第3話
元の世界への帰還方法と神吏者と呼ばれる存在を探す為……星空を湛えた巨大樹のそびえ立つ聖域の島を飛び出したソウタ達は実に丸一日以上もの間飛び続け、今は再び緑生い茂る深い森の中をゆっくりと歩いていた――
聖域の島を出たソウタ達はまず聖域の森の番人ガルドが羽の生えたトカゲと称した生き物をもっと近くで観察するべく、上ったばかりの太陽を東と仮定し北へと進んでいった。
やがて近くで確認した羽の生えたトカゲは例えるならワイバーン、もしくはプテラノドンのような姿をしていた。細長く伸びた口に鋭い牙、前足は翼と一体化していて後ろ足は短く、長い尻尾はダラリとしなだれている。
海上にポツンと浮かぶ高さ三百メートルくらいの岩山を縄張りにしているのか、その周辺をグルグルと旋回しながら器用に魚を獲って食べている様子が見て取れた。
恐竜とは呼べるかも知れないが龍ではない……ソウタは残念そうに小さくため息を零すと高度を上げ、そのまま岩山を通り過ぎて更に北へと突き進んでいった。
陸地のリの字も見えないまま日暮れを迎え、夜空に輝く星を目印に尚も北へと直進を続けていくと、ソウタ達はようやく最初の陸地をその視界に捉える事が出来た。
しかしそれは人の集落など期待できそうもない天を衝く巨大な針山で……西の方へ陸地が続いていたものの険しい岩山ばかりであった為、ソウタ達はそこから針路を北東へと曲げ更に直進を続けていった。
二回目の日の出を迎えた頃、ソウタ達は海岸線に沿って東西に広がる広大な森林地帯を眼下に据え、海へと注ぐ川を見つけるとその周りを重点的に空高くから人の集落を探していった。
やがて森の北側の切れ目と川の交わる辺りに小さな集落を見つけると、ソウタ達はその村にはすぐに向かわず踵を返して深い森の中へと降りていった。そして現在――
見つけた集落から真っ直ぐ南、四時間ほど下った森のど真ん中に降り立ったソウタ達はそこからわざわざ徒歩で森を抜け、人里を目指して移動している真っ最中であった。日は既に直上辺りまで昇ってきている。
悠長にしている暇は無いはずのソウタ達が何故、ようやく見つけたはずの集落にすぐ行かなかったのか……理由は二つある。
一つはこちらの世界の常識や文化と言った最低限の知識をその村から学ぶ為である。
何も知らないまま異世界の人間社会に飛び込んで、万が一この世界の法やルールを犯してしまうとただでさえ警戒されてしまう余所者である……その後の情報収集や諜報活動に
存在も定かではない地球への帰還方法や神吏者を探す為には少しでも多くの情報を集めなければならず、その為にはこの世界の人の社会に入り込む必要がある……警戒やトラブルを避ける為、考え得るリスクは可能な限り排除していかなければならない……との考えである。
ここで多少の時間を掛けてでも慎重に事を運ぶべき、そのようにソウタは判断した。
二つ目は魔獣というものの存在を確認しておきたい、というものである。
ガルドから聞いた、ただの獣とは違うこの世界特有の存在――魔獣。
ただの獣と一体何が違うのか、ソウタ達の脅威となり得るのか、この不確定要素を出来るだけ早い段階で見定めておきたい……そんな思惑もあり、ソウタ達は魔獣と遭遇しないものかとの淡い期待を胸に森の中を散策しながら集落を目指し……かれこれ一時間ほど歩き続けていた。
「魔獣……会いませんね? 地球で見られるものと同じような小動物はちらほら見かけますが」
白い和装の上からフリフリのエプロンドレスを纏った女性、ウシオが地球でも見られるごくごく普通の森を見渡しながらポツリと呟くと。
「その小動物が実は魔獣……なんて事は流石にないのかな。地球のものとの違いが全然分からない」
先頭を歩く白い和装の少年、ソウタが木の枝に止まっている小鳥を見上げながら同じく呟くように相槌を返した。するとそこへ……
「ハァ……あ……あの……ハァ……、少し……休み……ませんか……ハァ……ハァ……ブヘッ」
最後尾を歩いていた黒いスーツ姿の男、秘書が小石に躓き顔面から地面に倒れ込んでいた。その頭の上には少し前まで彼をグルグル巻きにしていた下級人形がデンッと、重しとなってふてぶてしく鎮座している。
ソウタは足を止めて振り返るとやや遅れ気味な秘書を無愛想に見つめながら良い解決策を提案した。
「休みたいならいくらでも引きずってあげるけど」
「そ……そちらの人形に……乗せて貰うとか……ていう選択肢は……ハァ……ないですか……ハァ……」
四つん這いになった秘書が肩で息をしながらソウタの隣を指差すとすぐさま却下、と冷ややかな答えが返ってきた。
むべもなく切り捨てられ涙目になりながらもよちよち歩きで必死に着いてくる秘書をしばし眺めると、ソウタはおもむろにその目を閉じた。
「……このペースだと一週間は掛かる、流石にもう少し近くにしておくべきだったかな」
人形との感覚共有――
ソウタの作る人形は術者であるソウタ自身と任意で視覚や聴覚と言った感覚を共有する事が出来る。
その際目を閉じ意識を集中する必要がある事に加え感覚を共有する人形との距離にも限界があるものの、遠く離れた人形の目や耳を借りられるという利点や汎用性は極めて大きい。
現在も上空を旋回しながら森全体を見渡している偵察用鳥人形の他、ソウタ達を取り囲むように配置された三体の小鳥人形達が等間隔を保ちながら森の枝から枝へと飛び移り周囲を警戒していた。
視覚共有を終え、目を開けたソウタは改めて疲労
「仕方ない……試したい事もあるし、少し休憩する」
「あぃ…………ぁます……」
恐らく感謝の言葉だと思うがもはや言えてなかった。
青々と茂った草の上に仰向けに倒れ込み大きく深呼吸をする秘書を尻目に、ソウタは近くの倒木の上に腰を下ろすと右手の人差し指を立ててその指先をジッと見つめ始めた。
「何を試すんですか?」
ウシオがソウタの隣に腰を下ろし一緒に指先を見つめながら尋ねると。
「人形を使わないで出来る事、その思索と実験」
そう言いながらソウタは指先に意識を集中し、普段依代に込めているオーラを圧縮するイメージで立てた指先へと集めていった。
ある程度圧縮し固めた所で今度はその指を掲げて振りかぶり、目の前の木に目掛けて投げ飛ばすように放った。
放たれたオーラの塊は風に舞うシャボン玉のような速度でユルユルと木に向かっていくと……当たる前に弾けて散った。
「……何も起きませんね」
オーラを肉眼で捉えられるのはソウタだけ、なので当然ウシオにも見えていなかった。
「……ゆっくり飛んで当たる前に散った、失敗」
ウシオの為、ため息混じりにわざわざ実況してあげるとソウタは再び指を立て、先程よりも時間を掛けてじっくりとオーラを固めていった。
「圧縮と速度が足りない」
一度目の失敗を活かし、二度目はより多くのオーラを指先へと集めていく。
先程のは例えるなら野球ボールほどのオーラを圧縮したものであった。故に今度はサッカーボールほどのオーラを指先へと集中させていく……どうやら圧縮自体は難しくないようで、しっかりと固められたオーラをソウタは先程よりも更に力強く、目の前の木へと投げ放った。
放たれたオーラは一回目よりはやや速くなったものの……やはりゆっくりと飛んでいくと木の表面に微かな傷を付けて散っていった。
「……少し削れましたね」
ウシオが見たままを呟くとソウタはフゥと一つため息を吐き、俯き目を伏せながら考えられる課題点を独り言のようにブツブツと挙げていった。
「圧縮自体は問題ない、気を身体から離すイメージが出来てない、身体から離れると急速に圧縮が解けていく、その前に目標まで届かないと……」
ソウタは俯いたまま、体から離れたオーラが高速で飛んでいくイメージを膨らませていた……が、どうにもしっくりくるイメージが掴めないようだった。
「(飛ばす……投げる……放つ……撃つ……射る……)」
ソウタは声には出さず心の中で様々な力の飛ばし方を模索する一方で、ふと視界の端で寝転んだままの秘書に視線を向けると鼻先に止まった小さな虫を指で弾く様子をぼーっと眺めていた。
「(弾く……弾く、か)」
デコピンの要領で指をピンッと二回弾くと、ソウタは再び指を立て指先にオーラを集中し始めた。
二回目同様サッカーボールほどのオーラをしっかりと圧縮し固めると今度はそのまま指を折り曲げ、親指で押さえながら目の前の木へと狙いを定め……ピンッと力強く指を弾いた。
次の瞬間、ソウタの想定以上の速さで放たれたオーラの塊は一瞬で木に到達するとその表皮をパァンッ!? と激しく炸裂させるように弾け散らした。
「まあ! 木の皮が弾けました、成功ですか?」
「悪くはないけど……もう少し精度と威力を上げないと使えない、この距離でこの程度では……」
木までの距離は約三メートル、この距離であれば木の一本や二本は貫通させたいとしながらも、ソウタは初めての試みにそれなりの手応えを感じていた。
「必殺技みたいで格好良いですねー、名前とか付けないんですか?」
下級人形を枕にしてゴロゴロと寝転んだまま、すっかり呼吸を整えた秘書が天地のひっくり返った顔でソウタへ声を掛けると、ソウタは下級人形を操り秘書の顔面へ蓋をするように覆い被せた。
息苦しそうにモガモガと暴れる秘書から目を逸らし、正面に立つ表皮の削れた木を見据えるとソウタは一人思案を始める。
「(必殺技……名前……)」
こんな威力で倒せる相手ならばそもそも敵ではないのだが……などと考えながらも、不思議と心惹かれる必殺技の響きに存外まんざらでもなかったソウタはこの技に名前を付ける事にした。
「(弾いて、削る……貫く……穿つ、穿つ弾……一点を穿つ……点で穿つ、これか)」
――点で穿つ、穿点(せんてん)。
自分の考えた技に名前を付け、無表情ながらも満足気に立ち上がったソウタは再び下級人形で秘書をミノムシ状態にすると休憩を切り上げ、一路集落を目指して先を急ぐのだった。
片目を閉じて鳥人形との視界共有を併用し周囲を警戒しながら、ソウタとウシオの二人は尋常ならざる速度で森の中を駆けていた。
夕暮れにはまだ遠いものの日が随分と傾いてきた頃、先程一週間は掛かると言っていた道程は既にその約半分を走破しようとしていた。
かなりの距離を移動してきたはずだが未だ魔獣と思しき存在は確認出来ておらず、このまま集落まで何事もなく辿り着いてしまうのか……そんな事をソウタが考えていた、その時――ウシオの耳がある音を捉えた。
「ソウタ!」
突然の呼び声にソウタはザザァァァッと地面を滑りながら急ぎ立ち止まると、手を添えて耳を澄ましているウシオの次の言葉を待った。
「……声……だと思います、あちらの方から」
ウシオが声のする方向を指し示すとソウタはすかさず示された方向に最も近い小鳥人形を操り声の出所を探った。
木々の間を縫うようにスルスルと進んでいく小鳥人形の視点を借りて探していくと、それはソウタ達からおよそ三キロほどの距離にいた。
そこにはある一本の木の周りをうろつき、樹上に向かって興奮した様子で吠え続ける一匹の大型犬か狼と言った容貌の獣がいた。
獣が見上げる樹上からは何やら女の子のような声が聞こえてくるものの、その姿を確認する事は出来ず……「こっち来ないでー!」だとか、「あっちいけー!」だと言ったそんな事を獣に向かって叫んでいるようであった。
「どうしますか?」
ウシオから指示を仰がれたソウタは引き続き小鳥人形の目を借りて現場を眺めながらどうするべきかと頭を悩ませていた。
「(ここは広大な森のど真ん中、こんな所まで女の子が一人で来られるものか? 上からは見えない村が近くにあるのか……何れにせよ人なら恩を売って損はないか……いや、これが魔獣の罠という可能性も……)」
まだまだこの世界について分からない事だらけで一向に考えがまとまらないものの、ソウタは意を決すると直ぐ側に控えていたウシオとは別の人影に視線を向けた。
「こいつを試してみよう」
そう言って見上げた先には身長二メートルは優に超える大きな白い人形――ではなく、身の丈ほどもある巨大な剣を肩に担いだ見慣れぬ大男が立っていた。
ソウタの持つ異能、人形遣い――生物の持つ生命エネルギーに似た力を媒体となる依代へ込める事で人形を生み出し使役する力。
生み出された人形は白いモチモチとした肉体を形成し、その形状や硬さまでをも自在に変化させ様々な状況に合わせて臨機応変に対応する事が可能である。しかし、この人形の体は元々そういう能力の仕様という訳では無い。
人形の肉体を構成する物質は〝何を依代としたか〟で様々に変化する。
普段使われている白い依代はもち米由来のデンプン溶液に浸して作られており、それ故にお餅のような肉体を形成するという訳である。
こういった性質を応用すると人間そっくりの人形を作り出すという事も出来たりする。
その際用いられる依代は普段の物とは違う特別に作られた黒い依代と毛や肉、骨と言った生き物の体の一部。それらを複数組み合わせる事で血や肉で出来た見た目も中身も人間そっくりな人形が作り出されるのである。
ただし、依代は何でも良いというわけでもない。
ソウタの力は生命エネルギーに近いもの、それ故に無機物を依代とした場合には人形にこそ出来るものの、柔軟性に欠けた扱いにくいものとなる上、込められる力も僅かで人形としてはほぼ役に立たないという制約も併せ持っている。
それは聖域の島での事――横穴を抜け島の外に出た際に見つけたガラクタの山……ソウタはそのガラクタの山から人骨や遺体の身に付けていたボロ布や防具、そして鎖に大剣等を拝借しいかにも屈強そうな大男風の人形を作り出していた。
魔獣という明確な脅威があるこの異世界で見た目子供と若い男女の三人だけで旅をしているのは流石に不自然、という考えによるものであった。
「ちょっと怖くて、かえって警戒させてしまうのではありませんか?」
ソウタと一緒に大男の人形を見上げながらウシオが当然の疑問を口にした。
というのも大男は筋骨隆々に無愛想な
「構わない、どうしたって警戒はされるだろうし……だからその警戒を受け持ってもらう囮としての役割もある。人間ならより存在の大きい、目立つものに意識を引っ張られてくれるはず」
そう言って一抹の不安を淡い期待で覆い隠したソウタはもう少し近付いて様子を見よう、と気配を殺し音を立てないよう注意しながら声のする方へと徐々に距離を詰めていった。
獣を肉眼で捉えられる距離にまで近付いてみると、獣を凝視していたソウタはある事に気が付いた。獣の持つ変わったオーラである。
「あの野犬……お腹の辺りに変な気の偏り……? 塊、が見える」
通常、生き物の持つ生命エネルギーは全身を満遍なく常に巡っているものである。その過程で体から滲み出すものもある訳だがそこに濃淡のようなものは存在しない。人や獣のオーラを数多く見てきたソウタにとっても初めて見る光景であった。
「もしかしてあれが魔獣かな……地球では見た事がない」
「強そうですか?」
ソウタと一緒に茂みに身を隠していたウシオが声を潜めて尋ねると、ソウタはゆっくり首を振って否定した。
「いや、見た感じは地球の犬と大差ないと思う……火とか吐かなければ」
地球と同じに見えてもここは地球ではない……異世界という事も考慮し、万が一の事態も想定しなくてはならない。
小鳥人形との視覚共有で周囲の安全を再確認したのち、ソウタが視線を向け合図を送ると大男の人形は剣と一緒に担いていたミノムシ秘書を雑に下ろし一人獣の方へと歩き出した。
獣はすぐに人形の接近に気付き警戒の姿勢をこちらに示してきた。まだ大男の全貌は茂みに隠れて見えていないはずだが、確かな敵意と警戒のオーラを滲ませていた。
耳と目の両方をこちらに向け、やがて現れた人形の姿をしっかりと視界に捉えた獣は野生ならではの勘かすぐさまその異質さに気付いて一歩後退りを見せた。
人の姿をしている……しかし人間ではない。
その不気味さを感じ取った獣はけたたましく人形に吠え掛かると姿勢を低くしたのち、勢いよく飛び掛かって――は、来なかった。
野生の獣は勝てない勝負はしないという……相手との力量差を察したのか、或いは不気味さ故か、獣はゆっくりと後退るとクルリと踵を返しあっさりと森の奥へ走り去っていった。
魔獣の存在というものを実感こそ出来なかったものの、とりあえず無事女の子を助ける事は出来たようでソウタ達がホッと胸を撫で下ろしていると、静かな森に喧しい女の子の叫び声が響き渡った
「わああああああああああああああ怖かったああああああッ! ありがとおおおおおおッ!?」
それはどうやら樹上の女の子の声のようで、強面な大男の人形だけでは怖がらせてしまうかもとソウタ達も急いで女の子の元へ駆け付けようとした……まさにその時――飛び込んできた光景にソウタは思わず自分の目を疑った。
――小さな女の子が樹上から飛んで降りてきたかと思うと大男の周りを泣き喚きながら飛び回っている。
見たありのままをそのまま言葉にするとこうなるのだが……補足していくと、まず女の子は小さい。どれほど小さいかと言うと恐らく身長十センチから十五センチ程しかない。
次に飛んで降りてきて男の周りを飛び回っている……これは文字通り飛んでいる、羽もなく宙にフワフワと浮いているのである。
姿は人間の女の子と言って差し支えなく、ほんのり淡く、薄く明るい緑色の光に包まれているようであった。
綺麗な子ですね、とウシオが呑気な事を言っている隣でソウタは片手で目元を覆い隠し俯いて頭を悩ませていた。
「(そっちのパターンは想定してなかった……何だあれは……精霊? 妖精?)」
異世界最初の知的生命体との接触はトラブル続きに終わり、しっかりと対策なども考え満を持して迎えた二度目の接触は人ですら無い……いよいよ異世界らしくなってきた旅の先行きに大きな不安を募らせるソウタであった。
やがてしばらくして呆れ顔のソウタ、いつも通り穏やかに微笑むウシオ、そして今日も引きずられているミノムシ秘書の三人が不思議そうな顔をして大男の周りを飛び回っている小さな女の子の元へ合流すると、次の瞬間女の子は目の合ったソウタの目と鼻の先まで猛烈な勢いで突っ込んできた。
ぶつかりそうになり思わずソウタが仰け反ると小さな女の子はジワジワと喜びを表情に滲ませ、とても嬉しそうに話し掛けてきた。
「やっぱり! 私の事見えてる! 見えてるよね!」
嬉しそうな女の子の言葉を聞いてソウタの表情は逆にジワジワと苦渋の色に染まっていった。
「……見えないのが普通なんだ……」
無視する選択肢もあったな……とソウタは胸の内で後悔を滲ませた。
そんなソウタの心情など知る由もなく、対照的に女の子はこれでもかと言うほどの喜びを爆発させていた。
「だああああぁぁぁぁ…………っれも! 返事してくれないんだもん! 人とお話出来たの私初めて!」
眼前に文字通り浮かぶ満面の笑みにため息を一つ零したソウタは、気を取り直して彼女が何者なのかを問う……前に自分達の紹介から始めた。
「ボクはソウタ、こっちはウシオと秘書、この大きいのが……あー……ミルド」
考えるのをすっかり忘れていた大男の人形に即興で名前を付け自己紹介を終えるとソウタは改めて、君は? と女の子へ尋ねた。
「私はねー、…………そう言えば名前なかった! でも風の妖精だよ! 精霊達が教えてくれたの!」
「……君は妖精で、他に精霊もいるのか……風という事は他の妖精もいそうだな……何故吠えられてたの?」
ソウタが再びため息を吐いていると妖精を名乗る女の子は不思議そうに小首を傾げていた。
「知らない! 私を見るといっつも意地悪してくるの! それより、私の事は見えるのに精霊は見えないの? こーんなにいっぱいいるのに?」
そう言って女の子は身振り手振りも交え全身でいっぱいをアピールしていた。
それを受けソウタは周囲を見渡してみるものの、そこには何の変哲もないごくごく普通の森が広がっているだけで精霊らしきものはどこにも見当たらなかった。
「……何も見えないけど、ここにも精霊とやらがいるの?」
ソウタが改めて尋ねると女の子はいーっぱいいる! と言いながら先程隠れていた木の周りをグルグルと回って何とかいっぱいを伝えようとしていた。
ソウタはやや思案したのち静かに目を閉じると、オーラの巡りを操作して目に集め一時的に視力を強化してもう一度精霊の捕捉を試みた。
スッ――と、ゆっくり目を開いた時、ソウタの瞳には数え切れない程おびただしい数の小さな光の粒がユラユラと宙空を
森の中にも、木々の上にも、その更に上にも、風に揺れる光の粒が天高くどこまでも広がっていく情景はまるで夢を見ているかのような錯覚すら覚える神秘的なものであった。
「見えた? いいいいぃぃぃぃっぱい居るでしょ?」
「あぁ……見えた…………っ」
不思議な光景を唖然と眺めていたその時、強引な強化の影響で目に痛みを覚えたソウタは反射的に目を閉じるとゆっくりとオーラの流れを正し整えていった。
心配そうに窺うウシオに問題ないと告げ、次に開かれた目にはもう精霊の姿は映っていなかった。
「こちらに来てから、もしかしたらずっと直ぐ側に居たのかな」
異世界という自身の想定を上回る未知との邂逅に感動を覚える一方で、もっと気を引き締めなければ気付かぬ内に足元を
ソウタが神妙な面持ちで決意を新たにしていたその傍らではソウタの言葉に興味をくすぐられたのか、好奇心旺盛な妖精がソウタの顔の周りをグルグルと鬱陶しく飛び回っていた。
「こちらってー? ソータ達はどこから来たのー?」
その余りの鬱陶しさに目を細めつつ、ソウタは考えた。
もしかしたら精霊の存在のような何か貴重な情報をこの妖精が知っているかもしれない。どこに危険が潜んでいるかも分からない現状、手に入る情報は一つでも多いに越した事はない、それが巡り巡ってきっと今後の為になるはずである、と。
そう考えたソウタは意を決し、小さな妖精の女の子に自分達の事情を
そしてもし何か知っている事があれば何でも良いから教えて欲しいと切にお願いすると、小さな妖精はそれはもう元気いっぱいに答えてくれた。
「よく分かんないけど楽しそう! 私も行きたーい!」
「(やっぱり無視するべきだったかな……)」
がっくりと肩を落とし大きなため息を零すソウタをよそに、その隣では妖精と挨拶を交わしていたウシオがふとある不便を指摘した。
「一緒に連れて行くなら何かお名前が欲しいですね」
それを聞いた瞬間妖精は名前! 欲しい! と再び鬱陶しくソウタの顔の周りをグルグル回りだした。
既に着いてくる事が確定している流れに突っ込む気力すらなく、ソウタは余りの鬱陶しさにものすごく適当に名前を考え始めた。
「……風の妖精という事だから、フウ」
安直にもほどがあるもののそれほど悪い名前ではないとソウタは考えていたのだが、当の妖精の反応はあまり芳しくないようで……うーん、と唸りながら難しい顔をしていた。
「じゃあフウコ……フウカ……フウリ……」
風にあれこれくっつけてみるもののピンとくるものはないようで、妖精は相変わらず唸りながら同じ姿勢のままその場でクルクルと回転していた。オルゴールの飾りのようである。
「ボクのはお気に召さないと……ウシオ、何かある?」
「そうですね……綺麗な緑色をしていますから、スイ(翠)を入れるのはどうでしょう?」
ウシオがそう言うとどうやらこのアイデアは
ここでソウタは忘れかけていた翻訳の法則を思い出し、この妖精にこちらの提案がどう伝わっていたのかを考えた。
これまでの経験から意訳で伝わると思われるのでソウタの提案は風コや風カ、風リといった微妙な感じに伝わっていたのかも知れない。
ならば、とソウタはその考えに従って改めて、今度はきちんと意味を込めて提案してみる事にした。
「スイカ(翠花)」
その名を聞いた瞬間、妖精はカッと目を見開いたかと思うと再びソウタの鼻先に勢いよく迫り感情を大爆発させた。
「それだああああっ!? それ! それがいい!」
「……気に入って貰えたようで何より」
小さな妖精は初めて手にした自分の名前を何度も連呼しながらソウタ達の周りを飛び回り、その小ささなど感じさせない大きな元気で最大限の喜びを表現していた。
異世界へ訪れてからもうあと数時間で丸二日が経過しようかという午後のひと時……こうしてソウタ達の旅に新たな同行者、小さな風の妖精スイカが加わる事となるのであった。
「きゃああああああ! はやああああああぁぁぁぁい! すごおおおおおおぉぉぉぉい!」
一波乱ののち、再び集落を目指して移動を再開したソウタ達は先程同様尋常ならざる速度で森の中を駆け抜けていた。
ミノムシ状態の秘書は引き続き大男の人形ミルドに大剣と一緒に担がれている一方、新たな旅の同行者である小さな風の妖精スイカはウシオの胸元にスッポリと収まり、これまで経験した事のない速さに驚愕と歓喜の叫びを上げていた。さながらジェットコースター気分であろう小さな妖精の大きな叫び声が夕暮れに染まる静かな森に響き渡っている。
幸いな事にあれ以降目立ったトラブルに遭遇するという事もなく、延々走り続けたソウタ達はほどなくして目的の集落の手前約三キロ付近にまで辿り着き、徒歩一週間の道程を日が沈み切る前に見事完全走破してみせた。
「ソータ達はやーい! すごかったー! ……あれ、村まで行くんじゃないの? もうすぐそこだよ?」
旅に加わったばかりのスイカが不思議そうに尋ねるとソウタは警戒をウシオとミルドに任せ、片目を閉じたまま腰を下ろし改めて事情を説明した。
「ボク達はこちらの世界の何もかもを知らない、だから常識とかその辺をあの村から教えて貰う。数日はここで野宿するつもりだよ」
「ふーん、よく分かんないけど大変そー」
全く理解してなさそうな呑気な妖精はまたもやミルドに雑に降ろされ身悶えしているミノムシにフワフワと近付いていくとツンツンつつき回していた。
「あ……の……ずびばぜん……そろそろ空腹が……」
初日に隊員達と一緒に食事をして以降何も口にしておらずお腹の虫を鳴らすミノムシ、もとい秘書が食事の提案をすると、ソウタは秘書に巻き付けていた下級人形の中から例の物を取り出し秘書へと手渡した。
「その下級の中に多少の備えは持ってきてある。水カプセルもあるから遠慮なく食べると良い」
「手ぶらだと思ったらここにあったんですね……ありがたく……頂戴します……」
手渡された例の携帯糧食を見つめ秘書は喜びに打ち震えていた。それはもうすごい涙である。
そんな様子を片目で冷ややかに見ていたソウタは小さなため息と共に両目とも閉じると、集落へと飛ばした小鳥人形の視点に意識を集中するのであった。
ソウタ達の見つけたその集落はどうやら農村のようで、建物の密集した住宅地の隣には広大な畑が広がっていた。その中には牧場のような牧草地や家畜用と見られる
そして注目すべきはその周囲……畑や建物といったそれら全てを取り囲むように長大な防壁が築かれており、ここが魔獣という脅威のある異世界である事を如実に物語っていた。
住宅地の方へ目を向けてみると家屋の多くは木造二階建てで、木の板やレンガ、白や黄土色の土を壁としたしっかりとした造りをしていた。一部の家屋には透明度は低いもののガラス窓も見られる。
また、川から畑へと続くきちんとした水路も整備されている事などからこの世界に確かな文化、社会が形成されているのだと確信を持つ事が出来た。
小鳥人形の高度を下げ、煙突から煙の上る一軒の家の窓辺から中を覗き見ると食事の様子も知る事が出来た。
テーブルの上にはパンのような物とその横に白いヨーグルトかクリームチーズのような物、それと具材のたっぷり入ったスープのような物が人数分並べられており、質素ではあるかも知れないが十分な量を得られているようであった。
更に住民の服装にも注目すると、派手な色や飾りなどは見られないもののしっかりと縫製された衣服と呼べる物を誰もが身に付けていた。
夕暮れ時という事もあり人は
「(機械的な物は見られないけど十分な知性と秩序がある、これだけちゃんとしていれば……)」
村の様子を眺めながらソウタは十分な情報収集が見込めそうだと期待を膨らませる一方、課題の面にもしっかりと意識を広げていった。
「(この中に留まる為には……何をおいてもまずはお金か、仕事があれば信用にも繋げやすい)」
この世界にどのような仕事があるのか、とソウタは再び鳥を羽ばたかせると仕事に関係しそうな建物を探し村を巡っていった。
まず農村であるという事もあり畑仕事には事欠かないであろう。他にも畜産や酪農関係、農産物の加工などを行う建物も見られたがそんな中……ソウタは住宅地の一角に気になる建物を見つけた。
そこは一見ただの住宅のようにも見えたが入り口は大きく開け放たれており、中には複数の武装した男性達がテーブルに突っ伏して飲んだくれている様子が見て取れた。入口の看板には待合所と書かれている。
「(文字も読めるのか、収穫だ。武装兵と酒、魔獣が居る訳だからその備えとかだろうか……
魔獣への備え、武力での社会貢献という点に今度は着目し、ソウタは集落を取り囲む防壁の方に向けて小鳥人形を空高く羽ばたかせた。
防壁には住宅地のある北東側と畑のある南西側にそれぞれ一つずつ、外に続く門扉と見張り台のような物があったのだが、そこに見張り番や衛兵のような人の姿は見られなかった。
「(警備はしっかりしているとは言い難いな……意外と平和なんだろうか。防壁も石造りの場所と丸太で出来た簡素な場所がある……人手か資材不足かな)」
そのまましばらく防壁の周辺を眺めていると北東側の、恐らく村の入り口と見られるその近辺に
それを見てこの世界にも馬がいるのかと気になったソウタが村の中を探していると、村の北側を流れる川沿いの厩舎にその姿を見つける事が出来た。地球でよく見る馬よりやや大きかったもの確かに馬である。
「(随分とでかいな……隣の牧場にはヤギか羊のような動物もいた……人形越しじゃ気が見えないけど、魔獣じゃないよな)」
一通り村を見て回り小鳥人形を空高く舞い上げると上空に留めながらソウタは村全体を見下ろし、見ていないもの、見ておきたいものを考えた。
「(情報を集めるなら書物の類いもあると助かる、あとはお金の現物と取引も一度見ておきたいけど……)」
もっと情報が欲しいソウタであったが時は既に夕刻を過ぎ、辺りは徐々に薄暗くなってきていた。
「(夜は人の動きが止まる、明日にするべきか……)」
小鳥人形を近くの高い場所に止め、ソウタが一度視覚共有を終えようとした――その時だった。
――ドォンッ!? と、三キロ離れたソウタ達の所まで届くほどの地鳴りと共に無数の遠吠えらしき獣の声が響き渡り、更に立て続けに再びドォンッという音が聞こえると振動と一緒にバキバキミシミシッと何かが軋む嫌な音までもが周辺に木霊した。
ソウタが人形を介して音の出所を探っていると整然と並ぶ畑の奥、森と畑を隔てる防壁に築かれた木造の門扉が三度目の轟音と共に激しく音を立てて打ち破られる瞬間を見た。スイカに吠えていたのと同じ野犬、魔獣の襲撃である。
打ち破られた門からのそのそと村の畑へ侵入を果たす無数の獣達を見ているとその中に一匹、ひと目で群れのボスと分かる巨大な姿があった。体長は優に象を超えている。
「なになに、何の音!?」
「ソウタ、一体何が?」
ソウタは視覚共有を維持したまま片目を開けて立ち上がると、狼狽えるスイカ達に状況を伝えどう動くべきかを思案した。
「(助けに行く……常識も何もわからないまま突っ込んで最悪罪人扱いでもされたら……でもここで情報源を失うわけにも…………間の悪い、何一つままならない……)」
微かな苛立ちを覚えるソウタだったがフゥと一息吐くと瞬時に落ち着きを取り戻し、ウシオ達に村へ救援に向かう旨を告げた。
「恩を売るチャンスと前向きに捉えよう。うまく行かなければその時対策を考える、今は人命を優先する」
はい、とウシオの声が返るとソウタ達は急ぎ村へと駆け出すのであった。
ソウタ達が村に向けて移動を始めた頃、村ではカンカンカンと
村の住宅地と畑の間には丸太を並べた簡素なものではあるものの一応の防壁が建てられており、その防壁の扉を急ぎ閉めると
女子供を家へ押し込め、男達は武器を手に村中を駆け回り
村中が慌ただしく騒然とする中、ソウタ達は早くも村を取り囲む防壁の前まで辿り着いていた。
ミノムシ秘書をミルドに担がせ、各々軽々と防壁の上へ飛び乗り身を低くしながら村内部の状況を見渡すと、ソウタはこれからの動き方に付いて指示を飛ばした。
「ウシオ、ここからは糸や怪力は無しだ。基本はミルドに任せる、目立つ行動はなるべく避けて。スイカはウシオから離れないように」
ウシオとスイカ、二人の返事を確認するとソウタ達は素早く住宅地側に降り立ち、集まっている村人達の方へと駆け寄っていった。
「なっ何だお前ら、なにもんだ! 一体どっから入ったッ!?」
突然現れた余所者に気が付いた村人達は当然武器を向け、警戒を露わにした。ソウタは村人達と多少の距離を開けたまま、刺激しないよう穏やかに落ち着いて声を掛けた。
「突然申し訳ありません、我々は旅の者です。警鐘を聞き何かお力になれないかと駆け付けました。勝手に入った事はお詫び致します」
ソウタは軽く頭を下げ謝罪を口にしながら村人達の反応をつぶさに観察していた。魔獣
村人達は旅人を名乗る怪しい三人組をジロジロ眺めるとある人物に目を留め、村人同士でコソコソと何かを話し合い始めた。ソウタの目には警戒に混じる期待のオーラが見えている。
ほどなくして、短いコソコソ話が終わると村人達の中から一人の茶色い髭を蓄えた
「わしはこのバードルフの村長を任されてるもんだ」
村長を名乗る男性にソウタも自分達の紹介を返し、迷いのオーラをその目に捉えながらもう一度ダメ押しで協力を申し出た。すると――
「……正直、村のもんだけじゃ追い払える自信がねぇ……そっちの強そうな兄さんに頼らせて貰えるかい。勿論出来る限りの礼はする」
何とか第一関門突破である。安堵を隠しソウタが村長と固く握手を交わしていると、そこへ一人の若い女性が息を荒げ慌てて駆け寄ってきた。
「あんた! あんた……ッ!?」
「お前っ何してんだ! 家入ってろって言っただろ!」
その二人はどうやら若いご夫婦のようで、慌てた奥さんが旦那さんへ駆け寄ると崩れ落ちるように座り込み、旦那さんへ
「あの子が……どこを探してもあの子がいないのよ! まだ帰ってきていないのッ!?」
子供の行方がわからない――事情を把握した村人達が騒然とする中、ソウタは周囲に悟られないよう袖で片目を隠し小鳥人形の目を借りて子供の行方を探した。しかし……日が暮れようかという薄暗い中オーラの見えない人形越しでの小さな子供の捜索は困難なものであった。
中々子供を見つける事が出来ずソウタが焦りを滲ませた、その時――子供がいたぞ! と物見櫓から大きな声が上がった。警鐘を鳴らしていた村人の声である。
物見櫓の上から村人が指差す方へソウタもすかさず小鳥人形を向かわせると、茜に染まる畑の暗がりにようやく子供の姿を見つけた。
畑の周りで遊んでいたのか、土に汚れた子供は収穫前の背の高い作物に身を隠してはいたものの、嗅覚の鋭い獣にそんなその場しのぎが通用するはずもなく……野犬に周囲を取り囲まれ逃げ道を塞がれた子供にあの象のように巨大な魔獣がジワリジワリとにじり寄っているさなかであった。子供と魔獣の距離はもう三メートルもない。
「まずいっミルド……ッ!?」
ソウタが叫んだ瞬間――ミルドは秘書を落として子供のいる方向へ一直線に駆け出すと丸太の防壁上に着地できるよう高く大きく跳躍し、空中で大きな剣を槍のように構え子供と魔獣の間目掛けて豪快に投げ飛ばした。
放たれた大剣は風を切って大地を穿ち、大量の土を巻き上げながら柄の端に結ばれた鎖をなびかせて止まった。
直後、突然飛んできた大剣に魔獣が一歩下がるのとほぼ同時に今度は更に大きな塊が剣と子供の間に飛び込んできた――ミルドである。
強靭な脚力で足場にした丸太防壁の一部を破壊しながら一直線に飛び込んできたミルドは、反動になびいた鎖を左手で掴み勢いのまま剣を引き抜くと素早く左から背中側に回して右へ、反時計回りに遠心力を掛け、そのまま右手で柄を握るやいなや眼前の魔獣目掛けて思い切り鋭く薙ぎ払った。
剣圧によって盛大に土煙を上げる鮮烈な一閃は周囲の作物を
しかし完全には避けきれなかったのか、剣の先端を僅かにかすめた魔獣の右目からは真っ赤な血がポタポタと
牙を剥き、低く唸り声を上げながらミルドを睨み付けるこの魔獣もまた、ミルドの異質さには勘付いているようだった。
鎖を左手に巻き付け、大剣を右肩に担ぐように構え直すミルドから目を離さず徐々に後退るともう一度、魔獣は大きく後方に飛び退いて距離を取った。
ものの数秒、ミルドと鋭く睨み合っていたかと思うと魔獣は突然威嚇の姿勢をやめ、空に向かって大きく遠吠えを上げた。
増援か、と村人達やソウタが緊張を走らせたのも束の間、畑に散っていた野犬達はその遠吠えを合図に踵を返すと侵入してきた門を通ってそそくさと森へ退却していった。
最後まで残った魔獣のボスもミルドから目を離す事なく睨み付けたままゆっくり後退ると、クルリと踵を返し静かに森の暗がりの方へ走り去っていった。
時間にして僅か数分……こうして、魔獣による黄昏の襲撃は夜の帳と共に幕を下ろすのであった。
その後、無事子供を連れて戻ってきたミルドに村人達は群がり歓喜と称賛を浴びせて大いに盛り上がっていた。子供も無事夫婦の元に戻り、家族揃って安堵に大粒の涙を見せていた。
物見櫓の上から全てを目撃していた村人は櫓から飛び降りて駆け寄ってくるなり、目を疑うようなミルドの活躍をまるで我が事のように自慢気に集まった村人達へ話して聞かせていた。
人集りの一歩外にいた村長の元へ歩み寄ると、ソウタはミルドの壊した防壁と畑の件で謝罪を口にした。
「
「あぁ……いやなに、どっちも取り返しのつくもんだ、大した事じゃない。それよりも礼を言わせてくれ、お陰で一人の犠牲も出さずに追い払う事が出来た、ありがとうよ」
それにしてもあの兄さんすごいな、と村長もすっかりミルドの活躍に夢中になっているようであった。
とは言えである、人々から矢継ぎ早に声を掛けられ困惑気味のミルドにボロが出ない内にソウタは助け舟を出す事にした。
壊れた門扉の修理は即取り掛からねばならず夜を徹しての作業になるはず、護衛も無しでは不安で作業の手も進まないだろう……という事でミルドを使って欲しい旨をソウタから村長に提案すると、それはありがたいと話す村長のオーラに再び警戒の色が滲んだ。
恩を押し付け過ぎても見返りを期待していると思われたり、何か企んでいるのではないかと警戒される事がある。軽い要求も合わせてソウタはバランスを取っていく。
「代わりと言ってはなんですが一晩の宿をお貸し頂けませんか、お礼というのであればそれで十分です」
「……ふっ、村の恩人にその程度で済ませたとあっちゃ村のもんに示しが付かん。うちに来い、しっかりともてなさせて貰うよ」
そう言って村長は苦笑いを零すとミルドの周囲に出来た人集りに向けて手を叩きながら声を張り上げ場を静めた。
急ぎ門の修理に取り掛かるように指示を出し、ミルドが護衛に付く旨を伝えると人集りからは再び大きな歓声が沸き上がった。
ミルドと沸き立つ男性達に後の事を任せ、ソウタ達は村長宅へと案内されると事情を聞いた村長の奥さんに熱烈な歓迎を受けていた。
夕刻だった事もあり食事の準備をしていた奥さんは突然の来客にも嫌な顔一つせず、これじゃ全然足りないわねと嬉しそうに再び台所の方へ忙しなく戻っていった。
大きなテーブルのある広々としたリビングのような所へ案内されると食事を待つ間、ソウタ達は村長からの質問に耐える緊張の瞬間を迎える事となる……二つ目の関門である。
「さて、ソウタだったな……お前さんら、随分変わった格好をしとるがどっから来たんだ?」
「えーと……詳しい場所はお話出来ないのですが、この服は我々の村の伝統的な民族衣装でして、村の長となる者が試練の際に着用する決まりになっています」
――即興ではあるがソウタの考えた設定はこうである。
自分はとある村の長候補で、次期長となるものは見聞を広げる為一年間外の世界を見て回る旅に出なければならない。
ウシオと秘書は付き人で、ミルドは村の近くで行き倒れていた所を介抱したところ恩返しにこの旅の護衛を買って出てくれた傭兵……という感じである。
何一つこの世界の情報がない状況でソウタが捻り出した苦肉の案であった。ウシオのエプロンドレスは彼女の趣味という事で押し切る。
「その若さで長候補か、通りでしっかりしとるわけだ。村の場所は秘密というわけだな、ハッハッハッハ!」
設定の世界観が大分古いがどうやら信じて貰えるだけの説得力はあったらしい。とは言えこのまま質問され続けてボロが出ても嫌なのでソウタは逆に質問攻めにする策に打って出た。
「一つご相談なのですが……実は旅の資金が底を突いてしまいまして仕事を探しています。この村でお仕事を頂く事は可能でしょうか?」
「ふむ、仕事か……見ての通りうちは農村で仕事と言ったら土いじりばかりだ。荷運びなんかもあるにはあるが人を雇う程のもんでもねぇ」
時期的にも人手は足りていて人を雇うような仕事はこの村では見つからないかも知れない、との説明を受けるとそこで村長は代替案を示してくれた。
「ここから馬車で二日の距離に王都がある、そこまで行けば仕事も見つかるかも知れん。それこそ『サポーター』に登録しても良い」
「(サポーター? 急に横文字になった……複数の意味が混ざったのか……?)」
初めて出てきた言葉にソウタは翻訳の法則に照らし合わせて分析しながらも、より正確な情報を得る為サポーターとは何か、と詳しい説明を求めた。
「知らんか? サポーター組合が運営しとる仕事斡旋所のようなもんだ、仕事と働き手の仲介をしとる。うちの村にも警備の為に王都から招いたのが何人かおるんだが……ありゃ駄目だな」
村長はやれやれと言った様子で首を振りながらため息を振り撒いた。
待合所で酔い潰れていた彼らの事か……とソウタは武装した男性達の事を思い出しながらサポーターというものについて更に質問を続けた。
「そのサポーターというのは誰でもなれるんでしょうか? 例えば年齢制限のようなものがあるとか」
「わしも詳しい訳じゃないが、そういった話は特に聞かんな。子供のサポーターもいると聞いた事もあるし、多分お前さんでも問題なかろう」
その説明を聞いてソウタは少し安堵した。簡単に仕事が見つかるのであればお金の心配はなくなるかも知れない、サポーターというまだ見ぬ職業にソウタは大いに期待を膨らませていた。
するとやや表情が緩んだのかも知れない、ソウタの様子を見ていた村長がほんのりと笑みを浮かべ小首を傾げて尋ねてきた。
「お前さんら、しばらくこの村に留まるか? 必要ならしばらくうちに泊まって貰っても構わんが」
それはとてもありがたい申し出ではあった。
本来であれば数日はこの周辺に留まり、しっかりと文化や常識を把握してから接触を図る予定であった。しかし突発的な状況に振り回され、行き当たりばったりであったとしても既に足を踏み込む結果となってしまっている。
