歌姫のつくりかた

底深周到

歌姫のつくりかた

 とある国で、少年兵が人を殺した。

 それを上官が褒めてくれて、こっそりと麻薬をくれた。少年兵は一人、キャンプのほとりでそれを眺める。紙なんて贅沢品はないから、近くの草をちぎってその上に乗せられていた。ふっ、と息を吹きかけたらすぐに吹き飛んでしまいそうだけれど、上官達は僕たちをいつもみている。せっかくの薬を無駄にしたな、と暴力を振るわれるのは分かっていた。


 上官は、かつて少年の学校を襲撃し、今の武装組織に入るよう脅した張本人だ。そんな人が今、まるで先生のように少年へ人の殺し方を教え、それを実践させている。

 少年は、〝政府軍〟で一番うつくしい声を持っていた。もちろん、その国にまともな政府はなかったけれど。


 他の村で先進国の事を聞いた少年の兄は、「シンガーになれるよ」と言った。シンガーってなに?と聞くと、歌を歌う人のことさ、と教えてくれた。少年は兄の腕を切り落とし、今対面しているのと同じような焚き火に放り投げた事を思い出す。


 鼻から吸引する麻薬は、少年の呼吸器へ確実に悪影響を及ぼして、きっと今の天使のような声も、普通の男の子が声変わりをしたそれよりも醜いものになってしまうだろう。

 満足な食事も得られないから、こうやって薬で空腹を誤魔化す。小さい子供には、空腹は成長への大きな障壁となってしまう。少年の背丈は一向に伸びない。


 肩下げのアサルトライフルに映る炎のパターンと、麻薬の鎮静作用が少年をぼーっとさせた。

 何もできなくなる前に、ラジオの電源をつける。

 〝政府軍〟の通信局のチャンネルに合わせると、何やら悲しげなピアノの音が聞こえてくる。もっとも、少年にはそれがピアノという楽器であるとは分からなかったが。

 歌い声が聞こえる。僕たちのことばとはまるで違う発音に、ついつい耳を傾けてしまった。兄が、この単語を教えてくれた。……ヘイワ?


 聞き慣れない言語による人の声は、まるで催眠術のように少年を奥深くへ誘う。

 少年は精神の広がりを感じた。肉体が肉体でしかない以上、そこにあるはずである限界を何次元にも飛び越えて、周りの——空気——主義——繋がり——力——といったものを感じた。




 私の歌で世界を救ってやる

 理屈なんていらない

 歌で世界は救える


 レコーディング終わり、午前2時半。私はぼーっと帰路を辿っていた。閑静な住宅街。

 その中のマンションの一つの共同玄関に入って、私の部屋までエレベータで上がる。安いのに防音がちゃんとしているからありがたい。

 やれ事故物件だいわくつきだ言うものの、住めば都なんてよく言ったもので、家賃に対して快適だ。歌唱の練習をしていても注意されることもないし、逆に近くの部屋の音が入ることもない。まさに歌手のためのマンションと言っても過言ではなかった。

 イヤホンをしたまま、キッチンに置いた食パン袋のゴム留めを開いて、パンを一枚取り出す。

 醤油瓶を冷蔵庫から取ってきて、そのまま一滴垂らす。これで私の晩ごはんが完成。

 食パン、今日は醤油を一滴添えて。

 これが私の食事の基本ルーティーン。事務所からのギャランティではこれが限度。後のお金は、基本的な生活費や英語や韓国語の対面教室の月謝やSNS向けの映える服装、化粧品にカメラマンへの報酬などに充てている。


 醤油の他にも七味やマヨネーズ、ちょっといい日はコンビニのサラダを乗せて食べる。でも、醤油は水道水でかさ増しできるから圧倒的にコスパがいい。

 これで十分。「Robauri」に近づくためなら、どんな苦難だって乗り越えてみせる、そう決めたから。

「私の歌が世界を救うなら」

 ソファに座って、イヤホン越しに流れてくる大人気シンガーソングライターRobauriの「器官オルガン」に合わせて鼻歌を続ける。いわゆるチャリティーソングで、災害被害のあった地域でよく演奏されていた。音楽は、歌は何かの救いになれる。

「きっとその歌は内臓まで染み渡る」

 人の声は世界を救える。Robauri……彼女はそう思わせてくれる。私の所属事務所はまだまだ知名度も低いけれど、いつかきっと、彼女と同じような大手事務所に入って、私の歌を世界に届けたい。目指すのはビルボードの一位じゃない。世界の不変的なナンバーワン。私の歌が平和の象徴となって、人々の心を救うんだ。

