第2話
灰色のアスファルトに黒い滲みが一つ生まれた。自分の首筋から伝う汗をハンカチで拭う。空は雲一つない快晴で、太陽がじりじりと私を焦がす。それが憎たらしくて、私は思わず空を睨みつけるようにして見上げた。馴染みのない校舎の、中庭のベンチからはグランドが見えて、部活動に励む生徒達が走り回っている。
夏休みだが、登校している生徒がちらほらいた。皆して違う制服を着た私を異物みたいに見る。その視線にうんざりして、誰もいない中庭に逃げ込んだ。こんな日差しがきつい日に、中庭で寛ぐ生徒なんて、私以外誰もいなかった。あまりの暑さに俯くと、制服のスカートが視界に入る。
両親の離婚で転校、別に可笑しい話じゃない。そんな家庭はどこにでもある。むしろ、両親の怒鳴り声を聞かずにすむことに、少なからずほっとしている自分もいる。けれど、父方の実家がある田舎に引っ越すハメになるなんて、思ってもいなかった。元々は、地方都市に住んでいたから、ショッピングセンターも、コンビニも近所にない、そんな田舎で過ごさなければいけない今後の生活に耐えられるだろうか。しかも、過疎化で子供が少なく、学校も少ないから、この辺りの子たちはみんな昔馴染みらしい。田舎のコミュニティの中で、上手くやっていけるか、不安で仕方がなかった。
形式上、父に引き取られたものの、父は仕事で忙しく、私なんかを相手にしている暇はない。父の口癖は「忙しい」だ。それに対する母の口癖は「私が暇だって言いたいの?」だった。
結局、私は父方の祖母の家に身を寄せることになったが、引っ越しは業者任せ、転校の手続きは祖母任せ、両親は私の事がどうでもいいのだと、ここ最近で嫌と言うほどに思い知った。
この場所に辿り着くまでの記憶を巡らせていると、無性に苛立ちが募って、ローファーを履いた足で足元の土を蹴り上げた。
「…うわ」
しまった、と思った時にはもう遅かった。真っ黒な学ランを着た男子が、ズボンの裾にかかった土を神経質そうに叩いていた。私がどうしようと慌てふためいていると、彼が顔を上げた。
「貴方、常識ないタイプでしょう」
眉間に皺が寄っていて、かなりご立腹な様子だった。
「最悪だ」
色素の薄い、茶色の瞳は機嫌が悪そうに細められていて、ビー玉のような瞳を長い睫毛が覆っていた。鼻はツンと高く、肌は白い。一言で表すと、美青年、という単語が相応わしい。身長も百八十センチ近くあるんじゃないだろうか。先ほど、校舎の中を歩いたが、男子は皆、黒焦げの坊主かスポーツ刈りだった。皆が似たような顔立ちで、見分けがつかないぐらい。
「ごめんなさい。何だか、すごくムシャクシャして。わざとじゃないの」
「ムシャクシャしていても、普通はそんな事はしない」
天使のような顔で、苦虫を潰したような表情をされた。そして、その言葉を最後に、天使は足早に校舎へ姿を消した。陽炎のせいなのか、校舎へ消えてしまった黒い学ランが、いつまでも目の残像に残っているような感覚に陥った。
そして、ふと不安になった。あれだけ、綺麗な顔立ちなら、絶対に人気者だろう。特に、女の子に。「あの転校生、俺の制服に砂をかけた」、とかそんな話を同級生に言いふらされたら……。先程の暑さとは違う汗がじっとりと噴き出す。
「ほんと、最悪」
どうか同級生じゃありませんようにと、祈ることしか出来ない私の独り言を、蝉が掻き消した。
*
登校初日の下駄箱で神様を呪いたい気持ちになった。目の前の彼は、先日と同じように眉間に皺を寄せた。早朝の校舎に生徒の姿はなく、二人きりだった。何という偶然、そして不運。私と同じ、二年一組の下駄箱を使っているということは同級生ということだ。せめて、クラスが違えば、どんなによかっただろう。残念ながら、この高校は学年に一クラスしかないのだ。これから、彼と二年間同じ教室で過ごすことが確定した。
「こないだは、ごめんね?」
「悪いって、思ってないだろう」
穏便に過ごすために、とりあえず謝っておこうと思ったが、一刀両断される。
「悪いって、思ってる。初対面から、土をかけちゃうなんて、最悪の第一印象だよ。だから、ごめんね」
「そう簡単に許すほど、上手く人間が出来ていないもので」
見えない壁でガードされているみたいだ。でも、今後の学校生活がかかっているのだ。引き下がれない。
「じゃあ、また許してくれそうな時に言う」
茶色の瞳が揺れた。その瞳は「変な奴だ」と、そう言ったように見えた。
彼は呆れたように一つ息を吐くと、くるりと背中を向けて、歩き出した。私も後ろに続いて、歩く。確か、職員室は中央階段を上がって、右側の突き当たりのはずだ。私は転校生だから、まず職員室に寄ることになっていた。
早朝のせいか、クーラーがあまり効いていない校舎は生温い。この暑さのせいで、階段を一つ登るだけでも億劫だ。二階まで上がって、廊下を右に進もうとすると、彼も私が進む方向へと足を進めた。教室は、三階だったはずだが……不思議に思いつつも、廊下を歩く。結局、私達の目的地は同じだった。真っ黒な背中が古びた職員室のドアを開ける。微かに金属が擦れるような、嫌な音がした。
「遠野春樹です。森先生はいらっしゃいますか」
とおの、はるき。心の中でそっと反復して唱えた。何というか、強情そうな言動に反して儚くて、綺麗な響きの名前だと思った。けれど、彼の天使のような顔にはよく似合う。
「早いなぁ、はりきって登校してきたん?」
ジャージ姿にクロックスを履いた短髪の教師がやってきた。三十代後半ぐらいだろうか。今ドキの話し易い、生徒と距離感が近いタイプの教師。そんな感じだ。森先生は、まじまじと私達を見つめて、言い放った。
「転校初日から、えらいはりきっとるな。二人とも」
転校初日?
二人とも……?
「転校生が二人同時にとか、なかなかないんやけ。せっかくやし、仲良くしいよ」
頭に、言葉が上手く入ってこないのは、耳慣れない方言の所為だけじゃない。驚きで声が出なかった。
「制服で気付かなかった?この学校の制服とは全然違う」
「気付かなかった」
百七十センチ以上の目線から私を見下す彼は酷く嫌味っぽい。
「友達、いないタイプでしょ」
「貴方もそうじゃないんですか」
飄々と言い返してくる彼が憎たらしくて睨み付ける。それを見た森先生が仲裁に入った。
「はいはい、仲良いのはわかったけ、もうやめとき」
言われっぱなしは気に食わないが、言い返そうとした口を噤む。一つ言い返したら、百帰ってきそうだ。
「遠野春樹くん、櫻井充希さん、これからよろしく頼むよ」
森先生はそう言って、私達の肩を軽く叩いた。
森先生は、じとりと睨み合うようにして、だんまりな私達を見兼ねたように笑うと、教室まで案内するからと、廊下を歩き出した。
*
酷く居心地が悪い。
「遠野君は何処らへんに住んどったん?」
名前も知らないクラスメイトの女子が複数人で固まって、真隣の席に座っている遠野春樹に質問をぶつけていた。
「たぶん、教えたってわからない」
私が制服に土をかけた時と同じぐらいには機嫌が悪そうだ。声のトーンが低い。私は鞄から取り出した単行本を広げているが、正直まったく内容が頭に入ってきていない。
朝のホームルームで、自己紹介した時に嫌な予感はしていた。遠野春樹には、女子からの羨望の視線が集中していたが、私には値踏みするような視線が突き刺さっていた。その視線は「他所者がやってきた」と言っているようで、お世辞にも居心地がいいとは思えないものだった。今も、目線を外して直接的にはみないが、遠野春樹に話しかけながら、私の反応をチラチラと伺っているのがわかる。
「遠野君、彼女はおると?」
盗み聞きしているわけではないけれど、媚びるような高い声が嫌でも聞こえてくる。
「その質問、なんか意味ある?」
今までで一番、低い声が響いた。女子たちが息を呑む音が聞こえた。会話に参加しているわけでもないのに、関係ない私でもヒヤリとくるものがあった。遠野春樹にバッサリと切り捨てられた女子たちはそれ以上、口を開くことはなく、慌ただしく教室の隅に退散していく。
私なんか、一言もクラスメイトと話せていないし、話しかけてもらえてもいない。確かに鬱陶しい質問だったかもしれないけれど、話し掛けてくれた子に、そんな酷い仕打ち、しなくてもいいのに。
惨めな私の気持ちとは裏腹に、本人は全く気にしていないようで、「やっと静かになった」と言わんばかりに、頬杖をついて単行本の真っ白なページを捲り始めた。その姿さえも様になるのだから、顔の面が良い人は心底羨ましい。その姿を横目でこっそり見ながら、彼のあだ名を決めた。「孤高の天使」、だ。うん、物凄く彼にピッタリだと思う。それにしても、こんな気難しい奴と隣りの席だなんて、これからやっていけるだろうか。とてもじゃないが、仲良く出来そうにはない。なるべく、関わらないようにしようと固く決意する。
それに、遠野春樹が追い払った女子たちが早速こちらを睨みつけながらヒソヒソと会話しているものだから、まるで私まで非難されているような気分になる。
結局、転校初日はクラスメイトと会話することもなく、値踏みされるような視線を感じながら過ごした。
その日の夜、両親にメッセージアプリでたった一言だけ、こう送った。
『元気に過ごしてるかな?私は今日、転校初日だったよ』
別に、何かを期待していたわけではなかったけれど、何日待っても返信は来なかった。
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孤独は制服を着て、隣の席にいた 柊 小夜 @sayo_hiiragi
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