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 ログ確認が終わると、艦内の空気は完全に平常へ戻った。


 戦闘後特有の緊張は、どこにも残っていない。

 通路には、いつもの作業音と、低く一定の振動が満ちている。


「次のローテ、どうなってたっけ?」


 ゴームが伸びをしながら言う。


「命令が出るまでは待機だよ。だから今は自由時間」


 ひまわりの声は、すっかり軽い。


「やった。仮眠だ」


 ゴームはそのまま歩き出し、振り返りもせずに手を振った。


 分隊長は、その背中を見送ると、端末を閉じる。


「各員、待機。呼び出しがあるまで自由行動」


「了解」


 形式的な返答が交わされ、指揮権は一時的に解かれる。


 それが、第258分隊の日常だった。


 特別なことは何もない。

 今日もまた、任務を果たし、帰ってきただけだ。


 ゼロスは、自席に戻りながら、艦内モニターに映る外部宙域を見た。


 プラットフォームの外側。

 無数の観測光が、規則正しく点滅している。


 あの光の網の中で、今日もホシクイは分類され、迎撃され、消えていく。


 その仕組みは、完璧に近い。


 だからこそ、ここまで人類は生き延びてきた。


「……」


 ゼロスは、無意識のうちに、戦闘ログの一部を再生していた。


 問題はない。

 どの数値も、許容範囲内だ。


 それでも、彼の思考は同じ箇所に戻る。


 配置のズレ。

 反応の滑らかさ。

 そして、索敵と接触の、わずかな時間差。


 どれも単独では意味を持たない。

 結びつける根拠もない。


 だから、報告しなかった。


 それは正しい判断だ。


 ――正しいはずだ。


「さっきのログのこと、何か気になってる?」


 背後から、ひまわりの声がした。


 振り返ると、彼女は壁にもたれ、腕を組んでいる。


「はい」


 ゼロスは即答する。


「考慮すべき情報ではあります」


「でも、報告するほどじゃないって言ったよね?」


「現時点では、不要と判断しました」


 ひまわりは、少しだけ目を細めた。


「分隊長も同じ判断だったね」


「はい」


「それなら、大丈夫だよ」


 その言葉には、確信があった。


 第258分隊は、これまで何度も正しい判断を積み重ねてきた。

 今回も、その延長線上にある。


 だから、大丈夫。


 そう思うことに、理由はいらない。


「ねえ、ゼロス」


「何でしょう」


「もしさ」


 ひまわりは、言葉を切る。


「もし“本当に”おかしいことがあったら、ちゃんと報告するよね」


「はい」


 即答だった。


「その時は、根拠が揃います」


「そっか」


 ひまわりは満足そうに頷いた。


「じゃあ、今は何も起きてない」


「はい」


 その会話は、そこで終わった。


 ひまわりは手を振って去り、ゼロスは再びモニターへ視線を戻す。


 宙域は静かだった。


 ホシクイ反応は、どこにもない。


 観測網は、完璧に機能している。


 少なくとも、表示上は。


 ゼロスは、ログを完全に閉じた。


 ――問題なし。


 その結論は、何一つ間違っていない。


 だが、観測網の外側で何が起きているかは、

 誰も知らない。


 そして、それを知らないままでも、

 日常は、何事もなく続いていく。


 それが、いちばん怖いことだとは、

 まだ誰も気づいていなかった。

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