第4話
異世界の人間社会に入り込みまずは信用とお金を得る為、仕事を求めたソウタ達は農村バードルフの村長に勧められた『サポーター』という職業に登録するべく馬車に乗って王都までやってきていた。
目的のサポーター組合に辿り着き、仄かな期待と一抹の不安を胸に門戸を叩いたソウタ達であったのだが……彼らの姿は現在組合入り口の外――組合の建物に背を向けたまま立ち尽くしていた。
周囲からは相変わらず好奇の視線が向けられているもののソウタ達に気にする様子は見られない……というよりは、その余裕がないといった様子であった。
「これからどうしましょうか、ソウタ」
フリフリの可愛らしいエプロンドレスが特徴的な女性ウシオが右手を頬に添え、小首を傾げながらやや困ったと言った様子で隣に立つ白い和装の少年ソウタに尋ねるが……生憎と返事はすぐ帰ってこなかった。
なぜならその時ソウタは左手で目元を覆い隠し、俯いて頭を抱えていたからである。
そんなソウタの頭の上には小さな風の妖精スイカがちょこんと座り、その小さな手のひらで優しくソウタの頭を撫で慰めていた。
様子を見て分かる通り……ソウタ達はサポーターに登録出来なかった。
しばらくして大きなため息を吐くとソウタは左手の位置を目元から口元へ下げ、ようやくウシオの問いに答えを返した。
「どうすると言っても……こうなったらお店を回って直接仕事を探すしかない。登録自体にもお金が掛かるなんて、少し考えれば分かったのに……」
サポーター組合を利用する為の登録には銀銭というお金が一人一枚必要だという話を、ソウタはつい今しがた組合の受付の人から聞いたばかりであった。
「村長さんも特にそういったお話はされていませんでしたから、迂闊でしたね」
「詳しくないと言っていたし仕方がない、こっちも年齢の事しか聞かなかったし」
お金を稼ぐ準備の為にはお金が必要となる……人間社会の厳しい現実が壁となってソウタ達の前に立ちはだかっていた。
「とにかく、その銀銭とか言うのが一枚でもあればいい。一人でも登録さえ出来ればあとはどうにでもなる……はず」
そう言うとソウタはグルリと周囲を見渡した。そこは円形の広場であり商店街である、お店はいくらでも目に入る。
「まずはこの広場のお店からあたってみよう。銀銭の価値がどれくらいなのか分からないけど、事情を話せば協力してくれる人がいるかも知れない……今は行動あるのみだ」
ウシオと顔を見合わせ頷き合うとソウタ達はすぐに行動を開始した。
時刻は地球で言う所の午後五時少し前――日暮れまであまり猶予のない中こうして、ソウタ達は広場のお店を一軒一軒順番に巡り、丁寧に事情を説明して協力してくれる人を探していった。
それから時を進める事約三十分余り――
「うちに人を雇う余裕はないんだ、すまんが他を当たってくれ……悪いね」
そう告げる店主にお邪魔しましたと頭を下げ、ソウタ達は店を出た。ここが円形商店街最後のお店であったのだが、取り付く島もなく断られてしまった。
ソウタ達は広場に並ぶ店舗ほぼ全てを回り、その全てで尽く断られていた。しかしソウタはめげる事なく行商人等も含めて
その時――そんなソウタ達の後ろ姿をじっと見つめる怪しい人影が、商店街の片隅にチラリと顔を覗かせていた。
物陰からひっそりと、腕を組んで一点を凝視している人影に近くの店の主人が気付くとその見慣れた姿に何の気なく親しげに声を掛けた。
「……ん? おぉアル、そんなとこで何してんだい。夜の買い出しかい?」
声を掛けられた人物は尚も一点を凝視したままアゴでソウタ達の方を示すと問いに問いで返した。
「……今大通りの方へ行ったアレ、何か知ってるかい?」
アレ? とアゴで示された方向へ目を向け、ソウタ達の後ろ姿を微かに捉えると店主は今しがたソウタ達本人から聞いた話を掻い摘んで聞かせた。
「あぁ、アレか。何でもそこの組合に登録に来たけど金がねぇってよ、仕事探して一軒ずつ店回ってんだと。うちにも来たよ。えらい美人さんも居ったが……カミさんがおっかなくてすぐ断ったがよ」
「ふぅん…………流れのサポーター……ね」
事情を聞いて尚、その人物は微動だにせず真っ直ぐに一点だけを見つめていた。
その意図は分からないものの、いつまで経っても話が進まず焦れた店主は再び佇む人物へ声を掛けた。
「そう珍しくもねぇが、見た事ねぇ珍奇な格好しとったな……それより、買ってくのかい?」
再度声を掛けられようやく視線を店の商品へ向けたその人物はやや思案したのち、目の前の二つの品を指してこう告げた。
「……そうだね、じゃあこれとこれ、
籠ごと、と言われ一瞬目を丸くした店主はすぐさま膝を叩いて顔をほころばせた。
「はっは! 何だい、珍しく景気良いじゃねぇか」
「たまにはね」
そんなやり取りを交わし店主が勘定の計算をしている間も、アルと呼ばれた人物はソウタ達が大通りへと向かった道をただジッと見つめていたのだった。
再び時を進める事同じく三十分余り――
地球で言う所の午後六時少し前と言った所。茜さす夕暮れも間もなく終わりを迎え、夜の帳が下りようかという時刻。
日中を営業時間としている店舗の多くが閉店作業を黙々と進め店先の片付けを済ませる中、街の中心部を南北に流れる水路沿いの
銀銭一枚を求めて街中の店舗を巡る事約一時間……大通りの行商人のみならず街の中心部にまで足を伸ばし、水路沿いの店舗を北から南へ、ひたすらに声を掛けて回り歩き続けたソウタ達であったが……結果は散々なものであった。
流石のソウタもこれには堪えるものがあったのか、先程から欄干に座り天を仰いだままピクリとも動いていなかった。
ウシオとスイカが揃って心配そうな顔を浮かべていると、唐突に零れ落ちたソウタのため息が沈黙を破った。
「まさか……通貨たった一枚がこれ程の障害になるとは思わなかった、見込みが甘かったな」
ソウタが一時間この街を歩き回って分かった事……それはソウタの狙いが余りにもハマり過ぎていたと言う事であった。すなわち――ミルドである。
「人々の注意や警戒をあえて向けて貰う為に造った、それがこんな所で
そうボヤきながらソウタは佇むミルドに視線を落とした。
余所者であるソウタとウシオ、秘書の三人に向けられる様々な警戒心をより大きなモノに向けて貰う事で相対的に和らげる……そんな思惑でミルドは造られた。実際農村バードルフでは狙い通りの結果が得られている。
ただその為には三人とミルドの間に僅かでも距離が空いていなければならない。あっちが目立つからこっちが
今回の仕事探しにおいても断られる理由の大部分はミルドの存在が人々を必要以上に怖がらせてしまった事にあった。
しばらく農村に留まり農村での活躍がここ王都にも伝わっていればまた状況は変わっていたかも知れない、或いはミルドの見た目をもっと親しみやすいものにしていれば……そんな後悔をソウタは一人胸の内で噛み潰していた。
欄干に座ったまま微動だにしなかったソウタであったが、目を閉じ小さくため息を吐くとようやく重い腰を上げ動き出した。
「夜間を営業時間にしているお店もあるはず、次はその辺を当たってみよう」
気を取り直して再び仕事探しを続けようとするソウタにすかさずウシオが問い掛けた。
「続けるのは構いませんが、このままミルドも連れて行くんですか? また断られてしまうのでは……」
「……仕方ない、その辺に置いていって万が一通報……兵士でも呼ばれたら、それこそ仕事探しどころではなくなってしまう」
強面の、大剣担いだ余所者の大男が何をするでもなくその辺に突っ立っている――想像しただけでも事案である。
ミルドにもいずれ必ず活躍の機会があるとソウタは自身にも言い聞かせるようにウシオを
空はすっかりと日が落ち、軒先にぶら下がるランタンに灯った仄かなオレンジ色の光が暗くなった街並みにぼんやりと浮かんでいる。地上の明かりが乏しいお陰か見上げると頭上に広がる満点の星空が鮮やかに瞳に映った。
何を思っているのか、ソウタがしばし星空を見上げていると……その背中に突然元気のいい大きな声が掛けられた。
「いたいた、こんな所にいた! あっちこっち探し回っちまったよ」
その声にソウタ達が揃って目を向けると、そこにはがっしりとした良い体格にエプロンを着けた女性がこれまた気持ちのいい笑顔で立っていた。
自分達に声を掛けているのかとソウタ達が周囲を見回し戸惑いを見せるも女性は全く気にも留めず、そのまま会話の主導権を
「アンタ達、仕事探してんだろ? 流れのサポーターが登録出来なかったって話は聞いてるよ」
仕事――そう聞いて一瞬期待したソウタであったが、その女性のオーラと視線を見てすぐに警戒感を露わにした。
明確な悪意と言うほどではないが何か企みのあるオーラ……そしてその視線は真っ直ぐにウシオへ向けられていたのである。
ソウタは次の女性の言葉を待たず、即座に一つ断りを差し込んだ。
「仕事は探しています、ですが
ソウタからの鋭い視線と警戒感を向けられた女性は一瞬図星を突かれたようにギョッとすると、間を置いて苦笑いを零しすぐに謝罪と弁明を口にした。
「ごめんよ坊や、うちはそういうんじゃない。ただそっちの美人さんに期待して声を掛けたのは確かだ、気を悪くしたなら謝る」
この通り、と深く頭を下げる女性のオーラは嘘偽りのない純粋な反省を示すものであった。
悪い人ではなさそうだとソウタも反省し、根拠もなく疑いを向けた事を謝罪すると改めて詳しい仕事の内容について尋ねた。
「それで、お仕事というのは何でしょう? 銀銭一枚、出来れば三枚頂けるものであると嬉しいのですが」
「今夜の稼ぎ次第ではあるけど……銀銭三枚、それと今晩の宿も付けたげるよ。どうせ泊まるとこもないんだろ? 仕事は店に着いてのお楽しみさ」
どうする? と女性は仄かに笑みを浮かべ、腰に手を当てて小首を傾げながらソウタの返答待っていた。
報酬自体は願ってもないものなのだが何故仕事内容を伏せるのか……安易に乗って良いものかと悩んでいると、不意にソウタの背中にそっとウシオの手が添えられた。
「行ってみましょう、ソウタ。行動あるのみ、ですよね?」
穏やかに微笑むウシオの顔を見上げ、大きな
「決まりだね。着いといで、すぐそこだよ」
ソウタの返答に女性はニコリと笑顔で応えるとクルリと踵を返し、手招きしながら来た道を戻っていった。置いて行かれないようソウタ達も急いで駆け出し後を追いかける。
異世界五日目の夜――軒先にぶら下がったランタンと家々から漏れる灯りに照らされながら、ソウタ達は暗がりの小道を歩いて行く。
ようやく仕事を見つけられたのは喜ばしい事であったが一体何をさせられるのか……どうにも不安を拭いきれないまま、ソウタは前を歩く女性の背中をじっと見つめていたのであった。
「――いらっしゃいませー!」
日没後、一時間程が経過した頃――ワイワイガヤガヤと賑わいを見せる夜の王都の一角にウシオの可憐な声が響き渡っていた。
自慢のお手製エプロンドレスを惜しげもなくはためかせ、両の手に出来立ての料理と飲み物を
その一方……呆れ顔の貼り付いたソウタはそんな客達の様子を眺めながら次々運ばれてくる洗い物を手元も見ずにテキパキと片付けていた。
「……この仕事内容、伏せる意味ありました? アルさん」
もはや仮面のような仏頂面のままソウタが目も向けずに隣に立つ女性、アルに声を掛けると。
「あっはっはっはっ! 男が細かい事気にすんじゃないよ!」
女性は笑いが止まらないと言った様子で満面の笑みを見せていた。
仕事を見付けられず途方に暮れていたソウタ達に声を掛けてくれた豪快に笑うこの女性、アルの案内でソウタ達が訪れたのは、組合のある円形商店街と王都の中心を南北に流れる水路を結ぶ
この店の主人で調理担当のベルゴと女将のアル夫妻が営むこの食堂は夜のみの営業で、仕事終わりの王都民のお腹を満たす憩いの場となっているらしい。
アルは街でウシオの姿をひと目見るなり絶対に客足が伸びる! と確信し、食堂のウェイトレスとして雇う事を画策していたのだった。
「アタシの目に狂いはなかったね、いつもの三倍……いや四倍は来てるよ」
アルの見立て通り、実際食堂の盛況ぶりときたらそれはもう凄まじいもので、三つある四人掛けのテーブルもカウンター席も次から次へと入れ代わり立ち代わり客が入り続け、しまいには店内に入りきれない客が窓に張り付く始末であった。まるで光にたかる虫のようである。
そしてその様子を見た通行人や口コミで話を聞いた人々がまた集まってきて……と切りがなかった。
調理場ではこの店の主人ベルゴが秘書を裏方に付け黙々と料理を作り続けている一方、ホールにはウシオの他にもう一人、アルとベルゴ夫妻の一人娘であるリコが客の食べ終わった食器を片付け、洗い物担当であるソウタの元まで運ぶお手伝いをしていた。
強面の大男ミルドはどこで何をしているのかと言うと、客室のある二階へ続く階段の一番上に座りウシオに如何わしい目を向ける酔っ払った男性客にギラリと鋭い目を光らせていた。
小さな風の妖精スイカはミルドの後ろに隠れた下級人形の頭の上で大の字になり、スヤスヤと寝息を立てていた。初めての王都に昼間はしゃぎ過ぎたようである。
空前絶後の大盛況を記録した食堂はこの日営業開始から僅か三時間足らずで食材が尽きると言うアクシデントに見舞われ、あっという間に閉店を余儀なくされた。
渋々帰る客達にすまないね! とアルが店の外まで出て見送り、店内がようやく落ち着きを取り戻すと寡黙な主人ベルゴからソウタ達へ夕食が振る舞われた。
「頂いてよろしいんですか? ボク達まだお金を持っていませんが」
ソウタが問うもベルゴは黙って頷くだけですぐに調理場へと引っ込んでしまい、入れ替わるように戻ってきたアルが代わりに答えた。
「遠慮なんかいらないよ、ちょっと多めに買っといたのに食材が尽きるなんて初めての経験をさせて貰ったお礼さね」
夫妻の心遣いにそれでは、と感謝を伝えありがたくご馳走になると、食後のデザートとでも言わんばかりに恒例の質問攻めが待っていた。
カクカクシカジカとソウタが幾度目かの設定解説を手短に済ませ、今回も何とか乗り切れたかなとホッと胸を撫で下ろしていた……その時――アルと娘のリコからドストレートに衝撃的な質問が飛んできた。
「ウシオちゃんのそのエプロンは自分で作ったのかい? リコも欲しいって言って聞かないんだよ」
そう言ってウシオの身に纏うエプロンドレスに注目が集まると、
これまでも何度か触れる機会があったが、ウシオのエプロンドレスは彼女自身の純粋な趣味である。
式となり人の姿を得た元乳牛のウシオは人の身に付ける多種多様な衣服に強く関心を持ち、その作り方まで学ぶとその中でも何故かエプロンドレスにハマり自作してしまう程に
そしていつしか自分で身に付けるのみならず、多くの人にエプロンドレスの素晴らしさを知って貰い広く普及させたいという野望すら抱くに至っていた。
一度エプロンドレス愛に火の付いたウシオを止める術はなく、早くも自身のエプロンドレスを参考にしながらアルとリコに作り方の伝授を始めていた。
これ異文化の侵略にならないかな……等と考えながらも、異世界王都のファッション史に勝手にエプロンドレスの名を刻みつけていく生き生きとしたウシオの事をソウタは諦めの境地で穏やかに眺めていたのだった。
「ほらこれ、今日働いて貰った分だよ」
