第3話 記憶を覗く

そうだ。

俺が得意としてた心の術はまだ試していない。


俺は魔族の第三王子だぞ

刃が折れた程度で、詰みだとでも?


問題は相手だ。


相手の精神に触れるとき、俺は自由に動けるが、相手はそうではない。

こいつらは大人で、常識も経験も積み重なっている。

仮に都合よく記憶を塗り替えたところで、違和感を掴まれれば放っておかないでしょう。


それに、俺はこの世界の情報を何一つ持っていない。

今でさえ、言葉以外の全部が未知だ。

もし覗いた記憶が洪水みたいに押し寄せたら、俺の脳が先に焼ける。


……加えて。


弱体化のせいか、正気の成人を制御しきるだけの「押し」が足りない。

精神が折れる瞬間――情緒が崩れる刹那でないと、術は刺さらない。


……だから。

経歴が浅く、精神の骨格はまだ未熟な子どもが最適だ。


ちょうどその時、向こうから、制服姿の少年が通りかかった。

背は俺と同じくらい。目線が泳いでいる、肩に見えない荷物を背負っている顔だ。


「……おい」


声をかけると、少年がびくりと止まった。

すると同行のけつさつが言う。


「おい君、どこ行くの?」

「……水を飲む。喉が渇いた」

「すぐ戻れよ」


見張る目が緩む一瞬。

その隙で十分だった。

俺は少年の腕を掴み、人気の薄い裏手へ引いた。

狭い路地、街灯の死角、空気も冷えてる。


「な、なんだよ……」


少年の声が、強がりと不安の間で揺れた。

いい。怖がってる。だが、まだ逃げられる余裕がある


精神を折るには……もう一押し


確かに俺の魔力は少ない、

だが、元々この身に生えているものくらいは出せる。


俺は息を吐き、その瞬間、血の匂いが混ざった空気が広がる

赤い瞳。角。尾。背に張りつく翼の影。

悪魔の姿を、わざと覗かせる。


少年の瞳が大きく開き、喉が鳴る。

言葉が出ない、身体が本能で固まる。


――恐怖は、どの世界でも貴様らの弱点だ。


「騒ぐな」


俺は低く言った。


「騒げば、お前の心臓が先に壊れる」


少年の唇が震える。

それでも、叫べない。叫べるほど強くない。


これでいい


俺は指先で、空気を撫でるように糸を掴む。


「思惟窃取(ソートスティール)」


父が叩き込んだ、刃の代わりの術。


「……さぁ、見せろ」


触れた瞬間、熱い感覚が頭の内側へ雪崩れ込んだ。


文字。音。映像。言葉。

街の仕組み。国の名前。学校。警察。

そして――信じがたい数の“道具”。

空を飛ぶ鉄の鳥。

遠くを撃ち抜く火の棒。

掌の中で世界と繋がる箱。


……魔法がなくても、ここまでやれるのか

ここの人間は、魔術がない代わりに発明で世界を捻じ曲げた?


背筋が冷えた。

この世界は、俺の知る戦場とは違う恐ろしさを持っている。


そしてもう一つ――理解した。

この世界で殺すのは、簡単じゃない。

指紋、体液、毛髪――あらゆる痕跡が残る。追跡される。

さらに、防犯カメラという目が至る所に張り巡らされている。

魔術で塗り潰さない限り、逃げ切るのは困難だ。


……厄介だな


――それでも目の前のこの少年は危険だ。

俺の正体を見た以上、生かしておく理由はない。


朝岡雄介、

それが、この少年の名前だ。


記憶を見る限り、かなり平凡な人生だった。

趣味も欲もない、

消えても、世界は大して騒がない――そう思えた。


だが、記憶の奥に何がいた。

他は朦朧なのに、その部分だけ妙に鮮やかだ。

心臓の場所に、楔みたいに打ち込まれたものが。


悲しい。けど、申し訳ない。


そういう感情が、雄介の中でまだ動いている。


「朝岡雄介」


そして彼は機械みたいに答える


「はい」


「今から、お前が思い浮かべうる手段で、人の多い場所へ行け。

そして身分証になるものを、すべて処分しろ。

それから――静かに溺れろ」


「……了解しました。」


これで痕跡も消えるでしょう。

虫としての価値は、もう十分だ。


そう思った瞬間。


記憶の奥に、妙に生々しい感情が引っかかった。

期待され。比較され。責められ。

それでも折れないふりをして立っている。


……俺と同じだ。

子どもは、どの世界でも道具か。


胸の奥が、ほんの僅かに共感した。

同情? 違う。もっと厄介なものだ。

――同類を見る嫌悪と、見捨てきれない感覚。


まだ遠くへ行ってないな。


俺は舌打ちし、術の糸を巻き直した。


「……いい」

「今日はお前を終わらせない」


雄介の瞳が揺れる。

俺は最後に、もう一度だけ覗き込んで確かめる。


「問う。お前は――悲劇を終わらすために、自分を差し出せるか」


少年は震えながらも、答えた。


「……はい。もし、それ以外がないなら」


嘘はない。

術に掛かった状態で噓を言える人間はいない。


「よく言った」


俺は冷たく笑い、

久々に愉快な気分になった。


「王族として褒美をやるのが筋だが……今は無理だ。

だから――忘れろ」


俺は恐怖の映像を削り、俺の姿を切り落とし、路地の記憶を薄める。

最後に雑に理由を貼る。


怖い夢を見た。気づいたら外にいた。

……それで十分だ。


「帰れ。誰にも言うな」


少年は一歩下がり、何度か瞬きをしてから、何も見ていない顔になる。

胸のあたりを押さえ、息を整えている。


俺は背を向けた。


「……運が良かったな、虫」

「次は――気まぐれじゃ済まない」


そう言いながら、自分でも分かっていた。

今のは、気まぐれじゃない。


そう結論づけ、俺は路地を出た。

警察どもの視界に戻って、情報をを整理し――

……そのはずだった。

膝が、笑ったみたいに折れた。


……は?


次いで、全身から力が抜ける。

ただ立っているだけで、骨が砂になるみたいだった。


こんな……少し使っただけだぞ。ほんの一撫でしただけで――


魔力がないのではない。

底が浅い。今の俺は、こんな…


「……くそ」


眠気に抗えない


まずい、ここで倒れたら…


思考が途中で切れ、俺は路上へ落ちた。

次に目を開けた時、天井が白かった。

鼻に刺さる薬品の匂い。


「……ここは」


声が、まだ幼い。

いや――今はそれどころじゃない。

枕元に、あの青い服がいた。警察だ。


「起きた? 君、急に倒れたんだよ。通報してくれた子がいてね」

「……子?」

「中学生くらいの男の子」


通報。救助。

この世界の常識は、いちいち面倒で、いちいち厄介だ。

だが――その子って。


まさか…雄介か?


喉の奥が、妙に乾いた。

あの冷えた夜に、あの体で倒れたら、下手をすれば…


俺は、あいつを助けたつもりだった

だが結局――助けられたのは、俺か

皮肉だ。

虫だと思っていた相手に、命を拾われるなんて。

俺は天井を睨みながら、胸の奥で小さく呟いた。

俺の中の何かが少しずつ狂い始めている。



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魔族の第三王子と見習い勇者が最終決戦で相討ちしたら、なぜか二人が現代日本に落ちて中二病扱いされた件 小風風 @xff

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