カラスハ、カンガエタ
化野生姜
私はアルバイトをしていた
―― 最近、カラスの視線を感じなくなった。
缶コーヒーを飲みながら。
私は高架線を見上げる。
(…減ったんだ。少しづつだがね)
カラス駆除のバイト。
指導役の男性は、そう答えた。
「レーザーを当てれば、連中は散る」
緑と赤の点が四角く集まり。
自動で回転するレーザーポインター。
駅近くのビルに当てるたびに。
数十羽のカラスが舞い上がる。
「連中にとって、まぶしいんだろうな」
市役所の害獣対策の依頼。
週二、三度程度の。
夕刻から夜にかけてのスキマバイト。
「…午前は鳥インフルで大変だったよ」
五度目の参加時。
男性がつぶやく。
「まあ、今回は一か所だけだったからね」
駅裏で飛び立ったカラスの頭数をかぞえ。
書類に書き込む男性。
「前は二つの市で同日に対処することもあったよ」
「…大変、ですね」
冷たい雨が降る駅。
口を開けば、湿気を含んだ空気が入り込み。
いがらっぽい咳が出る。
「スミ…マセン」
バイトは雨天でも行われる。
風が強い日でも。
土砂降りでも。
「いや、別に」
答えた指導役は気にする様子もなく。
次の場所へと歩き出す。
―― 駅構内の通路。
ときおり咳をする私は。
かなり目立つようであった。
見ると口元をおさえ。
眉をひそめる人もいる。
マスクはしているが。
体調はあまり思わしくない。
休めば良いのだろうが、熱はない。
バイトは生活にも直結しているので。
うかつに辞めることもできない。
「…カラスもインフルに?」
視線をそらし、話題を変える。
最近のカラスの減少。
それが病によるものではないかを聞いてみる。
男性はそれに「さて?」と答える。
「死骸は見つかってないし。詳しいことは」
「…そうですか」
ゴボッと出る咳。
「カラスもアチコチに行く、どこで何とはね」
指導役の言葉に。
私は窓に目を向ける。
表から裏へ。
駅の上を。
何百羽というカラスが移動していた。
*
…日中、カラスがこちらを見下ろしている。
ビルの八階のベランダで。
手すりに両手をかけた、人の姿で。
「――!」
ペットボトルのコーヒーが揺れ。
運転席からマンションを見上げる。
先ほどまで見えていた。
カラスの姿は…もはやない。
ゴグッと口内の咳。
車の窓を、雨が叩く。
「…こうやって。散らすことが楽しいんだろ?」
傘を差し。
駅舎の無人地帯をレーザーで照らす男性。
その後を。
強力なライトが追っていく。
当たるたびに飛び立つカラス。
私の背には。
ライトに繋がる機械が入ったリュック。
振れば、レーザーほどではないが。
多ければ十羽以上のカラスを追い払えた。
「いえ、そうでは」
群れの中心に当たったのか。
先ほどの倍以上のカラスが。
一斉に電線から飛び立つ。
「他のバイトは、よく口にするけど?」
シューティングゲームと同じ。
光を当てると。
飛び立つカラスの様子が面白いらしい。
「いえ、私は。どちらかといえば…」
―― 興味があるのは、カラスの生態。
野生下で、野山で採った木の実や虫を食べ。
都内ではゴミをあさるイメージ。
だが、本当にそうなのか。
現状どのような生き方をしているのか。
分かっていないことが。
まだまだ多い。
「大学の先生が、足輪をつけて実験したそうだ」
つかのまの休憩。
指導役の男性。
電車が通るあいだ。
駅舎にレーザーを当てることはできない。
「海ぞいの街まで行ったらしい」
「…へぇ」
駅から街まで。
ゆうに三十キロは離れているはずだ。
「ゴッ…すごい。遠くまで行くん、ゴッ、ですね」
合間に挟まる咳がひどい。
雨が地面を叩きつけ。
吐く息が白い。
カイロ代わりに持ち込んだボトルコーヒーも。
ポケットの中で冷たくなっている。
「ひとところには留まらず、周回しているらしい」
「…じゃあ。町で出くわすカラスも?」
「駅舎のカラスと、同じでないとは言い切れない」
手のひらに収まるほどの機械を。
男性は、濡れないよう入れていた鞄から出す。
「ライトを当てて。集まってる」
いつしか。
行き交う電車が途切れていた。
強力な光にカラスが飛び立つも。
数羽ほど、動かないものがいた。
「…小さな個体。子どもだろうな」
生まれたばかりの子どもの場合。
光に対する恐怖が薄い。
「だから、飛び立つこともしない」
「―― 本当に。そうでしょうか?」
私の疑問に「ん?」と声を上げる男性。
「いえ。冬に小さいというのが、引っかかって…」
野生下では。
小さな個体は生きにくいはず。
早めに身体を大きくしなければ。
天敵に襲われたり。
雪の時期に耐えきれない可能性が高い。
「どうだかねぇ」
動かぬ小さな個体に、さらに光を当て。
あきらめてスイッチを切る男性。
「連中、賢いから。問題は無いのかもしれない」
「…賢いですか」
「でなきゃ。こんなに長期間、駆除に考慮しない」
駆除が開始されてから約一年。
カラスと人は未だに駅舎で対峙している。
「―― 帰ろう」
スマホの時計を見て。
歩き出す、男性。
「私たちの顔…覚えられているのでしょうか?」
子どもと呼ばれる数羽のカラス。
彼らの目を見て、私はたずねる。
「おそらくは ―― 」
帰りの駅構内の通路。
鼻や口元をおさえ。
ときおり、あたりに目を向ける人々。
…何か、匂いでもするのか。
マスクの下で息を吸い込むも。
熱を持った鼻では。
何の匂いも区別できない。
「カラスに、見張られていた気がして」
階段から駅の反対側へ。
雨の降る外で傘を差しながら、私はつぶやく。
「高架橋に行くたびに。警戒されていた気がして」
激しい雨が傘を叩く。
手にある借り物のライトを濡らさないよう。
私は身体を縮こめ、前に進む。
「あるだろうな」
指導役の傘が目の前に見える。
「少なくとも。近くに来れば、連中は鳴くから」
「…でも」
今の、私は ――
それ以上の言葉を飲み込み。
勤務は終わる。
…機械を返せば、あっけないもので。
立体駐車場に停めた車に乗り込み。
エンジンをかける。
(午前は、鳥インフルで大変だったよ)
前回に聞いた男性の言葉。
とたんに咳が治まらなくなり。
赤信号で停車する。
二週間は経つものの。
症状は、いっこうに治る気配がない。
(…連中。賢いから)
思えば。
小さい個体は。
来るたびに数が増えていく気がした。
いずれは、ライトに耐性のある。
個体だけになるのかもしれない。
(…カラスも変化し続けているのだろう)
もうすぐ、厳しい冬が来る。
駅舎を追われていくなかで。
カラスたちはどうするのか ――
ガッ、ゴッ
激しい咳き込みをし。
アパートの自室のドアを開ける。
(…そうか)
室内で、私は不意に悟る。
(視線が気にならないはずだ)
カラスを囲う環境は。
常に変化していく。
体内にいるウイルスから。
身を寄せる場所に至るまで。
―― 開いた窓。
ベランダから床一面。
びっしりと集まった黒い個体。
目をランランと輝かせ。
こちらを見上げる羽毛の顔たち。
ガァ…
私の口から出た咳。
その音はカラスの鳴き声に良く似ていた。
カラスハ、カンガエタ 化野生姜 @kano-syouga
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