エプロンドレスの話が終わり、宿屋兼食堂の女将アルからジャラジャラと手渡されたのは二十枚の四角い銀貨だった。
くすんだ色合いからして純銀製ではないと思われるその硬貨は一円玉よりも小さく分厚いものであったが、二十枚もあるとずっしりとした確かな重量を感じ取る事が出来た。
「ウシオちゃんに十と、坊やと料理を手伝ってくれた彼二人で十の合わせて二十、一旦これでいいかい?」
アルからそう尋ねられるものの相場などわかるはずもないのでソウタはとりあえず十分だと笑顔で感謝を述べた。
食事に来た客達が勘定に支払っていたのもこの四角い銀貨であった。不審に思われないよう聞くわけにも行かないが、ここまでに得られた様々な情報を総合してこれが銀銭であるとソウタは仮定した。
「サポーターに登録出来ればあとはどうにかなります。本当に助かりました、ありがとうございます」
ソウタが頭を下げ改めて感謝を述べると、アルは突然畏まった様子でソウタ達にある提案を持ち掛けた。
「坊や達、しばらく王都にいるんだろ? ならウチを拠点にする気はないかい? 通りにあるような立派な宿じゃないが、食事も付ける」
アルの話を要約するとこうである――
今夜の評判が広まってこれからもしばらくの間ウシオ目当ての客足が見込める。手伝って貰えるなら勿論毎日報酬も出す。朝晩二食付き、四人で一泊銀銭八枚は決して悪くない条件だと思う……という事らしい。
良し悪しに関してはソウタ達には分からなかったが、女将アルのオーラには並々ならぬ熱意が表れていた。
ソウタが考えを巡らせる暇もなく私は構いませんよ、と早くもリコに懐かれたウシオが賛成に一票を投じ、自分も賛成です、と食事に釣られた秘書までもが二票目を投じた。
なら断る理由もない、とため息混じりに口元をほころばせたソウタは女将アルへ姿勢を正し深々と頭を下げた。
「では、暫くの間お世話になります、よろしくお願いします」
「ああ! こちらこそよろしく頼むよ!」
歓喜に染まるオーラを纏って満面の笑みを見せる女将アルはおもむろにランタンを手に取ると、ソウタ達の泊まる客室に案内してくれた。
お店の入り口から入ってすぐ右の壁沿いに二階への階段があり、二階には客室が三つ、階段を上った所から見て横一列に並んでいる。手前の二部屋が
ソウタ達が案内されたのはその一番奥の部屋である。
階段を上り、一階の食堂を一望出来る廊下を通って客室の扉を開くとまず目に付くのは正面に置かれた小さな丸いテーブルと二脚の椅子、そこから右に目を向けると長方形の部屋に二つのベッドが並んで置かれている。部屋の一番奥には窓があり、建物の裏側のスペースを見下ろす事が出来た。
部屋に入るなり早々に奥のベッドを確保した秘書がまた五秒で寝息を立て始めると、部屋割りについて考えていたアルが呆れたような声を上げた。
「おやまぁ……ウシオちゃんと坊やは隣を使うかい? どうせ誰も来やしないから使ってくれて構わないよ」
そう尋ねながら持ってきたランタンをテーブルに置くアルへ、ソウタはこの部屋だけで問題ないと遠慮を告げた。
「恐らく寝る為だけの部屋になると思うので十分です、ありがとうございます」
「そうかい、他に必要なものはあるかい?」
ソウタは小さく首を振って答え、事前に伝えていたミルドの食事についてだけ再確認すると明日に備えて早く休むと告げ、アルと着いてきたリコにお休みの挨拶を送った。
アルとリコが去り二人の足音が階下へ遠退いていくとソウタとウシオは手前のベッドに並んで腰を下ろし、懐から時計を取り出してキリキリとゼンマイを巻き始めた。
それが一日の終わりを示す合図であるかのようにフゥと肩の力を抜くと、ソウタは突然プツッと糸の切れた操り人形のように隣へ座るウシオへもたれ掛かり、その口から力ないボヤキがついて零れ落ちた。
「……こっちに来てから今日が一番疲れた」
「大変な一日でしたね、お疲れ様でした」
一番働いたであろうウシオがいつものように穏やかに優しくソウタを抱きとめ
「不甲斐なくてごめん……頑張るから……もっと……」
そう言うとソウタは電池の切れた玩具のように時計を手に持ったそのままの姿勢で眠ってしまった。
「ソウタ……」
珍しい弱音に驚いたウシオは静かに寝息を立てるソウタを起こさないようにそうっと、優しく包み込むとゆっくりとベッドへ寝かしつけた。
普段の人形のような無表情とは違う、子供らしいあどけない穏やかな寝顔をサラリと撫で、時計を握りしめる小さな手にそっと手を添えると……ウシオは寝ているソウタの耳元に顔を近付け小さく
「――………………」
その囁きは誰の耳に届く事もなく、ウシオはいつもの優しい穏やかな微笑みを湛え束の間ソウタを見つめると、隣に横たわり朝までソウタの手を温かく握りしめていた。
翌日、異世界六日目――この日ソウタは珍しい朝を迎えていた。
いつも天国へと沈み落としてくれる温かい柔らかな圧迫感はどこにもなく、隣を見るとすぐ目の前にウシオの綺麗な寝顔があった。
窓の外に目を向けてみると空はまだ暗く、隣家の屋根の向こうにはキラキラと星の瞬きを見る事が出来る。窓から下に視線を落としていくと隣のベッドには秘書と下級人形とスイカが折り重なって出来た鏡餅がデンッと鎮座していた。
階下からはアルかベルゴか、既に物音が聞こえてきたがソウタはそのまま起き上がる事なく……しばしの間ぼうっと天井を眺めていると、不意にウシオの手が動きソウタの頬を優しく撫でた。
二人は姿勢を変える事なく小声で短く朝の挨拶を交わすと少しの沈黙ののち……ウシオが声を掛けようとしたのを
「助けられてばかりで……自分だけじゃ何も出来ないと、そう思った」
昨夜の反省か……伏し目がちに天井を見つめたままうわ言のように胸の内を
「不甲斐ない事なんてありません、一生懸命頑張れていますよ」
「……頑張るだけなら誰でも出来る、頑張るだけじゃ駄目だ」
ソウタは手に持ったままだった懐中時計を顔の前にかざすと、時を刻む針を見つめながらその小さな身に抱えていたものを少しずつ吐き出していった。
「どんなに偉そうに振る舞った所で、ボクに力がない事に変わりはない。自分の力で認めて貰えなければ、もし帰れたとしても……そこにボクの居場所はない。頼ってばかりじゃ、守られてばかりじゃ……駄目なんだ」
ソウタはホサキやレベッカ、調査隊員達にガルド、農村の村長夫妻やアルとベルゴ夫妻、そしてあの金髪の男、ザックの事を思い出していた。
ザックの当たりが強いのは自分が弱いからだとソウタは考えていた。そしてその考えは間違っていない……ザックから見てだけではない、最高戦力群の中でも特にソウタの力は弱かった。
オーラをその目に捉えられるが故に、ソウタは常に周囲との圧倒的な力の差を目の当たりにし続けてきた。
この任務は最高戦力群に席を置く資格を問う、自分に課せられた試練である――そんな小さな少年の中で張り詰めていたものが昨夜、ふとした拍子に緩んでしまったのであった。
決して涙こそ見せないものの不安気な、
そんなソウタをいつも側で見守ってきたウシオだからこそ、その苦悩を受け止め伝えられる事があった。
「ホサキさんやベッキー、それに他の皆さんも、あなたが頼りないから、手を差し伸べてくれるわけではありません。勿論私も」
優しく語り掛けながら、ウシオは絶えずソウタの頬を撫で続けていた。
「あなたを大切に思っているから、力になりたい……頼って欲しいと、そう思うんです」
心に染み入るような優しい声に、ソウタも静かに耳を傾けている。
