4.逆マリー・アントワネット

 ハルキの家は超がつくほど貧乏だった。

 貧乏な上に弟妹の数も多く、父親もいないためハルキは同級生と同等の娯楽を楽しむことは難しい。

 それでも周りが騒いでいれば気になるし、少しでも会話に参加できたらと図書館に行って異世界ファンタジーの定番中の定番、中世の本を借りてみたこともある。


「わかりやすい 中世ヨーロッパ解剖図鑑」


 惜しむらくは、最初に接してしまった情報がそれであったためハルキは「本当の異世界ファンタジー」の世界観を知らないということだろう。

 異世界ファンタジーの世界は、中世より近世に近く、もっと華やかで楽しいことがたくさんある。

 図鑑だからなんとなく全体がわかりやすいかとそんな本を眺めてみたのが間違いだったことに彼はいまだ持って気づいていない。


 しかし誰がその知識が役立つ日が来ると思っただろうか。

 否、役立つかどうかは不明だ。

 多くの日本人は、その時代について正しく知っていても知らなくても即日「帰りたい」と思うであろうから。

 役立つとすればハルキが貧乏であるがゆえに培ってきた生活の知恵の方であろう。

 しかし知恵はあっても乗り越えられないものも世の中に多いことも忘れてはならない。


 世界は無情だ。


「いやだーーーー!! 帰りたい!!!」

「どこへ帰るというのです。王様!」

「ハルキウス様のお城はここですよ!!」

「ここは違う! 絶対違う! 俺は寝巻を取りに来ただけであってこんなカオスな空間は知らない!」

「ここは王様のガルデローブでございます。王様の服だけが収められたクローゼットですよ!?」


 明かりの乏しい廊下にはハルキの絶叫が響き渡っている。わがままをいう子供のようにたしなめる侍従長のベアトリクスと、なだめるコレットに引き止められながら、彼女ら二人が女性であることもあってギリギリのところでハルキは踏みとどまっている。

 あたりはアンモニアのような臭気が漂っていた。


「だからわたくしが持ってくると言ったのです!」

「ハルキウス様……このようなことまで忘れてしまったのですね……私、力になりますからなんでもおっしゃってください!」


 ベアトリクスもコレットも献身的といえば献身的な発言で、しっかりとハルキの服を掴みながらその部屋に引き戻そうとする。


「やめて、くさい!!」

「当前です。この刺激臭で王様の服を害虫から守っているのですから」


 その部屋はガルデローブ。

 意味は「ガルデ(守る)」「ローブ(貴族服)」であり、貴族や王族のために設けられる特別な部屋なのだと言った。


「特別すぎてダメ! もっと庶民的なやつで!」

「王様のお洋服は庶民のものとは違うのです。高価なものをお守りするのは当然でしょう」


 ベアトリクスの正論。さすがに言っていることが常識すぎてハルキは、うっと言葉に詰まりながら振り返る。

 たくさんの服が吊られるさまはたしかにウォークインクローゼットだ。

 しかし彼女の肩越しには至極シンプルな木の椅子が見える。

 一人掛けの椅子。しかし座面には大きな穴が開いていて、この部屋に漂う刺激臭もあいまりそこに座って何をするのかは一目瞭然だった。


 トイレである。

 ガルデローブは、高価な服をアンモニアで防虫するトイレ兼クローゼットなのである。

 言っていることは良心的だが、想像の斜め上どころでなく成層圏を突き破るくらいの勢いでハルキの常識……というか現代日本、否。おそらく飛鳥時代あたりの過去も含めた日本人の常識を超えるであろう代物だった。


 文化の壁が、高すぎる。


「もうこの話は明日にしよう……他のトイレはどこに……?」


 用を足したくなった時のことを考えて、念のため聞いておく。

 こちらの発した単語は適宜、相手に伝わる意味の同じ単語になるようなので敢えてトイレと言う。


「2階と3階はすべてガルデローブでございます。使用人用は別でございます。専用の部屋はございません」


 ……。そう、なんかこう、おまる的な何かなんだろうな。

 ベアトリクスも妙齢とはいえ女性なのでそれ以上は聞かないことにする。

 一階にはふつうのがあるはずなので、催したら全力で一階に降りることにしよう。先に聞いておいてよかった。


 ハルキは心底そう思った。


「コレット、記憶のない俺からのお願いだ。聞いてくれるか?」

「……はい! 何でも言ってください!」


 王様に対して見習いともいえるちょっと雑な言葉遣いをコレットはするが、許されていたのだろう。

 嬉しそうに明るいチェリーピンクの髪を揺らして笑うコレットに、礼儀作法に厳しそうなベアトリクスは表情を崩さない。


「ベアトリクスもだ。俺を助けてくれないか」

「もちろんでございます。何をお望みでございますか?」


 確約を事前に取っておいてからハルキは真剣そのものの表情で二人に言い渡した。


「明日、この部屋の服をすべて一度干してくれ。そして、俺の部屋のワラを取り除く。それから、改めて城の中を案内してほしい」


 ハルキは悟ったのだ。

 ここでもっとも先にすべきこと。

 それは、身の回りの掃除であると。



 不潔であることは絶対に許せない。日本人として、貧乏人として。

 貧乏は敵ではない。敵は病と工夫を忘れる怠惰なのである。


 お金がないなら雑草食べればいいじゃない。


 常々培ってきた逆マリーアントワネットの心意気に、火が付いた瞬間だった。

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