 そう思うと、不思議と空腹の体にも力が湧いてくる。音楽じゃ無くても、創作にはそんな力があるんだ。時々そんなことを思うと、なぜだか涙が出てしまいそうになる。

 

 薄く醤油の匂いが漂う、少し湿ったパンを頬張りながらSNSのフォロワーをチェックする。フォロー数300人ぐらい。フォロワー数500人程度。

 まあ、分かっている。昨今はやれショート動画だなんだで、若い歌手——と言っても、私も21歳なんだけれど——が数万フォロワーなんて当たり前の時代。そんな中で500人というのは、なんとも言えない感情が腹の底に溜まっていってしまうけど。劣等感、と最初は思っていたけれども、それは違う。音楽は人それぞれで、私の歌はまだ洗練されていないだけ。

 この惨めな気持ちは私自身への罰で、自業自得なんだ。

 スマホをソファに放り投げて、無心で食パンを食べる。電気代はもったいないから、テレビもエアコンもつけない。夏だから蒸し暑いけれど、それも我慢。

 食パンを食べ終わると、寝る前のストレッチとボイストレーニングを始める。声を出すのは、喉というよりはその周辺の筋肉と言ったほうが正しい。だから歳を重ねるごとに筋肉が衰えて、声にも変化が出る。歌う前に筋肉をほぐすのも、歌唱のコンディション調整には欠かせない。

 筋肉の強張りを翌日まで引き延ばせば、それが負債となり、積もり積もって歌手人生に影響を与えるかもしれない。

 ボイトレも終えて、就寝する。夢は見なかった。


 7時に起床して、朝食の食パンと入浴を済ませ、10時には事務所にいる必要がある。

「お疲れ様です〜!」

「ユリちゃんお疲れ。昨日のレコーディング行けなくてごめんね〜。飲みがあってさ」

「とんでもないですよ、飲みだってプロデューサーの仕事じゃないですか」

 実際、プロデューサーはただアーティストの管理をするわけじゃない。

 アーティストを売り出すためにレコード会社やコンサートプロモーターとの関係を構築、維持して、アーティストを売り出すための営業もあって……と、かなり多忙な役職だ。

「まあそうだけどね。実は今度、ライブイベントをやるらしいんだけど、ちょうど空きができたみたいさ。ユリちゃんにちょうどいい企画だったし受けてきたんだけど、どうかな?」

「ほんとですか!嬉しいです。もちろん参加したいですよ!」

 プロデューサーがいて、初めてアーティストが仕事を得て、お金を得られる。自分自身をプロデュースする人もいるけれど、その多くは大手事務所から独立したり、身近に相談できる相手が居たりする。そうでないと、一人ではこの業界は生き辛い。

 私といえば、今日はボイストレーニングやSNS投稿のための動画撮影、今後の売り出し方についての打ち合わせ、あとは作曲など。最近では歌手でも作曲をしたりする。Robauriだって、元は作曲家と組んだ二人組グループの一人だった。

 レコーディング自体はそう毎日やれるものではなくて、レコーディングスタジオのレンタルにはかなりの値段がかかる。綿密にスケジュール調整を行い、作曲家や私の作った曲を突き詰め、ようやくレコーディングに漕ぎ出せる。

 昨日の収録には代役の人が来たが、かなりいい加減な人だったせいでスムーズに進まず、現場の人たちを苛立たせてしまった。

「そうだ、今日の夜はうちにおいでよ」

 またか。嫌がる顔を表に出さないように、笑顔で応答する。

「わかりました」


 惨めだ。こういう日には、ストレッチもボイトレも忘れ、食パンには何もつけずに一口だけ食べる。

「なんでなんだろう」

 私が歌いたいのは、もっと、世界を平和にするようなことだった。でも、事務所の人たちが言うのはこうだった。

「最近はそういうの売れないしねぇ」

「Robauriがそんな感じだっけ?」

「でも、その面で行ってもねぇ」

 最終的に、私はデスメタル方面で売り出されることになった。

 別に、デスメタが悪いとは思わない。根強い人気があって、特にボーカリストには喉を痛めずグロウルを出す技術が求められる。イベントで一度見たことがあったが、正直かっこいいとも思った。

 でも、私がやりたいのはそれじゃない。


 私の歌で世界を救ってやる

 理屈なんていらない

 歌で世界は救える


「理屈なんていらない?」

 震えた笑いを含んだこの独り言は嘘だった。だって、Robauriだって理屈まみれのマーケティングの上に成り立っている存在でしょ。インタビューで、Robauriはいつも創作の持つ力を説いていた。

 私は世界でいちばんの歌手になりたい。でも、大手事務所と違って矮小なこの事務所だと、きちんとしたマーケティングは受けられない。それを受けるために大手事務所に行こうとしても、他の才能あるアーティストがその枠に居座っている。ありきたりな音楽で!