「あなたもちゃんと成長していますよ、ずっと側で見てきた私が保証します。ソウタはこれからもっともっと強くなる……だから不甲斐ないだなんて、思わないで下さい。誰にだって出来ない事はあります、最初から完璧な人なんていません。だから皆で協力するんです、頼る事は決して悪い事ではありません。今はまだ、沢山頼って下さい。皆で力を合わせて、一緒に帰りましょう」
淡く優しく、フワリと包み込むようなウシオの愛情たっぷりの励ましを受けて――ソウタは黙ったまま小さく頷いてみせた。
心を通わす二人の間にそれ以上の言葉は必要なく、照れ隠しのように袖で顔を隠したソウタをウシオはぎゅうっといつもよりも更に強く抱き締めた。
空が白みやがて日が昇るまでの僅かな時間、ウシオは温かくソウタを包み続けていた。
ほどなくしてしっかりと日が昇り朝を迎えた食堂には、調理場からいい香りと共に美味しそうな音色が響いていた。
起きて部屋を出たソウタとウシオはカウンターに座る寝惚け眼のリコに手を振り、階段を降りながらアルとベルゴに朝の挨拶を送った。
「おや、おはよう。二人共早いねぇ、よく眠れたかい?」
朝から元気なアルにお陰様で、と相槌を打ちそのままその足で店の外に出ていくと、ソウタとウシオは朝日を浴びながら大きく伸びをして組合のある商店街の方へと目を向けた。
食堂の正面に面したこの小路は円形商店街から放射状に伸びた複数ある道の一本で、商店街の中央に建つ組合の建物をここからでも見る事が出来た。
朝日に向かって組合をじっと見つめていると、そんな二人の様子を見ていたアルが窓を開けながら声を掛けてきた。
「組合も流石にこんな朝っぱらからはやってないよ。朝食食べて、少しゆっくりしてな」
そのアルの言葉通り、早朝という事もあり小路にも商店街にもまだひと気はなく、しんと静まり返っていた。小鳥のさえずりが青々とした空に響き渡り、清々しい朝をより一層気持ちの良いものにしてくれている。
昨日叶わなかったサポーターへの
何事かとアルが慌てて駆け寄ると、そこにあるものを見て突然笑い出した。
「あっはっは! 何かと思えば、『妖精の恵み』じゃないか。珍しいね、今日はきっと良い事あるよ」
妖精の恵み? とソウタが小首を傾げ尋ねると、アルはリコのデザートに出した果物を手に取ってソウタ達に見せながら説明してくれた。
「ほら、ここに小さく噛じったような跡があるだろ? 妖精が噛じった跡だって、昔から縁起の良い事とされてんのさ」
そう話すアルのすぐ隣では、いつの間にか起きてきたスイカが両手で口を押さえながらほっぺたをパンパンに膨らませてモグモグしている真っ最中であった。
「恵み……ね」
食い意地の間違いでは……と思いながらも満足気なスイカを見て穏やかに口元をほころばせるソウタであった。
その後中々起きてこない秘書を叩き起こすとソウタ達は揃ってのんびりとした朝の時間を過ごした。張り詰めていたものを吐き出したお陰か、ソウタも幾分肩の力が抜けたようであった。
やがて商店街の方から微かに人々の賑わいが聞こえてくるようになるとソウタ達はアルとリコに見送られながら改めて食堂を出発し、サポーターに登録するべく再び組合の門戸を叩くのだった。
サポーター組合――
遠い異国からこの王都へと伝わってきた仕組みで、組合を通じて仕事と働き手を結ぶ斬新で画期的な職業システムである。
仕事の仲介を受けるにはまず組合への登録が必要となり、一人に付き銀銭一枚の登録料がかかる。
サポーターは登録時に『星』と呼ばれる三段階の階級のようなものに振り分けられ、自身の階級を示す
階級は低い方から順に一つ星、二つ星、三つ星と呼ぶ。サポーターとしての活動時にはこの階級を示す徽章の着用が義務付けられており、基本的に自身の階級以下の仕事しか受注する事は出来ない。
星を増やす……すなわち階級を上げるには地道に実績を積み重ねる事に加え、組合から提示される昇級試験に合格する必要がある。実績と信用を以って組合から認められる必要があり、決して容易なものではない。
各階級ごとの仕事内容は概ね決まっており、一つ星は街なかでの雑事全般。二つ星からは危険な街の外での活動が主となり、魔獣という脅威に対抗できる戦闘能力が必須となる。
そして三つ星は街や国全体の脅威となるような強大な魔獣の討伐や貴重な物品の入手など、街から遠く離れたものが主体となっている。
一見すると二つ星と三つ星の違いが分かり辛いが、二つ星の仕事は主に行商の護衛が一般的となっており、街道に沿っての移動となる為街や砦から遠く離れるという事はほぼほぼない。
また、現在三つ星を与えられているサポーターはこの王都にはおらず、実質あってないようなものとなっている。
仕事の流れはと言うと……
其の一――まず任意の依頼を受注し組合から受託証を受け取る。
其の二――次に受託した依頼を完了し依頼人から受託証にサインを貰う。
其の三――最後にサイン入りの受託証を組合に届ければ依頼完了、依頼人から組合に預けられている報酬を受け取る事が出来る。
ただし一つ例外があり、行商の護衛依頼に関しては依頼を受注した組合のある王都から遠く離れた別の街での依頼達成となる為、報酬は組合に預けるのではなく依頼人本人から受託証へのサインと一緒に受け取る事となる。
その際受託証は出来れば依頼を受けた組合で返す事が望ましいが、無理であれば最寄りの組合でも構わない。
「大まかな説明ではございますが、ここまでで何かご質問等ございませんか?」
組合に入ってすぐ正面に位置する受付カウンターにて、ソウタ達は受付嬢から登録の手続きと仕組みなどの説明を受けていた。
組合の建物は大きく扉の開け放たれた正面入り口から入ってすぐ左側に階級を示す星のマーク(
一方入ってすぐ右に目を向けると、カウンター前の広々としたロビーの奥にはテーブルと椅子が並んだ雑談スペースのような空間があり、サポーター同士の相談や依頼人との商談、また軽い食事なども出来るとの事だった。
正面から見て左側が折れ曲がったL字のカウンターの向こうには受付嬢他複数の職員がおり、うず高く積まれた書類の山を机に向かって手早く処理している様子が見て取れた。
朗らかに対応してくれている受付嬢の説明を頭の中で
「ではいくつか……まず、登録時の階級はどの様に決まるんでしょうか?」
「はい、えー……この後所長との面接を受けて頂きますが問題なければ無条件で一つ星となります。二つ星以上をご希望される場合は別途試験を受けて頂く必要がございます」
この手の質問には慣れているのか、受付嬢の受け答えは結構な早口で鮮やかなものであった。
「その試験というのは?」
「主に模擬戦で戦えるかどうかの確認をさせて頂く事が多いですね。相手は二つ星の方であったり、所長が直接相手をする事もございます」
なるほど、と呟くように相槌を打ちつつソウタは次の質問に移る。
「登録出来たらすぐに依頼を受けられるんでしょうか?」
「登録の手続きに少々お時間を頂く事となりますのでー……そうですね、最短で明日からになるかと思われます」
事務の進捗状況でも確認したのか、後ろの職員の方をチラリと一瞥した受付嬢の返答は歯切れの悪いものだった。
「では最後に、依頼は複数を同時に受ける事が出来ますか?」
「依頼の抱え込みなどが発生しかねませんのでその都度での判断となってしまいますが、一応三件まで可能となっております」
よく分かりました、と粗方気になる事を聞き終わるとソウタ達は面接とやらを待つ間、掲示板に貼られた依頼の内容を他の人の邪魔にならないよう気を付けながらまじまじと眺めていた。ミルドはでかいので隅っこにいてもらう。
説明にもあった通り一つ星の依頼は街なかでの雑事が殆どで、報酬が銀銭一枚なんてものもあった。
