第2話「邂逅②」
アリスは、事前に地図で目的地から南に三キロほど離れた場所に岩や大石の点在する場所を見つけていた。目的地から死角になり距離もある。
誰かしらを救助した場合や、自分が負傷した場合の一時避難所として利用する予定で当たりをつけていたのだが、実際に来てみると、お誂え向きに並んで座れそうな楕円形で表面の平たい岩があった。
(加工の跡はない、がそれなりに人の来た形跡はある、か)
暗さで近場しか分からないが、雑草の植生には周辺と比べても人が習慣的に踏みしめる場所で育つものが多く見て取れた。地球でいうオオバコやシロツメクサのようなものである。目的地に『いた』兵士たちが巡回の際にここで小休止していたのだろう、と判断した。
「安全そうだから、取り敢えず座って」
アリスは丸めて携帯していた布の一つを腕の一振りで正方形状に広げた。一片が一メートルほどのそれを岩に敷こうとすると、なんのつもりか黎夜が止めに入った。
「待って!そんな綺麗な布を私のために汚さなくていいですよ!」
「いや、別にそんな大した布では」
アリスが言い終えるよりも先に黎夜は岩の上に直に座り、血迷ったのか自らの腿を叩いた。
「どうぞ!」
「はあ」
アリスは布を岩肌から黎夜の腿の上に被るようにして敷くと、黎夜の隣の布の上に座った。
「ほら、座り直して」
「はい……」
無駄に手こずった上でようやく話を始める体制になった。
「尾藤黎夜、貴方は地球から来た聖女で間違いない?」
「聖女?いや、その前に地球?ここは他の星なの?アリスちゃん宇宙人!?」
アリスは困惑していた。
結論から言うと、黎夜は異世界から来た聖女が当然受けているべき説明を一つも受けていないらしい。
「まず私の口元を見て」
「良いんですかっ!!?」
「う、うん?」
「失礼致します!!」
何故か興奮している様子の成人女性が頭一つ半ほどの高さから覗き込んで来る。勇者を名乗るアリスにとっても中々の恐怖だったが、彼女はなんとか耐えた。
ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「私は、アリス・ワールウインド。この世界『ルーファス・レッド』で勇者をしている」
「うん」
「そして、貴女の名前は尾藤れいにゃ」
「にゃ!」
「うるさい!『i』のあとに『y』が続くの発音しづらいの!」
アリスはれいにゃの両頬を抓った。
「あひはほうほざいまふ」
「発音できてなくても意味が伝わるの気持ち悪いな。ともかく!今の私の口元を見て気づいたことは?」
「……綺麗。ピンク色の唇、お化粧もしてなそうなのにプルプルしてる」
「じゃなくて」
「触りたい……美味しそう」
「ハァッ!」
アリスは女性の右手を叩いた。アリスの口元へ迫ってきていたからだったが、どうやら彼女も無意識だったらしく自分で驚いていた。
「あ、ありがとうございましゅ!」
「なんだコイツ……」
涙目になりつつも、さも有り難そうに叩かれたことへの礼を言う成人女性にアリスは辟易していた。気持ち悪いだけならまだいいが、どうにも頭の回転が遅すぎるのが困りものだった。
「もう答えを言ってしまうけど、私の口の動きと貴女の耳に聴こえている音が一致しない筈」
「へ?」
『翻訳術式』。この世界に召喚された時点で『聖女』に与えられる権能の一つであり、話す言葉、聞く言葉が自動的に翻訳されるようになる。
当然ながら文法や単語の文字数などが違うため、互いの口元を見れば、洋画の吹き替えのような違和感が出てくる。喉から出ている声ではなく、口の付近から魔術的に音が生じているため、耳の良い者はそこでも違和感を感じ取れる。
アリスは、顔の見えない丘の向こうから声が聞こえた時点でその僅かな違和感を感じ取っていたのだった。対するロリコンOLは、説明を受けてなお度々アリスの顔に見惚れるため、これを理解させるだけで三分ほどを要した。
「確かにようじょ……洋画の翻訳みたいに見えますね」
「それが翻訳術式の効果。脳で文の深層構造を決定した時点で翻訳が始まり、発話に合わせて口から出た音を消し、代わりに訳された言葉が音として現れる」
「ほへー」