 手に持っていた食パンをちぎり、ちぎり、ちぎる。床に落ちた食パンが少し潰れていた。

「嘘つき!なんで私は、外国語まで勉強して、ご飯だって我慢して……」

 ソファから立ち上がって、寝室に入る。この時期はいつも蒸し暑いのに、なぜか今日は寒くて、布団を引っ張り出した。プロデューサーに突き立ててやろう、と思った護身用のカッターナイフを握りしめて、そのまま眠る。


 普段の化粧品は全て捨てた。ビジュアル面から全てやり直しになって、新しいものに変える必要があったからだ。そして最近、食事に誘われることが多くなった。あいつらは具体的には言わなかったけれど、私にはわかる。体力が必要となる激しい演奏や歌唱をするためには、食事から変えないといけない。

 言うなれば今の私は、フォアグラを作るために餌を詰め込まれる鳥だった。

 そんな日々が、半年ほど続いていた。


「ユリちゃん、もっと食べなよ」

「だ、大丈夫ですから」

 あはは、と笑いながら居酒屋のテーブルに乗ったサラダを突いている。肉とか油物は胃が受け付けなくて、サラダや米、軽いものばかり食べている。プロデューサーの笑顔の奥に、私を物としてしか認識していない脳みそが浮かんでいるのが見えた。

「にしても、デスメタルへの転向は成功だよ。SNSのフォロワーも伸び率が前よりもかなり高い。SEOも取り入れたおかげかな」

「私がここまで注目され始めたのも、プロデューサーのおかげですよ」

私の言葉に気をよくしたプロデューサーが「そりゃ、俺の仕事はアーティストが自分のやりたいことをして、世界に羽ばたけるようにする手伝いだからね」

 私のほんとうのことばは、ネット上どこを探しても、もう見つからなかった。

 最適化された検索エンジン対策は私のこころをネット上の片隅に追いやって、代わりにデスメタボーカル兼ギタリストとしての私を真実であると結論づけている。不思議なことに、真実というものは複数あるらしい。

 唯一の救いは、昔の私の方が良かった、と言ってくれる古参のファンたちの存在だった。とはいえ、その声に私は応じることもできず、だんだん古参は減っていった。

「そうですね、私のやりたいこと……」

 Robauriといえば、HIPHOPを取り入れた新たな楽曲で大バズり。今までの曲調からは考えられないほど愉快で、最先端のリズムパターンを繰り返していた。それには一種の催眠効果があって、若者達はみんなそのリズムが使われる曲を好んだ。

「にしても、ユリちゃんがまさか英語使えるとは思ってなかったよ。そう言ってくれれば、もっと早くいろんな方向で売り出せたのに」

 すっかり酒の入ったプロデューサーが私の肩を抱く。周りの事務所の人たちはそれを意図的に無視していた。


 私の歌で世界を救ってやる

 理屈なんていらない

 歌で世界は救える


 不思議なことに、この歌が私の頭に再度繰り返された。

 かつて、パンドーラーが開けた甕にはこの世全ての絶望が詰まっており、そこから世界には厄災が溢れるようになった。しかし、甕の底には希望があったという。

 多分、Robauriのこの歌は、私にとってのその希望だった。大丈夫、私はきっと、世界一の歌手になって、この世界を少しでも平和にできる。そう信じ込むための、私だけの避難所だった。

 その希望とやらは多分、見窄らしい姿をしていた。

「でもさぁ、希望だとか平和だとか、デスメタの方には向いてないんじゃないかなって」

 プロデューサーは続けて、「他ジャンルから引っ越してきた人に対して拒絶を感じる人も少なくないでしょ?そういう層にも刺さるようなものじゃないと。ユリちゃんもそういう曲を作ってほしんだけどね」

「えっ……でも、私、そういうのはやったことが……」と言いかけた私の声を遮って、「いやいや、何事もチャレンジだよ」

 店員が私の前に唐揚げを置いた。誰かが注文したのだろうそれは、しかし誰も手をつけなかった。

「ほら、食べないの?」

 箸でそれを摘んで、一口食べてみた。言うまでもなく、私の胃は逆流の合図をし始めた。


「職務上のストレスでしょうね」

 と医師は言った。私はただ、はぁ、とだけ伝えた。

友梨奈ゆりなさんは、いわゆる摂食障害の可能性があります。ただ、体型に対して何か強迫的な思考をしている、というわけでもないようですし……それに、後遺症といったものの心配はない程度ですね」

 私はレコーディング中、1時ぐらいにいきなり倒れたそうだ。医者の診断によると酷い貧血で、身体検査に問題はなかったから食事に原因があると考えていた。

 医者から普段の食生活を聞かれた時、私は嘘をつく気もなかった。

「食パンに、調味料をかけて食べています。七味とか、マヨネーズとか。醤油が一番いいんです。味も濃くて、水で薄められるので。あ、でも最近はポン酢とかですかね」

 生活に貧窮しているのか、とも聞かれたから、私はいいえと答える。音楽性の転向からフォロワー数とかの数字も伸びて、ギャラも上がった。決して多いとは言えないけれど、以前よりも良い音質のマイクも買えたし、生活には困っていない。

 とりあえず、点滴と病院食。それさえこなせば再び歌手活動に戻れる。入院中、SNSのフォロワーをずっと見ていた。私は、これだけの人数にしか届けられていないのだろうか。Robauriは数百万といるのに。


 病院食は全く受け付けなかった。スプーンで掬ってみたスープは泥水みたいで気持ち悪かったし、魚も味付けが濃すぎて、口に近づけるだけでもきつかった。あの味噌の臭い。でも、その骨は悪くない。

「友梨奈さん、お見舞いに来ました」

 ノックもなしに病室へ入ってきたのは、マネージャーだった。プロデューサーのような気軽さはなく、極めて事務的な人。基本的にはプロデューサーの決定を遂行するために動いていて、レコーディングの時にはスタジオの人とよく話しているのを見る。

「退院は3日後と聞いてますが、問題はなさそうですか?」

「はい、大丈夫です」

「また倒れてスケジュール進行に支障が出たら、それこそ事務所にとって痛手になります」

 わかっています、大丈夫です、と彼の言葉を聞き流す。私のこと、何もわかっていないくせに。所詮、事務所の備品としかみていないのだ、ああいう手合いは。 

 失礼しました、とマネージャーが退出する。病室のテレビには、Robauriの外国ライブのニュースが流れていた。

 最近、彼女が「器官オルガン」を歌っているのをみたことがない。というより、歌ってすらなかった。


 食パンが特別じゃなくなったのは、意外にもその翌日のことだった。

 病院食が美味しく感じられる。豚の味噌焼きは香ばしい味噌と油の匂いが食欲をそそり、デザートのみたらし団子にはほっぺたが落ちそうになってしまう。

「不思議ですね、専用のカウンセラーが必要になるケースが多いんですが」と、医師は首を傾げつつ、まぁ、健康が第一ですから、とマネージャーの言っていた期限までに退院はあっさり認められた。


 家に帰り、食パンの真ん中に醤油を垂らす。パンを横に折り、真ん中だけを食べた。

「美味しくない」

 近くのスーパーに走り込み、適当な食材を買ってくる。調理方法なんてわからないから、とりあえず切って、焼いてみる。「なんか違う?」

 病院のことを思い出す。そういえば、野菜炒めは味がついていた。フライパンに油を敷いてみて、今度はソースをかけてみた。

「近い、けど……」

 単純に自炊をしていなかったせいで、まだまだ調理はへたっぴだ。


「うーん、ユリちゃん、最近違う気がするな」

「え!どこら辺ですか?」

 レコーディング途中、プロデューサーが私の横に立つ。悩む時に右手を顎に当てるのは、彼の癖だった。

「毒がないっていうか……なんか、スタジオミュージシャンの演奏もユリちゃんの歌もデスメタルなのに、中身がクリーンになった感じ?」

 そう聞いて、私はつい笑ってしまう。「えー、そうですか?」

 やっぱり、歌は嘘をつかない。プロデューサーのことばで、さらにその確信を得た。憑き物が晴れた、というのだろうか。不思議と今までのあらゆる障壁が、まるで私を歓迎する友人のように思えた。


 私の歌で世界を救ってやる

 理屈なんていらない

 歌で世界は救える

 

