曇った鏡が残すのは

@hiragi0331

第1話

芳ばしいスープやパンの香りが広がる食堂。貴族たる学生たちは上品に談笑しながら食事を楽しみ、給仕たちは静かに食事を運んでいる。

 そんな落ち着いた雰囲気は、唐突に響いた大声によって強制的に破られた。


「あ! あそこがいいんじゃない!?」


 その甲高く耳障りな声に、その場にいた全員の顔が僅かに顰められた。貴族たるもの感情を滅多なことで表に出してはいけない、と教育されているため『僅かに』程度で留まっているが、それが無かったら遠慮なく顰めているところだ。

 それに気付くこともせず、その声の主であるマリベル・クレストリアはずんずんと足を進めて、無遠慮に椅子へと座った。淑女らしからぬ振る舞いに、その場にいる者たちは不愉快な思いをしたが、それを努めて顔に出すことはしない。


「さ、遠慮せずに座って座って!」

「……失礼します」


 そう促されてその向かい側や隣に座ったのは、この学園で知らぬ者はいない、王族や高位貴族の令息たちだ。

 第一王子であるオスカー・ルーメリアン、騎士団長子息のエドモンド・リーヴェルに宰相子息のエトワール・グレイシオン、公爵子息のヴィクトル・カラディス。


 綺麗な笑みを浮かべている彼らに、マリベルは満足そうな笑みを浮かべてメニューを広げた。


「えっとぉ、季節野菜のポタージュにぃ、ローズマリーのフォカッチャぁ、舌平目のムニエルにぃ、バターライスのピラフぅ、どれも美味しそうで、迷っちゃうねぇ~!」


 語尾を伸ばさないと話せないのだろうか、それに声が大きすぎる、と周りは内心でうんざりしていた。

 マリベルは周りからこっそりとそう思われていることなど露知らず、にっこりと満面の笑みを浮かべている。


「皆も遠慮せずに頼んでね!!」

「ええ……そうですね」


 令息たちはあくまでも綺麗な笑みでそれに答えている。さすが将来国を支える方々は違う、と妙な感心を抱かせてしまう程に。


「あのねぇ、今日の授業さぁ」


 注文をした後も、マリベルのおしゃべりは止まらない。令息たちは嫌な顔一つせず、静かに頷きながらそれを聞き、当たり障りのない答えを返している。


「きゃっは! うれしい! でねぇ~……」


 きゃはははは!!


 けたたましい笑い声が食堂中に響いた。それに耐えられず、数人の生徒が静かに席を立つ。

 やがて料理が運ばれ、それぞれの前に置かれた。


「わあ、おいしそう! あ、オスカーのそれ、あつそう! あたしがふーふーしてあげよっかぁ?」


 その台詞に、数人の生徒が顔を青ざめさせた。中には堪えきれない、と口元をハンカチで押さえている者もいる。

 対してオスカーは笑んだまま、手を軽く横に振ってみせた。


「いえ、お手を煩わせる訳にはいきませんので」

「もう、遠慮しなくっていいのにぃ!」


 マリベルはぷくっ、と頬を膨らませて唇を尖らせた。その唇は真っ赤にぬめぬめと光っているのが遠くからでも分かる。


「じゃ、あたしの食べさせてあげよっかぁ? はい、あーん!」

「いえいえ、先ほども申し上げた通りお手を煩わせる訳にはいきませんので」

「じゃ、オスカーの食べさせてぇ? あーん!」


 オスカーごと食らいつくそうとせんばかりに、がぱり、と真っ赤な口が開かれた。


 それにまた耐えきれなくなった生徒たちが席を立ち、食堂にはこの集団以外の生徒はいなくなる。

 そのため彼がどのような対応を取ってその要求を躱したのかは、誰も分からなかった。

 


 マリベル・クレストリア。


 この学園内であらゆる意味で有名な彼女の行動パターンは、実に分かりやすいものだった。

 見目麗しい高位貴族、さらに異性には猫なで声で擦り寄り、腕を組んだり頬を摺り寄せたりと過度なスキンシップを取る。対して下位貴族には冷たく、さらに厳しく接する。同性であればさらに酷くなり、それが例え高位貴族であっても、暴言と罵声を浴びせる始末。しかも内容は言いがかりにも程があるものばかりで。


 それが先ほどの4人の婚約者である令嬢たちともなれば、それはもう酷くなり。


「アンタなんかがオスカーの婚約者なんてみっともない!」

「早く婚約解消したら?」


 甲高い声で喚き散らされ、耳の奥がきんきんと痛くなる程だ。

 令嬢たちは目を伏せて当たり障りのない答えを返しているが、それも何時までもつか。

 

 裏庭や誰も使わなくなった空き教室で、4人で身を寄せ合って、静かに涙を零しているのを何人もが目撃している。その小さく震える肩を抱き寄せて小さな声で励ましている令息たちの御姿も。


