第5話

 異世界七日目、晴れ晴れとした清々しい朝――

 この日ソウタとウシオは行商護衛の依頼を受け一人街の外へ出るミルドを見送る為、一緒に王都の玄関口である東城門前広場まで来ていた。

 まだ空も白み始めたばかりの早朝であるにも関わらず周囲には出発を待つ多くの馬車が長い列を成し、静かに開門の時を待っていた。

 王都で仕入れた物をたんまりと荷台に乗せ、ミルドを乗せた馬車はこれから砦を経由しながら二週間掛けて隣の港町まで街道をひた走る事となる。

 王都から遠く離れる事になる為人形の遠隔操作や視覚共有も使えなくなる、完全にミルドが一人で仕事を全うしなければならない。

 ミルドには考え得るありとあらゆる状況に対処出来るよう事細かに指示をしてあるがここは異世界、これまでも想定外は何度もあった。

 ソウタは出発のギリギリまで頭をフル回転させ、想定外の事態を限界まで潰していった。

 そうこうしている内にやがてどこからかガランガランと大きな鐘の音が聞こえてくると城門脇に控える兵士が高らかに開門を告げ、重厚な扉がゆっくりと開かれ始めた。

 ギィィィィ――ッと、軋む音を鳴き声のように響かせながら開かれていく扉の奥ではもう一つの扉である落とし格子もまたゆっくりと持ち上げられていき、やがて馬車が通れる程度の道が開くと兵士の呼び掛けで先頭の馬車から順番にゆっくりと街の外へ向け動き始めた。

 車列は淀みなくスムーズに進行していき、すぐにミルドの乗る馬車も動き出した。最後まで不安は拭いきれなかったものの、ソウタはミルドを信じてその背中を見送った。


 ミルドの見送りを済ませたあと、急いで宿に戻ったソウタは調理場にて食堂の主人ベルゴに火の起こし方を見せて貰っていた。

 竈の中にも精霊文字があると組合の所長リデルから聞いていたソウタは前日の夜、ベルゴに使い方を見せて欲しいとお願いしていたのだった。

 実際に火を入れる所を見せて貰うと、残念ながらソウタが想像していた魔法のようなものとは随分違っていた。

 精霊の力を借りて直接火が点くのかと思いきや……竈の中には精霊文字の刻まれた金属板が置いてあり、その金属板が熱くなる事で藁やおが屑に着火するという仕組みであった。

 この際使われる精霊結晶はクズ片と言われるカプセル錠剤のようなとても小さなもので、充電式電池のような扱いで精霊を使い中身が空になったクズ片を業者に返すと代わりの精霊の入ったクズ片と交換して貰えるのだという。

 まさか精霊という未知の存在が庶民の生活の中で消耗品扱いされているとは思いもよらず……鉄板の下に転がるクズ片を見つめながら密かに同情を覚えるソウタであった。


 その後はいつものようにゆったりとした朝を過ごし、やがて女将アルやリコの声援を背中に受けサポーターとしての初仕事に臨むべく張り切って組合を訪れてみると、そこには受付嬢と共にリデルの姿もあった。

 「おはよう、来たね。ミルドさんは無事出立出来たかな?」

 「おはようございます、早朝出立しました。昨日はお世話になりました、今日からよろしくお願いします」

 ソウタは恭しくお辞儀をして朝の挨拶を交わすと、早速掲示板の前に立ち貼り出されている依頼を眺めた。

 報酬の良いものは早々になくなってしまうがソウタが狙っていたのは依頼人とゆっくり話が出来そうな報酬の低い依頼である。

 理由は単純、報酬の低さ故に焦らなくても取られる心配がない。食堂の手伝いでも十分な報酬は貰っていたのでそこまで稼ぎに拘る理由がソウタにはなかった。

 適当に自身の分を見繕い、例の蔵書整理の依頼も合わせて受付へ持っていくと受付嬢にもリデルにも、更には周りのサポーター達からすら驚きの声が上がった。

 「ソウタくんこれ……本当に受けるのかい? いや、所長の私がこんな事言うべきではないんだけど……」

 「見聞を広げる事が我々の旅の目的なので願ってもない依頼です、お願いします」

 何の躊躇いもなく朗らかにそう答えるソウタにリデルも受付嬢もそれ以上何も言えず、手続きを済ませたソウタと秘書は無事それぞれの受託証を受け取る事が出来た。

 受託証を懐にしまいながらふと、ソウタは昨日思い浮かばなかった新たな疑問を一つリデルへ尋ねた。

 「そういえば、依頼は同時に三件まで受けられると言う事でしたけど、一日の内に受けられる依頼の数には制限はないんですか?」

 「ああ、ないよ。特に期限などが指定されていない依頼であれば、日暮れまで手続きを受け付けている」

 即座に返ってきた答えにわかりました、と感謝と笑みを返し、ソウタ達はリデル達組合職員の声援に背中を押されながらまずは大書庫を目指して元気よく駆け出していった。


 大書庫に着くと入口の前には既に昨日の老人が立っていた。

 何をしているのかと声を掛けてみると、ソウタ達が来るのを待ちきれずに早朝から待っていたのだという……この御老人、見た目よりずっと元気である。

 受託証を見せ正式に依頼を受けてきた事を伝えると老人は深々と頭を下げて感謝を述べた。

 「昨日は名乗りもせずに失礼した、儂とした事があまりの事にうっかりしておった……改めて名乗らせておくれ。儂の名はレーヴ、この書庫のしがない司書を任されておる」

 老人改め、レーヴの自己紹介にソウタ達も改めて名乗り返すと自分達も別の仕事があると告げ、秘書を置いていく旨を伝えた。

 「存分にこき使ってやって下さい、手が空いた時は我々もお手伝いに来ます」

 大書庫の司書レーヴと秘書に別れを告げ、ソウタ達が来た道を戻り階段を降りているとそこへ書庫の中から精導術から行きましょう! と張り切った秘書の声が外まで漏れ聞こえてきた。意地でも人形の手伝いを得たいらしい。

 正直な所ソウタにとっても人形が問題なく使えるようになる事は喜ばしい事である。人形を使えれば作業効率は格段に上がるので秘書には是非とも頑張って欲しいとソウタは密かに期待を寄せていた。



 ミルドと秘書をそれぞれの仕事に就かせいよいよ、ソウタも自身の依頼人の元を訪れていた。

 そこは何の変哲もないごくごく普通の民家……ソウタがサポーター最初の仕事として選んだのは『掃除の手伝い』であった。

 詳しい依頼内容を聞く為扉をノックすると、二階から人が降り近付いてくる気配が感じられた。……いや、気配どころではなくけたたましい音が段々と近付いてきた。

 ドタバタガラガラバターンドドドドガッシャーン……と、到底朝の民家から聞こえてくるものとは思えない音が振動と共に鳴り響いている。人の家のはずなのだが猛獣でも飼っているのだろうか……。

 やがて少しの静寂ののちようやく扉が開くと、中からはヨレヨレでシワだらけの服を着ただらしのない……ボサボサ頭で今起きましたと言わんばかりの見た目若そうな男性がモウモウと立ち込める埃と一緒に出てきた。

 「えっと……サポーター組合より依頼を受けて参りました、ソウタと申します。『掃除の手伝い』、依頼人の方でお間違いありませんか?」

 「けほっけほっ……あ……ああ、受けてくれる人いたんだ……あー……変わった格好だね……まあその、とりあえず中に……入れないね、ハハ……」

 苦笑いを浮かべる男性の背後、家の中はもうよく分からないくらい沢山のモノが散乱していた。火を着けたら粉塵爆発を起こしそうなほど埃も舞っている、何十年と放置された倉庫の方がまだ綺麗かもしれない。

 「うわー……きったなーい……私外で待ってるー……」

 家の中を見た途端スイカはテンションダダ下がりでうんざりといった表情を見せ、早々に見切りをつけると一人屋根まで上って気ままに日向ぼっこを始めた。

 咳払いを一つして気を取り直し、ソウタは男性に依頼内容を確認した。

 「ご依頼内容はこの家の中の掃除、と言う事でよろしいでしょうか?」

 「あー……うん、そうなんだけど……捨てるのとかは無しで、全部大事だから……あと一階だけ、二階は大丈夫」

 二階はダメ、と男性はジェスチャーも交え強く念を押してきた。

 ソウタとウシオは顔を見合わせ頷き合うとウシオが懐から出した白い布をマスクと頭巾にし、完全防備で気合を入れた。

 いざ中へ踏み込むも文字通り足の踏み場もなく、倒れた家具が別の家具の上へ折り重なり先鋭的なオブジェのようになっていた。

 余りの光景に呆れたソウタはため息混じりに先程のスイカのようなうんざりした目を依頼人の男性へ向けた。

 「どんな生活したらこうなるんでしょう……」

 「いやぁ……普通に暮らしてるだけなんだけど、おかしいよね」

 おかしいのはあなたでは……と突っ込みたい気持ちを抑え、ソウタはウシオと協力してまず手近な小物から一度外へ運び出していった。

 体の小さなソウタが通れる程度の道を作り、窓を開け換気をして舞い上がった埃を追い出し、外へ出せない大きな家具は壁際から起こして少しずつ使えるスペースを増やしていく……淡々と作業を進める中でふと、ソウタはある事に気が付いた。

 先程外から見た時は酷い荒れようで壊れた家具もあるように見えたのだが、よくよく見てみると不思議な事に折れたり割れたりと言った損傷は殆ど見られなかった。

 「思ったより全然壊れたりはしてませんね」

 「まぁ……大事にしてるからね」

 この有り様を前にしてどの口が……と突っ込みたい気持ちを抑え、ソウタとウシオはその後もテキパキと掃除を進めていった。

 人形が使えないながらも二人は流石の手際の良さで、およそ二時間後には荒れ果てていた家の中は見違えるほどに綺麗になっていた。

 片付いた部屋の中を見渡しフゥと一息ついていると、ソウタはまたある事に気が付いた。

 「ここはお一人で暮らしているんですか? まるでお二人で暮らしてるような雰囲気を感じますが」

 ダイニングのような空間に置かれたテーブルには椅子が二脚しかなく、戸棚にしまった食器などもどれも二人分……誰が見てももう一人いる事を匂わせていた。

 「まぁ、今は僕一人だよ。ここは昔爺ちゃんと婆ちゃんの住んでた家だから、二人分あるのは当然さ」

 話を聞くと男性は祖父母が亡くなった後この家を引き継いだらしく、祖父母が大好きだったので残されたものはなるべく捨てたくないのだと言う事だった。

 「爺ちゃんはまだサポーター組合が出来る前から街の外に出て魔獣と戦ってたようなすごい人で、この王都でも結構名の知れた人だったんだ」

 そう語る男性はまるで自分の事のようにとても誇らしげな表情をしていた。

 「その時の稼ぎなんかを結構残してくれていて、この家もそう。お陰で恥ずかしながらだらしない毎日を送らせて貰ってるよ」

 男性はボサボサな髪で目元を隠しポリポリと頬を掻きながら照れた様子を見せていた。

 「それで大切にされてるんですね……であれば、やはり二階も掃除した方が良いのでは?」

 そう言ってソウタが階段の方にチラリと視線を送ると、男性は素早い身のこなしで慌てて階段の前に立ち塞がりシドロモドロになりながら断固拒否した。

 「だめだめだめだめ絶対だめ、上には何にもないから、爺ちゃんの残したつまんない魔獣の本とかしかないから」

 とてつもない早口で捲し立てられた男性の言葉にソウタはピクリと反応を示した。

 長年魔獣と戦っていた人物の残した魔獣の本――これは是が非でも見てみたい……ソウタは男性に旅の設定を話しその本を見せて欲しいと熱心に頼み込んだ。

 始めは若干渋られたが二階の掃除で脅……説得し、男性の祖父が残したという魔獣の本の一部を何とか見せて貰う事が出来た。

 内容を要約すると主に王都周辺の魔獣の生息域、生態や習性、戦う時の注意点や得られる素材の使い道など、お爺さんが長年積み重ねた魔獣の知識が克明に記録されたものであった。

