空飛ぶクルマの時代にまだ
毎朝通っている場所が閉まっており、仕方なく都市部にあるコーヒーハウスに来た。
そして、もう後悔している。汚れひとつない真っ白な壁と床は、いつもの黒ずんだ木の色に慣れた私には毒だ。
広々とした店内も、裸にされたような気がして落ち着かない。
大体、客も店員も揃って若く、老人の私は場違いな感じがする。
私はカウンター席の右端に座っており、一つ椅子を跨いで、やはり若者が座っていた。
白いセーターを着て、パーマをかけた青年だ。大学生だろうか。
机に目をやった。カップを掴み、コーヒーを一口含む。
味は悪くないが、「これがあんなにするのか」と思わざるを得ない。
店に入り、値段を見た時は飛び跳ねそうになった。
早く店から出たいが、払った金額が惜しく、せめてもう少しでもいようと思う。
カウンターの下から鞄を掴み、本を取り出す。
紙の本だ。今や生産数はかなり少なくなってしまい、価格も高騰している。
机に本を置いた。さて、何ページだったか。
すると、左に座っていたパーマの青年が、男に話しかけられたのが分かった。
読書に集中したかったが、その男の口調がやけに攻撃的で気が散ってしまう。
しかも、席に座っていた青年も何かを言い返し、その男と青年、双方の声がどんどん大きく、威圧的になっていく。
私は流石に気になって、二人の方を見た。
二人とも立って向かい合いながら、口論をしている。
青年に話しかけた男の方は、ネクタイを結んだ白シャツに黒のジャケットを羽織り、黒のスラックスを着た、サラリーマン風の男だ。中年で中肉中背、頭髪が後退している。
人が怒っている様子は苦手でうんざりしたが、これも「さっさと店を出ろ」という暗示かと思い、腰を上げた。
しかし、青年の左腰に、あの白いホルスターと、それに入っている白い回転式拳銃が見えた時には足が止まった。
そして、サラリーマン風の男が右手で自身のジャケットを後ろに弾いて、右腰に付けた同じく白い回転式拳銃と、それを入れた白いホルスターを見せた時には「まさか」と思った。
辺りは静かになり、店内にいる人間の視線が全て、その二人に集中する。
二人は自身の銃に触れ、言った。
「決闘だ」
決闘だ。
その場にいた全員の体から静かに興奮が溢れ出し、店を満たした。私はもう一度席に腰を下ろす。
さっきの気分とは一転して、この店に来てよかったと俄然思った。
早撃ちによる決闘は、昔から続いているこの国の文化だ。その免許を持った者は白いホルスターと銃が与えられ、免許を持った者同士が向き合い、自身の銃を触って「決闘だ」と言うことが早撃ちによる決闘の最初の段階となる。
審判の人型ロボットが来た。決闘をする双方の経歴や健康状態を確認し、なぜ決闘に至ったか、決闘の前は何をしていたか等を詳しく質問する。
どれも問題がないと判断されたようで、ロボットが一回目の確認に入った。
「本当に決闘をしますか」
これに片方だけでも「いいえ」と答えると決闘は中止になる。
勢い余ってしてしまった、ということを無くすための配慮らしい。
二人は見るからに熱くなっていて、すぐに「はい」と言った。
それから5分が経った。二回目の確認だ。
「本当に決闘をしますか」
二人に先ほどの怒りや熱はなかったが、どちらも落ち着いた表情で「はい」と即答した。
彼らがそう言う度に店内に静かな興奮の波が押し寄せる。
そしてまた5分後に三回目、最後の確認に入った。
本物の人間と全く見分けの付かないロボットが、これまた本物の人間のような声で、しかし感情のこもっていない、どこまでも冷たい音を出した。
「どちらかが死にます、本当に決闘をしますか」
青年の方は真顔のまま「はい」と即答した。
大した度胸だ、と素直に感心する。
すると、サラリーマン風の男の表情が一瞬曇った。
おや、と思ったが、すぐに覚悟を決めたような顔つきになり、「はい」と言った。
店内が緊張感の混じった熱気に包まれる。
決闘だ。
決闘は通常屋外で行われ、二人は審判のロボットと一緒に店の外に出た。
