バ先のお姉さんに食事を奢られる
「スーパーは初めてなので戸惑うことが多いですね」
飲食店は多くの学生が経験してることだろう。スーパーの場合は学生バイトは少ないと思う。時間的制約とかコンスタントに入れない。結果売り場で担当を持つこともできないからな。せいぜいが俺のように補充なんかの雑用程度だ。
女性だと家計の足しにとかでパート勤めはあるだろう。多くは既婚者ってことで。
そうなると佐々江さんも同じか。すでに相手が居て家庭がある。
いいのか、家庭を持つ人が男と食事なんて。
「このサバ、脂が乗って美味しいですよ」
佐々江さんがオーダーしたのはサバの味噌煮定食。脂乗りの良いサバのようで。青魚の脂は体にいいものが多いとか。どうでもいいんだが。
俺が頼んだのはチキンの炭火焼き定食だ。この店では比較的安価な定食だからな。千円越えだと少し遠慮してしまうわけで。奢りってことだし。
箸で身を解し上品に口に運ぶ佐々江さんが居る。綺麗な食事の仕方をしてるんだよ。
「あの」
「なんですか?」
「食べ方綺麗ですね」
あ、照れてる。はにかむ感じの笑顔で「もう」なんて言ってるし。
「そんなことないです」
ここで、いやいや綺麗な食べ方、なんて言う気はない。肯定も否定もしないのだ。
でも食べ方を褒めて照れるのか。俺の食べ方はお世辞にも綺麗とは言い難い。一人ならがっつく感じになるからな。今日は向かいに女性が居るってことで、少しだけ格好つけてはいるが。
「このチキンもちょっと薄味ですが、柔らかくて美味しいですね」
「濃い目の味が好きなんですか?」
「あ、えっと。そうですね」
実を言えば醤油をプラスしたいと思っていた。やらないけどな。なんか品が無いと思うから。
軽い会話をしながらも食事を終えると、回転率が重要な定食屋だ。いつまでも寛がずさっさと店を出る。会計は佐々江さんがカードで済ませたようで。コード決済じゃないのか。
外に出ると「少し寒いですね」と言う佐々江さんだ。
「今日は冷え込むみたいですよ」
互いの吐く息が少しだけ白くなる。来る時は人一人分の距離があった。店を出ると半分くらいの距離になってる。恋人なら接触しそうな距離になるのだろう。だが恋人でも何でもないから体半分程度なのだ。
上目遣いで俺を見て「帰ったらお風呂で温まらないと」なんて言ってる。すぐに俯き加減になるけどね。なんでだか知らんけど。
さて、俺は徒歩で自宅に帰るが、佐々江さんの通勤手段は知らない。
聞いても良いのかどうか。
「あの、佐々江さんは」
「歩いて帰りますよ」
「えっと」
「わりと近所ですから」
そうなると方向だが。
「俺はあっちです」
「奇遇ですね。私もですよ」
途中までは同じコースになるようだ。ラッキーとか思えばいいのか?
「じゃあ途中まで一緒に」
歩き始めると付かず離れずの距離感。体半分程度の隙間はある。歩幅は普通に歩くと俺の方が広いから、あえて合わせるようにゆっくり歩く。街灯や家の明かりはあっても薄暗い夜道だ。女性が一人で歩いてると物騒かもしれない。誰かと一緒なら心強いとかあるのかも。
ああでも、なんかいいよな。女性と並んで歩くのって。こっちに出てきてからは彼女もできずだったし。作る気も無かったのはあるが、まず先立つものが乏しくてな。
「本園さん。お付き合いしてる人って居ますか?」
「え、あ、いや居ません」
「そうなのですね。居ると思ってました」
なぜ?
「優しいですし態度も紳士的ですし」
それは職場だからで。業務の一環と考えたら、ぞんざいな扱いはできないでしょ。
今は奢ってもらったからってのもあるし。
「そんな風に言われたのは初めてですね」
「そうですか?」
「俺、結構ガサツなんで」
俺を見て微笑む佐々江さんが居る。笑顔がいいなあ。あ、駄目だ。既婚者かもしれないのだから。
「あの、なんでスーパーでパートをしようと」
微笑みが消えるけど、ぼそぼそと話し始めてる。
「ちょっと、いろいろ疲れてしまって」
なんか複雑そうな背景があったりして。ちょっとデリカシーがなかったか。
「大学を卒業後、就職したのですが」
人間関係が面倒な職場だったらしい。気疲れすることが多く徐々に精神的に参ってしまったと。あれか、お局様が居て嫌味たらたらだったとか。
一年間は耐えてきたが、ある日、友人から何があったのか問われたそうだ。
「心配されました」
悩みがあるなら相談してと言われたが、その場では強がって見せたそうで。
職場には様々な人が居る。合う合わないはあっても、業務を円滑に遂行するためには、飲み込んで周りに合わせる必要がある。ゆえに自分が変われば良いとしたが。
しかし結局は職場に馴染めず退職し、暫くは静養を兼ねて実家に帰省していたらしい。
ちょっと俺には重い話題だな。お気楽な学生とは違う。
「今は大丈夫ですよ」
また笑顔を見せ「本園さんが親切でしたから」って、俺が?
自宅アパートが目前に迫る。
「あの、俺、すぐそこなんで」
「私は少し先になりますから」
「えっと、今日はごちそうさまでした」
「はい。また機会があればご一緒しましょう」
互いに頭を下げアパートの前で別れた。一応見えなくなるまで見送ってみたけど。
職場であるスーパーでは会う機会はほとんどない。階が違うってのもあるし。俺の場合は短時間ってことで休憩もないからな。
暫くは互いに顔を見ることもなく、日々の業務に追われるだけ。
二月も下旬の頃。
従業員口で荷物チェックを受けていると、後ろから声が掛かった。聞き覚えのある声だ。ちょっと胸がときめいたぞ。
「本園さん。お仕事終わりですか?」
「あ、はい」
「でしたら今日、どうですか?」
誘われてるようだ。ここは誘いに乗るのが正しい選択なのだろう。
「じゃあ今日は俺が奢りますよ」
代わりに俺が好きな店に行く、としたけど。
笑みを浮かべながら「学生さんは素直に大人に奢られておきなさい」だって。
「行きたいお店があるのでしたら付き合いますから」
なんか敵わないなあ。
従業員口を出て「何でも言ってくださいね」と言われても。俺の腹はラーメン一択になってるし。しかも濃厚スープに極太麺だ。ヤサイ、アブラ、ニンニク増し増しでカラメが定番。食べ終えると体中からニンニク臭が漂うぞ。なのに定期的に食べたくなるから困ったものだ。
上品さのある佐々江さんには似合わない気がする。
「えっと、ラーメンなんですが」
「好きですよ。寒いので丁度良いですね」
仕方ない。女性でも気軽に入れる店にしよう。がっつり系は次回ってことで。
「あの、じゃあ味噌ラーメンで美味しい店があるんで」
「本園さんおすすめのお店なのですね」
「あ、いや。口コミでも評価が高いんです」
笑ってるし。
自宅方向とは逆になるが佐々江さんと並んで歩き始める。
「本園さん。休日は何をされてるのですか?」
休みは半日は寝て過ごし、腹が減るとコンビニに行って弁当だな。飯食って退屈すると友人を呼び出して繁華街をぶらぶら。なんかつまんない青春を送ってんなあ。
彼女でも居ればデートしてるんだろうけど。金が幾らあっても足りそうにない。
「暇を持て余してます」
「学生ですよね」
「そうです」
「友だちと遊びに行かないのですか?」
退屈してきたら呼び出して予定がなければと言っておく。
「私は美術館巡りが好きです」
高尚な趣味をお持ちで。
「えっと、誰か好きな画家とか居るんですか?」
「ユトリロや佐伯祐三が好きですね」
わからん。ユトリロは名前くらいは知ってるけどな。
「じゃあ休日は美術館に入り浸りとかですか」
「そうでもないです。家事は欠かせないので」
家庭的だなあ。これは既婚者で間違いないと思う。
話をしているとラーメン屋に到着。店に入ると端末があり人数を入れて暫し待つ。晩飯の時間だからか少し混雑してる。
先に説明しておこう。
「味噌ラーメン専門店で五種類の味噌から選べますよ」
「知ってはいたのですが入ったことはなかったですね」
「俺のおすすめは北海道味噌です」
「ではおすすめに従いますね」
従っちゃうんだ。まあお勧めはしたけど。
暫し待つと席に案内されタブレットでオーダーしておく。
「何度も来てるのですか?」
「まだ三回くらいですけど」
「手慣れているので常連かと思いました」
そう言って微笑む佐々江さんだ。
店内を見回すと「活気がありますね」だって。
次の更新予定
2025年12月21日 20:12
なんだか気になるバ先のお姉さん 鎔ゆう @Birman
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