 それだけでも十分過ぎるほど価値のある内容なのだが、読み進めていくとソウタはその中に一つ、非常に気になる一文を見つけた。

 「魔獣の体内から精霊結晶を取り出す際は周囲の安全を十分に確保し、くれぐれも結晶を傷付けないように慎重に……」

 「あー……精霊結晶の詳細な位置とか注意点だね、結晶は砕ける時蓄えてた精霊を放出するんだって。まあ僕は精霊なんて見た事ないけど……砕けた時の衝撃は結構すごいらしい」

 精霊結晶は魔獣の体内にある――ソウタは自慢気な男性の言葉を聞き流し、スイカと出会った時に見た野犬のような魔獣の持つオーラの塊を思い出していた。

 「(あの気の塊はそういう事か……馬にはそれらしいものは見られなかった、そこで魔獣との見分けが付けられるか……?)」

 思い掛けない収穫を得て高鳴る鼓動を抑え静かに本を閉じると、ソウタはこの本がどれだけ価値あるものであるかを依頼人の男性に切々と説き始めた。

 これほど素晴らしいものであるのなら王立大書庫に収蔵されていても不思議ではない、いや収蔵されるべきである! と、オーラを見ながら巧みな話術で男性をその気にさせ、祖父の残した様々な書物を書庫へ持っていくように仕向けた。


 すっかり気を良くした男性に受託証のサインを貰い別れを告げると、ソウタ達はスイカと合流し足早に組合へと戻っていった。時刻はまだ正午前である。

 組合に着き、受付にてサイン入りの受託証を渡すとすぐにその場で報酬を受け取る事が出来た。


 ――『掃除の手伝い』―― 報酬……銀銭二枚


 銀銭二枚……食堂での一人分の食事代と同じ金額である。二人掛かりで二時間も掛けて一食分、割に合うかどうかは微妙であった。

 サポーターとしての初仕事を無事に終え、受付嬢からお祝いの言葉と拍手を貰ったソウタは感謝の言葉を返しすぐに次の依頼を探した。

 この時間になると報酬の良い依頼はほぼ残っていないがソウタ達にはあまり関係ない。残り物から一つを選び手早く手続きを済ませると次の依頼人の元へとまた元気よく駆け出していった。


 ソウタが二つ目に選んだ依頼は『農場の手伝い』。組合のある東側から遠く離れた王都南西部に点在する農家の内の一軒を訪ねていた。

 この辺りは繁華街のある東側とは打って変わってとても長閑で、草と土の匂いを乗せた緩やかな風が穏やかにソウタ達の鼻先を通り抜けていった。

 依頼人と顔を合わせるとソウタとウシオは深々と頭を下げ礼儀正しく挨拶をした。が……依頼人の反応は微妙なものだった。

 というのも農家の仕事というのは力仕事が多い為大人の男性が来てくれるのを期待していたらしく、そこに訪れたのが子供と女性だったという事でがっかりするのも無理のない話であった。

 だがしかし、ソウタもウシオもその力は常人のそれを遥かに凌駕する。

 勿論全力を見せるわけには行かないものの納屋の整理や古くなった柵の建て替えなど、重い木箱も木材も難なく軽々と運んで見せると農家の人達はすぐにクルッと手のひらを返し、笑顔を浮かべて優しく対応して貰えるようになった。

 少し作業をしたのち、遅めのお昼休憩を取ると言うのでそのついでに色々と話を聞かせて貰う事が出来た。

 農家の方曰く、何でも少し前から隣の国への行商が行えなくなっているのだと言う。

 ミルドの向かった港町から更に北東に進んだ所には隣の帝国との国境に面した関所街があるらしい。

 その国境というのは山脈から流れてくる川を境界線としており、王国領と帝国領を結ぶ大きな橋が掛かっているらしいのだが……この橋が何らかの理由により通行出来なくなり、現在帝国への道は閉ざされてしまっているのだ……と困っている行商人から聞いた、との事であった。

 「その橋以外に帝国へ行く道はないんですか?」

 「そごだけだなぁ、北は越えらんねぇ山があるし……あどは船で向ごうがら遠回りしがねぇべか」

 詳しく聞くと港町からは船で東側に渡る事が出来るらしい。対岸はこちらから陸続きにもなっているとの事だが帝国領を通る必要があり、国境の橋が落ちている現状船しかないとの事だった。だが――

 「船も許可証ば必要だって、贔屓の行商が嘆いでたっげなぁ。王都で仕入れでも高ぐ売れんのは向ごう岸だで、首回んねぇと」

 港町から対岸へ渡る船は基本商品を運ぶ貨物商船で人を運ぶものではないらしく、特別な許可証を持っていないと商人ですら簡単には乗れないという事だった。

 その許可証の入手手段についても尋ねてみたのだが……農家には縁のない話である、当然知るはずもなかった。

 「(いつか王都を出る際に帝国へ行けるようになってればいいけど……船も気になる、対岸にも街があると言う事か)」

 最悪飛んでいく手もあるにはあるがこの世界には現状空飛ぶ乗り物の類いは見当たらない。仮に飛んでいく事になった際には万が一にも人に目撃されないよう注意する必要があるだろう。

 いずれにせよ当分先の話になる、ソウタは頭の片隅に置いておく程度に留める事にした。


 その後作業を再開したソウタ達は順調に依頼を終え、受託証のサインと一緒に少しの作物を分けて貰っていた。

 ありがたく頂戴し感謝と一緒に別れを告げると、ソウタ達は元気よく駆け足で農場を後にした。途中食堂に寄り、女将のアルへ頂いた作物をプレゼントすると旬のものだったらしく大変喜んでもらえた。

 寄り道を済ませ足早に組合へ帰り着くとソウタ達は受付で受託証を渡し、本日二度目の報酬を受け取る。


 ――『農場の手伝い』―― 報酬……銀銭三枚、プラス少しの作物


 ソウタとウシオの二人掛かりで休憩込み三時間と少し掛かっているので、これも恐らく常人一人では割に合わない仕事である。

 仕事を二件片付け時刻は午後三時頃。日暮れまでまだ時間はある為三件目を探すつもりのソウタであったがふと思い直し、一度書庫の様子を見に行く事にした。



 ――さて、突然で申し訳ないが〝三面六臂〟という言葉をご存知だろうか?


 三つの顔と六つの腕を持つ阿修羅像に由来すると言われている言葉で、一人で数人分もの働きがある事を意味する。

 何故いきなりそんな話を始めたのかと言うと、今まさに――ソウタが三面六臂を目の当たりにしていたからである……


 書庫に着き、扉を開くとすぐに腰を抜かし恐れ慄く老人レーヴの姿がソウタの目に飛び込んできた。

 一体何事かと駆け寄りソウタがレーヴの視線の先に目を向けると……それはいた。

 それは残像か――三つの顔と六つの腕を持ち、恐ろしい速さで書物の山を処理していく般若のような顔をした阿修羅の如き男が、そこにいた。

 阿修羅はふとソウタ達に気が付くやいなや、広げた何冊かの書物を手に恐ろしい形相のままジリジリとソウタの方へにじり寄ってきた。

 その刹那――ソウタは反射的に右手の人差し指を親指で抑え驚異的な速度で人差し指の指先にオーラを固めると阿修羅の顔面目掛けて躊躇なく撃ち放った。

 「――ぷぇぁいッ!?」

 反射的に放たれた穿点に顔面を撃ち抜かれ奇妙な鳴き声を上げてビターンとひっくり返った阿修羅は、顔を両手で抑えながらジタバタと痛みに悶えていた。

 やがて顔を覆っていた手を離し上体を起こすと、そこにはソウタへ向けて抗議を叫ぶ鼻血を垂らした秘書がいた。

 「何するんですかぁ! 折角いい報告があったのにぃ!」

 「……ごめん、異形の魔獣かと」


 少し離れた所で老人レーヴの介抱をウシオに任せ、ソウタは気を取り直して秘書の持ってきた書物を手に取り内容を確認していた。その書物は精導術によるある検証とその結果が記された資料のようであった。

 「見て貰いたいのはこれです、これ! 精霊に体を与える検証実験!」

 それは体となる素体、精霊を収めた結晶、そして精霊文字を組み合わせる事で精霊に動ける体を与えようという試みであった。

 目に見えない精霊と意思の疎通を図る事が出来れば、精導術のみならず社会の発展に大きく貢献出来る……そんな可能性を追求した検証実験である。

 「……なるほど……素体、精霊、文字の最適な組み合わせが発見出来ず、実験は一時保留……と」

 確かにこれであればその組み合わせを発見したという体でソウタの人形も説明はつきそうである。が――

 「……未発見となると目立つかな、高位の術師は殆どが宮仕えだと言うから王宮に目を付けられても嫌だし」

 面倒事は避けたいとソウタが渋い反応を見せると秘書は露骨にガックリと肩を落とした。

 項垂れ落ち込む秘書を尻目にソウタはレーヴの元まで歩み寄ると、藪から棒に一つ問いを投げ掛けた。

 「レーヴさんは精導術に付いてどの程度ご存知ですか?」

 唐突に投げ掛けられた問いにレーヴはすっかりと落ち着きを取り戻した様子でゆったりと視線を返した。

 「精導術か、君らは随分精導術について熱心じゃの。ふむ……若い頃チラリと見た程度じゃが、精霊の偉大さを示すに十分なものじゃったの」

 あれはまさしく奇跡じゃ、とレーヴは過去を振り返りしみじみと言った様子で答えた。ソウタはその様子をジッと見つめやや思案しながらもう一つ尋ねる。

 「精霊が体を持って動く、そういった精導術の研究もあったようです。動く精霊を見たらどう思いますか?」

 「動く精霊か……ほっほ、それは生きてる内に是非見てみたいものじゃのう」

 レーヴの反応やオーラをつぶさに確認するとソウタはでは見てみましょうか、とおもむろに袖から一枚の依代を取り出し、レーヴの目の前で下級人形を作ってみせた。

 何もない所から突然フッと現れた白いモチモチとした球体にレーヴは目を見開いて驚いていたが、その反応は存外冷静であった。

 「これは……たまげたの……こんな事が出来たとは」

 ソウタは人形に興味を示すレーヴに旅の設定を打ち明け、下級人形を村に伝わる門外不出の秘術であるとした上で決して口外しないで欲しいと告げた。

 「こちらでは精導術と言うようです。多くの人に知られ、騒ぎになって王都に居られなくなれば、この書庫の仕事も出来なくなります……どうか、ご内密に」

 人差し指を立て、閉じた口元に添えてソウタがお願いするとレーヴは笑いながらそれを了承した。

 「ほっほっほ……見た目に似合わず中々どうして、強かじゃのう。儂にはここが全てじゃ、お前さんの言う通りにしよう」

 説得と言うよりは脅し……ソウタは素直に謝罪と感謝を述べるともう何体か人形を出し、以後書庫の整理に人形を付け作業の効率化を図る事にした。



 それからというもの……昼はサポーターとして依頼をこなし夜はウシオがエプロンドレスをはためかせながら食堂を手伝う、そうして一日の終わりには時計のゼンマイを巻いて皆一緒に眠りにつく――。