それを見た通行人は状況を察し、素早く建物の中や路地裏に入る。
銃の弾丸が無関係の人間に当たることはないが、他人は屋内や目立たない所から静かに決闘を見届けるのが伝統でありマナーだ。
私を含めて店にいた人間も窓に近づいて、その様子を見守った。
都会の道のど真ん中に、彼等二人だけになる。
どちらかの命が消えるまで、この道も、この時間も、全て彼等のものだ。
審判のロボットが二人の位置を指示する。
私から見て右に中年男、左に青年が立ち、向かい合った。審判は二人の位置の中間から何歩か下がった所にいる。
二人の間にある距離は25メートル。実際に見るとかなり遠く、急所を瞬時に撃ち抜くことなど至難の業と思えるが、免許を持っている彼等が外すところも時間をかけるところも見たことがない。
いつも一瞬で決まってしまう。
あの二人は今、何を思っているのだろうか。
多分、争っていたことなどもうとっくに忘れている。
ただ自分の腕に命をかけることができる誇りと、同じことができる相手への尊敬を感じているのではないか。
自分に自分の命を賭けられる人間が一体この世に何人いる?
早撃ちの免許を取ることで、一般的に「良いこと」とされているものは特に何も得られない。
家賃が安くなることも税金が免除されることもない。
得られるのは生き方だ。
「相手より早く撃つこと」を唯一の規則とした異常な生き方。
相手よりほんの少し、本当に少し、まばたきをするにも不充分な時間、手の動きが遅れるだけで、死んでしまう。
逆に言えば、相手が自分より少し遅かったというだけで、殺してしまう。
そんな異常な自分と同じ生き方をしている人間が目の前にいる。親しみすら持ってもおかしくない。
その同志と殺し合う。
正に不条理ではないか。理にかなっている事は一つもない。
私はそこに惹かれる。私はとてもじゃないが彼等のようには生きられない。しかし見る事で、彼等の不条理を感じ、日常から抜け出す喜びを楽しむ。
審判が「用意」と言って空砲を取り出し、上に向けた。発砲した時が早撃ち開始の合図だ。
それより先に銃を掴んでしまえば安全装置が解除されず、発砲することはできない。
二人はホルスターが付いている側の脚を前に出し、手をできるだけ銃に近づけ、上半身を軽く反らせた。
銃を抜きやすくするための、人の命を奪うための最適な姿勢である。
皆集中し、この世から一切の音が消えた。
次、音が生まれる時には、命の方が消える。
破裂音がした。
左に立っていた青年が、前でも後ろでもなく、その場に丸まる様にして倒れた。
どれだけ血が出ているとか、瞳孔が開いているかなど確認しなくても、その掴まれている手を離された時の人形のような倒れ方で、死んでいるのだと分かる。
空砲と実弾で最低二発撃たれている筈なのだが、その間があまりに短いため、銃声は一発にしか聞こえない。
右に立っていた中年男が銃をホルスターに戻す。そして丸まった青年の体に近づき、その手を握った。
決闘が終われば死の淵に立った者同士の友情が生まれる。
そしてその友はもう、淵から落ちている。落としたのは自分だ。
決闘を行った者は、働いていればその日は休暇を取ることが要求される。
だが、明日になればこの男は普段通り、恐らく仕事に行くのだ。彼の人生は続いていく。
青年の方は違う。生きていれば、これから色んな事を経験し、考え、学び、感じただろう。
それはもうできない。死んだからだ。彼の人生はここで終わった。
終わったのだ。
周りは意外に静かだ。皆、この不条理な戦いの結末を見届けている。
中年男はどこかへ去っていった。
青年の体は、待ち構えていた救急隊員に運ばれていく。
審判は一部始終を警察に伝える。
一連の出来事が終わると、周りが少しずつうるさくなる。
皆が自分のやるべきことに戻り、日常に溶けていく。
私も席に戻り、机の上の本に目をやった。
さて、何ページだったか。
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