第5話:代償の請求書

「お兄ちゃん、受験生なのに……。右手が使えなくなったら、どうするの……っ」


保健室の床にへたり込んだまま、私は自分の爪を剥がさんばかりに握りしめていた。 兄の弘樹は、私の自慢だった。成績優秀で、家族思い。私がオカルト趣味に走っても「ほどほどにな」と笑って許してくれる、優しい兄だ。 その兄が、私のくだらない『実験』のせいで、一生消えない傷を負ったかもしれない。


「ゆみ、顔を上げろ。お前のせいじゃない。まだ、そう決まったわけじゃないだろ」 健太が私の肩を強く掴む。包帯の巻かれた彼の手からも、じわりと体温が伝わってくる。 だが、その健太だって被害者なのだ。


「いいえ。決まってる……。掲示板に書いてあった通りだよ。私が『数秒』を盗んだ代わりに、呪いはお兄ちゃんの『将来』を奪おうとしてるんだ……!」


私の叫びに、梓が冷徹な、それでいてどこか震える声で告げた。


「……ゆみ。掲示板に、新しい書き込みがあった。さっきのスレッドじゃない。……もっと深い、管理者にしか見られないはずの非公開ログ」


梓がタブレットを私たちの間に置く。 そこには、掲示板『常闇の井戸』の背景が真っ赤に変色したページが表示されていた。


【管理者より警告】 『赤ノロシ』の負債を肩代わりできるのは、同じ『血』か、同じ『業(ごう)』を持つ者のみ。 本人が支払いを拒み続ける場合、利息は周囲から徴収される。 現在、滞納中。次の集金先は――『静寂を愛する者』。


「集金先……? 静寂を愛する者って、何のこと……?」 私が聞き返そうとした、その時だった。


「…………っ!?」


隣にいた梓が、突然自分の喉を両手で押さえて、椅子から転げ落ちた。


「梓! どうしたの!?」 「三浦!」


梓は何かを叫ぼうとしているようだが、口がパクパクと動くだけで、音が一才漏れてこない。彼女の顔はみるみるうちに土気色になり、苦しげに喉を掻きむしる。まるで、見えない何かに喉を直接塞がれているかのように。


「……っ……ぁ……ぁ……」


梓の口から、かろうじて漏れたのは、かすかな掠れ音だけだった。 読書家で、いつも静かに調べ物をするのが好きだった梓。「静寂を愛する者」――それは、梓のことだったのだ。


「嘘だろ……。早すぎる。こんなの、もう不幸とかのレベルじゃねえ……!」 健太が救急箱に手を伸ばすが、何をすればいいのかわからず手が止まる。


私は、パニックになりそうな頭を必死に抑え、梓の背中を擦り続けた。 すると、梓の指が、床に散乱していた先ほどのガラスの破片を掴んだ。 彼女は苦痛に顔を歪めながら、コンクリートの床に、自分の血で何かを書き殴った。


【 タ ス ケ テ 】


その文字を見た瞬間、私のスマホが再び震えた。 通知画面に表示されたのは、身に覚えのないアドレスからのメッセージ。 件名はない。本文には、たった一行だけ。


『次は、お前の『一番大切なもの』を差し押さえる』


その文字は、スマホの液晶を突き破って迫ってくるような、禍々しい**「赤色」**で彩られていた。


お兄ちゃん、梓、健太。 呪いは、私の周囲を確実に、そして残酷に削り取っていく。 私から、生きる気力さえ奪い尽くそうとしている。


「……わかったよ。わかったから……!」


私は立ち上がった。 足の裏の画鋲の傷が、ズキリと熱く脈打つ。 もう、逃げられない。私が「支払い」を済ませるまで、この悪夢は終わらないのだ。


――窓の外では、夕暮れでもないのに街全体が赤く染まっていた。 まるで、巨大な信号機が『止まれ』と世界に命令しているように。

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