第2話:静かなる侵食

昨夜のことは、ただの偶然。 そう自分に言い聞かせながら、私は重い瞼を開けた。


昨夜、健太のスマホが突然死したあと、私たちは逃げるように解散した。あの沈黙した黒い画面が、まるで何かの「目」のように私たちを見つめていた気がして、怖くなったからだ。


「……気のせい。スマホなんて、いつか壊れるもんじゃない」


自分に言い聞かせてベッドから降りた瞬間、足に激痛が走った。


「痛っ……!」


見ると、床に置いていた画鋲が、私の足の裏に深く刺さっていた。 ……なんで? 昨日は画鋲なんて使ってない。それに、なんでこんな真上に針が向いて落ちているの?


嫌な汗が背中を伝う。絆創膏を貼りながら、私は必死に「偶然」の文字を探した。


学校へ行く準備をしている最中も、おかしなことは続いた。 お気に入りのマグカップが、洗っている時に指から滑り落ちて粉々に砕けた。 自転車に乗ろうとしたら、タイヤがペシャンコにパンクしていた。


「……嫌な朝」


結局、私は徒歩で登校することになった。


教室に入ると、そこには既に健太と梓がいた。 健太は死んだような顔で、机に突っ伏している。


「健太、おはよ。……スマホ、直った?」


私が声をかけると、健太はゆっくりと顔を上げた。その目の下には、ひどいクマが出来ていた。


「……ダメだ。ショップに持ってったけど、『基板が焼けてる。こんな壊れ方は見たことがない』って言われたよ。買い替え。十万、飛んだわ」


「十万……」


私の胃がキュッと痛んだ。私のわがままでやらせた検証のせいで、健太に十万円の損害を出させてしまった。


「ごめん、健太。私、あとでお金出すから……」


「いいよ、お前のせいじゃないし。……多分な」


健太のその「多分」という言葉が、トゲのように刺さった。


隣で梓が、ノートパソコンに釘付けになっていた。彼女の表情は、いつになく真剣だ。


「ゆみ、おはよう。……今朝、何か変わったことはなかった?」


「え、まあ……画鋲が刺さったり、カップが割れたり、自転車がパンクしたり」


私が指折り数えると、梓の顔がさらに強張った。


「それ……全部、今朝起きたことだよね?」


「うん、そうだけど」


梓は画面を私の方に向けた。そこには、『常闇の井戸』の別のスレッドが表示されていた。


『赤ノロシの検証結果:実行者A』


そこには、淡々と、そして恐ろしいほど具体的に、ある記録が残されていた。


【01:05】信号無視実行。 【07:00】起床時、理由不明の転倒。足首を捻挫。 【08:30】通学中、カラスに襲われる。 【10:15】授業中、急に鼻血が止まらなくなる。 【12:00】……


「これ……私の朝と、似てる……?」


私は震える声で呟いた。 梓が小さく頷く。


「この投稿者、最後はどうなったの?」


健太が横から割り込んで聞いた。梓は、マウスを一番下までスクロールさせた。


そこには、一行だけ、赤い文字で書き込まれていた。


【23:59】連鎖、完了。次は、これを知った君の番だ。


その文字を見た瞬間、教室のスピーカーから「キィィィィィン!」と、耳を刺すようなハウリング音が鳴り響いた。


「うわっ!」


クラスメイトたちが耳を塞いで悲鳴を上げる中、私は見てしまった。


窓の外。 校門前の信号機が、誰もいないのに、チカチカと狂ったように「赤」だけを点滅させているのを。


まるで、カウントダウンでもしているみたいに。


――不幸はまだ、小出しにされているに過ぎない。本番は、これからなのだ。

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