第14話 ばん。
七月二十三日、午後五時。(◼️◼️)
校内チャイムが鳴り響く。キリ良く五時。文化祭一日目終了の合図である。
出し渋ったチケット(主に岸辺さんのご意向)を財布にしまい、三年一組の教室に足を向ける。片付けだ。ここでなんの義理だてもせずに遊び呆けようものなら明日から僕の居場所はない。きっと常時白い目を向け続けられ、陰で舌打ちをされ、かと思えばしっかり目の前でも舌打ちをされ、あげく机や椅子を校庭に投げ捨てられたのち「お前の席、ねぇから!!」と嘲笑われるまである。
「……ふふ。泣きそう」
『それほど楽しかったのですか?』『輪投げ。』
「……いろいろ文化祭回ったのに岸辺さんの中の僕は輪投げが楽しすぎて泣きそうになっているやつって認識なんですか?心外にもほどがある。……それに輪投げのプレイ中に茶々入れてくる人がおったんで、わりかし文化祭楽しかったなランキングでは下位の方です、反省してください」
『失礼ですね。』『叱咤激励です。』
さいですか。叱咤激励ですか、あれが。と、手帳を開き直す。『ナイスです。今のはあの棒の回避がうまかったですね。惜しむらくは先ほどから棒が動いていない点です。』『上手(右手)で投げているのに下手ですね。なぜなのですか。』『シンプルに下手ですね。』『あー。』『わざとですか?』『――――』違うよね、これ悪口雑言だよね、これ。猛省してください。
「……でも、なんだかんだ楽しんでくれてそうでよかったです」
『及第点ですね。』『『淡海』の名を冠するのですから、これくらいしてもらわねば。』
なぜ上から目線なのだろう。地下から目線でも烏滸がましい身分なのに。この文化祭単語帳女が。
ただ、文字がそのまま文字通り彼女の心情を表しているとは限らないのだろう。斜めから読むぐらいが、彼女を正確に表していると読み取っていいんじゃないかと思わせられている近頃。
「……しかし、ただの学校行事とは思えないくらいの盛況っぷりやね。正直、ここまでの規模感でやるもんだとは思わんかったよ。軽音部の校庭ライブは雨天でも凄まじい集客だったし、一年生クラスのカフェでも舌鼓を打つ料理ばっかり。野球部の万本ノックは涙なしでは見られない感動があったし、囲碁部は白黒はっきりしているはずなのにどっちが勝ったのかわからなかったね」
『一理ありますね。』『訂正します。0,1理ぐらいならありますね。』
うそだぁ。囲碁部どっちが優勢なのか聞いた時にはぐらかしたくせに。
「……明日はどうしましょうか。シフトでは、もう、空白で……。用済みなのかな。そうね、そうだよね、文化祭準備もまるっきしやっていない僕が文化祭当日だけメンバー扱いしろってのが図々しいよね。三年一組の皆様は優しいから表立っては言わないけど、どうせ僕なんてお荷物でしか『シフトがないなら遊べばいいじゃないですか。』」
……。まぁ、そうなんですけどね。
『個人的にバルーンアート展が気になります。』『バルーンで凱旋門を作った生徒がいるとのことですが、明日は琵琶湖の1/165,000,000スケールの実演作成があるそうなのです。見過ごせません。』
「……琵琶湖に対する愛が重い。どうせなら滋賀県とか作りなよ。そっちの方が簡単でしょ」
『馬鹿ですね。』『琵琶湖を抜いた滋賀県なんて、具のない炒飯です。』
……美味しそうじゃねぇか。なんなんだ、こいつの滋賀県への偏愛は。滋賀県そこまで君のこと好きじゃないと思うぞ。琵琶湖もたぶん君を遠巻きにしているだろうし。信楽焼君も君の前だと見たことないような顔をしそう。そんなやつだよ、君は。
段ボール。廊下。蛍光灯。
熱気の余韻。興奮の残穢。
三年一組までの道中は、“普段”を忘れ、“特別”に彩られている。
『聞きたいことがあります。』
藪から棒に、手帳に文字が綴られる。
「……どうしたんっすか?」
『楽しいですか?』『文化祭は、楽しめましたか?』
「……楽しい、っすよ」
『明日も、文化祭を楽しみたいですか?』
……?なんというか、婉曲的に、あえてわかりにくく何かを聞き出そうとしているような作意を感じる。岸辺さんらしくもなく、それでも幽霊ながらスカした表情で綴っているであろう文字なのだろうけれども、その心情はどこか一貫性を欠くような立場にあるような気がしてならない。
……なにを、聞きたいのだろうか。
『あの。』『今日は、雨で。足元も悪いです。高温多湿で過ごしにくく、なおかつ疲れているであろうことは察します。』『それでもよければでいいです。気が乗らないのであれば、無視していただいてもいいことなのですが。』