ざっと目に付くだけでも荷運び、部屋の片付け、ゴミ拾い、売り子、屋根の修理に農作業の手伝い等々……確かに子供でも出来そうなものばかりである。
そんな中、ソウタは掲示板の隅っこにポツンと取り残されていた一つの依頼に目を留めた。
――『王立大書庫の蔵書整理』―― 報酬……大金貨一枚
書庫があるという事実に胸を高鳴らせる一方、異世界の通貨をまだ銀銭しか見た事のないソウタは大金貨というのがどれ程の価値なのか……恐る恐る受付嬢に尋ねてみた。
「大金貨ですか? 我々みたいな庶民には縁ないですよねぇ……えーと、角銀貨で言うと百枚、銀銭だと千枚になりますかね」
貼り出されている依頼を見るに二つ星の行商護衛の報酬が角銀貨二十枚前後らしいので実に五件分、目が飛び出るほど驚くような高額報酬であった。
何故そんな依頼が隅っこに取り残されているのか、これも一つ星の依頼なのかとソウタが尋ねると、受付嬢は苦笑いを浮かべながら困ったような様子を見せた。
「そのぉ……蔵書量が大変膨大となっておりまして……中々引き受けて頂ける方がいないんですよねぇ……」
「どれくらいあるんですか?」
「えーっと……約、十万冊ほど……」
換算すると百冊片付けてようやく銀銭一枚、しかも依頼達成まで報酬は貰えないという誰も手を付けないのも納得の超絶ブラック案件であった。
しかし情報収集が目的のソウタ達に取っては報酬の低さなど
それからソウタは面接の準備が整ったと声が掛かるまでの間、その蔵書整理の依頼書をじぃ……っと見つめ続けていたのだった。
ほどなくして受付嬢から声が掛かり、別の職員に着いていくと案内されたのは組合の二階にある所長室であった。
職員が軽くドアをノックし、中からどうぞ、と聞こえたのを合図に扉を開くと、ソウタ達を出迎えてくれたのはどこか西洋貴族のような出で立ちの気品漂うスマートな男性だった。凛々しいヒゲの整った、おじさんというよりはおじさまと言った印象である。
ソウタ達がよろしくお願いします、と
「初めまして、私がここの所長を務めているリデルだ。君達を待っていたんだよ、間が悪くて昨日は申し訳ない事をしたと思ってね」
ソウタは話が見えず、ウシオと顔を見合わせつつもとりあえず自己紹介を返すとソファに腰を下ろしながらどういう事かと尋ねた。
「バードルフの村長から手紙を貰ってね、君達の事をよろしくと
気付けていれば昨日の内に登録の手続きを済ませられたとリデルが続けると、それを聞いたソウタはため息――ではなく、ウシオと顔を見合わせ二人で呆れたような笑みを交わしていた。
手紙を届けたのはソウタ達を馬車に乗せ王都まで運んでくれたあの行商人だったという。村長は恐らく入場料の時と同じ様なサプライズのつもりだったのだろう。
しかし手紙の内容を知らない行商人はソウタ達と一緒に組合まで手紙を届けるよりも先に自身の商いを優先した……結果、入れ違いとなりソウタ達は必要のない苦労をする羽目になった――とこういう
思う所はあるものの過ぎた事です、とソウタが微笑んで気にしないように伝えるとリデルも笑顔を見せ、書類を手に取り早速登録手続きの話へと話題を変えた。
「登録はウシオさんを除いた三人だね、ミルドさんが二つ星を希望……」
書類を読み上げながらチラリとミルドの方を見やるとリデルは強そうだね、と不敵な笑みを浮かべ、入り口とは別方向にある隣室の扉に向けて誰か、と声を掛けた。
すぐに女性の返事と共にパタパタと足音が近付いてくると、ほどなくして扉から顔を覗かせた職員にリデルは模擬戦を頼めそうな二つ星がいるか確認を頼むと告げた。
職員は頷きすぐに扉を閉じるとまたパタパタと足音を立てながら忙しなく階下へと降りていった。
彼女が戻ってくるのを待っている間、ソウタは念の為三つ星を希望したらどうなるのかとリデルへ尋ねてみた。
「残念ながら、登録時に直接三つ星を希望する事は出来ない。模擬戦の相手がすぐに用意できないというのもあるし、現在この王都には三つ星のサポーターがいなくてね」
三つ星の依頼自体を受け付けていないんだ、とリデルは申し訳なさそうに答えた。
確かに掲示板にも三つ星の依頼は一つも貼り出されてなかったな……と思い返していたその時、ソウタはふと思いついたように過去の三つ星の依頼はどんなものがあったのかと聞いてみた。
「主に一般の兵士や二つ星には荷が重いと思われる魔獣の討伐なんかになる。それこそ、君達が農村で相手した様なね」
農村を襲撃した象ほどの巨体を持つ狼のような魔獣、アレも過去に討伐依頼が出ていたらしい。その時は広大な森に潜む魔獣を見つける事が出来ず断念したとの事だった。
ソウタは真剣な顔で話を聞きながら更に当時の依頼を受けた三つ星についても質問を重ねた。
「彼らは現在王国軍に所属している。戦闘能力に長ける有望な人材には軍から直接声が掛かる事がある。あとは別の国へ移ったりと様々だよ」
なるほど、とソウタが熱心に質問を重ね真っ直ぐに耳を傾けていると、そんな様子を見ていたリデルは強い好感を抱いたようで嬉しそうに笑みを浮かべながら唐突にソウタへの敬意を口にした。
「君は良いね、村長の手紙にあった通り真面目でしっかり者。王都の人は外から来た人に厳しいが、君ならすぐに馴染めるだろう」
突然褒められたソウタはやや気恥ずかしさを覚えながらも素直な感謝を返した。
するとそこへ先程と同じ足音がパタパタと聞こえ、今度はソウタ達が来たのと同じ扉から戻ってきた職員が報告に顔を出した。
「所長、見つかりました。ハマーさんが引き受けて下さるそうです」
職員の報告にリデルは感謝と労いを返すとおもむろにスッと立ち上がり、ソウタ達に移動を
「では、早速お手並み拝見といこうか。模擬戦は裏手にある広場で行う、我々も行こう」
リデルに導かれ所長室を出て来た道を戻り、階段を降りてすぐ右、掲示板のあるスペースから裏手に出る扉を潜ると、そこには広々とした庭のような空間が広がっていた。
広さはバスケットコートの半分ほど、踏み固められた土の地面に丸太で出来たカカシのようなものが端に二つ並び立っている。扉の傍らには木剣や木槍などの模擬戦用と思われる道具が乱雑に放り込まれた木箱も置かれていた。
組合裏手のこの広場は当然ながら屋外で屋根はなく、背の低い柵で囲われてはいるものの周囲の商店街からは丸見えの状態であった。朝早くから賑わいを見せる商店街の人々からまたしてもソウタ達に好奇の視線が注がれている。
そんな周囲の視線を気にも留めずソウタが広場をキョロキョロと見渡していたその時、突然背後から道を開けろと声が掛かった。
驚いて振り返ると、そこにはミルドではない筋骨隆々の大男がそびえ立っていた。
「随分ご立派な剣担いでやがるが……何だその格好、どんな奴かと思えば……やる気あんのか?」
「おはようハマー、朝からすまないね」
リデルが挨拶を送った男、ハマーと呼ばれた男性はミルドより身長こそ低いものの体格は引けを取らないほどの大柄で、その身に合った防具をしっかりと着こなしていた。綺麗に剃り上げられたスキンヘッドに朝日が眩しく輝いている。
ハマーは傍らに置かれた木箱から大きな木槌を手に取り軽々と持ち上げ肩に担ぐと、欠伸をしながら
「ではミルドさんも、木箱からお好きな武器を持って彼の前へ」
リデルが声を掛けるとミルドは木箱を一瞥しただけで何も取らず、大剣を左肩に担いだままハマーの前へと進み出ていってしまった。
いつの間にかぞろぞろと増えていた見物客からもどよめきが沸き起こるとリデルは慌ててその剣は使えませんよ! と声を掛けた。が、やはりミルドは反応を見せず、なんだコイツ? と
「剣を使う気はないと思います。素手でいい、と言う事ではないかと」
ミルドの奇行をソウタがフォローするとそれを聞いたハマーはピキッと青筋を浮かべ目に見えてボルテージを上げていき、木槌を構えるやいなやさっさと始めろと語気を荒らげてリデルをせっついた。
「二人共、これは模擬戦だからね! やりすぎてはいけないよ!」
必死に警告するも両者共に全く聞く耳を持たず、リデルは微笑んで頷くソウタに背中を押され渋々と言った様子で開始の合図を送った。
ミルドとハマー、二人の模擬戦は僅か十秒余りで勝敗を決した。
初手から自慢の怪力で豪快に木槌を振り回し猛烈な攻勢を仕掛けたハマーであったが……その攻撃がミルドに当たる事はなく、ヒョイヒョイとあっさり避けられ早くもボルテージが最高潮に達したハマーは木槌の反動を利用して飛び上がるとミルドの顔面目掛けて渾身の一撃を振り下ろした。
模擬戦で繰り出していいものではないであろうその一撃を、あろう事かミルドは右腕一本で真正面から受け止めた。
頭上から振り下ろされる渾身の一撃を受け止めるとその衝撃はズドンッ!? と激しく大地を揺らし、ミルドの足を地面にめり込ませる程であった。
しかしそれ以上の効果はなく、強靭な握力で木槌をがっしりとホールドしたミルドはグイッと右に引っ張ってハマーの体勢を崩し転ばせると、そのまま相手の顔面目掛けて木槌を思いっきり叩き付け――ようかという所でリデルからそこまで! と声が掛かり、寸止めにて模擬戦は終了となった。
大地を揺らす程の衝撃で更に商店街中から注目を浴びる事となったミルドとハマーの模擬戦は終わると同時に静寂から一転、一瞬にして歓声に包まれ午前中にも関わらず商店街はお祭り騒ぎのような大きな賑わいを見せた。
「これはまた……とんでもない人が現れたね」
多くのサポーター達を見てきたであろうリデルもまたミルドの力を目の当たりにし、信じられないという驚愕の表情を浮かべていた。
その後興奮冷めやらぬ見物客達を残し、再び所長室に戻ってきたソウタ達はリデルから惜しみない拍手を送られていた。
「いやぁ……正直まだ自分の目が信じられない……ハマーは今王都にいる二つ星の中でも上位の実力者だ。それを右手のみで完封とは……いやはや」
出来る事ならすぐにでも三つ星を贈りたい気分だよ、と話すリデルにソウタは即座に首を傾げた。
「組合のトップであるリデルさんに、その権限がないんですか?」
ソウタのもっともな疑問にリデルは苦笑いを零すと肩を竦めて事情を話した。
「サポーター組合というのは国営の事業でね、私もただの中間管理職に過ぎないんだ」
所長であるリデルに与えられているのは二つ星の任命権までであり、三つ星の任命は王城へ申請を出さなければならないとの事だった。
「もし希望するのなら申請書を作っておくけれど、興味はあるかい? 通常は多少実績を積んで貰うんだけど、その実力なら申し分ない」
そう言ってリデルはミルドを見て問い掛けるが当然反応はなく、代わりにソウタが質問を挟んだ。
「その場合の試験というのは、元三つ星の方との模擬戦になるんでしょうか?」
その問いにリデルは恐らく、と頷きながら短く答えた。
正直な所、三つ星の実力には少なくない興味があった。
大きな木槌を軽々と振り回し、渾身の一撃は大地を震わせる……そんな実力の持ち主が二つ星上位だという。この世界における強者と呼ばれる者達が一体どれほどのものなのか、確認したいと言う思いは山々であった。
しかしソウタはミルドを一瞥して思案するフリをするとリデルへ向き直り仄かに笑みを浮かべてみせた。
「彼を軍に引き抜かれると困るので、今は遠慮させて下さい」
「ふふ、そうか、そうだね」
リデルも笑みを零して頷くとおもむろに立ち上がり、ソウタ達へ少し待つように言い残して隣室の方へと消えていった。
一分ほど静かに待っていると、やがてリデルは手に何やら小さいお盆のようなものを持って戻ってきた。
「これがサポーターである事を示す証になる徽章だ、活動時は必ず常に見える所に付けて欲しい」
そう言ってリデルがソウタ達の目の前に置いたお盆の上には、シンプルな十字の四芒星をかたどった金属製のピンバッジが三つ並んでいた。二つ星のものは四芒星が斜めに角度を変えて二つ重なっている。
「手続きの都合上活動は明日からになってしまうが……他に聞いておきたい事はあるかな?」
リデルの問い掛けにソウタは受け取ったピンバッジを眺めながらやや思案すると一つ、仕事の事ではなく他の登録者の事を尋ねた。
「仕事とは直接関係ないのですが……こちらに所属しているサポーターの中に、『精導術』というものを扱える方はいらっしゃいますか?」
「精導術? いや、私の知る限りサポーターの中にはいないと思うが、誰か探しているのかい?」
怪訝な表情を浮かべるリデルへ、ソウタは精導術への興味を話して聞かせた。
農村で初めてその言葉を耳にし、どのようなモノなのか是非一度見てみたいのだ、と旅の設定なども話し慎重に言葉を選びながら探りを入れた。
「ふむ……低位のものであれば街の水路や家庭でも見られるが……高位となると扱える者は宮仕えが殆どで、私もちゃんと目にした事はないくらいだ」
それを聞いたソウタはリデルの発言の前半部分、水路や家庭で見られるとはどういう事かと食い気味に質問を重ね、素直な熱心さを演出した。
「私もあまり詳しくはないんだが、精導術というのは『精霊文字』というものを使って目には見えない精霊の力を借り、様々な現象を行使するものだと聞いた事がある」
その文字が水路の底や
「今話した通り私も実際に見た事はないから、これ以上は分からないな。高価な『精霊結晶』を必要とするらしいけど……」
『精霊文字』に『精霊結晶』――初見の言葉が二つ出るとソウタはここで得られるのはこれくらいか、と感謝を述べてスパッと話を切り上げ、今日組合でやる事はこれで全てかとリデルへ尋ねた。
「そうだね、あとは事務処理が済み次第活動を始めて貰える。急がせるから明日には出来るはずだよ」
「わかりました、これから暫くの間お世話になります」
よろしくお願いします、とソウタ達が揃って頭を下げると、リデルはああそうだ、と何かを思い出しミルドの方を見上げながら二つ星の依頼における注意事項について教えてくれた。
「行商の護衛依頼の手続きは前日に行うんだ。受託したその日の内に依頼人に会って翌朝の出発の時刻なんかを決めるから、すぐ始めるつもりならこの後やっていくと良い」
「正式な登録前ですけど、よろしいんですか?」
ソウタが尋ねるとリデルは昨日のお詫びも兼ねて特別にね、と笑顔で応えた。
面接を無事に終え、全員一緒に一階へ下りるとリデルは適当な依頼を見繕い受託の流れをレクチャーしてくれた。
受託の手続きを進めると受付嬢が持ってきた受託証は手のひらサイズの木札であった。文字が書かれているが表面を削れば何度か使い回せるという事で紙より扱いやすいらしい。
特に手間取るという事もなく受託も無事に済ませ、リデルや受付嬢に見送られながら外へ出るとふと――ソウタはどこか街の雰囲気が変わっているような感覚を覚えた。
相変わらず周囲から視線は注がれているもののそこに嫌なトゲトゲしさはさほど感じられない。
今朝までは遠巻きに黙ってジロジロと冷たい視線を送られるくらいだったのだが、現在はそれに加えて好奇心をオーラに滲ませながらひそひそ話をする者や手を振ってくる者、中には声を掛けてくる者までいた。
表情もどこか穏やかであったり笑顔であったりと余所者に対する嫌な感じは大分薄れており、昨夜の食堂の評判や先程の模擬戦の影響なのかたった一晩で随分と街なかが歩きやすくなったようであった。