 そんな健気な御姿を見た生徒たちは、何とかして欲しいと他の教師たちに嘆願しているが結果は思わしくなく。


 何でも注意しているところを見た生徒曰く、マリベルはぶすっ、と真っ赤な唇を尖らせて。


「はぁい、わかりましたぁ」


 と何ともやる気のない返事をしていたと。


 それ以降、幾度も注意をされている筈なのに、マリベルの行動は一向に改められない。それどころかますます酷くなる一方で。

 たった一人のせいで学園中の空気が悪くなるのはいかがなものか、と生徒たちの怒りは爆発寸前だった。


 こうなったら署名でも集めようか、と生徒たちが話しているのを、静かに観察している目があったことに、この時は誰も気が付かなかった。



「失礼しまぁす」


 扉を開けて入って来たマリベルに、一斉に視線が突き刺さった。


 奥の重厚な机に座っている、学園長ヴァルター・ノクス。その右隣に控えているのは、教頭のカレド・エルヴァイン。左隣には、生徒指導兼相談員であるマルティナ・フェルガードの姿があった。

 マリベルが口を開くより早くヴァルターが、机に一枚の書類を置く。


「君のこれまでの言動について再三改めるように注意したが、改善する兆しすら見えない。よって」



「今日付けで、君の教師としての職を解く」



 ざあっと顔を青ざめさせて机上の書類を食い入るように見るマリベルに、誰もが冷めた視線を送った。そんなことしても、書類に書かれていることは変わらないのに、と。


「な、なんでっ……」

「この期に及んでまで理解できていないのかね?」


 マリベルがそう口走るのに、カレドが呆れたとばかりに突っ込む。


「特定の生徒へのえこひいきや過度な身体への接触、さらに必要のない叱責や暴言……調査したところ、これだけの数が集まっている」


 どんっ、と分厚い書類の束が新しく机上へと置かれた。そこにはマリベルが犯した『罪』ともいえる言動が、事細かにびっしりと書き連ねられていた。


「それが教育者としてふさわしい言動かね? 神経を心底疑うのだが」

「そ、それは、だって、アタシはっ」

「黙りなさい」


 見苦しくも言い訳を連ねようとするマリベルを、ぴしり、とマルティナが遮った。


「生徒からの苦情も殺到しているんですよ。こんなに!」


 またも、どんっ、と分厚い書類の束が机上へと置かれた。


「おかげ様で相談室が賑わいましたわ。このようなこと、あってはならない筈なのに」

「なにをっ、このアタシに、生意気にっ」

「ああ、相談してきた生徒の中には、貴方にしつこく言い寄られていた王族を始めとした子息たちも『もちろん』含まれていますよ」


 マルティナがそう強調していうと、マリベルの喉から「んぎゅう」という妙な音が漏れる。

 思わず顔を顰めそうになるのを堪え、マルティナは尚も口を開いた。


「言動だけではありません。……その服装はなんですか?」

「ど、どこがおかしいっていうのよぉ。かわいいでしょぉう?」


 マリベルの言う通り、服装『だけ』は可愛い。


 桃色のフリルをふんだんに使ったワンピース。


 そう、服装だけを見るならば。

 しかし。


「それが教師にふさわしい服装とは思えません。そのように袖にまでフリルがついている服など、チョークの汚れが付きやすいでしょうに。さらにフリルになっているからそれを払い落とすこともできない。そしてフリルが重く、スカートが長すぎるため緊急事態が発生した場合、素早く動くことができません。機能性としては最低過ぎます」

