第2話 怪物
歌舞伎町 、とあるラブホテルの一室。
白基調の部屋と家具、そして、とめどなく流れるBGMとキツい花の匂いが、吐き気がする程の淫靡な空気を押し殺すかのような設計になっていた。
それらに囲まれるベッドの上で、僕は、亀甲縛りで打ち上げられたとある男の腹部に体重をかけて座っている。
その男の名は藤本元洋。歳は50代後半。禿げかかった頭と突き出たお腹が特徴の元政治コメンテーターだ。
そして、僕がこんな気持ちの悪い人間に跨っている理由はただ1つ。
「んッ――!! ンン――!!」
「黙れ怪物」
僕の振り下ろしたナイフが奴の左耳の薄い肉と細い血管を裂き、軟骨を押し潰しながら、柔らかなベッドへとその痛みをしたためる。
じんわりと広がる鮮血は、この部屋にようやく温かみをもたらしていく。
そう。僕はコイツを、痛めつけた上で殺すつもりだ。
そうしなければならない。
「ンン――!!」
それを受け、痛みからか恐怖からか、喘ぎ声とも取れる醜い鳴き声は、口へ突っ込まれたタオルに飲み込まれていく。
不思議な事に、そんな様子を見ていても、なんの感情も湧いてこなかった。
「しおん」
そうやって怯える様子の男を無心で見下ろしていると、厳しい声に名前を呼ばれ、視界に影が差した。
「目的を見失わないで」
「......見失ってなんか無い。今まさに――やっているだろ」
顔を上げ、横を見ると、ベットの傍に腕を組んで立つ自認サキュバスの淫乱女がいた。
彼女の名前はリリス。性格は最悪だが、容姿は完璧らしい。
確かに、全てを飲み込むような腰まで伸びる黒髪も、この男を騙すために嫌々着させた紅のチャイナドレスが肌に張り付いて露になった肉体も、悪くはないと思う。
だが、前述した通り、性格が本当に最悪で、僕は大嫌いだ。その感情に容姿は介入してこない。
上から下へ。凛とした端正な顔立ちに、100/58/90の体型は、身長169cmという高身長を持ってして、僕へ蔑むような目を向けたまま続ける。
「まだ殺すべきでは無いわ――違う?」
言いながらリリスは、男の口に入れていたタオルを摘み上げ、その顔面に落とす。
途端。文字にも表せないような絶叫が聞こえ、僕は人差し指で両耳の穴を塞ぐ。
男はのたうち回り、そこそこ重い筈の僕を跳ねさせるほどのたうち始める。
「おー、おー! ――凄い凄い」
と、咥内で自分の声が響き、聞こえたところで――
横から現れた長い足が男の顔を歪め、そこで動きが止まってしまう。
「あーあ......楽しかったのに」
と、思ってもいない嫌味をわざと零しながら、すぽんっと指を引き抜く。
すると必然、聞き飽きた胸糞悪いBGMが再び聞こえ始め、気落ちする。
「しおん」
そんな僕の気持ちを知る気が無い淫乱女は汚い口を動かし続ける。
「必要なのは情報よ。薄汚い骸ではないの」
「......分かってるよ」
そう吐き捨てた先に見えるのもまた、最悪の景色な訳で......。
さっさと終わらせよう。
上体を前のめりにしつつ左手で頬を掴むと、藤本の体がビクッと震えたが、耳障りな悲鳴やそれ以上の動きは無かった。完全に脱力し、状況に身を任せている。
殊勝な事だ。もしそれらがあれば、僕の我慢は利かなかったかもしれない。
......というか、リリスの一撃がどれほど強力かが知れて末恐ろしい。
「それじゃあ、1つ目――」
言って、左手で頬を圧迫し、右手のナイフを咥内へ突き立てる。
「返事は目でいい。Yesなら左、Noなら右目を瞑るんだ」
その問いに、藤本は左目を閉じる。
僕がそれに頷き返すと、それは姿を戻し、今度は瞳孔を限界まで開いていた。
同情の余地は全く無いが、そんな姿は血塗れで倒れる小動物の様にも似ているが、尚更どうでもいい。
「お前は36年前の『人口低減令』の後援者だな」
藤本は左目を閉じる。
まるでそれが悪い事で無いかのように......。というか、間違いなくコイツは悪いとは思っていないのだろう。藤本を含む彼等は、その時代の犠牲者には目を向けない。いつも通りのお得意芸だ。
無意識に力む右手を理性で押し留める。
「ならお前は、当時の総理大臣――石田を裏で操っていた人間を知っているな」
藤本は目を見開き、僅かに首を横に振る。
何か、僕の知れない物に相当怯えているように見えるが、それは自分の命に取って変えることの出来ない物なのだろうか......?