その後サポーター徽章を胸に軽快な足取りで大通りに出たソウタ達は、通り沿いにある行商人の為に建てられたという三階建ての立派な宿を訪ねていた。
リデル曰くこの宿は行商を活気付かせる為に国が用意したものらしく、国営であるサポーター組合とも提携しているとの事だった。
入り口を入るとホテルのロビーのような空間と受付カウンターがあり、そこで受託証を見せる事で依頼人との取次を行ってくれる。
宿のスタッフの案内で依頼人と面会すると余所者で登録したばかりの新人という事もあって始めはかなり渋い顔をされたものの……模擬戦にてハマーを完封した話を出すと一転、えらく上機嫌となり話をスムーズに進める事が出来た。ハマーが王都上位の実力者というのは本当らしい。
無事翌朝の出発予定時刻や合流地点などを擦り合わせ
それから約二十分後――
ソウタ達の姿は王都のど真ん中を東西に走る大通りと南北に走る水路が交わる交差地点付近にあった。
サポーター組合の所長リデルから聞いた精導術に関わる『精霊文字』なるものを探し求め、欄干から身を乗り出し並んで水路を眺めていたソウタ達であったのだが……しばらくその存在に気が付く事が出来なかった。
やがてアレの事ではないか、とウシオが指し示したそれは水路を構成する水底の石材の表面に模様のような形で刻まれたものだった。スイカと出会った時に見せた視力強化をしてみると文字の周りに集まる精霊の姿も確認する事が出来た。
スイカ曰くその精霊達は元気が良いという事らしいのだが……ソウタの目にはさっぱり違いが分からなかった。
精霊〝文字〟という事もあり、その存在を認識するとソウタにはそこに描かれている意味も理解する事が出来た。
水路のそれは『希釈』『吸着』『沈殿』『分解』という四種類の小さな文字の羅列によって『浄化』という文様のような大きな文字が形成されたものであった。
リデルの話では精導術というのは〝文字で精霊の力を借り、様々な現象を行使するものである〟という事らしいので、この場合はつまり精霊の力を借りて水路の水を浄化している、という事だと考えられる。
事実水路を流れている水はとても綺麗に澄んでおり、昨夜食堂で洗い物をした際も水の綺麗さに驚いた事をソウタは思い出していた。
「……これだけだと、下級を精導術でゴリ押すのは流石に無理があるかな。これは低位という事だからまだ分からないけど」
「高位のものは『精霊結晶』が必要、と仰っていましたね。高価だとも」
ソウタとウシオが水路を眺めながらヒソヒソと話をしていると、ソウタの頭の上にちょこんと座っていたスイカが唐突に私あれきらーい、と不満そうにボヤキを零した。
「あれ、って……スイカ、精霊結晶を知ってるの?」
「うん、見た目は綺麗だけど……精霊達が閉じ込められちゃうからキライ!」
ソウタの頭の上でぷんすこしている妖精をウシオがなだめている間、ソウタは一人俯いて思考の海へと漕ぎ出した。
「(精霊を閉じ込める結晶……精霊を元気にする文字……そう言えば、スイカは〝風〟の妖精だと言っていた。仮に火の精霊がいるなら集めて元気に……活性化させたら火が起こせたりするのか?)」
もしそんな事が出来るのなら漫画や映画に出てくる魔法のような事も実現可能かも知れない。
人形を作り出し使役するソウタの力も精導術で説明が付くかも知れない可能性が見え、地球には存在しない未知の技術を前にソウタは期待に大きく胸を膨らませるのであった。
その後水路を離れたソウタ達は街行く人達に道を尋ねながら次なる目的地、王立大書庫を目指して大通りを西に向かって歩いていた。
十万冊もの書物が所蔵されていると言うその書庫は活気のある街の東側から遠く離れた街の西側、人の姿も
外観は大層立派な建物で、一見すると書庫と言うよりは古代ローマの神殿と言った佇まいであった。
正面の階段を上り、太い円柱の間を抜けて入り口と見られる大きな扉をノックしてみるも、誰かが出てくるような気配はなく……その後も何度かノックを繰り返してみても依然として何一つ反応は返ってこなかった。
誰もいないのだろうかと何の気なく扉に手を掛け引いてみるとなんと鍵は掛かっておらず、ソウタは思わずウシオと顔を見合わせた。
不用心なと思いつつ開いた扉の隙間から顔を差し込み中を覗き込んでみると、すぐ正面に立つ立派な彫像がソウタの目に飛び込んできた。
中は埃っぽく、天井の高い広々とした空間は耳鳴りがするほどのシーン――とした静寂に満ち、高い位置に設けられた窓から差し込む光がどこか厳かな雰囲気を感じさせていた。
しかし綺麗な建物と厳かな雰囲気とは裏腹に見渡す限りの至る所に木箱が乱雑に積み上げられており、埃っぽさも相まって書庫と言うよりはもはや倉庫のような趣きであった。ソウタのいる場所から見えるだけでも木箱の数は百や二百では済まない。
そんな建物の中へと足を踏み入れすいませーん、とソウタが大きな声で呼び掛けてみると、広い空間に反響したソウタの声にコツ……コツ……とゆっくりとした足音のような反応が返ってきた。
しばらくその場で待っているとやがて木箱の奥から姿を見せたのは、ゆったりとしたローブを身に纏った髪もヒゲも白い年老いた男性であった。
「ほ、来客も珍しければ……格好も珍しい。ここに何か御用かね」
上から下までソウタ達をじっくりと眺め、ゆっくりと……しかし確かな足取りで近付いてきた老人はふと、ソウタの胸に付いた四芒星の徽章を見るやいなや驚いたように目を見開き、突然興奮した様子で詰め寄ってきた。
「君はサポーターか! もしや……あの依頼を受けてくれたのかねッ!?」
ズイッと顔を寄せてくるご老人を一旦なだめ落ち着かせると、ソウタはそのつもりで様子を見に来たのだと正直に伝えた。
とりあえず落ち着いて話が出来る場所へという事で彫像の傍らに置かれていたテーブルの元に移動し、みなが腰を下ろすと老人は未だ興奮冷めやらぬ様子でフゥと一息吐いた。
「よもや……無理を承知で出したあの依頼を引き受けてくれる者が現れようとは……これも貴方様のお導きか」
そう話す老人の視線はあの入り口正面に立つ立派な彫像に向けられていた。
これは誰の彫像なのかとソウタが尋ねると、老人は彫像の横顔を見上げたまま静かに語り始めた。
「この方はの、先代の国王陛下その人なんじゃよ。この大書庫の建設を先頭に立って推し進めた、偉大なお方じゃ」
しみじみとそう語る老人の目は在りし日を思い出しているのか、とても穏やかに遠くを見つめていた。
「先代……という事は、亡くなられてしまったんですか」
「……建設にようやく取り掛かろうかという、そんなさなかにの。この書庫は陛下の肝いりじゃった……その無念を思うと、悔恨の念に堪えん」
俯き視線を落とした老人のオーラには悔しさと共に微かな怒りの色が滲み出ていた。その複雑な心情を目に捉えながらソウタは寄り添うような言葉を選ぶ。
「……こちらの蔵書量は十万冊程あると、組合の方から伺いました。それだけの書物を集めた苦労を思うと、頭が下がります」
「陛下は知識を重んじるお方での、『知識と知恵こそが、この国の未来に最も必要なものである』と、そう口癖のように説いておられた」
大分落ち着きを取り戻した老人は不意にソウタの方へ向き直り姿勢を正すと、深々と頭を下げ
「年老いたこの身では整理もおぼつかん、この際誰でも良い……どうか、どうか力を貸して頂きたい」
それほどに強い思い入れのある蔵書の整理を見も知らぬ余所者に頼る……そこに何の不安も抱かないはずもない。
ソウタは老人の震える手をしばし見つめると穏やかな表情で誠心誠意応えた。
「顔を上げて下さい。始めに申し上げた通り、そのつもりで見に来ました。きちんと最後まで責任を持って、務めさせて頂きます……彼が」