 そんな日々を数日繰り返していた異世界九日目の夕方――いつもと同じように帰路に着き食堂のある小路に差し掛かると、ソウタ達は秘書が食堂から追い出されている衝撃的な場面を目撃した。

 何やら穏やかではなさそうな雰囲気で、顔を見合わせたソウタ達は慌てて駆けていった。

 「うちは飯屋だ、そのままじゃ店に入れる訳にはいかないよ! さっさと行っといで!」

 食堂の前で腕を組み仁王立ちしているアルと道端に正座する秘書の元へ駆け寄るとソウタはすぐさま事情を尋ねた。

 「すいませんアルさん、何をやらかしましたか?」

 「あぁ丁度良かった……臭いだよ、坊や達は気にならないかい? ……全然臭わないどころか、いい匂いだねウシオちゃん」

 ウシオに顔を近付けクンクンと鼻を鳴らす女将は驚いた表情で穏やかに微笑むウシオと顔を見合わせていた。

 異世界に来てからこっち、あれやこれやと忙しすぎてすっかり失念していたとソウタは申し訳なさそうな秘書を見つめながら胸の内で反省していた。

 「すいません、忙しくて忘れてました。どこか体を拭ける場所ありますか?」

 ソウタも申し訳なさそうにアルへ尋ねると、アルはすごいドヤ顔で不敵な笑みを見せた。

 「あるよ、王都自慢のとっておきのいい所が。坊や達も一緒に行っといで」

 自信満々なアルを前にソウタはきょとんとした顔でウシオや秘書と顔を見合わせていた。


 アルに教えて貰い訪れた場所は大通りの北側、街の中央を流れる水路沿いの緩やかな階段を少し上った場所にあった。大きな建物の至る所から白い湯気がモワモワと溢れ出ている。

 そう、日本人の心であり魂の洗浄――お風呂である。

 水の豊かな王都には古くからお風呂の文化が根付いているのだと受付の人が教えてくれた。

 お値段は一人当たり銀銭三枚で共同浴場、四枚で個室の貸切風呂が使えるらしい。一食が銀銭二枚である事を考えると中々に贅沢な代物である。

 一階が共同浴場、二階と三階に個室の貸切風呂がある。

 入り口を入ってすぐの受付で支払いを済ませると一人一枚、小さなタオルを貸してくれた。タオルと言っても地球で言うフワフワなものではなく、サラッとした手ぬぐいのようなものでこれがこの世界では一般的である。

 秘書を一人共同浴場に向かわせ、ソウタとウシオは個室のお風呂へと案内して貰った。


 個室は廊下から暖簾のれんを潜って中へ入ると通路がすぐ右に折れ曲がり、突き当りを左に曲がるとその先に脱衣所があると言う感じの中が覗けないよう配慮された造りになっている。

 脱衣所と浴室は衝立ついたてによって隔てられているだけであり、湯気が籠もらないよう天井付近には木の格子が付いた窓もあった。

 この公衆浴場の建物は全体が白い石材を切り出したブロックで出来ており、綺麗にカットされたブロックが隙間なく滑らかに並ぶ浴室と湯船は実に見事な造りであった。湯船の上の壁には湯を吐く猛々しい獅子の彫刻も刻まれており、異国どころか異世界でありながらもどこか懐かしい情緒を感じさせてくれていた。

 「思っていたよりもずっと立派なお風呂ですね」

 ウシオの体は汗をかいたりしない為入浴の必要性はないのだが、それでもやはり久しぶりのお風呂にとても嬉しそうな様子であった。

 「これに入るの? 熱くない?」

 スイカも初めてのお風呂に興味津々と言った様子である。

 ソウタ達は早速脱衣所の籠に脱いだ衣服を畳んで入れ、かけ湯して汚れを落としタオルで全身を磨いてから湯船へ……スイカには深すぎるので人形で作った妖精専用の浴槽を用意してあげた。

 「「「はぁぁぁぁぁぁ……」」」

 湯に浸かるとどうしても漏れてしまうため息のハーモニーを奏でながらソウタとウシオは九日ぶりの、スイカは初めてのお風呂を堪能していた。

 「なにこれきもちいぃぃぃぃ……水の妖精になっちゃうぅぅぅぅ……」

 「やっぱりお風呂はいいですねぇ」

 「少しぬるいけど……悪くない……ん、ここにも精霊文字がある……」

 湯船の底には水路と同じ浄化の精霊文字が刻まれていた。精導術、便利なものである。

 ややお値段は張るものの週一くらいならいいかな、とソウタは久しぶりのお風呂にくつろぎながら王都を拠点にして良かったとしみじみ思うのであった。


 久しぶりのお風呂を堪能した後、湯船から出るとここで一つ問題が発覚した。

 「このタオルで水気を拭き取るの、大変ですね」

 そう語るウシオの手にあるタオルは吸水性に乏しい小さな手ぬぐいタイプ……既に濡れている上拭いて絞ってを繰り返すのも一苦労のサイズであった。

 するとおもむろにウシオからタオルを受け取ったソウタはこうしたら良い、と言ってオーラを込めるとタオルで人形を作った。

 タオルの素材である糸というのは植物の繊維である事が殆どで、ソウタが普段用いている紙の依代と同じようなものである為ソウタの力とは親和性があった。

 人形になったタオルは大きくなった上に勝手に動き、じっとしているだけで体を拭き上げてくれる……だけでなく、水気を絞る作業も勝手にやってくれる何とも便利なものになった。

