘だ』という噂が根強く残ってるんです」
「じゃあ本当の理由は何なのか。これがね、はっきりしないんですよ。ただ、いくつかの証言を総合すると、ある共通点が浮かび上がってきます」
「それが『3階東病棟』です」
「3階東病棟に何があったのか。これについては様々な噂があります。曰く、『隔離されていた患者がいた』。曰く、『実験が行われていた』。曰く、『入ってはいけない部屋があった』」
「どれが本当なのかは分かりません。ただ、一つだけ確かなことがあります」
「廃墟探索動画を撮影した██████さん。彼が異変に遭遇したのも、3階東病棟でした」
「そして彼は、撮影から4日後に亡くなっています」
「死因は——不明」
「警察発表では『病死の疑い』とされていますが、彼は20代の健康な男性でした。持病もなかった。なのに突然死んだんです」
「彼の友人の証言によると、撮影から帰ってきた██████さんは、様子がおかしかったそうです」
「『誰かに見られている気がする』」
「『変な夢を見る』」
「『あの名前が頭から離れない』」
「あの名前、というのが何を指すのかは分かりません。友人も詳しくは聞けなかったそうです」
「ただ、一つだけ気になる証言があります」
「██████さんは亡くなる前日、友人にこうLINEを送っていたそうです」
「『やばい、思い出した。あの声が言ってた名前。わたぬき、だ』」
「わたぬき」
「これが何を意味するのか、現時点では分かりません。人名なのか、それとも別の何かなのか」
「ただ、一つだけ言えることがあります」
「綾瀬総合病院には、何かがいます」
「そしてそれは、名前に関係している」
「皆さんも、もしこの病院に興味を持っても、絶対に近づかないでください」
「特に、3階東病棟には」
「以上、やみつきミステリーでした」
---
動画を見終えた時、私の手は震えていた。
わたぬき。
その名前を、私は今朝、確かに聞いた。
母との電話。祖父が亡くなる前に繰り返していたうわ言。
「変な名前だなって思ったの」
母はそう言った。思い出せない、とも。
だが今、私には分かる。
祖父が呼んでいたのは、その名前だ。
わたぬき。
四月朔日。
私はその名前を、検索窓に打ち込んだ。
そして、凍りついた。
四月朔日——読み方は「わたぬき」。日本に実在する
由来は、旧暦の四月一日に「
冬の間、着物に詰めていた綿を抜いて、春の
綿を、抜く。
中身を、入れ替える。
それがどういう意味なのか、この時の私にはまだ分からなかった。
ただ、嫌な予感だけが、胸の奥で
◆
その夜、再び
『調査は順調でしょうか。
追加の資料をお送りします。
引き返すなら、今のうちです。
ただし、あなたはもう名前を知ってしまいました。
知った以上、あなたも「見られる」側になります。
それでも続けますか?』
添付ファイルが二つ。
一つは、医科大学のプレスリリース。
もう一つは、何かの
私は深呼吸をして、ファイルを開いた。
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