「き、緊急事態って、そんな大げさでしょお!?」

「おや、自身の服の方が生徒よりも大事だと仰るのですか? ますます教育者としてふさわしくない発言ですね」


 それに、とマルティナは言葉を続ける。


「あなた、ご自身の年を自覚しているんですか?」



「ちょうど60歳ですよね?」



 マリベルの顔が見る見る内に赤くなった。

 だがそれは羞恥ではなく、屈辱で、というのはその場にいる誰もが理解していた。


「その御年で着るな、ということを申し上げるつもりはありません。ただ単純に」



「似合っていないを越えて、見苦しいんですよ」



「アンタにそんなこと言われる筋合いないわよぉ!!」


 爆発したのか、マリベルはそう喚いた。きいん、と耳が鳴り、咄嗟にそこを押さえようとする手を3人は必死に堪えた。


「アンタみたいな小娘に、この、このアタシが」

「私だけではありません。学生からも同様の意見があがっています」


 例えばこれですね、と書類の一枚を掲げてみせれば、ばしっ、と引っ手繰られた。ぎょろぎょろと目を動かしながら読んでいる姿は、見苦しいことこの上ない。


「ぎいいいいー!!」


 最終的に奇声をあげながら破り捨て、ぐりぐりと何度も踏みつぶしているがそれはコピーだから問題はない。というかそれすらも見苦しい。


「みにくい、醜いって、このアタシが、そんな、はず」


 がしがしと頭を掻きむしっている哀れな女に、トドメを刺すべくマルティナは口を開いた。



「貴方、鏡をご覧になっているのですか?」



「へ……?」

 呆けたようにこちらを見る女に、マルティナは、すう、と目を冷たく狭めてみせる。


「まあ、そのように化粧をなさっているのですから、ご覧になっていない筈はありませんね。ちゃんと磨いて綺麗にしていないのですか?」

「ば、馬鹿に」


 喚こうとする女の顔前に、マルティナは突き付けた。

 よく磨かれた、鏡を。


「これが貴方のお顔ですよ」


 そこに映し出されていたのは。


 塗りたくられた下地と白粉が膜のように広がり、表情が動く度に細かな亀裂が走った。さらに顔中の皺によれて、だまのようになっている。そのせいで隠そうとしている黒い沁みが目立っているのが皮肉だ。睫毛は固まり、派手な青いアイシャドウと、赤い唇はぬめぬめと光って、顔の不自然な白さのせいで浮いてみえる。


「化粧はただ塗れば良いというものではありません。技術が共わない化粧は、己の顔を見苦しく見せるだけです」

「み、みぐる、しい?」


 まだ現実を受け止めきれないのか、女は愕然とそう呟く。


「貴方に腕を絡められて頬を摺り寄せられ白粉が制服に付き、制服を何度も買い直した、と苦情が出ています。ハッキリとした実害が出ているのに、まだ認められないのですか?」


 そう言われて、また鏡を見てみる。


 もちろん先程見たものが変わる筈もなく。


 濃い化粧が見苦しい顔。

 ちりちりのくせ毛は無造作に一つ縛り。しかし薄毛のため頭のてっぺんが貧相なことになっている。


「あ、こ、こんなのアタシじゃない!」

「いえ貴方です」

「アタシじゃない! だってアタシはヒロインなのよ!? こんな不細工なババアじゃない!!」


 ヒロイン? と3人は顔を見合わせた。

 本当に目が曇っていたようだ。そして頭の中も。


「だ、だって、ここ、何かの乙女ゲーでしょお? 確かに60過ぎてハマってたけどぉ、ゲームの強制力とかそういうの、あるでしょお? ヒロインみたいな子いなかったからぁ、アタシがヒロインでしょおぉ!?」


 何ですかそれ? さあ? という会話を3人で無言でしてから、頷き合う。


「貴方が何を言おうと、教師の職を解くのは決定事項です」

「職員室に行っても貴方の席はありませんよ。今頃全て片付けられていますので」

「早急に学園から出て行ってください」


 そう口々に宣言され、はく、はく、と赤い唇が動いた。



「き、キイイイイイヤアアアアアアア!!」



 超音波を思わせる程甲高い声に、3人は今度こそ顔を顰めて耳を手で塞いだ。

 バンッ! と勢いよく扉が開かれ、数人の警備員が駆け込んでくる。


「警備室へ連れて行け。落ち着けば良し、そうでなければ警察を呼んでも構わん」


 ヴァルターがそう指示をすると、警備員たちは「はっ!」と頷いて女を手際よく取り押さえた。それでも血走った目をぎょろぎょろとさせ、口から唾や泡を飛ばしながら喚き散らして暴れる姿は見苦しいを通り越して醜悪過ぎる。思わず顔を顰め、目を逸らしてしまう程に。

 

 最終的に縄で拘束され担がれていったのを見送り、ドアを閉めて溜息を吐く。


「全く……何故このようなことに……。生徒たちを全員帰した後で良かったよ」


 嘆かわしい、とヴァルターは目元を押さえて首を振った。


「昨年度までは優しく、穏やかな先生だったというのに。まるで人が変わったようだ」


 カレドもまた額を押さえて溜息を吐いている。


「頭でも打ったのでしょうか? ……本当に残念です」


 マルティナはぐっ、と唇を噛みしめた。

 しかし3人の間に安堵の空気が漂っているのもまた、事実だった。




 学園から一人の教師が消えた。


 生徒たちは平穏な学園生活を送ることが出来るようになり、卒業する頃には「ああ、そんな先生もいましたね」と話題の片隅に乗ることはあったものの、やがて顔も、名前すらも、記憶の彼方へと消えていった。

 それは教師たちも同様で、何時しかその存在は、教員名簿を捲れば出て来る、ただそれだけに成り果てていた。

 

 それは『早く忘れてしまいたい』という防衛本能のようなものがそうさせたのか。


 『女』が消えてしまった、今となっては。


 誰も分からないことである。



(終)

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