徐々に侵食される

気づけば、

佐久間とよく遭遇するようになっていた。


放課後の廊下。

人の少ない昇降口。

いつもの中庭のベンチ。


共通点は、ひとつだけ。


萩野が、一人のときに。


友達と歩いているときには、

佐久間は決して近づいてこない。


声もかけない。

視線も合わせない。


廊下ですれ違っても、

まるで知らない人のように通り過ぎる。


その違いが、はっきりしすぎていて、

逆に目立っていた。


誰かと別れ、

一人になる、その瞬間。


まるで待っていたかのように、

佐久間は現れる。


「よく会うね」


いつもと同じ、軽い声。


「一人だと、話しかけやすいでしょ」


そう言って、笑う。


萩野は、曖昧に頷くしかなかった。

その言葉を否定できない自分が、

少しだけ、嫌だった。


佐久間は、

いつも何かを持っていた。


パン。

チョコレート。

温かい缶のカフェラテ。


季節や時間に合わせて、

ちょうどいいものを差し出してくる。


「はい」


短い一言。

押しつけがましくはない。


萩野が食べ物に弱いことを、

いつから知っていたのかは、わからない。


受け取れば、会話が始まる。


「今日、三時間目の体育、眠そうだったね」

「走るの、あんまり得意じゃない?」


思わず、肩が揺れる。


「さっき話してた子、最近よく見る」

「同じクラス?」


返事をしなくても、

先輩は気にしない。


受け取らなければ、

佐久間は何も言わず、隣に立つ。


距離は、近すぎない。

腕が触れない、絶妙な位置。


ただ、立っている。


沈黙が、長い。


不自然なくらい、長い。


佐久間は、沈黙を怖がらなかった。


萩野が落ち着かなくなり、

視線を逸らすまで、

笑顔のまま、待っている。


まるで、

どちらを選んでも結果は同じだと

知っているみたいだった。


「萩野って、左側に荷物持つ癖あるよね」


不意に、そんなことを言われる。


「……え?」


「ほら、今日も」


言われて初めて気づく。

確かに、無意識に左肩に鞄をかけていた。


「前もそうだった」


軽い調子。

でも、記憶していなければ出てこない言葉。


佐久間は、

萩野をよく見ていた。


その事実が、

ゆっくりと胸に沈んでいく。


少し、怖い。


けれど、

毎回食べ物をくれるせいで、

強く拒むこともできなかった。


それに、佐久間は

踏み込みすぎない距離を、きちんと守っている。


触れない。

詰めない。

追いかけない。


逃げ道があるように見せて、

実際には、選択肢を狭めてくる。


ある日、

中庭のベンチで並んで座っていると、

佐久間はふと、こう言った。


「萩野はさ」

「一人のときのほうが、いい顔するね」


褒めているのか、

そうでないのか、判断がつかない。


「無理してない感じ」


萩野は、何も言えなかった。


無理していない時間を、

どうしてこの人が知っているのだろう。


問いは、声にならない。


佐久間は立ち上がる。


「じゃあ、また」


その「また」は、

約束でも、偶然でもなく。


予定のように聞こえた。


背中を見送りながら、

萩野は思う。


この人は、

自分が一人になる瞬間を、

正確に選んでくる。


それが、

偶然ではないと気づくには、

もう十分すぎるほどだった。


それでも萩野は、

今日も食べ物を受け取った。


温かい缶の感触が、

手のひらに残る。


違和感と一緒に。

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