二号さんはニタニタと笑う。

彼女……二号さんは、今度はしししと笑いながら、私の対面の席へ座る。年は確か私とは4つ下で、それでももう30代ではあったはずだ。

だが派手目のファッションもあって、その年には見えないだろう。

幼さが残る表情、身振り。未成年にだって見える人もいるかもしれない。

苦いコーヒーで無理やり頭を起こし、椅子を座りなおして臨戦態勢を整えしなが、そうそうここはカフェだったたなと今更、私は思い出している。の指定したカフェ。

二号さんはメニューをつまらなさそうに眺めて、

「いつ以来ですっけ」

「二年です」

私は答える。


「二年、」

「はい」

「そうか。もう二年だ」

「……」

「なんか、あっという間ですよね、そう思いません?」


屈託の無い笑み。それでも

私が返答を迷っていると、キッチンから、店員がやって来て、二号さんの前におしぼりと水を置く。

柔らかい印象の中年の男性。少し太り気味だが、清潔感があるのは髭がしっかりと剃られ、白髪ひとつなく整えられた髪からか。

思ったより低い声で、その店員は言う。

「ご注文は」

「アイスコーヒー。ブラックで」

同じ注文だ。私と。そしてとも。

店員の男は妙に深く頭を下げ、「かしこまりました」とだけ伝えて去っていく。

その後ろ姿を眺めながら、二号さんは言う。

「三号さんは?」

「えと、まだ、です。多分」

「多分?」

「私、顔知らないんで」

「へぇ……」

「どんな人ですか?」

「どんな……どんなだろ、私も一回しか会ったことないんで」

と、また粘度の高い笑み。少しだけ考えて二号さんは続ける。

「なんか、なんだろ……ちょっとオタク? っぽいっていうか、私そういうのあんまり分からないですけど。前髪長くて」

「はぁ」

「全然似ていない感じですよ、私とも、一号さんとも」

「……変な時間ですよね」

私は言う。

「待ち合わせが4時55分って……なにか事情あるのでしょうか?」

「ですね」

と二号さんはやはり軽い。

「何でしょうね。お話って」

と、私が言い切る前に、先ほどの店員の男がやってくる。彼は二号さんの前にアイスコーヒーを丁寧に置くと、「ごゆっくりどうぞ」とお決まりの文句を言って去る。壁掛け時計を見る。あの時計が正確なら、約束の時間まではあと1分といったところで。


……1


妙な気がする。私がこの店に来た時、あの時計は4時50分を少し過ぎたところだった。あれからまだ4分も経っていないなんて、そんなことがあるだろうか--


「苦っ!」

と、私の思考を戻したのは二号さんの大声で、彼女はコーヒーを置くと、水を一杯、コーヒーを流し込むように飲む。

「笑っちゃうくらい苦いですね、これ」

「そうですね」

「笑っていいですか?」

と、聞く二号さんの顔は意外にも真剣だ。

「……どうぞ」

「アッハッハッハッハッ!」

あっけらかんと彼女は笑う。

と、急に私を見て

「え、笑えるくらい苦くないですか?」

「……」

「あ、」

「なんですか?」

「……思い出した。好きでしたよねアイスコーヒー」

「……あぁ、はい。……アイスコーヒーばかり飲んでましたねあの人」

「え、あの人って呼んでるんですか? 一号さん」

また屈託の無い笑顔を浮かべる二号さん。そのまま目だけでニィッと笑って、


「……君のこと」


久しぶりに聞くその苗字。私にとって、あの人はあの人だから。あの人の苗字。そしてそれは、2年間だけ、私の苗字でもあった。もう遠い昔の事のようだけど

「へー、」

と、私は何も答えてないのに二号さんは訳知り顔で

「笑っていいですか?」

と、続ける。そして答える間もなく。

「笑っちゃいますね。アッハッハッハッハッ!」

あっけらかんと笑う二号さん。

熱を冷ますように顔を仰ぐ。薬指に光る指輪。

「……再婚されたんですね」

「はい。先々月」

「おめでとうございます」

「一号さんは?」

「私は生憎」

「生憎って面白いですね」

「面白いですか?」

「古典の先生みたい」

「日本史」

「え」

「私日本史の先生です」

「え、一号さんって先生なんですか」

「はい」

「へぇー、笑っていいですか」

「どうぞ」

「あっはっはっはっ」

「……」

「あぁそうだ、数学の先生でしたね、今津君」

「そうですね」

「私勉強からきしで、今津君の言っていること全然分かんなかったなぁ」

「そうですか」

「だから1年しか保たなかったんだろうなぁ」

「……」

「一号さんどれだけでしたっけ」

「……2年です」

「へぇ」

「はい」

「どんなでした?」


どうだったろう。

どうだったのだろうか私達の生活は。

思い出すのは匂い。

結婚の前、まだ学生だった頃、あの人からは、いつもタバコの匂いがした。

そして、そう、があった日から彼は煙草をやめて、代わりにコーヒーばかり飲むようになって、服にもコーヒーの匂いが染みついていった。


「依存をするものを変えたって仕様がないじゃない」


と私は言ったと思う。

あの人は惚けた顔で「おぉ」と言っていたが、彼も私も当然気づいている。


彼が、本当に依存をしていたものは、勿論、タバコなんかじゃなくて、だから私は、


「あ、」


と、声を出したのは、私でも二号さんでも無くて、声のした方へ目を向ければ、扉の前に、見知らぬ一人の女がいる。

黒髪のミディアムボブ。前髪は長く、目に少しかかっている。年は20代後半くらい、だろうか。


彼女はきっと、


「三号さん」


と、私の代わりに言ったのは二号さんだ。

三号さんは自信なさげに少しだけ笑って、二号さんの隣に座り、会釈をする。そして口を開く。


「今日はお忙しいところ、急にお呼びしてしまってすみませんでした」

「いえ」

と、答えたのは私だ。三号さんは少し俯いて、上目遣いに私を見て、言う。

「その……あなたが」

「はい。」

と答える。そして続ける。

「初めまして三号さん。私が、今津トモヤの一人目の妻です」

「初めまして。今津トモヤの三番目の妻です」

「改めまして、今津知也の二番目の妻です」

と最後に続けるのは二号さん。彼女の笑みはやっぱり粘度が高く感じる。


私たちは三人の女。

共通点は一人の男の妻であった事。


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∞インフィニティ∞今津 斜田章大 @nanamedashota

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