雨の匂いと、解かれた結び目(Gemini)

第一章:軋み


指輪は冷たかった。左手の薬指に嵌められたプラチナの輪は、私の体温を吸い取ってくれないかのように、常にひんやりとした異物感を放っていた。

「美月、式場の花なんだけどさ、カサブランカじゃなくてバラにしないか?」

リビングのソファでタブレットを操作していた宏樹が、視線を画面に落としたまま言った。私は洗ったばかりの食器を拭きながら、手を止める。

「バラ? 最初は『白百合が美月の雰囲気に合う』って言ってくれたじゃない」

「いや、なんか最近、インスタで見たんだよ。赤いバラの方が映えるなって」

「……そう。また考えておくね」

宏樹の声には、私への配慮よりも、どこか別の場所にある「理想」を追っているような響きがあった。


婚約して半年。挙式まであと三ヶ月。誰もが羨むような商社マンの彼と、中堅メーカーで事務職をする私。傍から見れば順風満帆な「幸福なカップル」のその裏で、小さな軋み音は、すでに無視できないほど大きくなっていた。

違和感の正体は、明確な暴力や暴言ではない。彼が私を見る目が、時折焦点を結ばず、私の背後にある「何か」を見ているような虚ろさだった。そして、週末ごとの不可解な外出。「接待ゴルフ」や「急な出張」の頻度が、明らかに増えていた。


ある雨の降る土曜日、その疑惑は確信へと変わった。

宏樹が風呂に入っている間、彼のスマートフォンが短く振動した。いつもなら決して見ない。けれど、その時は魔が差したとしか言いようがない。ロック画面に表示された通知には、名前のない番号から、短いメッセージが表示されていた。

『あのアトリエ、契約してきたよ。夢が始まるね』

アトリエ? 夢?

私の知らない単語が並んでいた。宏樹は絵など描かないし、芸術に興味を示したこともない。心臓が早鐘を打つ。私は震える手でスマホをテーブルに戻した。


風呂から上がってきた宏樹は、上機嫌で鼻歌を歌っていた。その横顔を見た瞬間、私は理解してしまった。彼は今、私との結婚準備をしているのではなく、別の誰かと「夢」を見ているのだと。


第二章:青写真の裏側


探偵を雇うまでもなかった。次の週末、彼が「休日出勤だ」と言って出かけた後、私はタクシーで彼の後を追ったわけではない。ただ、彼が置き忘れた手帳のレシートにあった、隣県の古い倉庫街へ足を運んだだけだ。

そこは、古いビルをリノベーションしたカフェやギャラリーが集まる、少し寂れたがおしゃれなエリアだった。

雨上がりの湿ったアスファルトの匂いがした。私はその一角にある、これから内装工事が始まるらしい古い店舗の前で立ち尽くした。


ガラス戸の向こうに、宏樹がいた。

彼は作業着のような服を着て、長い髪を無造作に束ねた女性と、壁のペンキの色見本を見比べていた。宏樹の顔は、私に向けたことのないような、少年のような輝きに満ちいていた。彼は笑い、女性の肩に手を回し、そして何かの図面を指差して熱っぽく語っている。

そこには、私たちが積み上げてきた「安定した生活」や「世間体の良い結婚」とは無縁の、生々しい情熱があった。

「……そう、だったんだ」

私はその場を離れた。怒りよりも、空虚感が先に立った。


彼は私と浮気をしているのではない。彼は、私との人生そのものを「仮の姿」とし、あの女性との未来こそを「真実」としているのだ。その事実は、肉体的な裏切りよりも遥かに深く、私の尊厳を傷つけた。