そう言ってソウタが手で指し示した先には、白いもので顔を半分隠した優男がいた。
にこやかな表情で何故か石のように固まっていたその男は徐々にダラダラと大量の冷や汗を流し始めると削岩機のように震えながらソウタに疑問を呈した。
「あ、ああ、ああのあの、ぼっ僕、僕だけっで、です、か? じっじゅじゅじゅ十、十万、冊、を? て、手伝って、くれ、たり、は……?」
ガクガクブルブルと愉快に振動している秘書に対し、ソウタはとても良い笑顔を向けこう答えた。
「書類の整理は得意だったよね? たまに様子を見に来るから、ここは任せるね?」
引きつった顔のまま再び固まった秘書を放置してソウタは老人に活動は明日からになると事情を説明し一度書庫を後にすると、固まった秘書をミルドに担がせて一足先に宿に返し、ソウタとウシオ、スイカの三人で夕方まで王都の街を見て回る事にした。
王都は北東から南西に向かって流れる川の北側に位置する小高い丘を中心に築かれており、上から見ると丸みを帯びた菱形……平行四辺形のような形となっている。
上空から王都の造りを見下ろすと街は中心を流れる水路と大通りによって十字に分割されている事が分かる。
水路に隔てられた東側より西側の方が面積こそ広いものの賑わいを見せる繁華街はほぼ東側に偏っており、西側には主に王都の産業を支える工業地帯や農場などが多く見て取れた。
ちなみに王都の主要産業は何かと言うと、北の山脈から注がれる豊富な水資源を活かした酒造りである。
大通りに隔てられる街の北側には街全体を取り囲む防壁とは別の城壁によって二重に囲まれた立派な王城や上流階級の屋敷の他、城壁の外にも闘技場や軍の兵舎に訓練場、行政庁舎などと言った国政に関わる建物が比較的多く見られた。
大通りから南側は主に住宅地が広がっており、庶民の生活に必要な商店なども合わせ北側よりも建物のサイズは小さく、密度は高くなっている。
また、これまでは気付かなったが街の南東、繁華街から更に南に下った辺りには所謂スラムとでも呼べそうな荒廃した地区があり、更には西側防壁の外……街の外にも関わらずそこには防壁に沿って造りの悪い木造建築物が無数に立ち並ぶ異様な光景が広がっていた。
西門の警備に当たっていた兵士に話を聞いてみると外の建築物は貧民街と呼ばれ、街なかのスラムにすら居場所を得られなかった者達が最後に行き着く掃き溜め……という事だった。
街の外にいて魔獣に襲われないのかと問うと、王都西側に広がる平原は広範囲に渡って王国軍が普段から度々訓練の場として利用しているらしく、周辺の魔獣は殆ど狩り尽くしてしまった為比較的安全なのだと教えてくれた。
西門周辺から今度は南下して行くと徐々に建物の密度が疎らになっていき、代わりに畑が増え緑と土を見る機会が増えていく。
王都最南端は崖になっていて崖下には川が流れている。畑に日が当たるようにする為か南側の防壁の高さは東側に比べて低く抑えられており、川を挟んだ対岸には農村へ続く街道も見えていた。
農場の手伝いなどの依頼もあった事を考えると今後この辺りへと足を運ぶ機会も増えるかも知れない。
日が大きく傾き空が茜色に染まるまで王都を歩き回ったソウタ達は、宿に戻るとこの日も食堂を手伝い連日の大盛況を支えた。
賑やかな時間を楽しく過ごし、お休みの挨拶をして部屋へ戻るとソウタはベッドで不貞寝していた秘書を叩き起こし明日以降の各々の動きを確認すると告げた。
まず、ミルドは明日から単独で行商の護衛任務をこなし、可能な限りお金を稼いできて貰う。
依頼人の話では王都から隣の港町までは片道でも約二週間は掛かるのだという。
ソウタ達が王都にどれだけ滞在する事になるかはまだ不明だが、往復でひと月掛かるとなると必然数はこなせない。
少ない機会の中でミルドという存在に価値を見出してもらう為には多少派手な活躍が必要になる……かも知れない。
会話は必要最低限に、かつ反感を買わないようよく言い聞かせておく。
次に秘書、彼には蔵書整理の傍らこの世界のありとあらゆる知識や情報をまとめてもらい、地球への帰還方法に繋がる可能性があるものは片っ端から調べ上げて貰う。
特に『神吏者』――その存在はお伽噺だという……歴史、伝承、言い伝えなど、帰還の鍵を握る彼らの手掛かりとなる情報は何をおいても最優先である。
また、星空を湛えたあの巨大樹の事や精霊、魔獣と言った地球には存在しないこの世界特有のものについてもぜひ調べておきたい。
そして最後にソウタとウシオ、二人は一緒に街の雑事を片付けつつ住民達と交流を深め、聞き込みによって幅広い情報収集を図る。
書物にも残らないような民間伝承などもあるかも知れない、そういった人知れず残されているものを取り零さずすくい上げる。
人々との交流を通じて社会常識も身に着け、もし可能であればゆくゆくは二つ星へと昇級し今後の動きやすさも上げていきたい。
当面の間はこの方針で進める、とソウタが話を終えると次の瞬間――不満気な叫び声が部屋に響いた。
「わぁーたぁーしぃーはぁーっ!?」
自分だけ役割がないとスイカが部屋の中を鬱陶しく飛び回り、暴れ散らかしたのちソウタの鼻先に急接近して可愛く頬を膨らませながらムッと睨み付けた。
「スイカはボクらと一緒、一緒に街の人の話を聞いて気付いた事があれば教えて」
考えてもいなかったスイカの役割をソウタがしれっと付け加えると、あるなら最初に言ってよー、とすぐさま機嫌を取り直したちょろい妖精は満足気にソウタの頭の上にフワリと腰を下ろした。
するとそこへ、もう一人不満気な声を上げるものがいた。
「あのぉ……僕の負担激重くないですか? 十万ですよ十万……いくら何でも一人じゃ無理ですよぉ……」
下級人形を膝に乗せ、涙ながらに訴える男にソウタは珍しく真剣な表情で向き合った。
「ならまずは精導術から調べて。人形が精導術で説明出来るのなら何体か手伝いに付けても良い」
いつもの冷ややかな感じとは違う、ソウタの真摯な姿勢に秘書もキョトンとした顔で大人しく耳を傾けていた。
「必ず帰る……その為には今は少しでも幅広く情報を集めたい。ボクの力だけでは任務達成は難しい……困難も無理も承知の上で、力を貸して欲しい」
頼む、とソウタは頭を下げた。ソウタが秘書に頭を下げるのはこれが初めての事であった。
今朝のウシオとのやり取りで抱え込んでいたものを吐き出したお陰か、人に頼るという事を、ソウタ自身も受け入れたようであった。……素直かどうかはともかく。
その別人のようなソウタの様子に秘書は目を丸くし、ウシオは優しく微笑んでいた。
「……分かりました。僕だって帰りたいですし、出来る事を精一杯やってみます。まずは精導術から」
ソウタの変化を受けて秘書も覚悟を決め、明日に備えると言って再び横になるとまた五秒で寝息を立て始めた。
薄暗い、静かになった部屋の真ん中で小さくため息を零したソウタはおもむろに懐から時計を取り出しキリキリとゼンマイを巻いた。動き続ける秒針を見つめながら、そうして一日の終わりを迎える。
ランタンの灯りを消し、スイカとお休みの挨拶を交わしてソウタもウシオと二人揃って横になると、不意にウシオがソウタの頭を優しく撫でた。
「……なに」
「いいえ、何でもありませんよ」
囁くような声で言葉を交わし、穏やかに微笑みながら頭を撫で続けるウシオを一瞥するとソウタは急にぷいっと寝返りウシオに背中を向けてしまった。
そんな可愛らしい反応を見せるソウタに嬉しくなったウシオは今宵もぎゅうっと……一晩中ソウタを抱き枕にしたのであった。
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