 ウシオの色々と大きな体も、ソウタの小さな体も、スイカのもっと小さな体もあっという間に全身の水気を拭き取り終えると二人はさらっと気持ちよく着替えを済ませた。

 その後ウシオとスイカを入り口で待たせソウタが共同浴場の方へ秘書の様子を確認しに行くと、そこには服を眺めて呆然と立ち尽くす全裸の秘書がいた。お風呂に入って体は綺麗になったのだが……服に染み付いた臭い問題が未解決だった。

 「ど、どうしましょう……?」

 「……少しそのまま待っていろ」

 ため息混じりに引き返すとソウタはウシオに糸で小さな布を一枚作って貰い、それを人形化する事で一時的に服を作り何とかその場をしのいだ。

 お風呂からの帰り道、秘書の衣服も用意しなければならないのか……と当面の出費を心配する羽目になり、体は綺麗になったものの心のモヤモヤは中々晴れないソウタであった。


 異世界十日目の朝――

 食堂の裏手を借り、自身の汚れた服の洗濯を済ませ今日も張り切って書庫へと向かう秘書を宿の自室から見送ったソウタはウシオと共にあるものの到着を待っていた。

 しばらくしてソウタが窓の方へ目を向けると開け放たれた窓から白い小鳥が二羽、部屋の中へと飛び込んできた……小鳥型の人形である。小鳥人形は並んでソウタの腕に止まると静かに次の指示を待っていた。

 「それ、あの時飛ばした人形ですか?」

 ウシオが尋ねるとソウタはそうだよ、と頷き二羽の小鳥人形をテーブルの上に降ろした。テーブルの上には他にも事前に用意しておいた紙とペンも置かれている。

 「これでこの世界の地図を作る、とりあえず今いるこの大陸だけだけど」

 そう言ってソウタはテーブルの上の二匹の小鳥人形にスッと手をかざした。


 十日目にしてどこからか舞い戻ってきたこの二匹の小鳥人形は、ソウタ達が聖域の島を離れ最初に別の陸地を発見したその時に飛ばしていたものであった。

 与えられていた指示は二つ……海岸線に沿っての飛行と、その海岸線の地形の記録である。二匹を時計回りと反時計回りにそれぞれ飛ばし、所要時間を半分にした。

 ミルドが喋れる事から推察出来たかも知れないが、ソウタの人形にはちゃんと知能がある。物理的に脳のない下級や中級にも知能は与えられており、必要であれば喋らせる事も可能である。

 人形の知能は術者に依存し、術者の知らない知識や技術はたとえ指示したとしても遂行する事は出来ない。

 何故ただの人形に知能を与えているのか――その理由は、そうしなければ術者の指示を理解できない為である。

 作戦行動などで連携を取らせる際、作戦の意図を理解出来なければ十全な連携を取らせる事は難しい。完全に手動で操作するのであれば問題はないが、距離や数の制約もあり手動制御が使えないという事が過去にあった。

 そうした経験から人形には最低限の知能が与えられるようになったのである。


 ソウタは二匹の小鳥人形をくっつけて一体の小さな下級人形を作り出すと、二匹の記憶を元に用意した紙に海岸線の地形を描かせていった。

 「元々ある地図ではだめなんですか?」

 この世界にも当然この世界の人々が作った地図がある、ウシオが疑問を呈するとソウタは人形の描く線を見つめながら静かに答えを返した。

 「ちらっと見たけど……単純に精度が低い。魔獣の存在で人の生活圏が限られているから、無理もないんだけど」

 あと高すぎる、とソウタは現地の地図の様々な問題点を挙げた。現在のソウタ達の懐事情では手の届かないお値段である。

 「それに、帰還が成った時はこちらの情報として持ち帰る事になる。なるべく精度の高いものを用意出来るならそれに越した事はない」

 ソウタの説明にウシオも納得し、そのまま二人して静かにテーブルの上を眺めること数分後――やがて人形の描き上げた精巧な地図は明らかに地球のものとは異なっていた。

 横に長い西側の大陸と左を向いた頭蓋骨のような形の東側の大陸が北側の一部で繋がり一つの大きな大陸を形成している。この繋がっている部分が恐らく帝国領だと思われる。

 現地の不完全な地図を思い返すと他にもこの大陸から海を越えた南東の方角に別の大陸もあるようなのだが、今回はそこまで人形に見に行かせていない為この地図には描かれていなかった。

 ソウタ達が現在拠点としているオルレオン王国王都は横に長い西側の大陸の中央南部、大陸中央を東西に走る巨大な山脈地帯と南の沿岸部から内地にまで広がる広大な森林地帯に挟まれた場所に位置しており、隣接する川に沿って南西の方向に農村バードルフが、森に沿って東南東に進んだ沿岸部に港町がある。

 人形はその他にもいくつかの地点に街と思われる印を付けたがどこも王都からは遠く、やはり現状最も近いのは港町と言う事になりそうだった。

 「次に目指すとしたらやっぱり港町になるか……残りの百七十日をどう使うか……」

 そう呟きながらソウタは描かれたばかりの地図をじっと見つめていた。

 未だ『神吏者』に繋がる有力な手掛かりは見つかっていない……安定した活動基盤を確保した今、情報収集はこれからどんどん加速する事になるはずだが、それでも一つ所に留まり続ける訳にもいかない。

 今の所書庫で情報収集に当たっている秘書の働きに期待する他なく、ソウタは難しい判断を求められていた。

 「今後はボク達ももっと積極的に『神吏者』の話を聞いて回らないといけないね……じゃ、今日も頑張って仕事しようか」

 「はい、頑張りましょう」

 ウシオと顔を見合わせ笑顔を交わしたソウタは、二匹の小鳥人形を再び空へ放つと今日も元気に王都の街なかを忙しなく駆け回るのであった。


 地図を作成した日から数日後――

 ソウタは誰も手に取らないような割に合わない依頼を連日こなしつつ、同時に『神吏者』についても虱潰しに街の人々へ聞いて回っていた。

 しかしほぼ全ての人が初めて聞くと答え、お年寄りに聞いても要領を得ない返答ばかり……噂話どころかお伽噺としてすらほぼほぼ誰も知らないレベルであった。

 言い伝えや伝承は土地柄などの影響や、或いは長い時間を経る事で一部名前や形が変化しているという事もあるのかも知れない。だがそれにしてもである、影すら掴めないその存在の希薄さにもはや作為的なものすら感じるソウタであった。


 今日も今日とて依頼をこなし、『神吏者』について聞いて回るもこれと言った収穫もなく……浮かない顔で帰路に着いたソウタはふと、水路沿いの夕暮れの街並みに集う子供達の中に見慣れた姿を発見した……アルの娘リコである。

 子供達の中には一人修道女のような服装の女性もおり、随分と若く見えたが振る舞いを見るに保護者のようであった。

 女性とはしゃぐ子供達をしばしぼんやりと見つめていたソウタはその瞬間、耳鳴りが聞こえ始め意識が遠退いていった先で白昼夢を見た――


 ――また、声が聞こえる……楽しそうな子供達の声……大人の声も聞こえる……懐かしい、優しい声……


 ――……呼んでる、行かなきゃ……待って……ボクも……ほら、■■■も………………――――――


 「――ソウタ?」

 ハッ――と、ウシオの声に呼び覚まされたソウタは夢から帰ってきた後もしばしぼうっとしたまま、その見つめる先に子供達の姿はもうなかった。

 「ソウタ、どこか具合でも悪いですか? 急に立ち止まってぼうっとして……」

 「……また……あの夢……」

 ソウタはウシオの問い掛けにも答えず、ただ呆然と呟くと無意識に胸を抑えていた。

 いつからか度々見るようになった、それもいつも決まって同じような夢……景色や情景はなく、何も見えない暗闇に聞こえてくるのはいつも子供達の声ばかり……そして目が覚める時は決まって誰かに呼ばれている気がする、そんな夢。

 ソウタは胸に当てた手をぎゅっと握りしめながらたった今見た夢を思い返していた。

 「(これまでは寝てる時だけだったのに……それに今のは呼ばれただけじゃない……ボクも誰かを呼んで……)」

 この夢を見た時、ソウタはいつも決まって胸が苦しくなった。けれどつらいばかりではなく、同時に温かいものも感じる……そんな淡い痛みがあった。

 「ソータだいじょーぶ? ここ痛いの?」

 その声に視線を落とすと、動かないソウタを心配したスイカが胸を抑えたソウタの手に自分の小さな手をそっと添えて下から顔を覗き込んでいた。

 それを受けゆっくりと顔を上げたソウタは、心配そうに寄り添うウシオとスイカへ小さく首を振って見せ、微笑んで謝罪の言葉を口にした。

 「ごめん二人共、大丈夫……異常はない。ただいつもの夢と少し違ったから、考えていただけ」

 そう話すとソウタは先程子供達のいた、今は誰もいないその場所をしばし見つめていた。

 夕暮れ時だった空はすっかりと日が落ち、いつの間にか辺りは暗くオレンジ色のランタンの灯りが小さく街を照らすのみとなっていた。

 一つ小さく深呼吸をして静かに呼吸を整えると、ソウタはウシオの顔を見上げて帰ろう、と宿に向けて一人歩き出した。

 そのいつもと変わらない、少し寂しげに映る小さな背中を見つめ顔を見合わせたウシオとスイカは、心配な気持ちを抱えたまま……そっとソウタに寄り添い歩くのであった。


 「あぁ、おかえり! 丁度良かった!」

 ソウタ達がいつもより少し遅れて宿に帰り着くと、すぐに女将のアルが声を掛けてきた。

 食堂は既に営業を始めており、テーブルもカウンターも既にお客さんで埋まりお酒片手にウシオへ手を振っている。

 すぐに準備します、とソウタ達が手伝いを始めようとすると、意外にも女将のアルがこれを制止した。

 「ああ、今日は違うんだよ。いや手伝って貰いたいのは勿論なんだけどね、先にお使いを頼まれてくれないかい?」

 お使い? とソウタが首を傾げていると、アルは出来立て熱々の料理の入った鍋をそのままソウタへ手渡してきた。蓋の隙間から溢れる湯気と香りだけでもう美味しい。

 「こいつを向こうの教会まで頼みたいんだよ、アルからだって言えば分かるはずだから」

 リコに案内を頼んだから、じゃ頼んだよ! と忙しそうなアルの勢いに押され、ソウタ達は帰宅早々言われるがままにすぐさま踵を返しお使いへと出発した。


 リコの案内で食堂から水路の方へと進み、水路を超えて薄暗い路地を更に西へと突き進んでいく。依頼に便乗して街のあちこちを見て回っているソウタ達も住宅しかないこの辺りはまだ来た事がなかった。

