第5話 逃避行の譜面、隠された聖域へ


 深夜のラジオジャックによる「パレード」は、追っ手たちの計算を狂わせるには十分すぎるほどの混乱を街にもたらした。

 救急車を乗り捨て、一条の指示で用意された「無登録のワゴン車」に乗り換えた一行は、都会の喧騒を背に、漆黒の闇が支配する山道へと滑り込んでいた。


 ハンドルを握るのは一条誠だ。

招き猫のタスキを捨て、高級なジャケットを脱ぎ捨てた彼は、ワイシャツの袖をまくり上げ、鬼気迫る表情で夜の闇を睨んでいた。


「……私の知る限り、有栖川の監視ネットワークが及ばない場所は、国内に三箇所しかありません。そのうちの一つ、旧・有栖川家別邸跡地……現在は国有地として放置されている廃村を目指します」


 一条の声には、かつての冷徹な響きに加え、自らの立場を壊したことへの一種の「開き直り」が混じっていた。


「へぇ、一条さん。詳しいね。もしかして、いつか自分が逃げ出す時のために調べてたの?」

 後部座席でアリスに毛布をかけてやっていた楽が、軽い調子で茶化す。


「……万が一の事態に備えるのが私の仕事でしたから。皮肉なことに、その『万が一』が、お嬢様を誘拐した側としてではなく、お嬢様を連れて逃げる側で訪れるとは思いませんでしたが」


「誘拐じゃないわ、一条。私は……誘い出されたのよ。この、無責任な空気に」

 アリスが、少しだけいたずらっぽく笑った。彼女の手には、楽から手渡された古いカセットテープが握られている。


 ワゴン車が急なカーブを抜けた時、それまで黙って地図を睨んでいた凛が、重い口を開いた。


「ねぇ、楽。……アリスちゃんを連れて、あそこの『家』に行ったら、何があるの? 有栖川の人たちが、あんなに必死になってあの子を消そうとする理由……単なる後継者問題じゃないんでしょ?」


 凛の問いに、車内の空気が再び張り詰める。  小次郎も、双子のユミとエミも、冗談を言うのを止めて楽の答えを待った。楽は窓の外、月光に照らされた杉林を見つめながら、ぽつりと答えた。


「……アリスちゃんの母親、有栖川エリカさんは、死ぬ間際にあるプログラムを残したんだ。それは、有栖川グループが独占している『個人の行動予測システム』を、根本から無効化するもの。……つまり、誰にも、どんなAIにも、人生を決められないようにする『無責任化プログラム』だよ」


「……っ、そんなものが実在するのですか!?」  一条が思わずブレーキを踏み込みそうになる。


「うん。親父から聞いたんだ。親父とエリカさんは、昔、同じ志を持ってたらしい。……世界を完璧に管理するより、世界を完璧に放っておく方法を探そうとした。でも、エリカさんは組織に取り込まれ、親父はドロップアウトした。……アリスちゃんが今、あの鼻歌を歌えるのは、彼女の血の中に、その『自由』が流れているからなんだよ」


 一条は、ハンドルを握る手に力を込めた。  彼がこれまで信じ、仕えてきた有栖川グループの繁栄は、徹底した「管理」と「予測」の上に成り立っていた。人々が何を買い、何を信じ、誰に投票するか。それを予測し、誘導することで富を得るシステム。

 もし、楽の言う「プログラム」が世に放たれれば、有栖川という帝国は一夜にして崩壊する。


「……だから、掃除屋を差し向けてきたのね。後継者としてではなく、その『鍵』を握る存在として、あの子を処理するために」

 凛の声が震える。


「そう。だから、今からの俺たちの仕事は、ただ逃げることじゃない。……アリスちゃんを、世界で一番『無責任な場所』に連れて行って、彼女にその鍵を開けてもらうことだ」


 その時、羽奈先生が静かに警告した。

「……積もる話はそこまでだよ。山の下、ライトが見える。……追っ手だよ。パレードの魔法が解けるのが、思ったより早かったね」


 バックミラーには、数台のバイクと、オフロード仕様の車両が猛スピードで迫ってくるのが見えた。

 一条は、鋭い視線でバックミラーを睨むと、ギアを力強く叩き込んだ。


「……海野さん。お嬢様を、しっかり支えておいてください。……私の運転は、組織の規律以上に、容赦がありませんよ!」


「あはは、頼もしいね! ……小次郎くん、双子! 出番だよ! お客さんを、盛大におもてなししてあげて!」


「おうよ! 待ってました!」

 小次郎がワゴン車の後部ハッチを開け、双子がその影から「商店街特製・激辛粉末入りスモーク弾」を構える。


 漆黒の山道を舞台に、現代の「そよかぜ」と、巨大帝国の「掃除屋」たちによる、一歩も引けないカーチェイスが幕を開けた。


峠の狂騒曲、あるいは聖域の沈黙


 急勾配のワインディングロードに、タイヤが悲鳴を上げるようなスキール音が響き渡る。

 ワゴン車のハンドルを握る一条誠の横顔は、もはや有栖川のエリート秘書のそれではない。眼鏡の奥の瞳は、極限状態を楽しむかのような危うい光を宿していた。


「海野さん、お嬢様をしっかり支えていろと言ったはずです! 重力加速度の計算を狂わせないでいただきたい!」


「無茶言うなよ一条さん! この車、サスペンションが死んでるって!」

 楽は、後部座席でアリスを片腕で抱き寄せ、もう片方の手でギターケースを必死に押さえていた。隣では凛が、これまでにないG(重力)に耐えながら、青い顔でシートベルトを握りしめている。


