第1話 谷口誠也、いつも通りの生活
10月10日 金曜日。
俺、谷口誠也は、いつも通り会社に向かっていた。
特別な理由もなく、特別な期待もない朝だ。
満員電車に揺られながら、片手で吊革を握り、もう片方の手でスマートフォンを眺める。
画面にはThreetter(スリッター)。日本で一番情報が早いアプリだ。
トレンドやニュース欄を流し読みするのが、朝の習慣だった。
《海外で未確認生物の目撃情報が相次ぐ》
《正体不明、各国政府は調査中》
一瞬だけ、指が止まる。
だが、すぐ下に表示された
《ジェリーズ所属アイドルまさかの熱愛!?》
に意識を持っていかれ、その話題は頭の中から消えた。
(遠い国の話だよな)
スマホをポケットにしまう。
俺が勤めているのは、都内にある社員数三十人ほどの中小企業だ。
花形部署でもなければ、特別な仕事をしているわけでもない。
毎日が、だいたい同じ流れで進んでいく。
「おはようございます」
事務所の扉を開けると、上司が待っていたかのように近寄ってきた。
「おはよう。谷口くん、これ後でお願いできる?」
山積みの資料の束を渡される。
……今日こそ定時で帰るつもりだったんだけどな。
週末には、久しぶりに山へ行く予定を立てていた。
それでも、俺は反射的に答えてしまう。
「はい、大丈夫です」
断れない。
昔から、そういう性格だった。
午前中は書類整理。
昼休みはコンビニの弁当をデスクで済ませる。
同僚たちの会話が、背後から聞こえてきた。
「最近さ、変なニュース多くないですか?」
「未確認生物とか? あれ絶対デマだろ」
「いや、失踪事件も増えてるらしいですよ。海外で、集団で消えたって」
「はいはい、都市伝説都市伝説」
「それより、このアイドル知ってるか?」
話題はすぐに変わる。
俺は何も言わず、黙って箸を動かしていた。
なぜか「失踪事件」という言葉だけが、頭の片隅に残っていた。
午後も、特別なことは起きない。
パソコンの画面とにらめっこし、気づけば時計の針は定時を回っている。
(……帰れるか?)
そう思った矢先、
上司が申し訳なさそうな顔で近づいてきた。
「谷口くん、悪いんだけどさ……」
ああ、これは残業コースだ。
「いえ、大丈夫です」
自分でも驚くほど、自然な声が出た。
結局、会社を出たのは深夜だった。
エレベーターを待つ静かな廊下。
昼間とは別の顔をした社内。
――それでも、いつも通りだ。
このときの俺は、まだ知らなかった。
この「いつも通りの生活」が、
もう二度と戻らないことを。
*
俺は今、空いているネットカフェを探している。
終電には当然間に合わなかった。まあ、分かってたけど。
遅めの夜食をコンビニで買い、リュックに放り込む。
マップアプリを頼りに歩き出した。
……このアプリ、やたら細い道を案内するな。
並行しながらThreetterを開くと、速報が上がっていた。
《ジェリーズ所属のアイドル突然の失踪!?》
……なんか、やましいことでもあったんだろ。
自然とコメント欄をタップする。
《やっぱガチだったんだなw》
《応援してたのにー》
《結構鮮明な写真だったもんな》
荒れてるな。
今のご時世、これは厳しい。
スクロールしていると、ひとつのコメントが目に留まった。
《最近海外で起こってる失踪事件と関係あったり?》
不思議と、その一文から目が離れなかった。
……いや、さすがに関係ないだろ。
海外の話だし。
本当に関係してたら、大パニックだ。
そんなことを考えていると、スマホが振動した。
《あと100mで目的地周辺です》
やっとか。正直、かなり疲れている。
そう思って顔を上げた瞬間、
目の前の光景に、言葉を失った。
景色が歪んでいる。
いや、景色というより、空間そのものが――
次の瞬間、視界が白く反転した。
床が消え、身体が宙に投げ出される。
落ちたスマホの画面には、
先ほどのニュースの下に、新たな速報が表示されていた。
《日本各地で失踪事件が発生。海外で起こっている失踪事件と関係が――》
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます