第5話 宰相の策謀と「文の統制」


1895年5月~1897年3月 東京・首相官邸、そして元老会議

屈辱の後の覚悟:文官主導の再建を期して

伊藤博文、敗北からの再起

1895年5月、三国干渉による遼東半島返還の屈辱的な決定を下した後、内閣総理大臣伊藤博文は、首相官邸の自室で深く静かに沈思していた。彼の周囲では、国民の怒号が「臥薪嘗胆」のスローガンとなってこだまし、軍部は「外交は無力、軍事力こそ全て」という確信をさらに強めていた。

「川上、山県…君たちの成功は、我が国の立憲政治の根幹を揺るがした。私は、この屈辱を糧に、軍の暴走を永遠に封じるための策を講じなければならない」

伊藤は、日清戦争において、軍部の独走を許した自身の政治的敗北を深く認識していた。この敗北は、単に遼東半島を失ったことに留まらない。それは、「軍事」が「政治」の上に立つという、近代国家として致命的な構造を確立させてしまったことだった。

彼の目標は、単純な軍縮ではない。軍事力を否定すれば、ロシアに対抗できず国が滅びる。彼の目標は、「強力な軍事力を、文官の主導権下で、外交と経済の目標達成の手段として完全にコントロールする」ことであった。


陸奥宗光との最後の謀議

病のため余命いくばくもない陸奥宗光外相を官邸に呼び、伊藤は自身の最終的な戦略を打ち明けた。

「陸奥、三国干渉の屈辱は、軍部の『遼東割譲』という無謀な要求の結果だ。この屈辱こそが、私が軍部の手足を縛るための最高の武器となる」

陸奥は、咳き込みながらも、伊藤の策謀を理解した。

「総理、国民の怒りは今、ロシアと『外交の無力』に向けられています。この流れを逆に利用し、『外交を成功させるためには、内閣が軍を完全に統制する必要がある』**という論理を国民と元老たちに浸透させるべきです」

伊藤の策は、以下の三本柱から成っていた。

1. 「軍部大臣現役武官制」の阻止: 権力の根幹を断つ。

2. 「統帥権の独立」の解釈の固定化: 政治的暴走の論理的根拠を崩す。

3. 「賠償金」の使途決定権の奪取: 軍拡の財源を断ち切る。


第一の策:軍部大臣現役武官制の「絶対的」阻止

山県有朋への「恐怖」の植え付け

軍部大臣現役武官制(軍部大臣は現役の将官に限る)は、軍が大臣を引き揚げることで内閣を総辞職に追い込めるという、軍部の政治的発言力の最大の根拠であった。史実では1900年に制度化されるが、伊藤はこれを制定前に潰す必要があった。

伊藤は、まず軍閥の最大の実力者、山県有朋元帥に接近した。

「山県公。今回の三国干渉で、我々は外交で敗北しました。原因は、軍部の独断による遼東要求です。もし、今後、内閣が軍を統制できない状態が続けば、列強は日本を立憲国家ではなく、軍事独裁国家と見なすでしょう」

伊藤は、山県に対し、「軍部が内閣を無視して暴走すれば、日本の国際的信用が失われ、将来的に日英同盟のような重要な外交協定を結べなくなる」という論理を、執拗に説いた。山県は、自らが創り上げた軍が国際的に孤立することを最も恐れていた。

「文民の専門性」の論理の導入

伊藤は、現役武官制の反対論として、「専門性」という論理を持ち出した。

「戦時であれば現役の将官が必要かもしれません。しかし、今は平時です。陸軍大臣や海軍大臣の役割は、外交、内政、そして予算編成という、極めて『文官的な専門性』を要する行政官です。現役将官では、予算作成や議会対策といった行政能力が不足します」

そして伊藤は、予備役や、軍務経験を持つ文官を登用することで、「軍の専門性を維持しつつ、内閣の統制下に置く」という折衷案を提案した。

この巧妙な論理により、山県は「軍の行政能力不足」という論理的弱点を突かれ、また国際的孤立への恐怖から、現役武官制の法制化を見送ることに同意せざるを得なかった。これにより、伊藤は、軍部が内閣を倒すための最大の政治的武器を、制定前に無力化することに成功したのである。


第二の策:統帥権解釈の固定化と財源の奪取

憲法起草者としての権威の行使

軍部の独走を支えるもう一つの根拠が、天皇から軍に直接委ねられた「統帥権」の独立という解釈であった。軍は、これを盾に内閣の行政権から独立し、満州事変以降の暴走の論理的根拠とした。

伊藤は、大日本帝国憲法の唯一の起草者という、誰にも反論できない絶対的な権威を用いた。

「憲法第11条に定める『統帥権』は、確かに天皇の大権です。しかし、憲法第55条には、『国務大臣が輔弼(ほひつ:助言・補佐)の責任を負う』とあります。統帥権もまた、内閣総理大臣を通じた国務大臣の輔弼に基づき、最終的に行使されるべきものです」

伊藤は、元老会議の場で、山県有朋や井上馨ら元老の前で、自ら憲法条文を読み上げ、「憲法起草者としての正統な解釈」を宣言した。

「軍部が、統帥権を内閣の行政権から完全に独立していると解釈することは、憲法起草の精神に反し、立憲政治を崩壊させる危険がある。統帥権行使の責任は、最終的に内閣が負うべきである」

この伊藤の断固たる宣言は、元老たちに**「憲法という国家の基本原則」を崩壊させることへの恐れを植え付け、軍部による「統帥権の拡大解釈」**を、一旦は停止させることに成功した。


日清賠償金の「文官による管理」

日清戦争の賠償金(約3億6,000万両)は、軍部の軍拡計画の唯一の財源であった。この財源を断ち切ることが、軍の規模拡大を抑制する決定打となる。

伊藤は、軍部の要求に対し、「国民への責任」という論理で対抗した。

「この賠償金は、国民の血税であり、国民の苦難によって得られた成果だ。軍拡が最優先であることは理解するが、国民の生活再建と産業の育成を無視しては、この国家は持続しない」

伊藤は、賠償金の使途について、「軍備費を優先するが、その決定権は内閣に属し、議会の承認を必須とする」という方針を強行した。

• 文官管理の徹底: 賠償金の大半を、大蔵省(文官)の管轄下に置き、軍部が自由に引き出せないようにした。

• 産業・教育への投資: 軍部が要求した師団増設費用の一部を削減し、それを義務教育の拡充や、鉄道、港湾整備といった民需産業への投資に振り分けることを強行した。

この財源の奪取により、軍部は大規模な師団増設計画を実行に移すことが困難となり、組織拡大という名の暴走に、物理的なブレーキをかけることに成功した。


第三の策:対露戦略の「外交優先」への転換

「遼東屈辱」の再定義

国民の心に深く刻まれた三国干渉の「屈辱」は、軍部に「対露復讐戦」という論理を与える最大の武器であった。伊藤は、この屈辱を「外交の重要性」を国民に教えるための教材として再定義した。

伊藤は、全国の新聞社を通じて、以下の論理を繰り返し訴えさせた。

「遼東返還の屈辱は、日本の軍事力が不足していたためではない。それは、外交的な孤立を招いたことによるものだ。列強の要求を飲むことは、軍事的な敗北ではない。国家を破滅から救うための、賢明な外交的選択であった」

そして、「真の復讐」とは、軍事力強化だけでなく、「外交によってロシアを牽制できる国際的地位を築くこと」にあると訴えた。


日英同盟の「非軍事的」性格の強調

ロシアとの衝突が避けられない状況下で、伊藤は日英同盟という最強の外交カードを切る準備を進めたが、その同盟の性格を史実とは異なるものにした。

• 「if」戦略: イギリスに対し、同盟の目的を「ロシアとの武力衝突を防ぐための外交的な協力と経済的な連携」に限定するよう交渉する。特に、日英同盟締結後、日露間の武力衝突回避のための仲介を、イギリスに積極的に依頼する。

• 効果: 日英同盟を純粋な軍事同盟としてではなく、「日本の外交力を強化し、ロシアとの戦争を回避するための平和的な外交ツール」として位置づける。これにより、軍部が望む「開戦の論理」を、外交が主導して封じ込める。

文官主導の「成功体験」の創出

伊藤は、軍部の権威を弱体化させるためには、「文官主導の外交が、軍事よりも大きな国益をもたらす」という成功体験を国民と元老に植え付けることが不可欠だと考えた。


対露交渉における「分割統治案」の強行

史実で日露戦争が起こる直前、伊藤はロシアとの交渉で、朝鮮における権益を一部譲歩する代わりに、満州におけるロシアの優越権を認める「満韓交換論」に近い案を提示したが、軍部強硬派に潰された。

• 「if」戦略: 伊藤は、予備役や文官を登用した「内閣統制下の」軍部大臣を盾に、川上操六や山県の反対を押し切り、「朝鮮における日本の主導権」と「満州におけるロシアの優越権」を相互承認する外交協定を、ロシアと締結する。

• 効果: 日露戦争という「悲劇」を回避し、朝鮮半島という核心的な国益を外交によって確保したという「文官外交の勝利」を国民に示し、軍部の「戦争不可避論」を論破する。

この「平和的な解決」という成功体験により、平次郎のような国民は、「臥薪嘗胆」の復讐心ではなく、「外交と経済の力で国益が拡大した」という理性的かつ建設的な愛国心を持つようになる。


文官優位の確立

伊藤博文は、日清戦争後の「文の敗北」を、「文の復権」のための最大の機会と捉えた。

彼は、憲法起草者としての権威と、三国干渉の屈辱を巧妙に利用し、軍部大臣現役武官制の阻止、統帥権の解釈限定、賠償金管理権の奪取という、軍部の手足を縛る三つの決定的な施策を、徹底的に実行に移した。

そして、日露戦争の回避という「外交主導の成功体験」を国民に提示することで、「軍事」を「外交と経済の手段」として位置づけるという、立憲政治における文官優位の構造**を、強固に確立することに成功したのである。

彼のこの策謀こそが、その後の日本が「軍事独裁」の道ではなく、「経済協調」の道を選択し、第二次世界大戦への参戦を回避する、最大の分岐点となった。

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