シスタ(2)



 少しして、ワルカイは酒を買いに行くと言って外に出ていった。


 おおよそ、祝いの席とは思えないくらいの重たい空気に耐えかねたからだろう。


 ワルカイは、兄妹水入らずの時間を楽しんでくれ、なんて言い残して行ったが、セイレンもシスタも、楽しい会話をする気分ではなく、ただただ気まずい空気が流れるだけであった。


 彼が出かけてすぐ、窓の外から雨音が聞こえはじめる。

 濡れたアスファルトの上を走るタイヤの音、雨どいからあふれた水が地面を叩く音、食器が皿に当たる音、やけに響く時計の秒針……音、音、音……そこに会話はない。


 次第に雨足が強くなると、シスタは心配そうにブラインド越しに窓の外を見た。


「ワルカイくん遅いなぁ……迎えに行ってこようかな?」


 結局、口火を切ったのはセイレンだった。


「背中の傷は大丈夫なのか?」


 シスタが動作を止めた。それから、数段低いトーンで聞き返す。


「なんでいま、その話になるの?」


 十年も前のことだ。兄妹で映画を観に行ったとき、セイレンが席を外した一瞬の隙に事件が起きた。劇場内で堕天使が暴れて、シスタは背中に薬品をかけられて、大きなやけどを負ったのだ。

 犯人の堕天使は動機を、気晴らしにやったと、それから相手は誰でもよかった後に語った。


 たまたまその場に居合わせてしまったという理由だけで、シスタは悲劇に見舞われた。背中には醜いあざが残り、心にも一生癒えない傷を残したのだ。


 許せなかった。犯人が、堕天使が、そして自分自身が。あのとき席を離れていなければ、シスタを守れたかもしれない。どれだけ時が流れようとも、セイレンの後悔が消えることはない。


 だからセイレンは騎士になったのだ。シスタを守るために。そして、あのような事件が二度と起きることがないよう、堕天使を狩るために……。


「もしあのとき、おれが──」


「もういいでしょ! むかしのことなんだから。それともなに? まさかワルカイくんが、わたしに同じようなことをすると思ってるの!?」


「奴は堕天使だ」


「堕天使にだって良い人はいる!」


「お前知らないだろ? 半年前まで奴は──」


「服役してたんでしょ?」


 シスタが鋭くさえぎる。


「知ってたのか……」


「彼、正直に話してくれた……」


「わかってるのなら、なぜ犯罪者なんかと付き合ってる?」


 バン! と大きな音がして、卓上の食器が揺れた。シスタがテーブルを叩いて立ち上がったのだ。


「わからないの!? 好きだからだよ!?」


「おれはただ、お前が心配なんだ!」


「ワルカイくんは変わった! 変わろうと努力してる! 過去の過ちを認めて、今度はまっとうに生きようと頑張ってるの。わたしは支えになりたいの、彼のそばでっ!」


「人はそう簡単には変われない……。堕天使は不幸をばら撒く存在だ」


「お兄ちゃん知ってる? 堕天使の九割以上は、自ら望んで堕天使になったわけじゃないんだよ?

 食べる物に困って仕方なく盗んで、それで“堕落”しちゃったり、それぞれに理由があって」


 光輪の出現で、善と悪が可視化される世界となり、身の危険を察知しやすく、犯罪の予知が可能となった。しかしそれは、同時に分断の時代の幕開けでもあった。

 天使は自らの身を守るために、堕天使を遠ざけた。一度黒く濁った光輪がふたたび輝きを取り戻すことはないという性質上、堕天使たちに挽回の機会はほとんどない。一度悪人のレッテルを張られてしまえば、社会的な死は免れられないのだ。


 正義の使者という建前と、兄として妹の気持ちに寄り添いたい感情がせめぎ合い、セイレンも段々声が大きくなる。


「だからといって、理由があればどんな犯罪も正当化されるのか?」


「お兄ちゃんは騎士なんでしょ? 騎士は困った人を助けるのが仕事なんじゃないの!? なら、なんで困ってる堕天使を助けようとしないのよ!?」


 シスタの言い分も理解できる。のど元まで上がってきた反論の言葉を、セイレンは飲み物と一緒に飲み込んだ。


「騎士は法と秩序の番人だ。個人の感情で動くわけにはいかないんだよ」


「じゃあ話すことはもうない。帰って!」


「シスタ……」


「顔も見たくない! お兄ちゃんなんて大っ嫌い!」


 こちらに背を向けたシスタは、顔を隠してしまった。声を抑え、すすり泣いているようだ。

 大事に想えば想うほど、妹を傷つけてしまう自分が不甲斐ない。

 かける言葉を見つけられずにいると、彼女の首すじから覗かせるやけどの痕が見えてしまった。


 胸がチクリと痛んだ。


「ご飯、美味しかった……。戸締まりはしっかりするんだぞ。それじゃあ、またな……」


 今日はそっとしておいてあげよう……。

 セイレンが店を後にすると、雨は先ほどよりもいっそう酷くなっていた。


 当然、傘など持って来ていない。やむなく雨に打たれながら帰路につく。

 ぼんやりとした頭上の光輪の明かりだけが、暗い夜道を行くセイレンの足もとを照らしていた。

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2025年12月28日 21:00
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SF・ノワール まろーの @93272marono

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