村上春樹初期+アスカ+韓流スター

 国連の車列が止まると、道の先が少し騒がしくなった。現地スタッフが何かを説明し、通訳がそれを繰り返していた。地面は乾いていて、ところどころ色が変わっていた。理由は共有されている前提だった。


 彼女は僕の横に立っていた。視線は低く、動かなかった。足元には形の整わないものが転がっていたが、彼女は見なかった。見ないことを選んでいるようにも見えなかった。


 少し離れた場所に、韓流のスターグループがいた。視察という名目らしかった。色の揃った服で、カメラに向かって笑っていた。誰かがピースサインを作り、誰かが肩を組んだ。


「……何あれ」

「視察団だって」

「冗談でしょ」


 彼女は一歩踏み出して、すぐに止まった。拳を握っているのがわかった。


「ここ、遊ぶ場所じゃない」

「たぶん、仕事の一部だ」

「最悪。ほんと最悪」


 スターの一人が地面を見て、すぐに視線を逸らした。その仕草が彼女の目に入った。


「今の見た?」

「見た」

「見たなら言いなさいよ。何か」


 僕は言葉を探したが、適切なものは見つからなかった。代わりに、彼女の腕に軽く触れた。力は入れていない。


「深呼吸しよう」

「何それ。子ども扱い?」

「違う。ただ、今は――」


 彼女は僕の手を振り払ったが、距離は取らなかった。


「私、こういうの一番嫌い」

「わかる」

「嘘。あんたは平気そう」


 遠くで笑い声が上がった。フラッシュが一度だけ光った。


「怒鳴る?」

「怒鳴ってどうなるの」

「スッキリはする」


 彼女は顎を引き、歯を噛みしめた。しばらく何も言わなかった。


「記事に書く?」

「書かない」

「賢い。……でもムカつく」


 僕は彼女の前に立ち、視界を少しだけ遮った。スターたちはまだ笑っていたが、彼女の目からは外れた。


「今は、見る必要ない」

「命令?」

「提案」


 彼女は鼻で短く息を出した。


「提案ね。……じゃあ採用」

「ありがとう」

「勘違いしないで。あんたのためじゃない」


 視察団が移動し、騒ぎは少し遠ざかった。地面は変わらなかった。誰もそれを片づけなかった。


「ねえ」

「なに」

「私が行ったら、あんた止める?」

「止める」

「理由は?」

「今じゃない」


 彼女はしばらく黙ってから、視線を上げた。


「……それ、嫌いじゃない」

「よかった」

「よくないけど」


 撤収の合図が出た。彼女は深く一度だけ息を吸い、吐いた。肩の力が少し抜けたように見えた。僕はメモを取らなかった。必要な言葉は、今日は来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る