世、妖(あやかし)おらず ー忘蛾ー

銀満ノ錦平

忘蛾(ぼうが)


 冬の扉が開き、吹き出す冷たい風に秋葉が力無くして、地面に落ちてゆく…。


 そんな肌寒い季節に私は、今外に出ている。


 理由は…特に考えていなかった。


 その時何となく外に出たくなっただけである。


 山を見ると紅色の森林が淋しくなっていく姿を見て、私も何故か淋しく思えてしまい、肌だけではなく…心も寒くなって来たような気がした。


 それでも、歩いている訳だから自然と身体は温かくなる。


 私はその感覚がとても好きだ。


 最初寒くて嫌だ嫌だと嫌悪しながらも、動き続けてると段々と身体に温もりが溢れ出して来る瞬間の自分がちゃんと生きているんだ…という生の感覚を味わうのがとても好きなのだ。


 だけど…そんな生の感覚が…私は怖い。


 自身が何故生きているのか…そもそも生きるという現象がなんなのか…そしてこの様に自身の存在について苦悩する人という生物が何なのか…そもそも人がこの地球に存在する他の生物と同じ地球の生き物なのかすら…私は疑問を抱いてしまう。


 霜で痒く、つい掻きながら手を眺める。


 当たり前だが、手は赤くなっている…。


 私はやはり生を感じる。


 痒みが神経に伝わる感覚…それに煩わし苦思う感情も…そんな私の感情なんか知らずして、頭に降ってくる秋の葉に少し呆れたりする感情も…私は生きているんだと、嬉しくもあり…不思議でもあり…そしてそういう思考を何故出来るのかという自身ですら知らないの未知の領域を抱えている恐怖も…様々な感情を持って人は生きているのだと、身体の様々な器官…神経をを通して実感していく。


 私は歩く…枯れゆく秋の葉をカーペットになぞり、私は道を進んでゆく。


 空も歪みや汚れのないまっさらな青空に人の温もりが空から滲み出る。


 自然は、人間の思い通りには動いていない。


 しかし、人間はその四季の変化…環境の変化を逆手に取って自身の感性に当てはめ、楽しむことが出来る…私も勿論この感性を持ち、四季の変化を楽しんでいる。


 だけど…人の記憶は完璧では無い。


 見たもの全て…聞いたもの全て…触ったもの全て…香るもの全て…味わったもの全て…五感で感じ取り、喜怒哀楽に勤しんだ思い出も忘れてしまう。


 そして歳を重ねる毎に、自身を…我さえも忘れてしまうのだ。


 それが私は一番怖い。


 自身を忘れる…己の楽しく、笑い、時に悲しみに怒り…それ以外の言葉に言えない感情が忘却されてしまうなんて本当は嫌だし、永遠に頭の中に残したまま死んでいきたいと私は願っているが、今生きてる段階でも過去の記憶が段々と何処か知らない場所に葬られているのに、これ以上忘れていく事に恐怖に駆られてしまっているが、それでも私は生きる事が好きなのだ。


 だからこそ、忘れるという感覚が怖い。


 誰の断りもなく…しかも自身も抗えない絶対的に起こりうる現象に怯えてしまう日さえある。


 だけど私は生きている。


 心臓が動く限り…脳が私自身として働きかけ、私として生き長らえさせている限りは私は生きる事こそが使命であり人生であると…私は自負して生きている。


 ある程度歩いたのか足が疲れ始めたので、家に向かって歩く。


 風景は先程と何の変化もしていない筈なのに、まるで時間が逆行しているかの様な感覚に陥っていく。


 動きも同じ…時の流れも同じ…匂いも肌寒さも何もかも同じ筈なのに…時間が巻き戻っていく様な気がして、私は過去の思い出に浸っていく…。


 楽しい思い出も辛い思いでも、印象に残るものは直ぐ様記憶の引き出しから出すことが出来て、懐かしさに浸っていたが、それと同時に思い出せない記憶が引き出せず悲しみにも浸かってしまい、脳内が様々な感情を渦に巻かれながら混乱の波に沈んでいく…。


 何とか帰宅して、直ぐ様暖房機器を取り出し、温まるまでの時間を待つ。


 寒い筈なのに何故か窓を開けて空を眺める。


 出掛けた時間からそこまで経っていない筈なのに、外は暗くなり始めていた。


 あぁ…この肌寒さは嫌いじゃない。


 だけど、寒い季節は苦手だ。


 なんで苦手なんだっけ…。


 思い出せない。


 何か大切な記憶だった気がする…。


 そんな記憶を辿ろうとしていたら…ふと、窓の近くに少し大きな蛾が立っていた。


 何故かその蛾を見ても怖くなかった。


 ビビることもなくただ、眺めていた。


 蛾は、こちらを向いたと思ったら外に飛び出した。


 飛び立つ蛾を見つめながら、もしかしたら…記憶が抜けてゆく時っていうのはこういう感じなのではないか…と蛾の後ろ姿を見て自身の記憶を慕い憂う。


 きっとあの蛾は、私の何か大切な記憶の具現化した姿なのだと…そう浸りながら、また今日も忘れゆく記憶に別れを述べ、1日を終えてゆくのだ。


 …今日の晩御飯は、何食べようとしてたっけな。

 

 

 


 

 


 


 


 

 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

 

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