……ほんと、どうしたのだろう。告白でもされるのだろうか。断るが。
文字が綴られる。一文字、一文字。僕ははじめて、綴られていく文字の先に目線が追いついていた。
『今晩、散歩でもいかがですか?』
***
七月二十三日、午後十時四十二分。(◼️◼️)
琵琶湖沿いの街道。点々と蛍のように電灯は列をなし、街道の水たまりを照らす。
二つ返事だった。二つ返事で、いま、ここにいる。
「……この三日、振り返るたびにいろんなことがあったけれど、今日があれこれ言って一番なんもない日やったんかもしれませんね」
文化祭のあった日に、こんなことをいうとはおもわなかったけど。
あとはクラスの皆様の人情だったり、謎の狐面の少女との邂逅だったり。あったな、いろいろ。
「……お互い、記憶喪失やったり、幽霊になったり、散々やね。はは」
チラリ、と手帳を見遣る。まだ白紙だった。
誘ってきた本人は沈黙。沈黙を貫いているのか、沈黙になってしまっているのか、はたまた沈黙せざるを得ないのか、そのどれかではあるのだろうが、ともかく二人っきりで沈黙をされるってのは関西人的にはあんまり気を落ち着けられる要因にはならない。なんとなし、縷々流れるまま、口を動かした。
「……逆に聞いてもええですか?」
『』
「……今日、楽しかったですか?」
『』
「……楽しんでいるようには見えました。ただ、知り合って三日目で厚かましいかもしれんけど、今日一日中、上の空な気もしてました。どっか別のことを考えている風な気がして。それが軽いことか、わりと重いことなのかは僕にはわからんですけど、……その」
……難しい。ただ思ったことをつらつらと述べるだけなら余計なことまで口が滑ってくれるのに。
……難しい。この状況下(幽霊化等々)で、思い悩まないって方が難しいことぐらいわかるのに。
身体的ノスタルジーなんか切り出されようとも、僕にできるのはせいぜい精神的スーサイドぐらいである。それに相談相手もきっと精神科医かオカルティック僧侶かだろう。僕ではないし、僕では何もできない。それでも、……それでも、である。
「……思い悩むことがあるんやったら、相談に乗るんが筋っていうか、……違うな」
息をし直す。舌を能動的に動かす。
「……力になりたい。アカンか?」
一刻後、否、一刻であったかは定かではない。琵琶湖の漣が聞こえる静けさの中、僕はその小刻みに岸壁を打ち付ける波の音の数を知らないのだから。数刻、否、それ以上あったのかもしれない。
数えきれない余白のあと、ゆっくりと開口するように、白紙に文字が綴られる。
『聞いてもいいですか?』
僕は立ち止まる。聞き流さないよう。見逃さないよう。
『これからの質問は、深掘りしないでください。』『ただの例え話です。』
「……」
訥々と、文字が綴られる。
『貴方の手にはナイフがあります。持っていたのか、拾ったものなのか、よくわかりません。』
『知己がいます。』『家族でも、親友でも、知人でも。あまり差異はありません。』
『その知己の手にも、ナイフが握られています。』『そのナイフは、赤の他人に向けられています。』
『馬鹿君。』『貴方は、そのナイフで知己を殺せますか?』
思考が白ずむ。思ってもない例え話だった。正解がわからないし、正解があるのかもわからない。正解なんてないのかもしれない。それでも、答えなければならない、その強迫観念がジリジリと僕の心を苛ませる。殺すとか、殺されるとか、あまりにもよくわからない。
何の話ですか、と口を吐きそうになり、おしだまる。
はじめに、深掘りをしないように言われていたから。
「……僕なら、」
考える。僕なら、と。
熟考をする。
熟考をする。
熟考をする。
間違えたことを言いたくない自分と、しかしそれでも直感を口走りたい自分のせめぎ合いの中、ひたすらに言語化に努める。言葉を紡ぐ。それは拙く、脆く、ともすればそれっぽいようなことを言っているだけなのかもしれないけれども。精一杯を、告げる。
「……僕なら、ナイフを捨ててでも、」
「……問題に、立ち向かう、かな」
返答はしばらくなかった。
燦々と降る雨の音にかき消されなかったか心配になるぐらいに、僕たちは静謐に押し込められていた。
『貴方は、』『そんなことが言えるのですね。』
今更ながら、僕は失念していたことに気づく。
僕は、“僕”を見つけ出すことに必死だった。
けれど、僕は一度だって“彼女”を見つけていない。簡単なことではない。困難がすぎるくらいである。一生を賭けて、一部分だけでも見られれば、そいつは幸せってもんだろう。それでも、僕の過失は、彼女を見つけた気になっていたことだ。一度だって、彼女を見つけようとさえしなかったのに。