であれば、現状それほど不審には思われていないのならいっその事行ける所まで行ってしまうのも一つの手である。
不本意であったとしても、動き出してしまったものは仕方がない……そんな前向きとも言い訳とも取れる考えに落ち着いたソウタは、村長のありがたい申し出を丁重にお断りした。
先を急ぎたいという事にしてソウタが明朝には王都に向けて出発したい旨を伝えると、それならと村長は明朝出る行商の馬車に乗せて貰えるよう手配すると申し出てくれた。
「ただし馬車の出る時間は朝早いぞ? 起きられるか?」
そう言って少し意地悪な笑顔を浮かべる村長にソウタも微笑んで頭を下げ感謝を伝えた。
その後も会話の主導権を握り質問されないように耐えているとほどなくして、お待たせしましたー、と明るい声と共に奥さんがいい香りを纏って現れ、テーブルに次々と美味しそうな料理を並べていった。
ウシオも運ぶのを手伝い、テーブルが沢山の料理で埋め尽くされると村長の合図で賑やかな食事会が始まった。
テーブルの下に隠れて果物を頬張るスイカ、例の携帯糧食を我慢して難を逃れご馳走にありついた涙の鬱陶しい秘書、奥さんとエプロンドレスの話に花を咲かせるウシオ――華やぐ食卓を囲み、異世界で最初の温かい食事にソウタ達はありがたくもてなしを満喫するのであった。
食事の後、二階の一室に案内されたソウタは提供された部屋で懐中時計のゼンマイをキリキリと巻いてきた。
普段は物置にしているという部屋には木箱を並べて上に藁を敷き、その上に更に筵(むしろ。藁で出来たゴザのようなもの)を敷いただけの即興のベッドが二つ並んでいた。
これがこの世界の一般的な寝具というわけではなく、突然の事にちゃんとした物が用意出来なかっただけである。
綿や羊毛を用いたふかふかの寝具もあるようだが、たった一晩の為に用意させるのも悪いとソウタが遠慮した為このようなベッドになっている。
片方には下級を枕にして既に大の字になっている秘書と、そのお腹の上で同じく大の字になっているスイカが仲良く寝息を立てていた。横になってものの五秒の早業である。
もう一つのベッドにはソウタとウシオが並んで腰掛けている。
ソウタがゼンマイを巻き終わった時計をしばし見つめていると、ウシオが小声でミルドの事を尋ねてきた。
「ミルドの事は放っておいて大丈夫ですか? まだ喋らせる訳にも行きませんよね、食事の事も」
特殊な依代によって作り出された人間そっくりの人形、ミルド――喋る事自体は可能なのだが『ナニカ』を通っておらず、直接光を浴びていない為この異世界の人々と果たして会話が可能なのか否か……バタバタと色々あった為ソウタも見落としまだ確認出来ていなかった。
食事も人形には当然必要ない。普段であれば断るなりどうとでもなるのだが、もてなしとなると無下に断る訳にも行かず……魔獣撃退の一番の功労者であるミルドに何も食べさせないなんて事を村長が受け入れるはずもなかった。
「言葉はスイカと確認出来るとして……門の修復にどれだけ時間が掛かるか分からないけど、現状は問題ない。朝まで掛かってくれれば食事もやり過ごせると思う」
目を閉じミルドと小鳥人形の視点で壊された門付近の状況を確認すると今夜は眠れないな、と呟きながらソウタはやや疲れたと言った様子でため息を零し時計を懐にしまった。
するとそれを見ていたウシオはおもむろにソウタをそっと優しく抱き寄せ、小さな子供をあやすように頭を撫でながら穏やかな甘い声で囁いた。
「休める時は休みましょう、先は長いですから……大丈夫、ソウタならきっと乗り越えられます。大丈夫――」
ウシオの抱擁を形容するならば〝天国〟と言う他にない。
実際の天国が如何なるものかはさておき……優しく、暖かく、極上の柔らかさに包み込まれたが最後、如何なる者であってもその天上の至福に抗う事は許されない。
かく言うソウタも例外ではなく、これまで幾度となくこの抱擁に意識を刈り取られてきた。
そして今日もまた……ソウタの意識は穏やかな声に導かれるまま、溶けるように天国へと沈んでいった――
空が白み始める早朝、ウシオにぎゅうっと抱き締められたソウタの頭は大きく柔らかな双丘の間に深く埋もれていた。
ソウタが天国から意識を取り戻し小さく身動ぎすると、気付いたウシオはそっと抱擁を解いた。
「おはようございます、ソウタ。よく眠れましたか?」
「……お陰様で」
仏頂面で朝の挨拶を返し、ウシオと一緒にゆっくりと体を起こすとソウタはすぐさま目を閉じミルドの状況を確認した。
やはり壊れた門扉の修復は一晩で片付くものではなかったようで、未だミルドは壊れた門の外に一人、森を睨み付けながら仁王立ちしていた。
門の内側には新しく取り付ける木製の扉が組み上がり、地面に横たわりながら歪んた門の修復と朝の日の出を待ちわびていた。
次にソウタは小鳥人形の視点を借りて村の入口の方へ目を向けると、馬車の準備を進める男性と村長が話し合っている所が見えた。昨夜話していた馬車の手配をしてくれているようである。
ミルド周りでトラブルもなかったようでソウタはホッと胸を撫で下ろすと懐から時計を取り出し、上空を旋回している鳥人形の視点を借りて日の出の瞬間を待った。
徐々に空の明るさが増していき、遥か遠くの地平線に陽の光が顔を見せた所でソウタはウシオと一緒に時計に目を落とした。
すると偶然か神の悪戯か、この世界の一日の周期は地球とほぼ変わらない二十四時間前後である事が分かり、ソウタは驚いて思わずウシオと顔を見合わせた。
「この時計、動いてるだけで実は壊れてるんじゃ……」
「見た感じ問題なさそうに見えますけど」
一日の時間は星の自転と公転の速度で決まる。宇宙に星は数え切れないほどあるが同じ自転速度、公転速度の星となるとそんなものが存在するのか否か……天文学的な確率の話になってくる。
異世界だと思っていたここが実は地球の裏側、或いはパラレルワールドと言う可能性も……? なんて事を考えつつ、とりあえず今はこの時計を信じる事としたソウタは訝しげにため息を零しながらもそっと時計を懐にしまった。
すると隣りに座っていたウシオがおもむろに顔を上げたかと思うとスンッと鼻を鳴らし、階下からいい匂いが上ってきている事に気が付いた。
ソウタとウシオはもう一度顔を見合わせ、涎を垂らして爆睡している秘書とスイカを起こさないよう静かに部屋を出ると階段を降りている所で帰ってきた村長とばったり出くわした。
「おお何だ、もう起きたのか。飯の匂いにでも釣られたか?」
昨夜に続いてまたもや意地悪な笑顔を見せる村長にソウタがサラリと朝の挨拶を返すと、気に掛けていたミルドの食事について問い掛けられた。
「ミルドさんっつったか、昨夜差し入れを持って行ったんだが手を付けて貰えんでな。一晩中何も食ってないが大丈夫なのか?」
「あー……すいません、お伝えし忘れていました。彼は人目があると落ち着かないそうで、実は我々の前でも食事をしないんです」
即興で言い訳を考え王都への道中で摂る事になると思う、と何とか取り繕うと話を聞いていた奥さんが持っていける物を用意してくれると申し出てくれた。
「そうか、馬車の方は今しがた話を付けてきた。朝食を済ませたら案内しよう」
何から何まで申し訳ないほどお世話になりっぱなしである、ソウタとウシオは改めて村長夫妻へ心からの感謝を伝えた。
その後人形を使って秘書とスイカを叩き起こし、揃って朝食を頂いたソウタ達は村人と交代して戻ってきたミルドと合流し、村の入り口で待っていた行商人に挨拶して馬車の荷台へと乗り込んでいった。
早朝にも関わらず見送りには村長夫妻だけでなく多くの村人達が集まってくれていた。子供を救われた若い夫婦や物見櫓の人の姿も見られる。
ミルド、秘書、ウシオの順で馬車に乗り込んで行き、最後にソウタが乗り込もうとした所でここに来てまさかの第三の関門が待ち受けていた。ソウタの背中に難しい顔をした村長から声が掛かる。
「ずっと気になっとったんだが、最後に一つ良いか……そいつは一体何なんだ?」
村長の指差す先、そこに居たのは寝癖頭の秘書……に、抱きかかえられた下級人形であった。白くモチモチと動く珍妙な姿に集まった人々の視線が注がれる。
「これ、も……あまり詳しくは言えないのですが……精霊……や妖精のような、そういった力を借りて動く人形で……旅のお目付け役みたいな感じです」
ソウタは頑張って考えた。
「ほぉー……ちゃんとしたもんを見るのは初めてだが、これが噂に聞く『
またしても知らない単語が飛び出してきたが何とか納得して貰えたようで、ソウタは誰にも悟られないよう一人胸の内で安堵のため息を零した。
「あっという間だったが、お前さんらが来てくれて本当に助かった。村を代表して礼を言わせてくれ、ありがとう。また近くに寄った時は顔を見せてくれ、必ずな」
村長が感謝を述べて頭を下げると集まった村人達も揃って頭を下げ、思い思いに感謝を口にした。
人々の温かなオーラをその目に捉えソウタも微笑むと深々と頭を下げ、心からの感謝を送り返した。
「頂いた恩はいつか必ずお返しに来ます。本当にお世話になりました、皆さんもどうかお元気で」
別れの頃合いを見計らい村の扉が開かれると、馬車はゆっくりと王都へ向けて動き出した。
離れゆく馬車に村人達はいつまでも大きな声で感謝を叫び、その姿が見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。一部ウシオへの求婚やミルドへの弟子入り志願が紛れ込んでいた気がしたが気の所為という事にする。
ドタバタと不本意に始まってしまった異世界人間社会とのファーストコンタクトを何とか乗り越え、ソウタ達は一路、更なる交流と情報を求め王都への街道を突き進んでいくのであった。
――時速にして約十キロ前後で。
農村バードルフから一路王都へ向けて――沢山の積み荷と一緒にソウタ達を乗せた馬車が二台、街道を縦に並んでゆっくりと歩を進めていた。
街道は思ったよりもきちんと整備され、向かいから馬車が来てもすれ違えるだけの十分な道幅が確保されている事に加え、ソウタ達の進行方向に対して左側の川と右側の防壁に挟まれるような作りとなっていた。
右側の防壁は石造りのしっかりしたものでバードルフの村を取り囲む防壁ともそのまま繋がっており、獣や魔獣の縄張りである森と人の生活圏をしっかりと隔てて安全を確保していた。
街道の路面はと言うと村を出た直後は土の地面が剥き出しであったものの、進むにつれて細かい小粒の石が敷かれた舗装路へと変わり、揺れも少なく乗り心地の面でも快適さが考慮されていた。
二台のうち前を行く馬車には王都へ運ぶ荷物がぎっしりと積まれており、重そうな荷車を四頭の大きな馬が協力して力強く
一方その後ろを着いていく馬車には荷台の半分ほどの荷物と旅人四人が乗っており、二頭の大きな馬に引かれながらゆっくりと長閑な馬車旅を楽しませてくれていた。
農村から王都へは極めて緩やかな上り坂となっているようで、進むにつれて段々と左側に見える川の水面が下へ下へと遠退いていった。
カタカタと揺れる細かい振動を下級人形の座布団で打ち消し、ソウタがミルドとスイカの会話を確認しているとそこへウシオがある事が気に掛かると顔を寄せ小声で尋ねてきた。
「早々に村を出てしまいましたけど……あの村を襲った魔獣、また襲ってこないでしょうか?」
「……まぁ、いつかは来るかも知れないけど……片目が潰れていたし、随分と森の奥に引っ込んだようだからしばらくは大丈夫だと思う」
ソウタは人知れず一羽の小鳥人形を尾行に付け、あの大型魔獣の行方を把握していた。距離が遠く離れすぎた為視覚共有は出来なかったが稼働中の人形の位置はちゃんと把握出来ていた。
大きな恩の出来た村、万が一があればすぐにでも飛んでいく算段をソウタはきちんと考えていた。
色々と抜けている事もあるが、多くの事を同時に考えなければならない切迫した状況でも人々への配慮は忘れていない……ソウタの思いやりと成長を感じたウシオは穏やかに微笑むと優しくソウタの頭を撫でた。
「あー! 私もなでなでされたーい!」
そんな微笑ましい様子を見ていたスイカが羨ましい! と言って割って入ってくると、ウシオはいつも通り穏やかに優しくスイカの頭を撫でてあげた。
「頼んだ確認は終わった? ミルドの言葉」
撫でられてくすぐったそうにはしゃぐスイカにソウタが小声で尋ねると、わかるぅー、と
なにはともあれ人形でもちゃんと言葉が通じるようでソウタはホッと安堵した。とは言え、好き勝手喋られて自分の預かり知らぬ所でボロが出ても困るのでミルドにはこのまま寡黙キャラを貫いて貰おう、とソウタはひっそり心に決めた。
「そう言えば、また知らない言葉を村長さんが仰っていましたね」
ウシオは膝の上に横たわるスイカをまるで猫のように撫でくり回しながら村を出る時の村長の言葉を話題に上げた。下級人形について、ソウタの即興の説明を聞いて村長の零した言葉である。
「――『精導術』……スイカは知ってる? もしくは聞いた事は?」
ウシオの膝の上でだらしなく蕩けている猫……もとい風の妖精に尋ねると、知らなぁい、とまたしても蕩けた返事が返ってきた。
「……字面から想像するなら精霊を使った魔法のようなものかな。精霊や妖精に関係するものなら今考えてもボクらじゃ分からない」
「人形も使うのを控えますか?」
ウシオが尚もスイカを撫でくり回しながらソウタへ小声で尋ねるとソウタはやや考え込んだのち、同じく声を潜めながらもスッパリとこれを断じた。
「いや、開き直って使える所は使う。王都でまた事情が変わるかも知れないけど……精霊や妖精は殆どの人に見えないようだし、ほぼ理解がないと考えて良い。村での事のように、疑われてもやりようはあると思う」
ただし下級だけ、と補足を加えソウタは座布団にしている下級人形をポンポンと叩いてみせた。
「目立つのは不本意だけど、村での反応を見る限り余所者でも利用価値があれば受け入れられる程度の抵抗感だと思う」
あとは敬遠されないように友好的な姿勢を示せれば十分潜り込めるはず……と期待と不安の入り混じった表情を見せるソウタを、ウシオは何も言わず、再び優しく撫でた。
「……子供扱いも不本意だけど」
ため息混じりに口ではそう言いながらも、ソウタの表情はいつしか緊張の
「あのぉ……」
そんな穏やかなやり取りに水を差すようにソウタ達の目の前に横たわるものがか細い声を上げた。
「何故自分はまたグルグル巻きになっているのでしょうか……?」
そこにはミルドに担がせる訳でもない馬車の荷台の上でいつものように下級人形でグルグル巻きにされたミノムシ状態の秘書がデンッと横たわりモゾモゾと蠢いていた。
「尻に敷かれると
さっきまでの穏やかな表情はどこへやら……ソウタはすんと澄ました無愛想な顔で冷ややかに答えるとおもむろに王都へ着いた後の話を始めた。
「王都に着いたら仕事して貰うから、今のうちに休んでおいて」
ソウタの言葉に一呼吸間を置いて、ぇ自分もですか? と秘書は引きつった顔で尋ねた。
「当然、ただの
そう告げるとすかさずわたしはぁ? と依然蕩けたままのスイカが名乗りを上げた。が、面倒臭いのでスイカの相手はウシオに丸投げし、ソウタは秘書を冷たく見下ろしながら更に続けた。
「何も魔獣と戦えと言ってるわけじゃない。一刻も早く情報を集めなければならないんだ、手分けした方が早い。その為に連れてきた」
帰りたいなら役に立て、と告げるとここまで話を聞いて尚えぇ……と戦々恐々な秘書にソウタはただでさえ冷ややかな目を更に細め、鋭さを増した眼光で追い打ちをかけた。
「嫌なら別に構わない。その下級に詰め込んできた物資が尽きるまで食事は全部それになるけど」
圧縮状態の例のブツは一枚の厚さが僅か五ミリ、一日一食として半年分を縦に並べてもたったの九十センチにしかならないという脅威の省スペース携帯糧食である。水カプセルも合わせ十分な量を余裕を持って人形に収める事が出来ていた。
するとようやく観念したのか、秘書は――
「全身全霊で励む所存であります、お任せ下さい!」
と、歓喜の涙を溢しながらとても良い返事をした。御者の商人と馬もびっくりするほどの良い返事であった。
「……頑張って」
ソウタは小さくため息を吐くと視線を外の景色へ向け、再び穏やかな気持ちでのんびりと初めての馬車旅を楽しむ事にするのだった。
農村バードルフから王都への道程は二日間に渡る。
御者の行商人に話を聞くと街道の途中には要所に砦が設けられているそうで、日の出から日暮れまで、その砦を介しながら二日掛けて馬車を走らせるとの事だった。
馬は荷物満載の重い荷車を引いている為所々で休憩を挟まなければならず、半日掛けて約八十キロ程を走り一日目の道程を終える……と言うのが通常の流れなのだが、休憩中ソウタが疲れた馬のオーラをこっそり整えていたお陰か予定より早く砦に辿り着く事が出来た。
砦は行商の馬車の保護と夜間の安全確保を目的に王国軍によって管理運営されている、という話を行商人が教えてくれた。馬車を引く馬の替えや調理場、宿泊用の部屋なども備えられているらしい。
この砦のお陰で行商の環境は劇的に良くなったんだと夕食の席で酒に酔った行商人が暑苦しく語ってくれた。
ここでもソウタ達の服装やミルドの風貌の事などで兵士達に怪しまれたのだが、酔った行商人が農村での活躍を語ってくれたお陰で少し警戒が和らいだ。
その一方で見目麗しいウシオに声を掛けようとする兵士も見られたが、ミルドが睨みを利かせていた為勇気を出して踏み出す者は居なかった。
ソウタは神吏者や精導術等について色々聞いて回りたいと考えながらも、王都に入る前にトラブルになっても嫌なので今は渋々我慢する事にした。
早々に割り当てられた部屋へと引きこもり、時計のゼンマイを巻くとマットレスのない木製のベッドに人形を敷き、ウシオにぎゅうっと抱えられながらソウタは今夜も天国へと沈んでいった。
翌朝――日の出前から準備を済ませ馬達のオーラも整えると、ソウタ達を乗せた馬車は空が明るくなるのと同時に王都へ向けて砦を出発した。
一日目同様所々で休憩を挟みながら馬車を走らせ……やがて太陽が西の空へ随分と傾いた頃、川を挟んだ対岸に巨大な城壁が見えてきた。川の水面はもうへりに立たなければ見えないほど遠ざかり、崖のように街道と対岸を隔てていた。
誇らしげな行商人曰く、この城壁は全長約十キロにも及ぶ王都東の防衛の要となっている、という事らしい。
朝早く出た事に加え、ソウタが馬のオーラを休憩の度に整えていたお陰で行商人も驚く記録的な速さで王都城門前まで辿り着く事が出来た。未だ日暮れ前、地球の時間で例えるなら午後四時過ぎくらいと言った所である。
城門前には当然検問が敷かれており、いち早く到着したソウタ達の馬車も一度止められると兵士達によって荷物の検品と入国希望者の確認が行われた。
ソウタ達以外に到着した馬車はまだ他になく、暇を持て余した兵士達が集まってくると御者の隣りにいたソウタとその後ろの荷台に控えるウシオを見て一度目の小さなどよめきが起こり、馬車の後ろから姿を見せたミルドに二度目の大きなどよめきが起こった。
そして荷台に積まれたミノムシを見つけた兵士から声が上がり、ここで少し小さなトラブルが起きた。
というのも、ミノムシ状態も当然怪しいのだが兵士が気に掛けたのはそこではなく、秘書の顔にくっついている白い布のようなものの事であった。
「おいお前、降りてこっちへ出なさい」
高圧的な声を掛けられ挙動不審に拍車を掛ける秘書はソウタが人形の拘束を解くと大人しく兵士の指示に従い、馬車を降りて直立不動の姿勢を取った。
「その顔に付けているものは何だ、取って顔を見せなさい」
これまで誰にも言及されなかった……気を使われていたのかも知れない。秘書の顔には口を除いた左半分を耳まで含めて覆い隠すように白い布のようなものが引っ付いていた。
仮面のようにカッチリした物ではなくまた包帯という訳でもない、本当にヒラヒラとした一枚の布のようなものである。
「あ、いや、これはその、隠すとかではなくてですね、大変お見苦しいので見せないようにしているといいますか、そのぉ……」
しどろもどろになりながら秘書は何とか誤魔化せないものかと足掻いていた。
秘書の顔には過去に負った痛々しい怪我の痕が今も残っており、大変見苦しいという事で自らの意思で普段は覆い隠しているという事であった。が、当然警備に当たっている兵士には関係のない話である。
いいから見せなさい、と尚も詰められ根負けした秘書がその人にだけ見えるように右からそっとめくり上げると……その下の顔を見た兵士はうっ……と口元を手で覆い、
「わ、分かったもう良い……すまなかった……」
兵士は謝罪まで口にしてくれたものの今にも吐きそうなほど気分を悪くしたようで、その場を他の者に任せると詰め所の方へと一人足早に走り去っていった。
そうしてそれ以上秘書の顔を追求する兵士はおらず、この場は兵士一人の犠牲で事なきを得た。
その後行商人のおじさんにも協力して貰いながら兵士達へ丁寧に事情を説明していくとどうやら流れのサポーターというのはそれほど珍しくもないらしく、悪さをするなよと念を押されたもののソウタ達は存外すんなりと通行許可を貰う事が出来た。
ただ本来入国には少々のお金が掛かるそうで、あわや……と思いきや農村の村長さんが何も言わずソウタ達の分を建て替え行商人に持たせてくれていた。
また一つ返さなければならない恩が増えてしまったとソウタはウシオと顔を見合わせ複雑な笑みを浮かべるのだった。
やがて検問を通過し改めて動き出した馬車は崖のようになった川に架けられた石造りの大きな橋を渡り、見上げるほど巨大な城壁にポッカリと口を開けた立派な城門を潜り抜け目的の王都へと到着を果たすのであった。
王都――
ソウタ達のいる周辺で最も大きな街であり、小高い丘の上に築かれた立派な王城の
東城門付近と街の東西を結ぶ大きな通り周辺には多数の商店が建ち並んでおり、王都経済の中心を担う一大商業地区となっている。
王国軍によって整備された街道と砦による行商環境の劇的な改善により遠方とを行き来する行商の数は年々増加傾向にあり、街の賑わいは日々増すばかりである。
また、王都の北に広がる山脈地帯からもたらされる豊富な水資源を活用できるよう街全体に水路が張り巡らされている他下水道まで整備されており、他国からやってきた行商人からも一度は住んでみたい憧れの都として人気を誇っている。
王国の名は『オルレオン』、はためく国旗には鮮やかな赤地に黄金の獅子が描かれている。
そんな王都へと降り立ったソウタ、ウシオ、秘書、ミルド、スイカの五人の姿は今、東城門前に広がる半円形の広場の片隅にあった。
東城門を入ってすぐの所には行き来する馬車が方向転換出来るよう噴水を中心に大きな半円形の広場が設けられており、その外周部には馬を外した荷車が所狭しと並びそれぞれがお店のようにその場で商いをしていた。
荷車から外された馬は広場の北側に建てられた立派な厩舎で王国兵によって管理されているらしく、必要な時に元気な馬が
スイカも王都へは初めて訪れたらしく、大量の人が慌ただしく蠢く光景に圧倒され興奮して好き勝手飛び回っていた。迷子の妖精の探し方を今のうちに考えておく必要があるかも知れない。
周囲から好奇の視線が注がれる中、ソウタはここまでお世話になった行商人と馬に感謝し深々と頭を下げると早速サポーター組合へ向かうべくその場所を尋ねた。
「通り沿いのほら、あそこに左に伸びる横道がある。そこをまっすぐ進めばもう一つの商店街の広場に出る、広場の中央に立っている建物がそうだよ。看板も出てるからすぐ分かるはずだ」
行商人の詳しい説明に改めて感謝と別れの挨拶を告げると、ソウタ達一行は活気溢れる街並みを眺めながら組合を目指し歩き出した。
王都東西を結ぶ大きな通り沿いの建物は石造りの物が多く、三階建ての大きなものもあった。
一階部分は軒並み商店となっており、右も左も見渡す限りの店、店、店という感じであった。
夕暮れも近いと言う事もあり既に片付けを始めているお店もあったが、並んでいる商品に目を向けてみると大通りは土産物や工業製品が大部分を占め、農産物や生モノなどはあまり見られなかった。
街並みや売買されている品物からこの世界の文化や技術レベル等も探りつつ、ソウタ達は教えて貰った道筋を辿りおよそ二十分程を掛けて目的の商店街広場とやらに着いた。
大通りの商店街が行商などの対外的なものとするのなら、こちらの商店街は庶民の為の商店街と言った温かな雰囲気を感じ取る事が出来た。日用品や農産物を取り扱うお店も見られる。
そしてその広場の中央にソウタは目的の看板を見つけた。
農村でも見られたような木造とレンガ、漆喰と思われる白い壁で建てられた三階建ての立派な建造物。正面に見える大きな入口の扉は開け放たれており、ソウタ達の位置からでも受付のようなカウンターが見て取れた。
ここから異世界の調査と探索、そして地球への帰還を果たす為の情報収集が本格的に始まる。
ソウタ達が意を決して『ナニカ』へと飛び込んでから今日で早五日目……未だ帰還方法のキの字も分からず、『神吏者』と呼ばれる者の存在はその影すら掴めていない。
先の見通せないこの異世界でしっかりと任務をやり遂げ数多の約束を果たせるのか――ソウタが袖の中で一人拳を握りしめていると、ウシオがそっとソウタの背中に手を添えた。
表情は変わらなくても分かるのか、見上げるソウタと視線を交わしウシオは穏やかに優しく微笑んでいた。
ソウタは無意識に強張っていた体の力を抜いて目を伏せ大きく深呼吸をすると、やがて真っ直ぐに組合の入り口を見据え力強く一歩を踏み出した。
必ず帰る――その強い決意と覚悟を胸に抱いて。
いざ全ての始まりへと、ソウタ達はサポーター組合の中へ足を踏み入れるのであった――
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