 まるでこの曲が、まるで全ての世界を規定しているように思える。この歌詞がもし、


 私の歌で世界を呪ってやる

 理屈なんていらない

 歌で世界は呪える


 という歌詞で入力されたのなら、きっとこの世界は人が人を傷つける時代が続いていただろう、とそう思えた。


 歌には祈りがつきもの。赤ん坊が安らかに眠りにつけるように。狩猟がうまくいくように。神様が私たちを祝福してくれるように。

 そういう祈りが、きっと私が見出した歌の意味だった。きっと、これはRobauriも辿り着いた境地。今や彼女と私は、対面したことはないものの、ただ対面した人間よりもずっと深いところで共感し、互いを激励し、世界への共通認識を深め合っていた。

 今や、Robauriは私に話しかけることができる。

「友梨奈ちゃん、あなたの歌は、きっと世界を幸せにできる」

 その声に、ただ頷くしかない。

「あ、じゃあ次の録音に行くよ」

 プロデューサーがそう促し、スタジオを後にする。この後は別のスタジオで収録を行うことになっていた。高い利用料とスタジオの借りられる時間の長さとの相談で、こういったことがままある。

 移動用の車に乗り、運転するマネージャーの後ろの席でスマホを確認する。フォロー数100。フォロワー数5000。まだ足りない。でも、前の惨状を考えればこれはかなり良い調子だと言える。

 全てが上手くいく。この調子ならこの事務所ナンバーワンの歌手となり、大手事務所への移籍も視野に入る。そうすれば、Robauriのように世界へ羽ばたくことができる。もっと多くの人に認められ、私の歌が人々の間に流行していく。

 

 防音室は好きだ。雑音が外から入ってこないで、必要最低限の情報と、そこから作り出される私の声。

 ループバックから送られてくる音楽とメトロノーム、ガイドメロディに合わせて歌う。でも、デスメタルへの方向転換から、この部屋に送られてくる情報は私の求めるそれではなくなってしまった。

「次、サビ前4小節から行くよ」

 マネージャーの声に返事をして、死だとか悪魔を歌う。CDや配信に使う曲のデータは、歌の一箇所一箇所を何度も歌って、そこから一番良かったものを抽出して、繋ぎ合わせて完成する。私と私のパッチワーク。

「最近声よく出るようになったじゃん」

「ありがとうございます」

「その調子でラスト行こうか」

 楽譜をめくる。終止記号が目に入る。レコーディングも終わりに近づき、時計はおそらく一時半を指していた。

 伴奏はいよいよ、悲しげなピアノの旋律のみになった。世界を変える力を持つ悪魔に、悲しい声で祈りを捧げる。


 ああ、どうか平和を……

 

その時だった。ヘッドホンから流れてくるピアノの旋律、メトロノーム、ガイドメロディ……その中に、遠いどこかの光景が私の脳に流れてきた。

 家族を自ら殺し、銃を手に歩を進める少年の姿。メトロノーム特有の一定速度の音が、キャンプファイアーのパチ、パチと木が燃え、折れる音に置換される。ガイドメロディは、少年の美しい声によって既に歌われていた。火薬の臭い、切られた兄の腕が焼け焦げる臭い……


 私の歌で世界を救ってやる

 理屈なんていらない

 歌で世界は救える


 そのRobauriの声に同意し、私は防音室を飛び出す。スタジオの出口を出ると、後ろからプロデューサーの声が聞こえた。そのまま裏路地まで駆ける。深夜一時で、誰もいない通りを、私は世界に伝う歌のように走った。

 裏路地に入り、空を見上げる。プロデューサーが追いつき、私の肩に手を触れた。

 だから私は懐から護身用のカッターナイフを取り出して、プロデューサーの腹を思い切り刺す。痛みに呻き声をあげて、プロデューサーが一歩後ずさる。もう一回、もう一回刺す。刺して、刺して、刺す。そのリズムは、あのメトロノームと不協和だった。

「私、注目されるんですよ!上官が、ずっと私を見てるんです!」

 

 私の歌で世界を救ってやる

 理屈なんていらない

 歌で世界は救える

 

「私の歌が世界を変えられるって、証明してくださってありがとうございます!」

 友梨奈はプロデューサーの出血に満足すると、カッターを落としてどこかへ走り去った。まるで何か大きな力に操られたように、スタジオとは真逆の方向へ。

 プロデューサーはまだ血がどくどくと流れていて、ただ呻き声を上げるしかなかった。

 夏の夜空に、プロデューサーという役職らしく自らの血糊を晒していた。ほら、見てみろ。これが俺の血液。これが俺の所有物だ、と。

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