(……勝手な幻想を抱いていた。『彼女は高慢であり、尚且つ、彼女は高潔である。』と)
それがどれだけ罪深いことか、知っていたはずなのに。
岸辺織葉という皮だけで判別される恐怖を、身に染みてわかっていたはずなのに。
「あ、……のさっ」
言葉を探した。否、自分の心を探した。何が言いたいのか、何をしたいのか、何になりたいのか、ひっくるめて言葉にしたかった。
卑怯な自分と臆病な自分を押し除けて、
ひと匙の蛮勇を糧に口を動かし続ける。
ともすれば、それはあの歩道橋の時と同じような心境だったのかもしれない。
「……もし、嫌とかじゃなかったら、」
躓きながら、それでも僕は、
「……僕と、その、友達にっ――――――」
――――――ピーポー、ピーポー。ピーポー、ピーポー。
デジャブ。同じようなことが、昨日もあった気がする。
掻き消された。ちくしょう。
「……なんでそんな間の悪いことが――――――――――――」
――――――――――――。
――――――――――――。
――――――――――――それは、降り頻る雨粒の一滴にしては、大きすぎた。重すぎた。歪すぎた。遠く10メートル先には、ひしゃげたガードレール。そして、やけに近く見えるのは、ダブルタイヤ。
――――――――――――フロントの抉れた大型トラックが、目と鼻の先で宙を舞っていた。
――――――――――――がシャリ。がシャリ。ぐしゃり。
「…………あ、がっ?」
ビニール傘が風に攫われ虚空を泳いでいる。取りに行かなくちゃ。あれ、貧乏学生には高い代物だから。しかし、身体が思うように動かない。動こうともしない。ピクリとも。指の一本も。爪の先も。
「…………な、に、……が?」
大事故が目の前で起こった。それぐらいの情報だけが脳内で処理できた。
ただ汚泥に混じって絡み合う鉄の味が、僕をひたすらに混乱させるのだ。
汚水を啜り、髪が乱雑に汚れ、そして燃え滾るガソリンと炎と煙が鼻腔を埋め尽くす。
上を見た。
横を見た。
下を見た、のが最後だった。
――――――――――――腹から下が、無かった。
真っ赤な、真っ赤な、眼前の液体が、
身体中を這うこの不快なベタベタが、
自分の“血液”だと認識するのに時間を要した。“臓物”だと分かったのは、かすかな蠕動のためだった。
「…………あ、痛い」
あぁ、潰れている。無惨にも潰れてしまっていると、まるで他人事のように理解した。折れているとか、神経が切れているとか、そんなもんじゃないとゆっくりと頭のどこかで理解した。初めはちょっとした痒みだった。上半身と下半身の結合部だったあたりに、モゾモゾっとした痒みを覚えた。
そこで、ようやっと僕の中で実感が湧く。
僕は、大型トラックに轢かれたのだ、と。
「――――――あぁぁ、あああああああああああああああああああああッ!!!」
痛みが、激痛が、津波のように間断許さず脳天に突き抜ける。
肉が挽かれ、骨が砕ける様は悶絶如きで緩むはずがなかった。潰れている。潰れている。潰れている。びくりとでも逃れるために動いてみようものならば、その機微に相関しない理不尽が、下半身を潰されているという事実と共に逃れようのない重苦が襲い掛かる。
下半身などはじめからなければよかったと、そう思えるほどの、激痛。
「痛いッ!!」
「痛いッ!!」
「痛いッ!!」
「痛いッ!!」
「痛いッ!!」
もがく、もがく。右腕の肘もあらぬ方向に曲がってしまっていたが、それこれ構わず荷台を叩いた。一センチでも、一ミリでも、動け、動け、と。ほんの少しの苦痛のからの解放のために血流垂れ流れる拳で大型トラックを殴った。しかし、矮躯の抵抗などたかが知れている。
ひたすらに、無駄な血反吐をぶち撒けるばかりであった。
「……いやダ、こんナの、イヤだッ」
ここで、こんな風に死ぬのか、僕は。死にたく無い、死にたく無い、死にたく無い、死にたく無い、死にたく無い。まだ、まだ、まだ、僕は、なにもしていないじゃないか。なにも、まだ。……こんな死に方、嫌だ。
「……助けテ。……タスけてよ、岸辺サん。僕、マだ、死にたク無」
…………あれ、誰だろう。首に索条痕のある女の子がいる。
…………何してるんだよ。馬鹿野郎。
…………泣いてないで、助けてくれよ。
七月二十三日、午後十一時八分。
死因:大型トラックによる轢死
場所:琵琶湖沿い街道
あっつ。 容疑者Y @ORIHA3noOSTUGE
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