 住宅地ではあるはずなのだが明かりの点いている家は少なく、軒先のランタンも点々と僅かに灯るだけ……日暮れ直後にも関わらず辺りはまるで深夜の如く静まり返っていた。

 リコの持つ灯りを頼りに暫く進んで行くと、やがて左側に周りの住宅より二回りは大きい建物が現れた。暗くてよく見えないが結構ボロ……年季が入ってそうである。

 そこが目的地らしくリコがノックもせずに扉を開くと、建物の奥に向けてシスター! と大きな叫び声を上げた。

 すぐにはーいと女性の声が聞こえ、ほどなくしてパタパタと慌ただしく現れたのは夕方に見たあの修道女のような服装の女性であった。

 シスターと呼ばれた女性はウシオよりやや背が低く、十代半ばと言った年頃の若々しい顔をしていた。

 「あらあらリコちゃん、忘れ物ですか? あら、そちらの方々は?」

 ソウタ達はシスターへ丁寧に挨拶と自己紹介をすると、アルからお使いを頼まれたと手に持った鍋を掲げてみせた。

 「ああっまた、そんな、いいのでしょうか……あっどうぞ入って下さい、何もおもてなし出来ませんが……っ」

 お言葉に甘え誘われるまま中へ入ると、そこには礼拝堂と言った感じの天井の高い厳かな空間が広がっていた。……ただしやっぱりボロい。

 古ぼけた長椅子を横目に礼拝堂右奥の扉まで通され中へ入ると、そこには長い大きなテーブルに着く五人の子供達がいた。こちらも夕方見た子供達である。

 見慣れぬソウタ達の姿に子供達は始め警戒を見せたものの、鍋から漂う美味しそうな香りに鼻を鳴らすとすぐに警戒を忘れてはしゃぎ始めた。

 「もうっ皆落ち着いて、食堂でバタバタしちゃいけません……っ」

 シスターがソウタから鍋を受け取り子供達へ配膳を済ませると、子供達はすぐに食事に夢中になりようやく落ち着きを取り戻した。

 夢中で出来立ての料理を美味しそうに頬張る子供達をそのまま食堂に残し、シスターとソウタ達はまた礼拝堂の方へ場所を移していた。

 「すみませんご挨拶が遅れました、私この教会のシスターをしているモニカと言います。お料理ありがとうございました」

 ペコペコと何度も深々と頭を下げるシスターモニカにソウタは自分達はお使いを頼まれただけだからお礼ならばアルさんに、と頭を上げるよう促した。

 モニカに詳しく話を聞くとあの子供達は様々な事情で親を失くした孤児で、この教会ではそういった子供達を引き取り保護しているのだという。

 アルとは子供達と遊んでいたリコを伝手に知り合い、事情を知ったアルの善意でたまにこうしてお裾分けして貰っているとの事であった。

 「シスターモニカお一人ですか? 他のシスターや司祭の方とかは……」

 ソウタが尋ねるとモニカは途端に俯き、悲しそうに今は自分だけだと呟くように答えた。しかしソウタの目に映るモニカのオーラは悲しみだけではない、とても複雑な感情を示しており、安易に踏み込むべきではないかとソウタは反省しそれ以上の言及は避ける事にした。


 その後すぐ食堂の手伝いがあると言ってモニカに別れを告げたソウタ達は早々に教会を後にした。

 その帰り道、何か考え事をしながらぼうっと歩いていたソウタへ不意にウシオが声を掛けた。

 「考えているのはモニカさんの事ですか? それとも子供達の事ですか?」

 夕方、子供達を見てからのソウタの様子をウシオはずっと心配し気に掛けていた。

 ウシオの問い掛けにソウタはしばし黙ると、自分でも確認するかのようにゆっくりと言葉を紡いだ。

 「……両方……だし、教会の事も……かな」

 モニカの反応の事、妙に気になる子供達の事、夕方の白昼夢の事、そしてこの世界の宗教の事……気になる事は山ほどあった。

 ソウタが再びモヤモヤと悩み始めていると感じたウシオはそっとソウタの背中に手を添え、自身の考えを伝えた。

 「気になる事があるなら、とことん追ってみたらいいと思います。踏み込んでみなければ分からない事もあるでしょう」

 ウシオの顔を見上げ、その優しく諭すような声を受けて再び視線を落とし考え込んだソウタは、小さなため息を零しながら顔を上げた。

 「……そう、だね。行動あるのみ、か」

 そう言ってソウタはようやく顔を上げ、ウシオと笑顔を交わした。

 悩んでばかりでは、ウシオ達に心配を掛けてばかりではいけない。

 自身の胸に募るモヤモヤが何なのかを知る為、そしてそれを晴らす為、シスターや子供達の事をもっと知りたいとソウタはもう一度教会を訪ねる事を決めた。


 ソウタ達が宿に戻ると待ってました! と酒に酔った客達がウシオの登場に大きな歓声を上げた。すっかり食堂の看板娘のようになったウシオに負けじとソウタも袖をまくり上げすぐに手伝いに取り掛かる。

 こうして、今宵も王都の街角に優雅にエプロンドレスの花が舞い踊った。

 迷いを一時いっときでも吹き飛ばしてくれる賑やかな憩いのひと時に、ソウタも自然と口元をほころばせていた。


 大盛況の喧騒もあっという間に過ぎ去り、部屋に戻ったソウタはベッドに腰掛け一日の終わりに時計のゼンマイを巻いていた。巻き終わり時計を懐にしまうとそれを合図にウシオがランタンの火を消し、二人揃って床につく。

 そのまま眠りに就く……かと思いきや、そっとソウタを抱きしめていたウシオが囁くような小さな声でソウタに声を掛けた。

 「教会を訪ねるなら、サポーターのお仕事はしばらくお休みにしますか? 食堂のお手伝いでお金の心配はありませんが」

 耳元をくすぐるウシオの声にソウタは閉じていた目を半分だけ開くと、少しの沈黙ののち同じ様に小さな声で答えた。

 「いや、仕事も続ける。ただ報酬の低いものから高いものに変えてみようと思う、一件だけこなして時間を作ろう」

 本当はそんな事してる場合じゃないんだけど……とソウタは中々進展しない情報収集の成果を気に掛けていた。

 「何が切っ掛けになるか分かりません、もしかしたら宗教の中に手掛かりがあるかも知れませんよ?」

 そうウシオが励ますとソウタはそうだといいな、と笑顔で応え、温かな抱擁の中静かに目を閉じ眠りについた。



 シスターモニカと教会に保護された子供達……彼女達との出会いが今後自身に大きな影響を与える事になると、この時のソウタはまだ知らない。

 未知なる異世界で巻き起こる数多の試練の内の一つが今……ソウタ達のすぐ側までジワジワと迫っていたのであった――

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エプロンドレスとビア・ラクテアの十示禍(テンペスト) 橘月りんご @ringo_kituki

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