第2話 矢尻真央、いつも通りの生活
10月10日 金曜日。
私、矢尻真央は勤務を終えて病院の裏口を出た。
「お疲れさまでしたー」
自分の声が、少しだけ軽い。
夜勤明けではないけれど、今日は遅番だった。
秋の夜風が、火照った頬を冷ましてくれる。
それだけで、白衣の時間が終わった気がした。
私は看護師だ。
この病院で働き始めて、もう四年になる。
忙しいし、正直きつい日も多い。
それでも、辞めたいと思ったことは一度もなかった。
患者さんから向けられる
「ありがとう」の一言。
それだけで、今日もここに来てよかったと思えてしまう。
単純なのかもしれない。
でも、私はそうやって生きてきた。
駐車場に向かいながらスマートフォンを確認すると、
親友からメッセージが届いていた。
《今度このカフェ行かない?
ここのコーヒーとケーキ、ものすごく美味いらしいよ》
続けて、数枚の写真。
おしゃれなカップに注がれたコーヒーと、
丁寧に飾られたケーキが映っている。
最近は忙しくて、ゆっくり甘いものを食べる時間もなかった。
自然と、行きたい気持ちが湧いてくる。
《めっちゃ良い!今度一緒に行こう!》
そう返して、スタンプをひとつ送った。
車に乗り込み、エンジンをかける。
カーナビのモニターが点灯し、ニュースが流れ始めた。
《海外で未確認生物の目撃情報が相次いでいます》
(またこの話……)
最近、やたらと多い気がする。
未確認生物、原因不明、集団失踪。
ナースステーションでも、少し話題になっていた。
「夜道怖くない?」
「でも日本は関係ないでしょ」
「そうよねー。てか知ってる?昨日やっと犯人捕まったんでしょ?」
「そうそう、福岡と大阪であった無差別殺人事件の犯人」
「どんどん上の方に来てたから怖かったんだよね〜」
話題が殺人犯に変わり、
私もそれ以上考えるのをやめた。
考えたところで、何かできるわけでもない。
駐車場を出て、自宅へ向かう。
運転しながら、今日の夜ご飯を考えたところで、
冷蔵庫が空っぽだったことを思い出した。
(明日も仕事だし、今日はコンビニで済ませよう)
ハンドルを切り、道路沿いのコンビニに入る。
買い物を済ませて帰宅し、
テレビをつけてチャンネルを回す。
どの局もニュースばかりだった。
《海外で集団失踪事件》
《各国政府は関連性を否定》
同じ話題が、繰り返し流れている。
(物騒だな……)
今日対応した患者さんの顔が、ふと浮かんだ。
もし、あの人たちが突然消えてしまったら――
(……やめよう)
小さく首を振り、
夜ご飯のゴミをゴミ箱に捨てる。
考えすぎても、いいことはない。
私は今日も、ちゃんと仕事をした。
それでいい。
入浴するために風呂場へ向かった、その時。
ほんの一瞬、違和感が走った。
めまい、というほどではない。
ただ、足元がふわりと浮いたような感覚。
(疲れてるのかな)
そう思い、湯を張る。
いつもと同じ。
変わらない日常。
――そのはずだった。
タイマーをセットし、テレビをつける。
《速報:日本国内でも失踪事件が発生》
胸の奥が、ひやりと冷えた。
(……え?)
音量を上げようとした、その瞬間。
視界が、白く反転した。
音はない。
衝撃も、悲鳴もない。
ただ、世界が――
“切り替わった”。
足元の感覚が消え、
身体が宙に投げ出される。
「――――っ」
声にならない息だけが、喉から漏れた。
テレビでは、その後の速報が流れ続けていた。
《速報:福岡・大阪無差別殺人事件容疑者、失踪》
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