古びた資料:忌神の真名と希望の糸口

もつれる足を叱咤し、無我夢中で走り、細い路地を幾度も駆け抜け、辛うじて怪物の追跡を振り切った雪は、その先に見えた、ガラスが砕け散った巨大な建物の廃墟へと、吸い寄せられるように身を滑り込ませた。それは、かつてこの町で知識の殿堂として人々を迎え入れたであろう、古びた図書館だった。


中へと足を踏み入れると、埃と黴が混じり合った、重苦しい匂いが鼻腔を突き刺した。割れた窓ガラスからは微かな光が差し込み、宙を舞う無数の塵をきらきらと輝かせていた。棚に整然と並んでいたはずの書物は、ほとんどが朽ち果て、色褪せたページは虫食いだらけで、触れるだけで崩れ落ちそうだった。まるで、時間の流れだけが、この場所だけを置いて先に進んでしまったかのように、全てが荒れ果てていた。しかし、その荒廃の奥に、僅かながら原型を留めている本が、辛うじて存在していた。


「もし、この世界が、あの忌まわしい神――『忌神』の作り出した夢であるなら……」

荒く波打つ呼吸を落ち着かせ、雪は震える唇で呟いた。「必ずどこかに、脱出の手がかりがあるはずだ」

胸に宿った小さな、しかし確かな希望に突き動かされ、彼女は闇雲に、しかし必死に本を探し始めた。指先は、埃にまみれた背表紙をなぞり、その冷たい感触が、途方もない孤独を雪に思い出させた。時間は刻一刻と過ぎていく。喉はカラカラに乾き、空腹が胃の腑を締め付け、疲労が全身の自由を奪っていく。それでも、ここで諦めるわけにはいかなかった。諦めてしまえば、あの忌神が創り出した悪夢の中で、永遠に喰い尽くされてしまうだろう。


やがて、図書館の最も奥まった場所で、雪は他の書架とは明らかに異なる一角を見つけた。そこには、古文書を収めるためだろうか、小さな鍵付きの書架が備え付けられていた。鍵穴はすでに錆びつき、その役目を果たしていなかったが、雪は床に転がっていた鉄パイプを見つけると、僅かながらの力を振り絞り、何度も書架の扉を叩きつけた。


鈍い金属音が静寂を破り、図書館の奥深くに響き渡る。凍える指先が震え、全身の筋肉が軋む。だが、雪は諦めなかった。幾度かの衝突の後、ついに錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、扉が内側に傾いた。


開かれた書架の奥には、郷土史を記したであろう分厚い書物や、年代物の手記、そして古びた絵巻物が収められていた。その中で、雪の目を惹いた一冊があった。それは、朽ちかけた羊皮紙で装丁され、かすかに墨の匂いを漂わせる古書だった。表紙には「忌神伝説と鎮魂の儀」と記されている。


震える手でそれを開く。文字は古く、読むのに時間がかかったが、雪は必死に読み進めた。そこには、この町の開拓初期から信仰され、やがて人々に忘れ去られ、恐れられるようになった神の記述があった。そして、その神が現実の世界と夢の世界の境界を曖昧にし、人々を「神隠し」に遭わせる存在であること、さらにはその神を鎮め、この夢の世界から脱出する唯一の方法が「真名」を奉納することであると、はっきりと記されていた。


しかし、その「真名」そのものは、この本には直接記されていなかった。そこには、真名の断片が他の文献や、町の各地に散らばる石碑などに隠されている、という示唆があるだけだった。


それは、地獄に差し込む一条の光であった。

同時に、果てしない、そして危険に満ちた探索の始まりを告げるものでもあった。


雪は、冷たい羊皮紙の書物を胸に抱きしめた。その感触は、確かにそこに「在る」ことを教えてくれる。恐怖は消えない。疲労も、空腹も、身体を蝕み続けている。だが、心の中に、これまで感じたことのない強い使命感が芽生えていた。


この忌神が作り出した悪夢から、必ず生きて帰る。

そのためならば、どこまでも、何度でも、この足で歩き続ける。


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