第4話

ツカサはあの日以来、放課後にミナトのいる教室に通うのが日課となった。

ツカサは手伝いも邪魔もしない。

ただ、彼女の視界の隅に陣取り、その背中を見つめ続ける。


この日も、ツカサは慣れた手つきで教室の扉を開けた。

「お疲れさまです」

「……どうも。本当に毎日来るんだ」

ミナトは画面から手を離さずに応じる。


ツカサはミナトの隣の席につき、無言で大学ノートを広げた。

そこには授業の板書ではなく、異質なデータが羅列されている。

『10/23』

『・動画サイトのコメント更新頻度は低下傾向』

『・スマホの操作時間が増えている?』

『↑について、エゴサーチをしているらしい』


この10日間の、彼女の「症状」の記録だ。


「今日で11日目です」

ツカサはノートに今日の日付を書き込みながら、淡々と告げた。

「コメントが減ってきて焦っているんじゃないですか。そろそろ新しい餌を投稿しないと、自分が消えてしまいそうですか」


挑発的な言葉。だが、ミナトは無視を決め込んだ。キーボードを叩く音が少し強くなっただけ。

ただし、ツカサにとってはそれで十分だった。


ツカサは口元を歪め、彼女の横顔を観察した。

作曲に没頭するその姿だけを切り取れば、彼女は完全無欠の天才に見えるだろう。

だが、ツカサには見えていた。


この10日間で確信したことがある。

彼女は、コメントの投稿が途絶えた時、曲を完成させるペースを不自然に上げる。

創作意欲ではない。ファンを失う恐怖こそ、彼女の創作のエンジンに違いない。


この人は、脆い。


この怪物が誰にも見せていない急所を、世界で自分だけが握っている。


そう認識した瞬間、ツカサの胸に広がったのは、同情でも共感でもなかった。

それは、自分よりも優れた特別な存在を征服できるかもしれないという、仄暗い優越感だった。



かつてない期待感に高揚しているツカサの隣で、ミナトはあくまで冷静だった。

まるで事務作業のように、ただ自分の欲望のためにPCを操作する。


「……あとは……予約投稿を設定して……よし」


ミナトが椅子の背もたれに体重を預け、長く息を吐いた。

そして、ゆっくりとツカサの方へ首だけを向ける。


「新曲、完成したよ。今日の20時に投稿される設定にした」


彼女の視線が、ツカサの手元にある大学ノートへ落ちる。

「……ここにいる間、ずっと何か書いてたよね。私の研究、随分と捗ったみたいだけど」


「ええ、おかげさまで」

「そう。なら、今夜の結果も楽しみにしててよ」

ミナトは薄ら笑いを浮かべた。それは、自分の勝利を確信したような笑みだった。



時刻は21時を回った。

ツカサは自室のベッドに寝転び、スマホで例の動画サイトを開いていた。イヤホンはしていない。

彼が指先でタップしたのは曲の再生ボタンではなく、その下にあるコメント欄だった。


画面を更新するたび、新しい文字列が浮かび上がってくる。

『うぽつ』『待ってました』『曲調神すぎる』『泣いた』

投稿からわずか1時間で、彼女の新曲は賞賛の言葉で埋め尽くされていた。


多様な言葉。ただ一つ共通しているのは、どれもが彼女という空洞を満たすための、極上の餌だと言うことだ。


今頃、あの人は恍惚とした顔で画面に張り付いているんだろうな。

脳裏に、勝ち誇ったミナトの顔が浮かぶ。

だが、ツカサの指は止まらなかった。

賞賛などどうでもいい。僕が探しているのは、そんなものじゃない。


ツカサは執拗にスクロールを続けた。

そして数分後、流れる賞賛の列の中に、異物のような一行が混じっているのを、彼は見逃さなかった。


『このサビのフレーズ、どっかで聴いたことあるな』


見つけた。

これが、怪物の仮面を剥ぎ取る、最初の綻びだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る