 背後からは、三台のオフロードバイクが野獣のような排気音を響かせ、ガードレールギリギリのラインで迫っていた。追っ手の手には、特殊なテーザー銃が握られている。


「おい、小次郎! 出番だ! 派手に行け!」  楽の叫びに、最後尾の荷室に陣取っていた小次郎がニヤリと笑った。


「言われなくてもよ! ……おらぁ、食らいやがれ!」


 小次郎がワゴン車のバックドアを蹴り開ける。同時に、双子のユミとエミが、商店街の秋祭り用に貯め込んでいた特製アイテムをぶち撒けた。  それは、ただの煙幕ではない。商店街の粉問屋から譲り受けた「賞味期限切れの超微粒子小麦粉」と、激辛スパイス「魔王の涙」を独自調合した特製粉末だ。


 夜の山道に、真っ白な粉塵が爆発的に広がる。  追随していたバイクの一台が、その「粉塵」をエンジンの吸気口に吸い込み、激しくむせ返るような音を立ててスピンした。ライダーは、肺を刺すような激辛スパイスの霧に悶絶し、路肩へと沈んでいく。


「やったねコジロー! 命中だよ!(ユミ)」 「あとの二台は、私がマーキングしちゃうもんね(エミ)」


 エミが、改造した高圧洗浄機から「商店街名物・粘り気が自慢の納豆ローション」を路面に噴射する。追っ手の車両は、予測不能なスリップにハンドルを取られ、次々とガードレールへと叩きつけられていった。


 その光景をバックミラーで確認した一条が、初めて愉悦の混じった笑みを浮かべた。

「……素晴らしい。論理的ではありませんが、この『非効率な嫌がらせ』こそが、彼らのようなプロフェッショナルにはもっとも効果的だ」


「でしょ? 完璧なシステムほど、意味不明なゴミには弱いんだよ」


 ワゴン車は、追っ手を振り切り、標高千メートルを超える廃村の入り口へと滑り込んだ。

 そこには、かつて有栖川家が「隠れ里」として所有していた古い別邸があった。生い茂る蔓草に覆われ、月の光に照らされたその屋敷は、まるで時が止まった幽霊船のように静まり返っている。


 【聖域の沈黙:母が遺した言葉】

 羽奈先生の誘導で、一行は屋敷の奥深く、地下へと続く石段を下りていった。

 一条が懐中電灯で照らし出した先には、現代的な光ファイバーと、古めかしい木造建築が融合した、異様な空間が広がっていた。


「……ここが、お母様の」

 アリスが、震える指先で一台の古びたサーバーに触れた。

 楽が、アリスに手渡していたあのカセットテープを、そのサーバーに直結されたデッキに差し込む。


「アリスちゃん。……君のお母さんが、君に一番伝えたかったこと。それは、有栖川を支配することでも、世界を管理することでもなかったんだ」


 デッキが回転を始め、モニターに一人の女性のホログラムが浮かび上がった。

 アリスの銀髪と同じ、美しい髪を持つ女性――有栖川エリカ。彼女は慈愛に満ちた目で、画面の向こうのアリスを見守っていた。


『……アリス。あなたがこの唄を聴いているなら、あなたはきっと、素敵な仲間に出会えたのでしょうね。有栖川が作った、完璧な予測システム……それは、誰も失敗しない代わりに、誰も驚くことのない退屈な檻です』


 エリカの声は、風のように優しかった。


『このプログラムは、システムの核に「完全なる偶然(カオス)」を流し込みます。……それは、誰にも明日が分からない世界。失敗するかもしれない。悲しむかもしれない。でも、自分の意志で、今日という日を笑える世界。……それを起動するかどうかは、あなたが決めて、アリス』


 アリスは、モニターを見つめたまま立ち尽くした。

 一条は、そのプログラムの「価値」を理解し、震えていた。これを起動すれば、有栖川グループの株価は暴落し、彼が信じてきた秩序は消滅する。


「……海野さん。あなたは、これがどういうことか分かっているのですか」

 一条が、絞り出すような声で問いかけた。


「分かってるよ。……みんなが明日、何が起こるか分からなくなって、右往左往する。……最高に面白そうじゃないか」


 楽は、アリスの背中をポンと叩いた。

「責任、取らなくていいよ、アリスちゃん。君がやりたいようにやればいい。……その後の後始末は、俺たちが『適当に』やるからさ」


 アリスは涙を拭うと、キーボードに手を置いた。

 その隣には、凛が、小次郎が、双子が、そして一条が、それぞれの「しがらみ」を脱ぎ捨てた顔で並んでいた。


「……私、歌うわ。みんなが、自分の唄を歌えるように」


 エンターキーが押された瞬間、世界中の「予測システム」に、楽の鼻歌が、そして自由という名のノイズが駆け巡り始めた。


第四章(最終章)への展望

物語はいよいよ、システムの崩壊によってパニックに陥る「有栖川本社」への殴り込み、そして楽とアリスの「最後の別れ」へと向かいます。



Maybe it will continue?


▶▶▶▶▶▶▶▶

【作風:方向性思案中】


詠み専からの執筆の若輩者です。

これまで作品の拝読と我流イラスト生成がメインでした。

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  宜しくお願いします。 


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