最初の遭遇:過去の影と具現化された恐怖
忌神の神社から背を向けた時、雪は、まるで深い水の底から這い上がってきたかのような息苦しさを感じた。背後の社殿から放たれる鉛のような重い空気が、未だ肌にまとわりつくかのようだ。早く、ここから。その一心で、彼女は来た道を戻り、山を下り、再び町の中へと足を踏み入れた。
しかし、そこはもう、ただ人がいないだけの静かな町ではなかった。
商店街のアーケードを通り抜け、人気のない通りに出た時、ひやりとした風が頬を撫でた。古いシャッターが降りた店々が、まるで黒い口を開けているかのように見える。視界の端に映る、色褪せたポスターの少女の笑顔さえも、薄気味悪く歪んでいるように思えた。沈黙は以前にも増して深まり、雪の耳には自身の荒い呼吸だけが異常なほど大きく響く。
その時だった。
背後から、奇妙な音が聞こえた。
まるで水が滴るような、あるいは、濡れた骨が擦れ合うような、ぞっとする音。不規則で、粘っこく、皮膚の下を何かが這い回るかのような不快感。雪の身体が、一瞬にして硬直した。頭の奥で警鐘が鳴り響く。行くな。見るな。しかし、抗えない衝動が、ゆっくりと彼女を振り返らせた。
そこに、それはいた。
特定の形を持たない、不定形の塊。しかし、そのすべてが雪の心の深淵に封じ込めていた、あらゆる「嫌悪」と「恐怖」と「罪悪感」を混ぜ合わせて練り上げられたかのような「影」だった。それは、かつて幼い頃に見てしまった、目を逸らしたくても逸らせなかったあの出来事の残像であり、決して口にしたくなかったのに吐き出してしまった後悔の言葉の結晶でもあった。雪は、それが自身が生み出した、内面の闇の具現化であると直感した。自己の嫌悪すべき部分が、実体を持って目の前に立ちはだかっている。その悍ましさに、吐き気が込み上げた。
影はゆっくりと、しかし確実に雪に向かってくる。その動きは滑らかでありながら、どこか不自然で、見る者の理性をじりじりと削り取るような悍ましさを孕んでいた。腐敗したような、それでいてどこか甘ったるい匂いが鼻腔を突き、雪は全身が氷漬けになったかのような極度の恐怖に襲われた。心臓が喉の奥で激しく暴れ、今にも口から飛び出しそうだった。
「……っ、あああああ!」
押し殺していた悲鳴が、堰を切ったように喉を突き破った。雪は、もつれる足を叱咤し、無我夢中で走り出した。コンクリートの地面が足に食い込み、何度も転びそうになりながらも、彼女はただひたすら、細い路地裏へと駆け込んだ。
曲がりくねった路地を幾度も駆け抜け、辛うじて怪物の追跡を振り切った時、雪は錆びたトタン板の古い倉庫の影に身を潜めた。背の高い雑草が、か細い身体を隠す。荒い息が、肺を激しく揺さぶった。全身が恐怖で小刻みに震え、心臓は激しく、不規則に鼓動を続けている。
「は、はあっ……ひゅ、ひゅっ……」
壁に背を預け、ずるずるとしゃがみ込んだ。ここが、ただ人がいないだけの町ではないことを、雪は悟った。この世界は、雪自身の心の闇が具現化された怪物となって彼女を襲い、逃げ場のない心理的な拷問を課してくる場所なのだ。ここで見つけた脱出の糸口は、もはや恐怖の具現化を退けることを意味する。このままでは、永遠にこの恐怖に苛まれ、精神を蝕まれてしまうだろう。
倉庫の薄暗闇の中で、雪の目に、これまでにない強い決意の光が宿った。
震えは止まらない。恐怖は消えない。だが、生き延びるために、そしてここから抜け出すために、彼女は闘うことを決めた。
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