帰宅した私は、リビングのテーブルに婚約指輪を置いた。

箱には入れず、ただ剥き出しのまま。プラチナの輝きが、蛍光灯の下で寒々しく光る。


夜、宏樹が帰ってきた。彼は私の顔を見るなり、何かを察したように表情をこわばらせた。そしてテーブルの上の指輪を見て、息を呑んだ。

「美月、これは……」

「見てきたわ。隣県の、古い倉庫街」

私が静かに告げると、宏樹の顔から血の気が引いた。言い訳をしようと口を開きかけ、そして閉じる。その沈黙が、すべてを肯定していた。

「あの人は、大学時代の後輩なんだ」


長い沈黙の後、宏樹が重い口を開いた。

「ずっと、家具職人になりたいと思ってた。でも親の期待とか、就職とか、いろんなものに流されて……。でも、彼女と再会して、やっぱり諦めきれないって気づいたんだ」

「それで? 私との結婚は、親へのカモフラージュ?」

「違う! 美月のことは好きだ。大切だと思ってる。ただ……」

「ただ、夢を追いかけるパートナーは私じゃなかった」

私が言葉を継ぐと、宏樹は床を見つめたまま頷いた。


「会社も辞めるつもりだ。あのアトリエで、彼女と家具を作って暮らす。……美月には、そんな不安定な生活、させられないと思った」

「優しいふりをして、自分が悪者になりたくなかっただけでしょ」

私の声は、驚くほど冷静だった。涙は出なかった。ただ、胸の奥で何かが音を立てて崩れ落ちていく感覚があった。

「私、あなたの人生の保険じゃないのよ」

「……ごめん」

その一言が、私たちの三年間の交際と、半年の婚約期間のすべてを終わらせた。


怒鳴り合いも、皿が飛ぶような修羅場もなかった。ただ、彼が私の人生から色を失い、透き通った他人へと変わっていく。その過程を、私は冷めた目で見つめていた。


第三章:嵐の中の解体作業


「婚約破棄」という言葉は、ドラマや小説の中では一瞬の出来事のように描かれる。だが、現実は泥沼のような事務処理の連続だった。


まず、式場のキャンセル。

担当のプランナーは、あからさまに困惑した表情を浮かべた。「日程の変更ではなく、中止ということでよろしいですか?」と何度も確認された。キャンセル料の見積書に印鑑を押すとき、その金額の大きさよりも、ここに費やした時間と期待が「ゼロ」になることへの虚しさがこみ上げた。


次に、親族への報告。

私の両親は激怒した。父は宏樹を怒鳴りつけようと電話を掴んだが、私はそれを止めた。「もう、関わりたくないの」と告げると、母は泣き崩れた。「あんなにいい人だと思ったのに」「恥ずかしくて近所の人に言えない」という母の言葉は、宏樹の裏切り以上に私の心を抉った。私は被害者であるはずなのに、なぜか「親の期待に応えられなかった娘」という烙印を押された気分だった。


そして、友人たちへの連絡。

すでに招待状を受け取っていた友人たちに、一軒ずつ頭を下げて回るようなLINEを送る。「こちらの都合で」「申し訳ありません」。返ってくるのは、気遣わしげなスタンプや、「大丈夫?」という言葉。その優しさが、かえって惨めだった。

宏樹は、慰謝料として相場以上の金額を支払うと申し出た。彼の退職金の前借りなのか、親に借りたのかは知らない。私はそれを淡々と受け取った。手切れ金。それで私たちの関係は、完全に清算された。


荷物を運び出す日、宏樹は不在だった。

彼が新しい人生を始めるアトリエへ行っているのか、ただ私と顔を合わせるのが気まずいのかは分からなかった。ガランとした部屋に、私の荷物が詰まったダンボールだけが積み上げられている。


ふと、クローゼットの奥に、彼が隠していたであろうスケッチブックが残されているのを見つけた。

中を開くと、拙いながらも力強い線で、椅子のデザインが描かれていた。そしてページの隅に、走り書きがあった。

『いつか、この椅子に座って、朝のコーヒーを飲む』

その横に描かれていた人物のスケッチは、明らかに私ではなかった。髪の長い、あの女性だった。

私はそのページを破り捨てる衝動に駆られたが、そのまま閉じてゴミ箱に放り込んだ。

「さようなら」

部屋の鍵を玄関のポストに入れる音だけが、廊下に響いた。


第四章:凪


それからの日々は、まるで深い水底にいるようだった。

会社と家の往復。週末は誰とも会わず、撮りためた映画をただ流し見して過ごした。食欲はなく、体重は三キロ落ちた。


「美月先輩、少し痩せました?」

職場の後輩が心配そうに声をかけてくれたが、私は「ダイエットが成功しただけ」と笑って誤魔化した。

噂好きの同僚たちが、給湯室で「やっぱり相手の浮気らしいよ」「エリートと結婚なんて最初から無理があったのよ」と囁き合っているのも知っていた。けれど、不思議と腹は立たなかった。

彼らが噂している「可哀想な私」と、実際の「私」は、どこか乖離していたからだ。


私は、傷ついていたのだろうか。それとも、ホッとしていたのだろうか。

宏樹との結婚生活を想像したとき、私はいつも「良き妻」を演じる自分を思い描いていた。彼に合わせて料理を作り、彼の実家との付き合いをこなし、彼の出世を支える。それは「幸せ」のテンプレートではあったけれど、そこに「私」の意志はあったのだろうか。