女性は言語学は微塵も履修しておらず、話の半分も理解できていなかったが、辛うじて『洋画の吹き替えと同じ』ということだけは理解できた。
ほぼ同じことを表現や喩えを変えながら五回ほど説明したアリスは、数秒ほど瞑目して気を休めてから続けた。
「そしてこのジリコニア大陸では多少の方言はあっても、標準語と大差はない。外国人も殆どいないし、いても言葉が通じる人ばかり。だから翻訳術式を使っている時点で異世界人の可能性が高いの。……分かった?」
「……はい!ここは異世界なんですね」
「まあ、うん」
長々とした説明を一言で総括されるのは釈然としなかったが、一番分かって欲しい部分が伝わったようなので、良しとすることにした。
これで、ようやく、話のスタート地点に入れる。
「レイ、覚えている順に、貴女がどこから来たか話して」
「レイ?」
「あだ名」
アリスの舌には『レイヤ』は微妙に発音しにくいがための処置だったが、呼ばれたレイは呆然としていた。
「レイ?不満?」
「あだ名で呼ばれるのなんて十二年ぶりくらい?」
「……え」
「ありがとう!アリスちゃん!こっちの世界ではこの名前で通すよ!」
「お、おう」
アリスが悲しい吐露に言葉を失っているのにも気づかず、女性は……レイは踊りださんばかりの勢いで喜んでいた。この瞬間、彼女の自認は『尾藤黎夜』から『尾藤レイ』に代わった。やがてレイが本当に踊り始めた辺りで、アリスの蹴りがレイの軸足に突き刺さり、再度仕切り直した。
「それで、最初にどこにいたの?」
「はい!まず西暦二千年……」
「貴女が産まれたところから話すとか言うボケはいらないから」
「ぼ、ボケ?」
「素で?」
ちなみにレイが気付くのはこの後かなり経ってからになるが、西暦を聞いただけで誕生年と看破できたのは、先程の個人情報過多な名刺を読んだからである。
「ええとですね……」
それから十分ほど掛けて聞き出した内容をアリスは以下のように総括した。
「勤め先からの帰宅中、気付けば何処かの城の中のホール状の部屋で大勢の男たちに囲まれていたので、怖くなって逃げ出した。そして二日ほどひたすら逃げているうちに今度はオルドラーダの群れに追われて、私に出会い、今に至る、と」
「はい……ごめんにゃさい」
レイはすっかり気落ちして小さくなっていた。
これだけの説明をするのに、だいぶ回り道をしていたからである。彼女とて一目惚れした幼女をわざと困らせようとしているわけではないのだが、つい余計な情報を足してしまっていた。
言われてみれば、勤め先の業務形態だの、男たちの正確な人数だの、脱出時に最初に曲がった廊下が右だとかは恐らく重要性の高い情報ではない。
そのくせ城の名前や、そこを出てから何時間どれくらいの速度で移動したのか、という重要そうな情報はあまり覚えていない。有益そうな情報は逃走中に二回夜が明けた(気がする)、ということくらいだった。
この体たらくには本人も泣きたいところだった。というより既に目が潤んでいる。
「もういいから、ね?」
年下をあやすように頭を撫でるアリスはむしろレイに同情し始めていた。
突然異世界に召喚されて、いきなり男に囲まれていたら身の危険を感じてパニックになるのも仕方がない。何しろ救いを求める声がけのような前触れが特にない強制召喚なのである。
しかもプロの兵士もいただろうに逃げられるとは余りにもお粗末だ。召喚側としての最低限のケアができていない。
「はい……」
「その敬語もいいから、これからのことを話そう」
「はい……うん」
確認・共有すべきことは無数に残っていたが、今は時間がなかった。オルドラーダの死を目的地にいる敵が気付けばアリスの接近を悟られてしまう。
「貴女が元の世界に帰るには、この世界を脅かす魔王を貴女の手で倒さなければならない」
「えっ!?ま、魔王?」
「そのための力を授かっている筈だけど、こっちに来てから何か力に目覚めた覚えは?」
「……無いです」
レイはますます落ち込んだ。アリスの声色が、最初からさほど期待していない風だったことが主な原因だった。
「大丈夫、そのうち目覚める筈だから。今回は見ていて」
「今回?」
「私はこれからすぐ近くの砦に陣取る魔王の手下、十二魔将の一人を倒しに行く」
「……誰と?」
「貴女を除けば一人で」
