3/3
ログ確認が終わると、艦内の空気は完全に平常へ戻った。
戦闘後特有の緊張は、どこにも残っていない。
通路には、いつもの作業音と、低く一定の振動が満ちている。
「次のローテ、どうなってたっけ?」
ゴームが伸びをしながら言う。
「命令が出るまでは待機だよ。だから今は自由時間」
ひまわりの声は、すっかり軽い。
「やった。仮眠だ」
ゴームはそのまま歩き出し、振り返りもせずに手を振った。
分隊長は、その背中を見送ると、端末を閉じる。
「各員、待機。呼び出しがあるまで自由行動」
「了解」
形式的な返答が交わされ、指揮権は一時的に解かれる。
それが、第258分隊の日常だった。
特別なことは何もない。
今日もまた、任務を果たし、帰ってきただけだ。
ゼロスは、自席に戻りながら、艦内モニターに映る外部宙域を見た。
プラットフォームの外側。
無数の観測光が、規則正しく点滅している。
あの光の網の中で、今日もホシクイは分類され、迎撃され、消えていく。
その仕組みは、完璧に近い。
だからこそ、ここまで人類は生き延びてきた。
「……」
ゼロスは、無意識のうちに、戦闘ログの一部を再生していた。
問題はない。
どの数値も、許容範囲内だ。
それでも、彼の思考は同じ箇所に戻る。
配置のズレ。
反応の滑らかさ。
そして、索敵と接触の、わずかな時間差。
どれも単独では意味を持たない。
結びつける根拠もない。
だから、報告しなかった。
それは正しい判断だ。
――正しいはずだ。
「さっきのログのこと、何か気になってる?」
背後から、ひまわりの声がした。
振り返ると、彼女は壁にもたれ、腕を組んでいる。
「はい」
ゼロスは即答する。
「考慮すべき情報ではあります」
「でも、報告するほどじゃないって言ったよね?」
「現時点では、不要と判断しました」
ひまわりは、少しだけ目を細めた。
「分隊長も同じ判断だったね」
「はい」
「それなら、大丈夫だよ」
その言葉には、確信があった。
第258分隊は、これまで何度も正しい判断を積み重ねてきた。
今回も、その延長線上にある。
だから、大丈夫。
そう思うことに、理由はいらない。
「ねえ、ゼロス」
「何でしょう」
「もしさ」
ひまわりは、言葉を切る。
「もし“本当に”おかしいことがあったら、ちゃんと報告するよね」
「はい」
即答だった。
「その時は、根拠が揃います」
「そっか」
ひまわりは満足そうに頷いた。
「じゃあ、今は何も起きてない」
「はい」
その会話は、そこで終わった。
ひまわりは手を振って去り、ゼロスは再びモニターへ視線を戻す。
宙域は静かだった。
ホシクイ反応は、どこにもない。
観測網は、完璧に機能している。
少なくとも、表示上は。
ゼロスは、ログを完全に閉じた。
――問題なし。
その結論は、何一つ間違っていない。
だが、観測網の外側で何が起きているかは、
誰も知らない。
そして、それを知らないままでも、
日常は、何事もなく続いていく。
それが、いちばん怖いことだとは、
まだ誰も気づいていなかった。
星を糧に生きるもの 微糖 @shinokanatsu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。星を糧に生きるものの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます