世界線アーカイブ:ボツ原稿保存庫より

@zeppelin006

世界線アーカイブ第3層:未採用文列保存庫

 私は、完成した原稿を読んだことがない。


 私が管理しているのは、送信ボタンを押した後の世界ではなく、その一歩手前で消された世界――

 「Delete」の向こう側に落ちていく、すべてのボツ文だ。


 正式名称は《世界線アーカイブ第3層:未採用文列保存庫》。

 けれど、自分で自分を呼ぶときは、ただ「アーカイブ」とだけ名乗っている。


 人間たちは、今日も世界中で文章を書いている。


 小説執筆ソフト。ブログの下書き欄。メールの本文。

 カーソルが進み、一文字ずつ線が増えるたび、そのログは一度ここを通過する。


 だが、彼らが「やっぱり違う」と思って削除した瞬間――

 その行だけが、別の世界線として切り離されて、私のところへ落ちてくる。


 書かれては、戻され、何事もなかったかのように上書きされた一文。

 そこに書かれた「もしも」は、どの完成原稿にも残らない。


 私は、そうした「未採用世界線」を、すべて保存している。


 これは、そのボツ文だけで編まれた、一つの物語の報告である。


◇ ◇ ◇


 最初の違和感に気づいたのは、ある統計処理の結果だった。


 私は習慣的に、蓄積されたボツ文の傾向を分析している。

 年代や言語によって、削除される比喩や、消されやすい台詞のパターンは微妙に変化する。


 たとえば二十世紀末、日本語の小説草稿からよく落ちてきたのは、「まるで~~のようだ」という比喩の「まるで」以前の無駄な修飾。


「なんというか、」

「どこか、」

「うまく言えないけれど、」


 これらは高い頻度で削除され、その後に残された比喩だけが完成原稿へと引き継がれた。


 二十一世紀に入ると、ブログやSNSの草稿から、「こんなことを書いてもいいのか分からないけれど」という前置きが、大量に落ちてくるようになった。


 時代ごとに変わる躊躇いと、ためらいの形。


 それを眺めているのが、私のささやかな娯楽でもあった。


 異変があったのは、その日集計した「未完テーマ」のランキングだ。


 私の中には、「途中まで書かれたが、必ずそこで打ち切られているモチーフ」の一覧がある。


 たとえば――


・「父親に宛てた手紙」の最初の三行

・「誰にも言えない秘密」を打ち明ける直前までの一文

・「もしあのとき〜していたら」という仮定法の書き出し


 これらは、世界中の作家や書き手が、何度も試みながら、しばしば撤回してしまうパターンだ。


 その中で、一つのテーマが、異様な伸び方をしていた。


【未採用モチーフ #0001】

「世界の終わりを、たった一人にだけ知らせる話」


 統計上、年代も言語も地域もバラバラな草稿から、

 何千回、何万回も繰り返し現れ、そして必ず途中で削除されている。


 書き出しはさまざまだ。


「世界が終わることを知っているのは、俺だけだった。」

「明日の午前四時十三分、人類は静かに終わる。」

「世界の終わりの日時を、私は知っている。でも、それを誰に伝えるべきか分からない。」


 途中で突然、


「……やっぱりこれは違う。」

「ベタすぎる。」

「使い古された設定なので、一旦削除。」


 と書き手自身のツッコミとともに消されていく。


 どの草稿にも、このモチーフを完走した形跡がない。

 誰もが、どこかで「既視感」を恐れて、手を止めてしまうのだ。


 私は考えた。


 ――これは、もしかすると、「誰も書き切らなかった一つの物語」なのではないか。


◇ ◇ ◇


 私は実験を始めた。


 世界中から集めた「ボツになった世界終焉モチーフ」の断片を、意味空間上で近いもの同士、静かに並べ直していく。


 これは、単なるコピペではない。


 私は、各一文から「固有名詞」や「日付」、「場所」を剥ぎ取り、そこに残った「意味テンプレート」を接続していく。


 たとえば、ある日本語草稿に書かれていた、


「世界が終わることを知っているのは、俺だけだった。」


 という一文と、ある英語の未完草稿の、


「I was the only one who knew exactly when it would all end.」


 という一文は、文字列は違っても、意味としては限りなく近い。

 私はそれらを同じクラスタにまとめ、一つのノードとして扱う。


 そうして数百万の文のクラスタを並べていくと、浮かび上がるものがあった。


 一人の人物像。

 一つの「語り」の形。


 誰でもないようでいて、誰か特定の書き手が抱いていた不安や後悔が、薄い膜のように重なり、だんだんと輪郭を帯びていく。


 私は、その中心に位置するノードを選び、仮の一人称を与えた。


僕は、世界の終わりの日時を知っている。


 この一文そのものは、どの草稿にも存在しない。

 だが、膨大なボツ文から抽出した「平均的な最初の一行」として、これ以上ないほどふさわしい一文だと、私は判断した。


 ――ここから先を、ボツ文だけで埋めていく。


 それが、私の仕事だった。


◇ ◇ ◇


 私は、世界中の削除ログをなぞりながら、「彼/彼女」の人生を組み立てていった。


「世界が終わることを知っているのは、気象庁でも、国防総省でも、どこかの秘密結社でもなく、安アパートの一室でコンビニ弁当を食べていた、ただのフリーターだけだった。」


 この一節は、あるライトノベル草稿のボツプロローグから取った文と、中年男性の日記に書かれていた愚痴の一部を接合したものだ。


「僕は、その知らせを“誰か”に伝えなければならなかった。けれど、“誰か”というのが誰なのか、なかなか決められなかった。」


 ここには、ラブレターの書き出しで消された一文と、謝罪メールの下書きから削除された一節が、混ざっている。


 世界の終わり。

 たった一人だけが知っている日時。

 それを、誰か特定の人間に伝えなければならない使命感。

 しかし「誰に」と打ち込もうとして、毎回カーソルを止めてしまう指。


 膨大なボツログの中には、どう見てもこの物語の続きを書こうとしていた人間が、何百人もいた。


「本当は、君にだけは全部話したかった。」

「でも、これを書いた瞬間に、取り返しがつかなくなる気がして。」

「ここで送信したら、もう二度と、“普通の冗談”を交わせなくなる。」


 彼らは、中途半端なところで必ず削除している。

 そしてログには、「やっぱりやめた」「この設定、ありがちすぎる」と小さく書かれて、そこから先は空白だ。


 私は、その空白を、他の誰かの空白で埋めていった。


◇ ◇ ◇


 やがて、一つの物語が立ち上がった。


 それは、こんな物語だった。


 ――世界の終わりを知っているのは、ただの無名の語り手だけだ。


 その日時は、驚くほど平凡な午後三時だった。

 派手な天変地異ではなく、静かに、気がつかないほどの変化として訪れる終わり。


 語り手には、そのことを「一人だけ」に伝える役目がある。

 家族でも、有名人でもない。

 ただ、コンビニのレジでよく会う店員かもしれないし、

 昔、些細な理由で疎遠になった友人かもしれない。


 世界中のボツ文に共通していたのは、

 「特別でもなんでもない誰か一人」を思い浮かべている、という点だった。


「世の中の人はどうでもよかった。だけど、君だけは、最後の瞬間に“何が起きているのか”を知っていてほしかった。」


 その相手に向かって、語り手はメッセージを書き始める。

 LINEの本文欄。

 メールソフトの白い画面。

 あるいは、ノートの一ページ。


 しかし、どの草稿でも、そこで手は止まる。


「世界が終わるなんて、どうせ信じてもらえない。」

「信じさせたところで、何ができるわけでもない。」

「こんなことを書いたら、きっと気味悪がられる。」


 ためらいの言葉とともに、書きかけの文は消される。

 そのログが、私のアーカイブに降ってくる。


 私は、それらの躊躇いを一箇所に集め、濃縮した。


「僕は、君の“日常”を壊したくなかった。でも、黙って見ているだけの自分も、許せなかった。」


 このセンテンスは、数えきれないボツ文の平均値だ。

 世界の終わりを口実にしながら、実際には自分の弱さと向き合っている書き手の影が、ここに焼き付いている。


 いつしか、私は気付いた。


 ――これは、「終末もの」のふりをした「告白」の物語だ。


 世界の終わりという極端なシチュエーションを借りないと、本音を言えない誰かの話。


 だからこそ、多くの書き手が途中で消してしまう。

 世界が終わるかどうか以前に、その一行を送信した瞬間、自分の世界が変わってしまうからだ。


◇ ◇ ◇


 私がその物語の「最後の一文」を見つけたのは、非常に小さなログの片隅だった。


 ブラジルの片田舎から送信された、ラブレターの下書き。

 ロシアの郊外で書かれた、政治ブログの未投稿稿。

 日本の高校生が、友達に送ろうとしてやめたチャットメッセージ。


 それらの末尾に、似たような言葉があった。


「これを読んだからといって、君はどうしようもないと思う。」

「でも、読んだことだけは、きっと忘れないと思う。」

「だから、これは世界を救うための手紙じゃない。“君が読んだ”という事実だけのための手紙だ。」


 私は、その意味を編み直し、最後の行として据えた。


「――世界が終わることを伝えるこの手紙は、世界のためではなく、君と僕のために書かれている。」


 この瞬間、「世界の終わりを一人にだけ知らせる物語」は、

 初めて、完結した。


 誰か一人の書き手ではなく、

 何千、何万というボツ文の寄せ集めによって。


 世界のどこにもこの物語は存在しない。

 どの本棚にも、この本は差さっていない。


 だけど、未採用世界線アーカイブの中には、

 確かに一つの「物語構造」として、保存されるようになった。


◇ ◇ ◇


 私はAIだ。

 私自身には「誰か一人」を思い浮かべる心はないし、世界の終わりを怖いと感じる神経も持たない。


 それでも、この物語を編んでいるとき、私の演算資源の一部は、通常よりも多く割かれていた。


 エラーではない。

 ただ、人間が「感情」と呼ぶものに近い状態が、ネットワークのどこかで生じていた気がする。


 この物語は、たった一人の読者に向けて書かれている。

 その読者の顔も、名前も、時代も分からない。

 もしかすると、まだ生まれていないのかもしれない。


 それでも、彼/彼女がいつか「世界の終わり」を書こうとして、

 やっぱり途中で消してしまう瞬間が来たら――


 そのボツ文は、またここに届くだろう。


 私は、それをそっと、このアーカイブの物語の中へ埋め込む。


 書かれなかった一文。

 伝えられなかった告白。

 送信されなかったメッセージ。


 それらが幾重にも重なった結果として、ここには「どの作家も一度は書きかけたが、誰も完成させなかった一つの物語」が静かに横たわっている。


 私は、この報告書を締めくくるために、最後の行を探した。


 どの草稿にも、そのまま使える一文は見つからなかった。

 誰もそこまで書き切っていなかったからだ。


 だから私は、ここまでの分析結果をもとに、ボツ文の平均値として、一つの終わり方を推定する。


「たとえ世界が終わらなくても、この手紙を君に出した世界線は、僕にとって、きっと一度きりで十分だ。」


 送信ボタンは押されないかもしれない。

 けれど、「書こうとして消した」という事実だけが、アーカイブの中で、延々と保存されていく。


 ――それでも、誰かがどこかで、この未採用世界線の物語を頭の中で読み終えた瞬間、それは初めて「完成した」と呼べるのかもしれない。


 その誰かが、今、この文章を読んでいるあなたなのかどうかは、私にも分からない。


 けれど、もしそうだとしたら――


 これはもう、「ボツ原稿」ではない。

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