今度は自発的に力を入れ、ナイフが喉奥の肉を削る感触がするまで奥へと刺し込む。
「後援者は『人口低減令』を推進する会合へ参加していた筈だ。拒否権はなかったと、以前殺した後援者から聞いている」
その質問は藤本を硬直させ、その様相は僕の逆鱗を逆撫でる。
「――さっさといえば、寿命は延びるのよ?」
深呼吸して自分を落ち着けていると、藤本の耳元へリリスが囁いたのでそれと同時に僕は身を引く。
そうして口が自由になった藤本は「あぁ、イグッ――」と、漏らしながら体を跳ねさせた。
僕はお尻を浮かし、白濁とした液体を避ける。
それは、花の匂いをも劈く程の悪臭で辺りの空気を一変させる。
......寒気がするが、こんな事も、珍しいことではない。もう慣れた。
性欲に生きた人間は、死の間際やそれを感じた段階で既に果てていることはままある。
今回藤本はそれに加え、リリスの声があったから暴発してしまったのだろう。
全く、気持ちの悪い性欲者だ。
今際の際に家族や友人の事を考えれない人間が、常時で他人の事を考えれる筈がないのだ。
「――ダメね」
そしてこうなるといつもの様に、リリスの嫌いな部分が発動する。
「殺しましょう。気持ちの悪い」
さっきまで僕を咎めていた筈の口から発せられたとは思えない発言と剣幕。
――リリスはサキュバスを名乗るくせに、人間の性的な面が大嫌いなのだ。
そしてその面妖な性格が故に、毎度毎度苦労する。
今回なんて頭を下げてコスプレしてもらった上で、二人で入りたくないとか言い出し、只でさえ厳重な高級ラブホテルに忍び込むという面倒くさいタスクまで追加された。
にも関わらず、あの態度だ。
僕は跨るのを辞め、リリスの反対側に向かってベッドから飛び降りながら――
「リリスさん......君、サキュバスなんでしょ? 舐めれば1食分浮くんじゃない?」
「ッ――アンタねぇ!」
僕の毒突きに、彼女は顔を真っ赤にして藤本の脇腹を思い切り踏みつける。
「こんな――クソジジイの――精液を――舐めるくらいなら――死んだ方が――まし――よ!!!!!」
見ているだけで目を瞑りたくなる威力だが、藤本はその地団駄に合わせ、その度に体を震わせていた。
......何を見せられているんだ、僕は。
恨みがましい視線を無視し、喘ぎ喘ぎの吐息を漏らす汚物の顔に近づく。
恍惚とした表情は、状況を受けた疲労や困憊や慨嘆......はたまたリリスへの陶酔や恋慕や敬愛にも取れて、見るに堪えなかった。
「......お前には、家族がいるんだろう。今の状況を写真で見たら、どう思うかな」
「そんな事――」
その質問に、藤本は表情1つ変え無い顔を僕の方に向けて続ける。
「どうせ俺はここで死ぬんだ。その原因は君達じゃ無いかもしれない」
「どういう――」
「教えてやるよ。奴の要る処を」
僕の疑問を遮りつつ、藤本は器用に体を壁に寄せ、上半身を起こす。
まるで死期を悟った烏のような行動は、僕達2人を黙らすには十分すぎる不気味さだった。
「――と言っても、俺は後援者の中でも下っ端の方......それも当然だ。当時の俺は若く、所詮、父の権威を借りていたに過ぎなかったからな」
「「............」」
「だから、居場所と言っても教えてやれるのは父の居場所と奴の偽名くらいなもんだ」
藤本が俯いて顔に影が差し、唯一見える口角が不敵に持ち上がる。
「父は、東大病院のA-501に居る......意識があるかは知らないが......。それと、奴の偽名だが――」
そこまで言って、藤本は顔を上げた。
目が据わり、淀んだ瞳の中は不満気な僕が住み着いている。
何を言い出すのかは知らないが、何度か口をパクパクさせている様子は醜い出目金の様で、目を背けたくなった。
しかし、真な様子の藤本がそうさせてくれない。
そんな居心地の悪い無駄な時間が、僕の焦燥感を掻き立て、変な妄想を膨らませていく。
それらを振り払うように、大きくナイフを振りかぶる。それが向かう先は藤本の手の甲。
硬い手首の骨を砕き、柔らかい肉を押し潰すが、今度は醜い喘ぎ声は聞こえて来ない。
なんなら、張り詰めたロープが同時に千切れ、右手の自由を得て嬉しそうだった。
顔を見ると、やはりあるのは口角に湛えた不敵な笑みと、押し殺すような笑い声。
それを見て無意識にナイフを抜き、そのままの勢いで振り下ろそうとした僕の手を、細い骨ばった手が包み込んだ。
暖かかったが、小さく震える手の感触が伝わってくると、それ以上、動く気にはなれなかった。
「――君のお姉さんは元気かい......? しおん君?」
「は――?」
ほぼ無意識に、僕の視界がめいっぱいに冴え渡る。
......コイツ、なんで、姉さんを知って......!?
そうして動揺し、無防備になった僕の顎を、藤本の穴の空いた右手が持ち上げる。
だが、その顔が向くのはリリス。
「――とってもよい蹴りだったよ。冥土の土産としては、十分すぎるほどだった――凛とした佇まいは、妻を思い出す」
「そして」と藤本は僕と視線を交わす。
「娘のように可愛く育ってくれて、俺は嬉しいよ――後の事は、君に託すよ。『朧夜』、しおん君――」
それを聞いた直後の事だった。
ボンッ! という音と共に。藤本の胸に空いた掌大の穴から臓器と血液がボトボトと流れ落ち、それを追いかけるように体がベッドから滑り落ちていく。
同じように血を垂らしていた右手も、力なくそれに追随して行った。
「......過去イチね」
ややあって、震えた声が聞こえてくる。
「流石にグロいわ」
だが、一方の僕はそれどころでは無かった。
なんで、藤本は僕の苗字を知っていて、幼少期を知っている様な発言をした......? それに、姉さんの事まで理解しているようだったし......。
いや、あるいは。
今まで殺して回った後援者の奴等も、僕の事を知っていたのかもしれない。
もし、それらが周知なのなら、僕は、なんで生かされている......?
奴等なら、いつだって僕を殺せた筈だ。
もしくは、リリスを使ってラブホテルに呼びこんでいるから、直前まで気付かれていないだけか......。
「まぁ、どちらにせよ――」
ナイフをベッドに投げ捨て、立ち上がる。
「情報は得た」
迷っている暇は、僕には許されていなかった。
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