第1話

 ――出会いは、一ヶ月前に遡る。


 運命の歯車が回りだしたのは、文化祭の準備期間、とあるホームルームでのことだった。


 私の通う中学校は、キリシタン系の私立校だ。

 電車で二駅先に姉妹校があり、三年に一度、合同文化祭を開催するのが習わしになっている。


 そして今年が、まさにその開催年度だった。


 ホームルームの議題は、クラスの出し物について。

 黒板の前では、眼鏡をかけた真面目そうな文化祭実行委員が、声を張り上げている。


「というわけで、今回は向こうの学校での開催よ。ステージイベントのみ!」

「えー、じゃあ演劇?」

「練習とかだるくない? もっと楽なのできないの?」

「バンドとかは?」


 教室内は、やる気のある勢力と、楽をしたい勢力が入り乱れて喧々囂々だ。

 かくいう私は、後者の「どうでもいいから早く帰りたい派」

 放課後は毎日、弟を児童クラブへ迎えに行かなければならないのだ。早く終わってくれと、頬杖をついて窓の外を眺める。


「……残念ながら、私たちに選択権はないのよ」


 不意に、委員長の静かな声が響いた。

 彼女は眼鏡をくいっと押し上げると、白炭を手に取り、黒板に文字を書き殴る。


『男装・女装コンテスト』


 教室内が、ざわついた。

 委員長が私の方を見て、ニヤリと笑った気がした。


「そうよ。我らが一年一組は、合同文化祭の恒例行事として、これを行う事に決まっているの!」

「えー、なんか面倒そう」

「でもさ、クラス全員が出るわけじゃないんでしょ? 選抜メンバーだけなら、見る側は楽じゃん」

「確かに。向こうの男子校からは、女装した男子が来るらしいよ」

「うわ、見たくない……」

「でも笑えるんじゃない? ムキムキのチャイナドレスとか」


 クラスの空気が「他人事」として盛り上がり始める。

 その瞬間、私は強烈な寒気を感じて、体を起こした。


「という事で、当校(うち)からは『ガチの男装』を出します。優勝、狙いにいくわよ」


 委員長の宣言。

 そして、クラス中の視線が――まるで磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、一点に集中した。


 もちろん、私に。


「だよねー」

「うん、ウチのクラスには『本物』がいるし」

「王子だべ、王子」

「そこら辺の男子よりカッコいいもん!」

「男装の目玉は、やっぱり澪くんでしょ!」


 いや。いやいや。

 ちょっと待ってほしい。


 見れば、黒板に書かれた選出メンバーの筆頭に、当たり前のような顔をして『多田澪』の名前が刻まれている。


「ちょ、ちょっと待っ……」


 慌てて立ち上がり、抗議の声を上げようとした。

 けれど、委員長は「何か問題でも?」とばかりに首を傾げ、クラスメイトたちはキラキラした期待の眼差しを向けてくる。


 誰も、私が嫌がるなんて微塵も思っていない。

 私が「カッコいいこと」は、このクラスにおける共通認識であり、絶対の正義だからだ。


「な……」


 なんで、私なの。

 そう言いかけた唇を、ぐっと噛む。

 ここで拒絶して場の空気を凍らせるほど、私は子供じゃなかったし、強いメンタルも持ち合わせていなかった。


「……なんでも、ないです」


 結局、私は力なく椅子に座り込んだ。

 歓声が上がる教室の中で、深くため息をつく。


 こうして、私の出場は決定した。

 貧乏くじを引いた。最悪だ。面倒くさい。


 この時はまだ、心底そう思っていた。


 まさかその「男装」がきっかけで――あんなに可愛い彼女に出会ってしまうなんて、想像もしていなかったから。


   ◇ ◇ ◇


 鏡の中に、見知らぬ美少年が立っていた。

 いや、よく知っている顔だ。毎日見ている自分の顔だ。

 けれど、学ランに袖を通し、髪を整えたその姿は、どう贔屓目に見ても――。


「……完全に、男じゃん」


 文化祭当日。

 借り物の学ランを着た私は、トイレの鏡前で深い溜息を吐いた。


 構造上、体格が分かり辛いからか、姿見で確認すると少々髪の長い男子にしか見えない。

 剣道で培った姿勢の良さと、無駄のない筋肉が、さらに「それっぽさ」を加速させている。


 本当は、あまり気が進まない。

 私は女の子だ。可愛いワンピースを着て、誰かに「可愛いね」と言われたい願望だって、人並みにある。


 なのに現実は、これだ。


「うわぁ……やっぱり澪、かっこいい……」

「やばい、惚れる。ガチで」


 数日前のプレコンテストでも、クラスの女子たちは黄色い悲鳴を上げていた。

 私は引きつった笑みで「ありがと」と返すしかなかった。

 本心を隠して、クールな「多田澪」を演じることしか、私にはできないのだ。


   ◇ ◇ ◇


「ていうか澪、その竹刀。まじうけるんだけど」


 友人の笑い声で、現実に引き戻される。

 所は他校の食堂。

 男装コンテストの衣装に着替えた私は、なぜか右手には竹刀を携えていた。


「……仕方ないでしょ。コスプレをしない代わりに、特技のアピールをしろって委員長が」

「アピールって、素振りでもするの?」

「まあ、そんなところ」


 電車の中でもやたらと注目を浴びたし、駅のロッカーに放り込んでこようかと本気で悩んだ。

 ただでさえ男装で目立つのに、凶器(竹刀)持ち。不審者スレスレである。


「そろそろ時間だね。私、先にトイレで着替え済ませてきていい?」

「おっけー。じゃあ私たちは席取っとくねー」


 友人たちに手を振り、私は一度、席を外した。

 他校のトイレで手早く学ランに着替え、髪を整え直す。

 個室を出る時、誰かに会ったらどう言い訳しようか考えたが、幸い誰にも遭遇しなかった。


 よし、と気合を入れて食堂へ戻る。

 しかし――友人たちが居たはずのテーブルは、もぬけの殻だった。


「あれ?」


 きょろきょろと周囲を見渡すと、ポケットのスマホが震えた。

 画面には、友人からのメッセージ。


『ごめん澪! 開始時間間違えてた! もう始まるから先行ってる!』


 慌てて文化祭のパンフレットを確認する。

 ステージイベントは十三時からだと高をくくっていたが、正しくは十二時開始。とっくに始まっている時間だ。


「……あちゃー」


 置いていかれた。

 まあ、私の出番まではまだ余裕があるし、仕方ない。


「……待っててくれてもいいのに。寂しいじゃん」


 ぽつりと呟いて、スマホをポケットに仕舞う。

 周囲を見渡せば、楽しそうに笑い合うカップルや、家族連れ。

 その中で、学ラン姿に竹刀を持った少年(中身は女子)が一人。


 居心地の悪さに、私は早足で食堂を後にした。


 目指すは体育館。

 近道を通ろうと、人気の少ない渡り廊下へと足を向ける。


 ざわざわとした祭りの喧騒が、少しずつ遠ざかっていく。

 静寂が満ちる廊下の角を曲がろうとした、その時だった。


 ――どんっ。


 出会い頭。

 誰かと、正面からぶつかってしまった。


「あ、すみま――」


 反射的に謝ろうとして、言葉が止まる。

 視界に入ってきたのは、地面に尻餅をついた、小柄な人影。


 そして、ふわりと香った、甘酸っぱい果実のような香り。


 それが、私の運命を変える出会いだった。


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