第6話 世界の終わり、自由の始まり


 アリスがエンターキーを叩いた瞬間、有栖川グループが世界中に張り巡らせていた「行動予測AI・プロフェット」の深層回路に、海野楽のあの捉えどころのない鼻歌が、デジタルの奔流となって流れ込んだ。


 それはウイルスではなかった。ただの「無意味」だった。

 AIは、楽の鼻歌という「論理的な目的も、最適解も存在しないデータ」を解析しようとして無限ループに陥り、世界中の経済予測、株価操作、そして個人の行動誘導システムが次々と機能を停止させた。


「……何が起きた! サーバーを再起動しろ!」  有栖川本社の管制室では、アリスの叔父である重蔵理事が、真っ赤な警告灯に照らされながら怒号を上げていた。だが、モニターに映し出されるのは、不敵に笑う楽の顔と、のんびりと流れる雲の映像だけだった。


 予測が消えた世界。

 それは、明日どの株を買えば儲かるか分からず、どの道を歩けば効率的か誰も教えてくれない、不便で、不確実で、そして「自由な」世界の再来だった。


【有栖川本社:最後の殴り込み】

 パニックに陥る有栖川本社ビルの前に、一台のボロボロのワゴン車が急停車した。

 中から降りてきたのは、もはや誰が主役で誰が敵かもわからない、奇妙な集団だった。


「一条さん、顔色が良くなったね。失業したおかげかな?」

 楽は、正面玄関を警備する武装ドローンをギターケースで叩き落としながら笑った。


「失業ではありません、海野さん。私は今、人生で初めて『有栖川の秘書』ではなく『一条誠』として、自分の意志でこのビルのセキュリティを破ろうとしている。……快感ですよ、この非効率さは!」


 一条は、かつて自分が設計した完璧なセキュリティの「穴」を次々と突き、エレベーターを強引に起動させた。

 最上階の理事室。そこには、崩壊する帝国を前に、震える手で拳銃を握る重蔵理事が待ち構えていた。


「アリス……! 貴様、自分が何をしたか分かっているのか! 世界は秩序を失い、混沌に陥るぞ!」


 重蔵の銃口がアリスに向けられる。

 だが、その前に、一人の男がひょいと立ちはだかった。


「おじさん、そんなに怖がらなくていいよ。秩序なんて、最初からなかったんだ。君たちが『ある』と思い込ませていただけさ」


 海野楽は、銃口を向けられてもなお、ポケットに手を突っ込んだまま、退屈そうに欠伸をした。 「責任を取りなさい、海野楽! この混乱の責任を!」


「責任? ……いいよ、俺が取るよ。俺の人生全部使って、あちこちで鼻歌を歌って回る。……それで、みんなが『あぁ、明日が分からなくても、とりあえず飯食って寝ればいいか』って思えるようになったら、それが俺の責任の取り方だ」


 楽の言葉に、重蔵の手が震えた。その一瞬の隙を突き、小次郎が風のような速さで踏み込み、銃を取り上げた。


「おらぁ! 責任、責任ってうるせぇんだよ! 男なら、自分の足で立て!」


 凛が、呆然とするアリスの手を強く握り、重蔵に向き直った。

「おじ様。アリスちゃんは、もうあなたの駒じゃない。……私たちは、明日を自分たちで選ぶわ。たとえ、それが間違っていたとしても」


【エピローグ:航跡図の消えた海へ】

 数ヶ月後

 世界は、かつてのような「効率的な楽園」ではなくなった。  電車はたまに遅れ、天気予報は外れ、人々は迷いながら生きている。だが、街を歩く人々の顔からは、どこか憑き物が落ちたような明るさが見られた。


 風風荘

 二階の角部屋で、楽は一人、荷物をまとめていた。


「……本当に行くのね、楽」  部屋に入ってきた凛が、少し寂しそうに、だが納得したような顔で問いかけた。


「うん。アリスちゃんも、あの一条さんと一緒に『新しい、いい加減な有栖川』を作り始めたみたいだしね。俺がここにいると、またみんなが俺に頼っちゃうから。……無責任男は、一箇所に留まっちゃいけないんだ」


 楽はギターケースを背負うと、窓を開けた。  一階の診療所では、羽奈先生が相変わらず昼間からワインを飲み、小次郎と双子が相変わらずのドタバタ劇を繰り広げている。


「凛。……君は、どうする?」


「……決まってるじゃない。あんたがどこかで野垂れ死なないように、たまに連絡して、説教してあげるわよ。それが、私の選んだ『責任』だから」


 凛の言葉に、楽は最高の笑顔を見せた。

「あはは、最強のストーカーだね。……じゃあ、行ってくるよ」


 楽はアパートの階段を駆け下り、誰にも告げずに街へと消えていった。

 その背中から、微かにあのメロディが聞こえてくる。


 遠い異国の空の下か、あるいはすぐ隣の街か。  アリスが、一条が、そして世界中の人々が、ふとした瞬間に空を見上げて口ずさむ、あの「船乗り唄」。


 海野楽の航跡は、どこにも残らない。

 だが、彼が通り過ぎた後には、必ず誰かが、自分自身の足で歩き出すための小さな「自由」が芽吹いている。


 風が吹けば、桶屋が儲かる。

 無責任男が歌えば、世界は少しだけ、美しく、そして適当に回り始める。


This concludes


▶▶▶▶▶▶▶▶

【作風:方向性思案中】


詠み専からの執筆の若輩者です。

これまで作品の拝読と我流イラスト生成がメインでした。

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  宜しくお願いします。 


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