「なんで!!?」
「なっ!?」
レイはアリスの両肩を掴んだ。
あまりの勢いに、戦闘訓練を積んでいるアリスですら反応できなかった。
アリスと目の高さを合わせて訴えかける。
「よく分からないけど駄目だよ!そんな危険なこと!」
「さっきの戦いを見ていなかったのか?私は戦える」
「戦いって?」
きょとんとした様子のレイにアリスは呆れたが、一瞬で片が付いたアレはアリス自身にも戦いと呼べるレベルではなかったので、仕方がないかと納得した。
「流石に十二将はあの程度ではないが、私の力が連中に通じるのは証明済みだ。レイを守りながらでも勝てる」
「そうじゃなくて!いくら強くても貴女みたいな女の子が戦うとか駄目だよ!」
「なぜ?」
声こそ静かだったが、アリスはレイを睨みつけていた。
「そんな、命を奪うとかいう責任を負わせちゃ駄目だから」
毅然と言い返したレイに、アリスは暫し言葉に詰まった。全くの綺麗事であるし、この世界にも少女を単独で戦わせる事情もある。
それでも今の尾藤黎夜の言葉は、浮かれた様子もふざけた様子もなく、重みが感じられた。
それでもアリスにも譲れない理由がある。
「安易な気持ちで喋っていないのは分かった。でも、奴らには少人数で挑まざるを得ない。この私も千人の兵士には勝てないかもしれないけど、その千人の兵士が刺し違える覚悟で挑んでも奴らの糧になるだけ」
「アリスちゃんが兵士千人分くらいだとしても……五百人分くらいの人とか百人分くらいの人っていないの?」
「あまりいない。いても各地の防衛戦力として必要になる。正確な所在の不明な十二将もいるから」
「だからって!」
「少数精鋭でないといけない理由はちゃんとあるけど、聖女の説明すら受けていないレイに話すとだいぶ時間がかかる。長引くほど敵が準備を進めて、このあとの戦いが危険になる」
「もしかしてだけど、私を追っかけてきた虫をやっつけたせい?」
アリスは無言で頷いた。
この件に関してレイを非難する気持ちはなかったが、あえて非難がましい目を向けた。負い目に付け込んだほうが説得しやすいからである。そういった交渉術も勇者としての修行で身につけたものだった。
「目的地の砦はこの近辺の魔獣……人を襲う怪物を駆逐する拠点だった。それが数日前からはむしろ魔獣側の拠点になってしまっている。少しでも早くこの地の平和を取り戻したいし、長引くほど魔獣が増えて危険になる。私を心配するのなら今行くのが一番安全と分かって」
「ええと……」
矢継ぎ早の説明にレイは押されていた。
「レイのことは出来れば置いていきたいけど、この辺りは見晴らしが良すぎて安全な隠れ場所がない。私の側が一番安全だと思うから、一緒に来て欲しい」
「分かったよ!」
「うわ」
突然立ち上がったレイの勢いに、アリスは仰け反った。
立ち上がったばかりのレイはすぐさま岩に座るアリスの足下に跪き、手首に触れた。
「柔らかい……」
「レイ?」
「ごめんにゃさい!そうじゃなくて!……私!」
女性は再び長く息を吸い続け、そして長く吐いた。
どうやら重大な決意をするときのルーティンらしい、とアリスは推測した。
「アリスちゃんのことを絶対守るからね!」
「いや、守るのはこっちだから……まあ、よろしく。レイ」
アリスはレイに手を差し出し、レイはおずおずとそれを握った。
「本当に柔らかい……っ!」
「本当に止めてその反応」
アリスは銀髪の頭にもう片方の手をやりながら、感涙しているロリコン女の顔を呆れ気味に睨めつけた。
勇者アリスは、聖女を戦力として当てにする気はなく保護対象としか見ていなかったが、何をしでかすか分からないのは厄介だった。まるで分別のない子供である。それでいて保護者意識も兼ね備えているので性質が悪い。
(アリスちゃん、私が守るからね!)
(どうにか守りきらないと……)
やがて二人は最低限の身支度や打ち合わせを終えると、立ち上がって目的地へと歩き出した。
こうして幼女勇者とロリコン聖女の冒険譚の第一歩が始まったのである。
幼女勇者とロリコン聖女の冒険譚 ヴォイド @starrynight
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