えっせいと、考える。『獅子舞』

サカモト

獅子舞を想いで考える。

 獅子舞を想いで考える。

 お正月のお祝いに、獅子舞が来る。ただ、奴の接近を許すと、噛まれることがある。そう、噛んでくる。正月に噛んで来る。やあやあ、明けましておめでとう、今年もよろしくねえ、はっはっは、と、ゆだんしているところを噛んで来る。そして、彼に噛まれると、ラッキーになると言われている。噛まれのことが、むしろ、君の生き様にプラスになるよ、という設定のもとに噛んでくる。

 噛まれると、良いことがある、という設定は、いったい、いつ、だれが決めたのだろうか。などと、そこを問いただすことはしない。そこを攻め込むのは、きっと、相手の思うツボだった。まあね、素人は、そこを攻めガチだよね、やっぱさあ、わかりやすいからさ、ね、と、やっこさんに、陰湿な返しする機会を与えさせる気はない。そんなチャンスを与えない人間でいたい。

 もとの話に立ち戻って考えるに、この銀河系に、噛まれると良いされる存在は獅子舞以外いるのだろうか。いや、いるかもしれない、信じる心は大事なので、捨てないでいてほしい、いつまでも、そんなあなたであって欲しい。そんな願望もある。ここで、ふたたび、もとの話に立ち戻って考えるに、そもそも、噛まれると良くなるとはなんだろう。獅子舞側の視点で推測したとして、たとえば、そう。

 そう、たとえば。

 噛んだ相手が獅子舞になるならどうだろうか。噛めば噛むほど、同種が増加する。獅子舞が増えれば増えるほど、獅子舞という種の保存確率があがる。獅子舞が人以外の生物を噛んでいることは見たことがないので、きっと、獅子舞が噛んで、獅子舞を増やすためには、素体としてのホモサピエンスが必要と考える。

 あるいは、食料として、噛んでいるのか。

 いや、もしくは、獅子舞が、むかし間違えて、そこそこ偉い人を噛んでしまい、その失敗を強引に誤魔化すため、えへへ、獅子舞に噛まれてーのはぁ、良いことなんですぜ、と咄嗟に出した虚言式の弁護が、ぼんやりと現代に言い伝わって来た可能性を捨てきれない。

 そんな、捨てきれない想いが、彼を噛ませているのかもしれない。

 昔のいい想い出に、よりかかって、いまなお生き続ける。

 その気持ちはわかる。

 君にも、いつかわかるさ。

 だから、君もいずれ、センチメンタル獅子舞。

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