第4話 悪魔、天使に同情する

 知恵の実とは、父なる神から飽食を禁じられていたエデンの園の樹木にみのるとされる、リンゴのごとき赤い水菓子である。

 宗教上、タブーな果実ではなかろうか。


「それって、禁忌なんじゃ……」


 珍味なるこの果実、一口でもかじれば、人間と同じように奸智がはたらく。デビルが食べれば、術数に長けよう。ともすれば、知恵の実ひとつをひったくるに、ヘゲンナとエデンの情勢に変色をきたすことができるやもしれぬ。

 マヌケな天使にとっては渾身の策略だろうが、悪魔にしてみればまたとないおいしい商売である。


 だが、悪魔は律儀にもその交渉をことわった。

 マヌケな天使があまりにもマヌケであるので、かえってその不憫性を拝察してしまったのだ。


「うーん、じゃあやっぱりボクに憑く?」


 すると、天使は「人の子に憑かざるべし。われに宿やどれ」と婉曲的に示唆する。人間を守護せむとして我が身を呈するところは、やはり父なる神のパシリにして正義の味方たる天使である。

 しかしながら、悪魔に天使を抱く趣味はない。


「すまんが天使さん、それはあんまり気が進まないんだよね……!オレ、人の子がいいな……!」


 聖なる天使に邪なる悪魔が関与するのは禁断であはあるが、そもそも平気でヤハウェを売るような天使なんぞろくな使者ではない。とはいえ、罠に引っ掛かったままのマヌケな天使を放置して白骨化させるにも、ほんのりと良心の呵責にさいなまれて気が引ける。

 さようにして悪魔が天使の前途を案じているにもかかわらず、エンジェルの分際がその無駄骨を折るかのように「まじダルい」としんねりむっつりご機嫌を損なってしまわれた。このような局面で可及的速やかに囚われの天使を解き放ってはばたかせてやらねば、こやつ、父なる神にいったいいかなる告げ口を申し述べるやらわからぬ。悪魔も悪魔なりに、ヤハウェから見下ろされたみずからの体裁をつくづく気にしているらしい。


 とうとう、なんだかんだ言いつつも契約云々はあとまわしにして、あわれな天使をトラップから解放してあげた心の優しい悪魔であった。

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