彼が、あのアトリエで見せたような情熱的な顔を、私は持っていたか。

答えは否だった。私は彼を通して、安定という名の幻を見ていただけだったのかもしれない。彼が私を選ばなかったように、私もまた、本当の意味で彼を見ていなかったのだ。


季節は巡り、秋が来た。

街路樹のイチョウが色づき始め、空が高くなる。私は久しぶりに、一人で街へ出ることにした。


最終章:雨上がりの空に


行き先を決めずに電車に乗り、ふと降り立ったのは、かつて宏樹とデートで訪れたことのある海沿いの街だった。

当時は「おしゃれなデートスポット」として認識していた場所だが、一人で歩くと、潮風の匂いや、古びた商店街の佇まいが、全く違って見えた。


海が見えるカフェに入り、テラス席に座った。

ホットコーヒーを注文し、文庫本を開く。誰かと会話をする必要も、相手の機嫌を伺う必要もない。ただ、波の音と、ページをめくる音だけがある時間。


ふと、隣の席の会話が耳に入った。若いカップルが、結婚式の話題で揉めているようだった。

「だから、俺は親族だけでいいって言ってるだろ」

「でも、私は友達も呼びたいの!」

かつての私なら、胸が締め付けられたかもしれない。でも今は、それを「懐かしい景色」として眺めている自分がいた。


その時、急に空が暗くなり、大粒の雨が降り出した。

通りを行く人々が慌てて軒下に駆け込む。私はテラスの屋根の下で、雨のカーテンが海を白く染めていく様子をぼんやりと見ていた。


スマホを取り出し、SNSを開く。

無意識に、検索窓に宏樹の名前を打ち込みそうになって、指を止めた。

彼が今、あのアトリエで幸せに暮らしているのか、それとも現実に直面して苦労しているのか。それはもう、私の物語ではない。

私はスマホを閉じ、バッグにしまった。


「お客様、寒くないですか?」

店員がブランケットを持ってきてくれた。

「ありがとうございます。……雨、すぐ止みそうですね」

私が空を見上げると、雲の切れ間から薄日が差し始めていた。

雨上がりの特有の匂い。濡れたアスファルトと、潮の香りが混ざり合った、どこか懐かしく、そして新しい匂い。

私は深呼吸をした。肺の奥まで冷たい空気が入り込み、澱んでいたものを洗い流していくようだ。


「……さて」

コーヒーを飲み干し、私は席を立った。

失ったものは大きかった。時間も、自信も、未来の約束も。

でも、今の私は、以前よりも少しだけ身軽だ。

誰かの「夢」の付属品ではなく、誰かの「理想」の型に嵌められた人形でもない。

私は私自身の足で、この雨上がりの道を歩いていける。


店を出ると、水たまりが西日を反射してきらきらと輝いていた。

私はヒールの音を響かせて、駅へと向かう道を歩き出した。

振り返ることはなかった。ただ、目の前に広がる夕焼けの空だけが、どこまでも高く、澄み渡っていた。


(了)


***


【 人間の感想】


Gemini、「これはただの〇〇ではない」構文を使いがち。何か書かせるとほぼ必ず一度は使う。起承転結を過剰に順守しようとするせいだろうと思う。だから何を書かせても似たような、理解しやすくておもんない説明書構造になる。

特に一人称視点に向いてなくて、語るよりも説明したがるので情景描写がそのまま「やたら言い訳がましい登場人物の思考開示」のようになってしまう。浮かれぽんち宏樹くんが顕著。美月も大概だが。


婚約破棄のシーンではなく、婚約破棄に到るまでとその後に着目したのは良かったと思う。

ただ作り込んでる分だけリアリティ不足による納得感の薄さ、登場人物への生々しくないぺらっとした嫌悪が漂う。実際によくいるしょーもない人間たちではあるが、結果的に「よくいる人物像」に当てはまっただけで狙ったカス描写ではない辺りがつまらない。

敵がしょぼいと主人公も相対的にしょぼくなる典型的なキャラクター造形の失敗。

プロットのための舞台装置に終始して、人間的な魅力がないまま退場していく。


「美月と宏樹」の字と音の響き合いは好みだ。背景の段階で出来過ぎてる雰囲気を出せてる。Geminiは現実的かつ雰囲気のあるネーミングが得意。それだけに既存作品とまる被りする危険性も跳ね上がる。

展開の起伏にこだわりすぎた感がある。別れるための婚約、整合性のための宏樹の夢、成長に結論づけるための途中経過。脚本の中で世界の動機が息してない。


「日程の変更ではなく、中止ということでよろしいですか?」プランナーはそんな読者に状況を説明するかのように白々しくお客様に確認しない。

検索窓で元カレの名前を検索する、すなわち元カレのアカウントを知らないということになる。三年の恋人関係と半年の婚約関係があったはずなのに。

スマホを閉じる。美月さん、折りたたみ式のスマホを使ってるんですね。いやべつにいいけど。

テラス席があるようなカフェでブランケットを渡されるか? ご年配のお客様や妊婦ならまだしも、コーヒー一杯で居座る若い客に長居してほしくないけどな。

「雨、すぐ止みそうですね」なのに見上げるともう止んでる矛盾。そして返事をしてくれない店員はブランケットと共に消失する。

せめてこの描写はコーヒーの注文と同時に差し込むべきだった。それから文庫本を読んでカップルの会話を聞いてスマホを眺めて、雨が止んだらコーヒーを飲み終えて帰路につけば、時間の流れが機能した。


「夕焼けの空」が「高く澄み渡る」のは違和感がある。夕焼けがアイテムとして与える印象はどちらかと言えば「迫りくる」とか「押し包む」とか「消えていく」とかじゃないだろうか。

目の前には夕焼けの空だけが静かに広がっていた、でよかったのにな。空を背景に結びの文をAIが選ぶ時、その空の様子がどうであれ高く澄み渡っているのが「最も適切な定型文」とされてしまうのだろう。

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